古生物学者、絶滅の危機!?――『古生物学者、妖怪を掘る』『古生物学者の40億年』荻野慎諧×泉賢太郎 特別対談
◆ジャンルの裾野、どう広げるか?
編集部 古生物学をテーマにした新書はいくつか出版されていますが、お二人の共通点は新書のタイトルに「古生物学者」を冠しているところですよね。それぞれ異なるアプローチで古生物学者の頭の中を覗くことのできる好著ですが、まずは最近新刊を出された泉先生に、ご自身の著書についてご紹介いただけますか。
泉賢太郎(以下、泉) 新刊の『古生物学者と40億年』(ちくまプリマー新書)は、ひと言で説明しづらい本なんですが、古生物学という学問の土台を突っついたり見直したりして、研究者が普段どういうことを考え、実際に何をやってるのかという現場の様子を可視化した一冊です。古生物学が前提にしている共通のテーゼやパラダイムをあえて俎上に上げて、それを問いなおすという意味では、「古生物学の文脈で哲学をした」と言えるかもしれません。ちくまプリマー新書という若い読者に向けた本ということで、自分の中で最近感じていた古生物学への思いの丈をぶつける気持ちで書きました。
荻野慎諧(以下、荻野) 古生物学をどう広げていくかという面では、一般に思われている研究のイメージに待ったをかけて、ストレートに古生物学の多様な営みを網羅的に解説されている本だと思いました。オビに使われている「ロマン」という言葉は、その分野に興味がない人が使いがちで、そう言われると思考停止になるところがあります。ですが、ある意味一般化されている定型句でもありますし、その言葉にチャレンジされている側面があったのだろうなと、共感する部分は大きかったです。
泉 ありがとうございます。古生物学をより多くの人に広めていくという点では、荻野さんの『古生物学者、妖怪を掘る』のアプローチの仕方は同業者としてとても刺激的でした。さまざまなアプローチを駆使して数少ない資料からなるべく多くの情報を抽出して、古文書に描かれた妖怪の正体を考察するというのは、まさに古生物学の研究手法に通じるものです。オビにある表現の通り、知的遊戯という言葉がぴったりですね。
荻野 古生物学の裾野を広げるために会社を興して普及活動をやっていたんですが、やっぱり限界があるんですよね。好きな人はすでに飽和しているという前提で考えなければならない。無関心層をどう取り込むかというのはわりと意識しました。あとは時代的にも、異分野協業や学際的な営みが流行りだした頃だったので、それに「古生物学」という単独で成り立っていたものを、逆にどう広げていくきっかけになるかというのも考えたところです。
泉 古生物学というか古生物一般のイメージは、恐竜のインパクトがかなり強くて、荻野さんのおっしゃる通り、その他の多様な研究がなかなか一般の方から見えづらいですよね。もちろん恐竜というアイコン的な存在があることは恵まれているんですが、古生物学にさまざまな携わり方があるということは、もっと知られてほしいところです。私の今回の本でも、古生物学の研究はブルーオーシャンだということを強調しました。
その点、『古生物学者、妖怪を掘る』は荻野さんにしか書けない本で、無関心層を振り向かせるという意味でも画期的です。ひとつひとつ丹念に論を積み重ねていくところやアプローチの仕方が、まず読み物として純粋に面白いですし。
荻野 学問の入り口というところでは、古生物学には小学校以前から入れるというところではいいんですが、「図鑑の次がない問題」がありますよね。そこから先に手ごろな本がない。だから学問の営みが見えづらい部分がまずあると思います。最近は若手の研究者が本を出すようになってきて、図鑑から専門書のあいだを橋渡しするような環境が徐々にできていることは歓迎すべきことだとは思います。(サイエンスライターの)土屋健さんの功績がとても大きいですけど(笑)
◆未来の古生物学者を育てないとヤバい!
