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《寄稿》ハン・ガン 絶望で語る希望――『回復する人間』を手がかりに/韓日翻訳者・小山内園子

 2024年のノーベル文学賞に、韓国の現代文学を代表する作家ハン・ガンさんが選ばれました。『菜食主義者』『ギリシャ語の時間』『少年が来る』『すべての、白いものたちの』、そして最新作『別れを告げない』など、日本でも数々の作品が翻訳され、多くの読者を獲得しています。
 11月11日に刊行の、韓国現代文学の魅力を丁寧にひもといた『〈弱さ〉から読み解く韓国現代文学』の著者・小山内園子さんが、同書の鍵である〈弱さ〉という視点で、ハン・ガンさんの短編集『回復する人間』を読み解きます。


 燃え立つような黄色い髪の女性が、涙をきらめかせている、日本語版のカバー。そのカバーをそっとはがした。あらわれたのは、青みがかった白い表紙。下のほうに、ハングルでタイトルが記されている。「노랑무늬영원」。直訳すれば「黄色い模様の永遠」。「永遠」は「とかげ」と同音異義語だから、「黄色い模様のとかげ」、火とかげの意味にも読める。ハン・ガンの短編集『回復する人間』の原題だ。訳者の斎藤真理子さんは、邦題が『回復する人間』となった経緯について、訳者あとがきでこう語っている。

 表題について補足すると、本書の原題は最後に収められた短編「火とかげ」の原題にあたる「黄色い模様の永遠」である。しかし著者が、初版刊行時に「回復する人間」を総タイトルにしたい気持ちがあったと語っていることや、本書全体のテーマをずばり言い表していることなどから、日本語版タイトルは『回復する人間』とした。

『回復する人間』、「訳者あとがき」、白水社、2019年、279~280頁

 回復する、人間。そのタイトルからも、登場人物が決して元気に、ハッピーに、人生の最盛期を過ごしていないことがうかがえた。読もうとして、まずそのことにひっかかった。私自身が最盛期でない、むしろどん底に近い精神状態だったからだ。最初の一編を読みかけて、〈いかん、悪化するかも〉と思い、急いでカバーをかけ直して本棚の一角、ハン・ガンの本が並ぶ場所に挿し入れた。今から数年前のことだ。
 その頃の私は、信頼していた人から手ひどい仕打ちを受け、満身創痍の状態だった。身体的な痛みも伴う出来事で、破れかかった鼓膜のせいで幾晩か痛みに苦しんだ。痛みが消えてからも聴力の衰えが続いた。
 幸い、仕事にさわることはなかった。翻訳は、あるところまではひとりきりの作業だ。聞くともなしに低く流しているBGMを止めてしまえばよい。もうひとつの仕事にも支障はない。そもそも、その出来事を理由にして、私はその場を去っていたから。正しいと思うことを伝え、正しくふるまおうとした。外形的に見れば、私が飛び出したように見えたろう。だが、場を去っても気持ちの整理はつかなかった。居場所を、捨てたのではなく奪われたと感じた。大切にしていたもの、そっと育てていたもの。それらと共にあったはずの未来を、なぜ自分のほうが奪われなければならないのか。このままずっと取り戻せないのか。悶々としていた。
 だから、しばらくは読まないでいようと思った。訳者あとがきに引用されていた、韓国の文芸評論家シン・ヒョンチョルの言葉もその決断を後押しした。「この本の関心事は、ほかの読み方をすることが困難なほどはっきりしている。それは〈傷と回復〉だ」(「訳者あとがき」、284頁)。回復には程遠い状態で読んだら、回復できていない自分がさらにみじめになるに違いない。生きていればいつか傷も癒え、「傷と回復、OK!」と軽い気持ちで手に取れる日も来るだろう。読まずにはいられなくなる日が来るはず。そう思った。

* * *

 その日はやってきた。2024年10月10日。ハン・ガンがノーベル文学賞に選ばれたのだ。その晩、私は満を持して『回復する人間』を手に取った。そして意外なことに、ページをめくる手が止まらなくなった。収録されている7つの物語に傷をえぐられることも、広げられることもなかった。回復を急かされる強引さも感じなかった。痛みを知っている人と、夜の川べりで、パチパチとたき火を囲んで話しているような気分。少なくとも私にとっては、終始あたたかな読書の時間だった。

 この短編集に収められたハン・ガン作品は、精緻にカットされたダイアモンドのようにさまざまな光を宿している。長編にくらべるとある意味「カラフル」だ。いずれの作品も、人生の傷に光が当てられる点は共通しているが、一編読むごとに心の違う部分を刺激される。
 たとえば「左手」という作品は、銀行勤めの男性の左手が突如として暴走する話。それまで、自分を殺して上司に仕え、家庭生活を維持してきたはずが、左手だけが本能の赴くままに行動しだす。部下を叱責する時に必ず人格まで否定する上司の口を、左手はいきなり塞ぐ。ひそかに心を寄せていた女性と再会すれば、妻子の存在を忘れて彼女の胸をまさぐる。そうこうしているうちに男性はのっぴきならないところにまで追いつめられる。ほとんどホラーだ。
 かつて心を寄せていた人が過去になりきらず、現在の生活にまで存在感を示すという展開は、「青い石」も同様である。主人公の女性は16歳のとき、同級生の「叔父さん」と淡い恋をする。当時30代だった「叔父さん」の言葉は心の深くに根を下ろし、今もふとよみがえる。

