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あなたの強い味方、こっそり教えてください――料理と食を通して日常を考察するエッセイ「とりあえずお湯わかせ」柚木麻子

『ランチのアッコちゃん』『BUTTER』『マジカルグランマ』など、数々のヒット作でおなじみの小説家、柚木麻子さん。今月は、愛用品ではないけど、つい手に取ってしまうアイテムについてのお話です。
※当記事は連載の第31回です。最初から読む方はこちらです。


#31 頼れるアイツ

 10月に入ってようやく空が高くなって、いろんなバリエーションの雲を楽しめるようになった。しかし、冬の入り口のごとく寒い日と、猛暑風味な日が交互にやってくるので、みんなそうだと思うが、体調管理が難しい。そんな時は「アイツ」の出番である。アイツの話を公の場で書くのは初めてで、緊張している。みんなにアイツをどうにか受け入れてほしい、というこの気負い、愛なのでは、と、今、気がついた。
 アイツは、六年前に駅ビルのあまり知られていないオフィスカジュアルの店で買った、分厚い綿でできた紺色のロングカーディガンである。買った理由は、当時は、子どもが生まれたばかりで、服を買う時間がまったくなくて、慌てて授乳ケープ代わりにもなる羽織ものを求めて、駅ビルを横断中に適当にひっつかんでレジに持って行った、というそれだけである。素材はたぶん綿だとは思うのだが、異様に頑丈で、何度洗っても型崩れしない。私は洗濯がどうしようもなく下手なのだが、アイツだけはどうがんばっても毛玉ができない。カーディガンと書いたが、本当はカーディガンと軽いコートの中間くらいの感覚で、どんな服にも合い、身体の線はすっぽり隠れ、胸元を合わせたら下に着ているものが完全に見えなくなる。よって、パジャマのまま、コンビニに行きたい時、配達員さんからゲラを受け取りたい時、大活躍する。羽織った感じは軽すぎず、重すぎず、寒すぎず、暑すぎない。なにしろ、オフィス向け商品なので、どこに出ても恥ずかしくないシルエットを保っている。ユニクロや無印良品によくありそうなデザインではあるが、襟と袖口の独特の厚みが、ファストファッションには見ないタイプの肝の据わり方をしている。着ていて褒められたことは一回もないのだが、なんというか、その代わりに絶対に誰からも文句をつけられないぞ、という気合いの入り方がある。無難の総大将みたいなアイツ。ちなみに、二日前、子どもを連れて母の家に行った時、うとうと昼寝をしたのだが、アイツは私を包むちょうどいいブランケットになった。通気性はいいが、ずっしりもしているのである。無難なストールや無難なカーディガンを、私はよくなくしてしまうのだが、アイツはビッグシルエットで存在感がまあまああるので、何度もそこにあることを思い出させてくれる。
 私の年齢やだらしなさ、社会とのズレをすっぽり覆い隠してくれる、頼れるアイツ――。
 攻めた花柄やカラフルなものが大好きな私は、普段なら絶対選ばないアイテムなのだが、アイツの強さは認めざるを得ない。アイツを羽織っていると「他人に馬鹿にされたくない」という気持ちが異様に強い、真面目な人間の顔をいくつも思い出す。そういう人は誰しも、保守的なファッションで保守的な言動を好むのだが、年齢とともに、社会からのプレッシャーとの戦いにまっこうから挑み、ギリギリの線で勝ってきた上、これまで一回も叩かれたことがない自負から、「無難」より「強い」印象が濃くなる。みんなに頼られ、アドバイスを求められ、本人の望むところではないかもしれないが、気づかないうちに社会のカウンター的な立ち位置になってしまう。俳優にもこういう人はかなり多い。
 アイツは、思いがけない場所で出会った、生涯の親友という気がする。どんな服にもどんな気候にも合う、と書いたが、それは、変なやつを受け入れる度量があるということだ。出会って六年目の今年、私はアイツとの関係性を一歩進めてみることにした。すなわち、うちの中でも着用してみることにした。暖房を入れるほどではないし、ちゃんちゃんこを着るのも大げさすぎるが、寒くて仕方がない朝、私はアイツに袖を通す。普通ならここで部屋着に格落ちしてしまうところだが、アイツはまたしも他に似たものがない有能さを見せつけ、私に羽織ったことを忘れさせたまま、保育園の送り迎えまで無理なくサポートしてくれた。
 服という形態に限らず、誰にでもアイツ的存在の持ち物があるのかもしれない。愛用品紹介となると途端にどんな場所でも語られないアイツらだが、これを読んだ方がもしピンとくるのであれば、誰にも褒められたことはないけどヘビロテしている超無難アイテムをこっそり教えてほしいのである。

次回の更新予定は11月20日(月)です。

題字・イラスト:朝野ペコ

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プロフィール
柚木麻子(ゆずき・あさこ)

1981年、東京都生まれ。2008年「フォーゲットミー、ノットブルー」でオール讀物新人賞を受賞し、2010年に同作を含む『終点のあの子』でデビュー。 2015年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞を受賞。『ランチのアッコちゃん』『伊藤くんA to E』『BUTTER』『らんたん』など著書多数。最新書き下ろし長編『オール・ノット』(講談社)が好評発売中。

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