泉 私は荻野さんの本を拝読して、古生物学という学問、あるいはそれに携わる人をどうしていくかという危機感が、行間からひしひしと漏れ出ているように見えました。古生物学という学問そのものが先細ってしまうんじゃないか、それをなんとかしたい、というような…。
その思いは多くの古生物学者の方々がそれぞれに、自分の活動に関するところでなんとかしていきたいという、おおよそ同じようなことを思っていると思うんです。
その意味で最近の追い風としては、小学生男子の「なりたい職業ランキング」の5位に研究者が入ったことでしょうか(2024年、クラレ調べ)。研究者って定期的に人気になりますけど、小学生が認知している職業に限りがある中で、トップ10に入るのはすごいことだと思うんですよ。
荻野 そうですね。認知はされていて、入り口はある、入り口から専門までのブリッジもできた。そういう意味では、青雲の志を持って門をくぐってきた人たちが将来悩まないために、出口がどうなっているかという話をもっと公にしなければならないですよね。進化や絶滅を研究している私たちが絶滅してはシャレにならないので。
それぞれの研究者って、古生物学の中でも「これが得意です」というサブメジャーを持っていて、それぞれがこの業界で得意分野を生かしていくというような現状なんです。泉先生は教育学部の所属ですし、私は地方創成をしているというような。一方で、古生物市場そのものは大きくなく、隙間じたいは豊富にあるんですが、席はすぐに埋まってしまいます。その内実を知ってもらって、自分の得意な方向性を見つけだすのがキャリアの戦略を立てるヒントになるでしょうし。そのへんは保護者の方にもある程度知ってもらいたい情報です。
泉 小学生の「なりたい職業ランキング」のラインナップを見ると、スポーツ選手や医師など、なんとなくなり方がわかる職業だと思うんですが、研究者ってどんな人種なのか、何をしているのか、どうやってなるのかがとても見えづらいですよね。辿るキャリアパスが人それぞれで、だからこそ研究者が多様なのですが、なんとなくの指針だけでもあればいいのになあと思ったりします。
荻野 ひとつ思うのは、子どもたちの関心っていつの時代も、どこに住んでいても変わらないと感じるんですよね。好奇心は普遍的にある。一方で、それと保護者というか社会の側の関心の差が大きい。僕は地方で活動しているのもあって、これに関しては地域差も感じます。
なので、子どもたちの好奇心を拾い上げるためには、古生物学に限らず、社会や保護者の関心をどう底上げするかが不可欠かなと考えていて。その点、入り口として古生物はやっぱり強い。
泉 保護者目線という意味では、当たり前ながら、なかなか自分が触れてきた学問以外のものの理解が乏しいという面はありますよね。われわれ古生物学者は何らかのきっかけで古生物や化石が好きになって、同じようなタイプの人に囲まれて研究者になるので、発想が閉じてしまいがちです。私はいま千葉大学の教育学部に所属しているんですが、古生物や化石とまったく接点がなかった人が多数のところに身を置けたのは、考えが変わるいいきっかけになりました。
荻野 学校を出たら勉強をやめちゃう人生を送ってる人が想像以上に多いかなという気がします。勉強が嫌だったという記憶が原因で勉強をやめてしまうのであれば、それを楽しいものにしていく必要があって、それがなければ娯楽という方向に時間を費やすパターンになるでしょうね。学びは学校でおしまいという考え方をうまく転換できるアプローチが大事かなと。企画展なんかもそうですけど、ふらっと行ってみるところから入り口をつかませるというか、学びを駆動するきっかけになる材料をどんどん投げかけるっていうのは、クリエイター側の使命であってもいいかなという気はします。
◆「顔」になる人をつくる
泉 あと妄想レベルで「こういうものがあったらいいな」という話をすると、古生物学者を目指す少年少女を主人公にした漫画があったら、なんて思います。コンテンツは題材が面白い場合もありますけど、人間模様や登場人物の個性が面白い場合もありますよね。私は他の仕事をしたことがないので他分野と比べてどうかはわからないですが、意外と古生物を研究している人々をめぐる様々なドラマって面白いんじゃないかと思うんですよ。
荻野 最近だと、植物学者の牧野富太郎が題材になったNHKの朝ドラ「らんまん」が話題になりましたね。
泉 そうですね。あれは相当大きいと思います。
荻野 あとは、19世紀の古生物学者メアリー・アニングがイギリスで映画になったりとか(『アンモナイトの目覚め』、2020年)。当然『ジュラシック・パーク』も大きな影響を与えたと思いますし。
泉 私自身は子どもの頃、考古学者の吉村作治さんに強く影響を受けました。吉村さんはテレビを通して相当なインパクトを与えたと思うんですが、とはいえ吉村さんのように研究に全てを捧げる生き方って、同じようにできないと感じる人が多数だと思うんです。
人任せではあるんですが(笑)、現代版のヒーロー的な古生物学者が出てきてくれないかな、ということも考えます。
荻野 裾野を広げて土台を強固にする点ではその通りですよね。老年になっても目がキラキラしていて少年のままの人たちを、いかに研究に注力させてあげられるかという話にもなりますが、そういう人たちが数多く活動しているというのが、古生物学の多様な環境を維持するために大事で。そういう人たちをどう世に認めさせるかというのも一つのテーマかなと。
泉 そうですね。私がどうして研究者の人間的側面にこだわるのかというと、プレイヤーである研究者が人物的にフォーカスされることが一般的になかなかないからなんですよね。スポットライトが当たる機会はノーベル賞くらいではないでしょうか。研究成果だけを見ると没個性化してしまう。たとえばスポーツ選手の場合、人物からそのスポーツが好きになることってあると思うんですが、そうしたことがあまり起こりにくいように感じるんです。荻野さんはその点どう考えますか?