 女の人に月経があるということ、血を流して子どもを産むということって、考えてみると驚異的だ。つまり、生命はいつも血の中から始まるってことなんだろうね。

「青い石」、129頁

 知りたいよ、君がどんなふうに年を取っていくか。老いていくときの様子がどんなふうか。

同上、139頁

 彼が知りたがっていた、年を取った自分。36歳になった彼女の生活に「叔父さん」の姿はない。あるのは、1年以上小児ぜんそくの治療を続ける小さな息子、そして自分の首を絞めようとした男との生活だ。その生活に、彼女は「叔父さん」との過去のやりとりを重ねる。すると、パラフィン紙越しに風景を見るように生活の生々しさが薄れて、あるいは際立って、彼女のなかで本当に不可欠な何かが見えてくる。「叔父さん」の存在は、時空を超えて彼女のよすがになる。長くてやさしい詩を読むのに似た読後感の作品だ。
 先ほど「カラフル」と書いたが、それは決して「色とりどり」という意味ではない。なんというのだろう。ひとつの名前を与えられた色のなかにも、実はさまざまな濃淡があること。悲しみの傷がしたたらせる血にも、鮮血の赤もあれば酸化して黒くなった赤もあるというように、あたりまえにひとつと思われていた何かを、丁寧にふるいわける手つきに似ている。その作業に現実感を与えているのが、実にさまざまな身体の描写だ。「風呂に入れた直後以外はいつも全身がべたべた」している2歳児(「フンザ」、102頁)。「海水に濡れたままの土のような体」(「明るくなる前に」、25頁)。「まっ黒な毒々しい液体みたいなものを後頭部から流し込まれたみたい」なひどい鬱状態(「エウロパ」、79頁)。
 身体性が描かれるのは人間だけではない。ほぼすべての作品に、鳥、木、猫、犬、魚、植物といった生命体が登場して、命の意味合いを重層化する。圧巻なのは「火とかげ」だ。原書の表題作でもあるこの作品は、一瞬登場する小動物「火とかげ」の命の営みが、大きなメッセージにつながる。
 主人公の画家は、交通事故の後遺症で手が思うようには動かせなくなる。髪を洗うことも、やかんを火にかけることもできないから、同居している夫に頼まなければいけない。かつて対等に見えていた関係のバランスが崩れる。自身の人生の目標も消える。夫婦関係が冷え、絵を描けなくなってみると、夫婦がいつくしみあい、絵筆に情熱をぶつけられたそれまでの生活のほうが芝居めいて見える。そこに戻れないこと。奪われたという感覚。その後の虚無。そんなものに襲われていた主人公は、ひょんなことから「とかげ」を目にする。友人の子どもがペットの火とかげを見せてくれるのだ。前の冬に脱走したとき、前足がちぎれたというとかげを。

 ジヌクはくすっと笑って人差し指でとかげを指差す。私はうつむいて、子どもが指差したところを見る。とかげの体は全体に暗褐色と灰色の中間の色調で、なるほど、前足にざっくりと切れた痕がある。その上に、もともとあるべき足より小さくてやわらかそうな、白く透き通った二本の足が生えている。

「火とかげ」、256頁

 終盤、主人公はこう思う。

まるごと、新たに、もう一度、それを生まれさせるべきなのだ。最初からまた学び直さなくてはならないのだ。

同、267頁

 この一節にたどり着いたとき、数年前この本を読むことを躊躇していた自分に「ばかものめ!」と言いたくなった。臆さず読めばよかったのに。そうしたら、回復ということを、そっと信じられただろうに。傷がまた開くんじゃないか、失くしたものを取り戻したくてたまらなくなるんじゃないかと思ったのは杞憂だった。ハン・ガンの手つきは、読む側を悲嘆の側に置き去りにしないものだった。

* * *

 ノーベル文学賞の選考理由に、スウェーデン・アカデミーは「歴史のトラウマと向かい合い、人間の命の弱さをあらわにした強烈な詩的散文」(韓国、聯合ニュースより)であることを挙げている。確かにそうだろう。光州事件、済州4・3事件。ハン・ガンは、無残に奪われた多くの命と時間と未来を題材にしてきた作家だ。彼女自身、朴槿恵(パク・クネ)政権時の文化界ブラックリストに名前が入れられていたとの報道もある。今回の受賞に対しても、題材とされた事件を「歴史的歪曲」とみなす側からは非難の声が上がっている。現在進行形で「歴史のトラウマ」と対峙しているのだ。また、「詩的散文」というのも適切な評価だと思う。詩人として出発したハン・ガンの文体は透明度が高い。色、かたち、温度、湿度、におい、触感。繊細で端正な文体は、目の前に光景をありありと見せると同時に、読み手の想像力が入り込む余白も用意する。
 ひとつだけ。「人間の命の弱さをあらわにした」の部分はどうだろうか。私には、私という読者には、「人間の命の強さをあらわにした」とも読めるのだけれど。

 当然のことながら、苦境は歴史的な事件のみに発生するわけではない。集団的な争いがなくても、ごく日常的な場面で、平穏な暮らしと地続きの場所で、追い込まれ、踏みにじられ、奪われ、口を封じられる存在は生まれ得る。その場に立ち合った時に目をそらさずにいられるか。噴き出す血や割れる肉を見つめても、次の命を燃え立たせることはできるのか。できるのだと語るのがハン・ガンという作家だと私は思う。彼女は、絶望を語る希望の人なのだと。


プロフィール
小山内園子(おさない・そのこ)

韓日翻訳者、社会福祉士。NHK報道局ディレクターを経て、延世大学校などで韓国語を学ぶ。訳書にク・ビョンモ『破果』『破砕』(岩波書店)、チョ・ナムジュ『耳をすませば』(筑摩書房)、『私たちが記したもの』(すんみとの共訳、筑摩書房)、カン・ファギル『大仏ホテルの幽霊』(白水社)、イ・ミンギョン『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』『失われた賃金を求めて』(すんみとの共訳、タバブックス)などがある。

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