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トロントのスマートシティ計画はなぜ失敗したか?――文明評論家・リフキンが示す、官民提携ビジネスモデルの課題

いわゆる「スーパーシティ」構想を盛り込んだ「改正国家戦略特区法」が5月27日の参院本会議で可決、成立しました。内閣府の「国家戦略特区」に関する資料は、「スーパーシティ」構想の「白地から未来都市を作り上げるグリーンフィールド型の取り組み」の参考事例としてカナダ・トロント市に言及しています。そこには「住民の不安による混乱や遅滞も」という一文が。いったい何が起こったのでしょうか? ジェレミー・リフキン著『グローバル・グリーン・ニューディール』より、当該事例が示す「重要な教訓」に関する部分を抜粋して掲載します。

グーグルの統治とそれへの対抗手段

 2017年10月、カナダのジャスティン・トルドー首相は、トロント市でグーグルの親会社アルファベットのエリック・シュミット会長(当時)、キャスリーン・ウィン・オンタリオ州首相、ジョン・トーリー・トロント市長らとともに記者会見を開き、アルファベット傘下の都市計画・開発会社サイドウォーク・ラボと同市との官民提携による大規模都市再開発プロジェクトの計画を発表した。
 これは同市のオンタリオ湖沿いの地域に、カナダで最初のデジタル技術を駆使したスマートシティを造るというものだ。シームレスなIoTの神経系統のいたるところに最新技術を駆使したセンサーが設置され、これらのセンサーが監視を行うと同時に、家庭や店舗、街頭でのあらゆる活動についてのデータを収集する。その目的は、商業、社会生活、ガバナンスにおける効率と利便性を上げることだ。このモデル地区が成功すれば、その地域を徐々に拡大し、最終的にはトロント都市圏のインフラ全体をデジタル化して、スマートシティのショーケースにすることを目指す。要は、この実験がインターネット最大手グーグルにとって、都市全体のアルゴリズムによる統治という新たなステージに足を踏み入れるチャンスとなるということだ。
 2007年、人類は初めてその過半数が都市生活者になるという節目に達した。しかもその多くは、人口1000万人以上の巨大都市とその周辺部に暮らしている。この年、私たち人類は「ホモ・ウルバヌス(都市のヒト)」になったのである。そして10年後の今、何十億もの人間がグーグルの検索エンジンを使い、何かの場所や目的地までの行き方をグーグルマップやカーナビアプリのWazeで調べ、ユーチューブで動画を見、そのほか数えきれないほどのグーグルのサービスを利用している。グーグルにとって、次なるフロンティアは同社のセンサー・ネットワークを駆使して都市全体を民営化することにある。
 サイドウォーク・ラボがトロント市との新しい提携プロジェクトを発表した記者会見で、シュミット会長はグーグルの参入を受け入れてくれたカナダに感謝すると述べた――「一つの都市をまるごとわれわれの手に委ねてもらう」のが同社の長年の夢だったのだ、と。
 一年後、世界150カ国以上で知的財産の商品化を手がけるカナダのリサーチ・イン・モーション社〔注:2013年にブラックベリーに社名変更〕の元会長/共同CEOのジム・バルシリーは、カナダ最大の全国紙「グローブ・アンド・メール」に寄稿し、世界初の民営化されたスマートシティを創造する試みの意義をこう強調した。「『スマートシティ』は大手IT企業にとって新たな戦場となる。なぜなら、それは次なる何兆ドルかの無形資産を生んで企業の時価総額を増やすという、最も大きな可能性を秘めているからだ」。さらにバルシリーによれば、「『スマートシティ』においては、街中に設置された都市センサーの機能的価値を高めるにはIP(インターネットプロトコル)とデータが頼りであり、民間企業の支配下にあるとき、そこには新たに膨大な利益が見込まれる」ことに実質的な商業的価値があるという。
 このプロジェクトの公式発表以後、しだいに明らかになったのは、サイドウォーク・ラボがトロント市の承認を望む一方、同市によるスマートシティの構築・管理への積極的な関与あるいは監視を喜ばないということだった。