荻野 そこはちょうど僕が地方に行く理由のひとつでもあるんです。やっぱり顔になるのは人なんですよ。博物館を好きになるというのは実はなかなか難しくて。とくに地方博物館の博物館自体を好きになってくれ、この学問に興味を持ってくれというのは難しいんですよ。
なので、地方では「この博物館に行くとこの先生に会えますよ」というような、顔になる人を作るべきだというのが持論です。博物館の学芸員が公務員かそれに準ずる人の場合はそれを行政側が嫌がることもあるんですが、本来は「博物館の展示や標本がいい」というお客さんのつき方よりも、「その博物館にいる○○さんがいい」というほうが良くて。その人が旗を振って何かをするというのがいいんですよね。
泉 今のお話で思い出したんですが、所属する教育学部ではだいたい6割くらいの学生が教員になるんですが、身近な学生に聞いてみると、先生を目指したきっかけを聞くと、特定の時期の特定の先生に憧れて、というような人が思った以上にいますね。
荻野 先生に影響を受けるという点では、公立の学校だと完全に運に左右されてしまうので、もったいないなあという気がしますね。
僕が6月から赴任する和歌山の有田川町では、ひと部屋、図書館の総合施設のようなものの中に、ガラス張りの研修室をひとつもらって、そこに人を常駐させる形にするようなんです。そうやって安易に来られる環境をつくって、その場で骨格模型などを作れるようにする。とりあえずそういう形でチャレンジしてみようという話をしているところです。
泉 すごいですね。顔になるというのは時間と根気も必要なんだろうなと想像しますが、私も研究者の卵を直接研究指導しにくい立場にいるからこそ、できる限りはその裾野を広げるような活動ができたらいいなとは思うんですけど。まだまだ手探りなんですが。
荻野 (顔になるために)一番影響力が大きいのはNHKで報道されることですね(笑)。老年層まで届くメディアは今のところやっぱりテレビしかないので。
泉 確かに(笑)。でも、ちょっと自分事になってしまいますが、興味のない人を取り込むのがいかに難しいかというのは痛感するところです。私の息子は化石や古生物にまったく興味がないんですよね。恐竜のとある企画展に家族で行ったときも、息子が嫌がりすぎて、受付の前で寝転んで「行かねえ!」と駄々をこねて。そんなに嫌なのかと(苦笑)
荻野 たまに入り口でいますね。
泉 やっぱりそうですか(笑)。親のほうが熱心で、というパターンも実はあるかもしれないんですけど、アプローチの仕方も難しいなというのを思いました。
◆楽しむ「場」をどうやって生み出すか
荻野 もうひとつ、右肩下がりの古生物学の将来を考えたときに、裾野を広げていくための場づくりがますます重要になると思っています。
最近、九州の長崎と熊本の二つの新しい博物館の人たちに話を聞いてきたんですが、地元の市民にとっては博物館に観光施設としての役割が期待されている一方で、運営側はそれをクリアしながらどうやって自分たちのアイデアを出すか、というのが腕の見せどころになっていて。今さまざまな試みが各地で行なわれています。
当然、博物館は純粋に学問の場であるべきだという見地もありますが、かといって人が入らなければ地元の政治家や市民を説得することはできない。学問的な価値とエンタメ的な面白さをどう折衷するかという点で、いま九州はわりと先端的で、実験的ではあるんですが、その取り組みの成果が注目される地域になってきていますね。
泉 博物館のような場づくりってすごく大事だと思います。やっぱり自分一人で興味を掘り下げていくのは難しいですよね。今はSNSで同じ趣味の人とつながりやすいですが、同じ興味を持つ人が物理的に同じ場所に集まれるというのも強いと思います。
その意味で、本を読むというのもきっかけのひとつになると思うんです。本を読むのが「対話」だなというのは、実際に自分が本を書くようになってわかってきました。若い頃は本は一方向的なものだと感じていたんですが、本を読むというのは書き手の思いを読み取る行為だとするならば、これは著者との対話なのだなと。本が読めない、活字が苦手という人も世の中には多いので、万人に適応できる話ではないですが、ハマるきっかけは多様であってほしいなと思います。
荻野 本からインタラクティブ性まで引き出す手段があればいいですよね。書く側は手間がかかるんですけど、対応という意味では、世の中に向かって投げたものを打ち返してキャッチボールしてくれる何らかのアクションがあると、書いた側も学ぶことや発見があるので、インタラクティブ性が欲しいなというのはありますね。