他方で、サイドウォーク・ラボと、この地域の開発事業体として設立された非営利組織ウォーターフロント・トロントとの協議は秘密裏に行われていた。バルシリーによれば、ウォーターフロント・トロントは「選挙を経ていない公的企業で、IPやデータはおろか、基本的なデジタル著作権についての専門知識ももたずに……都市部の民営化や法人契約による定型的な管理や、規制などといった領域を取り仕切っている」という。2018年末の時点で、サイドウォーク・ラボのスマートシティ構想の見通しは暗かった。一年前の計画発表当初の鳴り物入りの宣伝はすっかり色あせ、市の当局者ばかりか一般市民の間にも疑念が膨らみつつあった。
 トルドー首相とトロント市にとっての輝かしい手柄になるはずだったプロジェクトは市民にとっての悪夢と化し、ウォーターフロント・トロントは人々の冷笑を買うことになった。グーグルの力を借りたスマートな未来都市構想は、アルファベットという「ビッグ・ブラザー」への懸念が募るに伴い、魅力を失った。アルファベットは、トロントのウォーターフロントの一地区を乗っ取ろうとしているのではないか。この地区を先端技術によって24時間365日監視し、そこで収集した市民の日常生活に関するデータを、サイドウォーク・ラボが第三者に商業利用目的で売ろうとしているのではないか、というのである。
 2018年7月、当初はサイドウォーク・ラボを支持していたウォーターフロント・トロントの最高責任者ウィル・フレイシグが、突然辞任。その直後、トロント周辺の有力な不動産ディベロッパー、ジュリー・ディ・ロレンツォがウォーターフロント・トロントの役員を辞任、その理由をアルファベットとの提携に賛同できないためだとした。このスマートシティの将来の居住者が、自分たちのデータを知られることに同意しなかったらどうなるのか、とディ・ロレンツォは問うた。「その人たちに『ここには住むな』と言うのですか?」。
 テック・リセット・カナダの共同創設者でありテクノロジー政策アドバイザーのビアンカ・ワイリーは、自身を含む多くのトロント市民が、「こうした問題について決定を下すのは民間の業者ではなく、住民に対して説明責任をもつ組織でなければならない」と考えているという。ワイリーは、住民や企業、コミュニティの役に立つ「納得できる監視」を組み込んだスマートインフラには反対しないと明言したうえで、「このインフラが公的なものであることを明確にする必要がある」と指摘する。2018年10月、オンタリオ州の元情報・プライバシー監督官、アン・カヴキアンが、この事業から身を引くと表明した。サイドウォーク・ラボはスマートシティ開発にあたり、カヴキアンの助けを借りて「プライバシー・バイ・デザイン」〔注:個人情報を扱うシステムを構築する際、設計段階からプライバシー保護のための方策をつくり込むこと。1990年代にカヴキアンが提唱した〕プロトコルを構築する計画だったことを考えると、この辞任の意味はきわめて大きい。カヴキアンは辞表にこう記している――「私は監視のスマートシティではなく、プライバシーのスマートシティをつくるのだと考えていた」。
 サイドウォーク・ラボの専門知識や技術が問題なのではない。同社はデジタル連結された、効率的で持続可能なスマートシティの構築に必要な最高レベルの技術と能力を誇る。問題はそこではなく、ビジネスモデルにある。これは官民提携による事業において、開発業者の主たる経済的関心が潤沢な収益源と利益を確保することにある場合には、共通してみられる問題である。こうした場合、インフラはすべての住民が依存する公益として扱われるべきであり、ゆえに全市民の意思を代表する地方政府の手に委ねるのが最善だとする考え方は、往々にして危険にさらされることになる(第6章では、別のタイプの官民提携によるビジネスモデル――エネルギーサービス企業――をご紹介する。このケースでは、私企業が政府のためにインフラに資金を提供し、構築、管理することで適切な収入源を確保する一方、地方政府はインフラの配備と管理の内容に対するコントロールを維持し、市民が与えられた公共サービスによって恩恵を得るという構図が成立している)。
 2017年の記者会見から間もないころ、私は首都オタワで政府高官たちと会い、連邦政府の既存の建物群をデジタル化されたゼロ炭素のIoT環境に転換するビジョンについて協議していた。あるミーティングで、一人の次官がトロントのスマートシティ計画について意見を求めてきた。何も驚くことはない、と私は答えた――私たちのグローバルチームがこれまでに第三次産業革命のスマートインフラ構築に関わった七つの地域ではすべて、住民の声は明白だった。市民は、企業がスマートな街づくりに力を貸すことを歓迎し、プラットフォームの構築と管理に企業が関わることにも反対しない。だがその一方で、全体の監視や意思決定の権限は、行政機関および住民に委ねられるべきだというのである。そのうえで、第三次産業革命のデジタルインフラは公的なオープンソース・コモンズとして統治され、アクセスできるものでなければならない。さらにすべての事例において、いつ、どんなサービスにも無条件で参加したりやめたりできる権利が、すべての市民に保障されなければならない、というのが住民たちの合意だった。
 スマートな都市あるいは地域への転換のあらゆるステップにおいて、市民の関与を確実にするにはどうすべきか?それは、計画から実際のインフラ整備にいたるプロセスのあらゆる段階に、「深い市民参加」を組み込むことだ。これはトロントのスマートシティ計画の失敗から学ぶべき重要な教訓である。
 この点では、私が代表を務めるTIRコンサルティング・グループのEUでの経験が役立つのではないかと思う。現在、ヨーロッパの3つのテスト地域で包括的な第三次産業革命のロードマップを作成し、20年計画でグリーンインフラの建設プロジェクトが進行している。それに先立つ4つの地域での経験から明らかになったのは、それらの地域で用いていた従来のモデルでは不適切だということだった。意思決定プロセスと統治のあり方は、整備されるインフラ――分散型でオープン、水平方向に展開する――に適合するものでなければならないのだ。
 これらのなかで最初にスタートした地域であるフランスのオー・ド・フランス地方(旧ノール・パ・ド・カレー地方)が、私たちのチームに、ゼロ炭素の第三次産業革命のインフラ整備計画を作成してほしいと言ってきたとき、私たちは当初その依頼を断った。フランス最北端のオー・ド・フランス地方はかつての炭鉱業が衰退した、いわゆるラストベルトで、フランス本土の人口の9%以上がここで暮らしている。だがその後、私はこの地域圏の知事に、地方政府は従来のような「最高決定者」ではなく、水平方向に分散する共同統治の「ファシリテーター〔注:中立的な立場で議論を円滑に進める進行役〕」の役割を担うべきだと提言した。この共同統治は、一次的な委員会のメンバーである数百人の個人と、二次的な非公式のネットワークでつながる数千人の個人(公共部門、企業部門、市民社会および学界から参加し、「ピア・アセンブリー〔注:平等な権限をもつ討議集合体〕」で協力して活動する)で構成される。
 私たちが明確にしたかったのは、ただ単にフォーカスグループ〔注:特定の政策課題について討議するために選ばれた少数の住民代表〕や利害関係者グループにアイデアや提言、同意を求めるだけではないということだ。そうではなく、あらゆる年代の住民で構成されるピア・アセンブリーこそが重要であると。将来どの政党が権力を握ろうと、向こう20年間にわたってそのピア・アセンブリーが活動しつづけることで、一貫性と連帯を維持することができ、それがインフラ転換の長期的な成功を確実にすると、私たちは主張した。このまったく新しい統治方式にオー・ド・フランス当局の合意が得られたので、私たちは共同プロジェクトを開始した。
 この地域はその後、加盟28カ国、350地域の代表によって構成されるEU地域委員会から、誰もがうらやむヨーロッパ起業地域賞を授与された。計画の開始から6年目の現在、1000以上のプロジェクトが進行中で、そこでは数千人の市民が雇用されている。今やオー・ド・フランスは、ピア・アセンブリーによって経済的・政治的活性化を実現するという、新しいアプローチのモデルケースとなっている。