泉 先ほど荻野さんがおっしゃっていた、「会いに行ける研究者」ではないですけど、直接研究者に会えるというのは本当にいいなと思います。今は出版記念イベントも盛んで、本の著者に会いに行ける環境もかつてよりずいぶん整っていますし。本を通して研究者を知ったり、テレビやイベントで著者に会えたり、といったことがきっかけになって未来の研究者が生まれるかもしれないことを考えると、そういうきっかけをなるべくたくさん蒔いておくことが大事だなと。
未来の研究者養成の文脈で言うと、国立科学博物館に勤めている木村由莉さんという古生物学者がいますが、『もがいて、もがいて、古生物学者!!』(通称「もがこせ」)という著書で、ご自身がどうやって研究者になったかについて若い人向けに具体的に書いているんですよね。研究者のキャリアパスは人それぞれではありますが、今の子どもたちの世代の中で、本を読んで木村さんに憧れて古生物学者を目指す子が5年から10年後、学会で一定数見られるようになるのではないかなとは思ったりします。蒔いた種がすぐは出ないかもしれませんが、そういう草の根の活動が切実に大事だなと感じています。当然それをやるにはエネルギーが必要なので、できる人ができる時にいろんな方法でやっておくというのが大事かなと思いますね。
荻野 そういう意味では「顔」役が必要になってくると思うんですよね。昆虫業界だと丸山宗利さんや前野ウルド浩太郎さんとかいますし。
泉 そうですね。古生物学も、決して人任せにするわけではないですが、先ほど挙げた木村さんもそうですし、恐竜なら小林快次先生もいらっしゃって。アイコンとなるような研究者像を示すというのは大切かもしれないですね。
――お二人の活動としての、今後の野望や展望などはありますか。
泉 対談の冒頭で、『古生物学者と40億年』という新刊がある意味で「古生物学を哲学する」本だと言いましたが、すでに古生物を研究していたり、関心のある人にハッと考えたりするきっかけになるような、あるいは何か関連分野の人が興味をもってもらえるような研究をしたいなと思っているんです。
具体的な展望としては、教科書ですね。ゴリゴリの専門書ですが、学術出版社から出す教科書の構想があって。図鑑と専門書の間がないという話が先ほどありましたが、よくよく見ると最新の専門書もあまりなくて。多くの学生が最初に手にする専門書の、一番新しいものでも2010年とかで、大学生や大学院生が最初に買う本として、手ごろなサイズとページ数で3000円くらいの本が最初の一冊になると思うんですが、古生物学ではそれが思い当たる限り2冊しかないんですよね。まだ詳細はオープンにできませんが、短期的にはしっかり専門書にもコミットして、長期的には文化を絶やさないために自分ができることを何でもやってやるぜという、気概を持っていたいですね。
なので、応援部的な(注:泉先生は東大応援部OB)、かなり体育会的な発想ですけど、気合いと根性があればできることは少し増えるかもしれないので、そこは体育会精神を忘れずにいたいですね。
荻野 私も古生物を材料と考えたときに、活用の手段はまだまだあるとは思っていますね。隙間や未踏の地がきっとまだあって。そういったものに対しては何かしらのサブメジャーを作って学際化させるとか、そういったのはチャレンジ、トライアンドエラーを繰り返していくというのは、今後も続けていきたいと思っています。だから軸足は古生物に置いて、そこからさらに枝葉を広げることによって何かしら新しいものが見つかるのではないかと。
もう一つは、理解を広げるための説得というのが重要になってくるだろうと思っています。あらゆる方向に対する説得ですね。そのフォーマットができれば、古生物に限らず、自然科学全般を地域や社会で受け入れる環境がつくれるだろうなと思っています。
荻野慎諧(おぎの・しんかい)
1978年山梨県生まれ。鹿児島大学大学院理工学研究科生命物質システム専攻博士課程修了、理学博士(地質・古生物学)。京都大学霊長類研究所、産業技術総合研究所の研究員を経て、株式会社ActoWを設立。全国各地で自然を生かしたま地域づくりを行う。古生物学の視点から日本各地の古い文献に出てくる妖怪や不思議な生き物の実体を研究する「妖怪古生物学」を提唱。著書に『荒俣宏妖怪探偵団 ニッポン見聞録』(荒俣宏、峰守ひろかずとの共著、学研プラス)。
泉賢太郎(いずみ・けんたろう)
1987年生まれ、東京都出身。2015年、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。博士(理学)。日本学術振興会特別研究員PDを経て、2017年2月より千葉大学教育学部理科教育講座に特任助教として着任し、2021年1月同大准教授に。著書に『ウンチ化石学入門』(集英社インターナショナル新書)、『生痕化石からわかる古生物のリアルな生きざま』(ベレ出版)、『化石のきほん』(誠文堂新光社)など。