 同様のピア・アセンブリーは、このほか二つのテスト地域でも設置されている。一つは23の都市を含むオランダのロッテルダム・デン・ハーグ大都市圏で、ここには巨大な石油化学コンビナートが展開している。もう一つはEUの主要な金融と政治の中心地、ルクセンブルクである。
 これらのピア・アセンブリーによる統治モデルは、その地域のインフラ配備をより迅速にするだけでなく、長期にわたってインフラ構築に対する住民の結束が維持されるため、住民の反発が起きることもほとんどない。世界の他の地域や地区でも、小規模なピア・アセンブリーの実験的試みがなされているが、それらは期間も短く特定のプロジェクトに限られたもので、右で紹介した3つのテスト地域は――私たちの知るかぎり――現在進行中の大規模なピア・アセンブリーによるプロジェクトとしてはほかにないものだ。
 ドイツのアンゲラ・メルケル首相が就任して間もないころ、私はベルリンに招かれ、新しいビジネスチャンスをどのように奨励し、新しい雇用を創出するかについて提言を求められた。私は第三次産業革命のインフラが分散型でオープンな、水平方向に展開する構造であることを説明したうえで、そうした特徴こそ、その地域や地区が個々の特殊な環境に合わせてインフラをカスタマイズし、他の地域とデジタル連結するのに最も好都合であることを強調した。メルケル首相が、ドイツにもぜひそういうインフラがほしいと言うので、私はその理由を尋ねた。すると首相はこう答えた。「ドイツの歴史についてもう少し知る必要がありますね。わが国は地域の連合体で、それぞれの地域は経済問題でも統治でも大きな独立性をもっている。第三次産業革命の統治モデルは、そういうドイツのあり方に適合します。経済的な意思決定プロセスも行政監督も、地域レベルにとどめることができるからです」。
 同様に、アメリカの州や郡、市町村も、第三次産業革命のカスタマイズされたインフラの構築にあたって、ピア・アセンブリー・モデルを採用するのに適している。ドイツと同じくアメリカも連邦共和国であり、政治権力と経済活動の大部分は、伝統的に州や郡、市町村レベルの管轄区域に委ねられてきた。一方、連邦政府の役割は、国民が共有する物ナラティブ語を表象するとともに擁護し、ナショナル・アイデンティティを提供し、国家の安全保障を確保すること、そして全国の地方自治体や州の足並みがそろうように法律や条例、規則、インセンティブをつくることにあるとされる。
 グリーン・ニューディールのインフラ転換においては、連邦政府がその立案に重要な役割を果たす一方、グリーンなインフラを整備する困難な作業の大部分は、州や郡、市町村に任されることになる。それが新たに出現しつつある、水平方向に分散化したグローカル時代にふさわしい形なのだ。

※続きはぜひ『グローバル・グリーン・ニューディール』でお楽しみください。

プロフィール
ジェレミー・リフキン

文明評論家。経済動向財団代表。過去3代の欧州委員会委員長、メルケル独首相をはじめ、世界各国の首脳・政府高官のアドバイザーを務める。また、合同会社TIRコンサルティング・グループ代表として、ヨーロッパとアメリカで協働型コモンズおよびIoTインフラ造りに寄与する。1995年よりペンシルヴェニア大学ウォートンスクールの経営幹部教育プログラムの上級講師。『エントロピーの法則』(祥伝社)、『水素エコノミー』『ヨーロピアン・ドリーム』『限界費用ゼロ社会』(以上、NHK出版)、『エイジ・オブ・アクセス』(集英社)、『第三次産業革命』(インターシフト)などの著書が世界的ベストセラーとなる。『ヨーロピアン・ドリーム(The European Dream)』はCorine International Book Prize受賞。広い視野と鋭い洞察力で経済・社会を分析し、未来構想を提示する手腕は世界中から高い評価を得る。

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