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【連載】南沢奈央「女優そっくり」第3回

芸能界随一の読書家・南沢奈央さんによる、「私小説風エッセイ」。かくも不思議な俳優業、どこまでが真実でどこからが虚構か。毎月1日更新予定。
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写真の私は、私ではなかった

 写真を撮られるのが、どうも苦手だ。
 カメラを前にすると力が入ってしまう。眉間にシワが寄ってますとか、口元を緩めてくださいとか、一旦深呼吸しましょうかねぇと言われることがいまだにある。あぁやっぱり苦手なんだなぁと思って、また表情が硬くなる。
 この苦手意識はどこからきているのかと思い返すと、歯の矯正をしていた小学生の頃まで遡る。歯の表側に矯正器具を装着していた私は、その口元がコンプレックスだった。矯正をするということは、歯並びがあまり良くなかったということだから、もしかしたらその前からコンプレックスだったのかもしれない。だから私には、写真を撮るときに歯を出して笑わないようにするクセがついていた。実際子どもの頃のアルバムを見返すと、口をぎゅっと閉じているものが多い。
 意識して笑わないようにしてきた人間がこの仕事を始めたものだから、写真の撮影では本当に苦労した。
 事務所に入って初めての仕事は、宣材写真の撮影だった。プロフィールなどの資料に使う写真だ。厳密にいうと仕事とは言わないのだろうが、南沢奈央として初めての現場であった。
 メイクというのも人生で初めてだった。ヘアメイクさんに前髪を留めてもらって、丸出しになる顔。平たい筆、細い筆、細いペン、小さいスポンジ、太い筆などを使って、私の顔に南沢奈央が描かれていく。自分ではなくなっていく自分と、ただただ鏡越しに対峙しなくてはならないのが苦しかった。「ビューラーできますか?」と聞かれても、ビューラーが何かすら知らない小童こわっぱだ。私にできることは何一つなかった。
 メイクをしてもらい、綺麗な服を着させてもらうことは、高校生の女の子としてもっとわくわくするものだと思っていたのに、不安と緊張が圧倒的に勝っていて、泣き出しそうですらあった。
 そんな状態で始まった撮影がうまくいくはずがない。指定された位置に立ち、カメラに向き合う。するとカメラの後ろに、たくさんの大人たちがいるのが見えた。事務所の社長、マネージャー、ヘアメイクさん、スタイリストさん……あとは知らない大人たちが多数。気が散漫になり、ついカメラから目線を逸らせてしまう。
 そんな私に気づいて、カメラマンがカメラに集中させるために、「はーい、こっちー」などと声を掛けてきた。まるで七五三の撮影だ。
 「笑ってー」「そう、こっち見て笑ってー」「笑顔! スマイル!」
 うまく笑えない。だって、楽しくないもの。ああ帰りたい、という心の声を収めるのに必死でもっと笑えない。
 すると今度は、見かねたマネージャーが私を笑わせようと、カメラの横に来て変顔をし始めた。大人の変顔で笑ったら失礼なのではないかと躊躇っていたら、「ほーほーほー」と言い始めた。何事かと思ったら、フクロウの鳴きまねだった。七五三のなかでも、三歳児のあやし方だ。今思うと、その物まねの絶妙なチョイスに笑えてくるが、当時の私は申し訳なさで愛想笑いしかできなかった。
 女優とは、楽しくなくても笑わなければならない仕事なのだとそのとき思った。
 「そうそう、笑って! でも目は大きく開けて!」「顎を少し引いてー」「顔の向きは斜めで、目線だけこっちに」
 後日あがってきた宣材写真の私は、私ではなかった。顔も実際よりシャープに見えるし、うまく笑っている、ようである。自分らしくない。不気味さすら感じる。
 写真を撮られることは不自然さを伴うものなのだ、という印象でのスタートとなった。
 だがいくら苦手だろうと、デビューしたての頃は特に、写真を撮られる仕事が多い。いわゆるグラビアの撮影だ。訳も分からないまま、『週刊ビッグコミックスピリッツ』や『週刊ヤングサンデー』の表紙を飾らせてもらった。
 「グラビア」という言葉に含む色気なんぞ私は持ち合わせていないし、有難いことに事務所が写真集以外での水着はNGだったから、水着の撮影をすることはなかった。“現役高校生”ということを全面に出していたため、制服や、陸上、テニス、チアダンスといった運動部のユニフォームの衣装が用意された。
 陸上部という設定のときは、実際にトラックを走ったり、得意でもないのに走り高跳びをしたりしながら撮影を行った。カメラの前に立ってカメラ目線でニッコリ笑うよりも、動いているところを追いかけてもらうほうが楽だった。だがあまりに真剣に競技に取り組みすぎて、「顔がマジすぎる、もっと笑って」とダメだしをされて中断したことも。リアルを切り取りたいわけではないんだ、と気づかされるのだった。
 こうしたグラビアの撮影では、水をよく使う。
 制服では川へ、Tシャツやショートパンツでは海へ行った。水遊びをしながら撮影をするのだ。こんな青春っぽいこと、現実でやることもない。手や足を使って、カメラに向かって水をかける動きをする。実際はカメラのレンズにはかからないように気をつけながら。水しぶきがキラキラと飛ぶのと楽しそうな表情がうまくはまった瞬間を撮れたときには、現場で拍手が起きた。
 グラビアで水というと艶っぽさを連想するが、私の場合は、清涼感を演出するために水を使っていたのだと思う。
 入る以外には、水を飲む姿の撮影もたびたびあった。ペットボトルの水を飲む、ただそれだけ。どんな顔して飲めばいいのか戸惑った。というか、いざ飲んでくださいと言われると、普段どうやって飲んでいたか分からなくなった。ちびちびと飲んでいたら、「水のCM来るんじゃない?!」とか「スポーツドリンクの広告このままいけるね~」などとおだてられ、「もっと思いっきり!」と言われた。腰に手を当てペットボトルをあおると、少しこぼれてしまい、あっと思ったが、カメラマンは「いいねぇ」とさらにシャッターを切った。カメラマンのテンションと反比例して、私の顔は強張っていった。
 他には自転車が用意されていることもよくあり、色んな街の田舎道を笑顔で立ち漕ぎした。「ストレッチしてみようか」とカメラマンからの提案はこれまた定番。腕を十字にクロスさせて、何度も肩を伸ばした。やはりリクエストされると、どうしてもぎこちなくなる。
 爽やかで、健康的。グラビアの数々により、南沢奈央のイメージを世の中に定着させていった。まったくもって、心が追いつかないままに。
 そしてデビュー翌年の夏、「ビクター・甲子園ポスター」のイメージキャラクターに選ばれる。マネージャーのような立ち位置で、選手たちを見守り、応援する。制服姿でストップウォッチを持ったり、キャッチボールをしたり、グラウンドを眺めたり。さまざまなシチュエーションで撮影を行うことになった。
 いつも通り緊張して現場に行くと、そこにいたのは球児が数人。私が到着したのに気づいて、駆け寄ってきた。「おはようございます」と挨拶する顔を見ると、彼らは球児ではなく大人だった。私のリアルな表情を引き出すために、スタッフさんが野球のユニフォームを着て、野球を練習する姿を見せてくれるのだという。
 撮影が始まると、私の目線の先でユニフォームを着た大人たちが、準備運動をし、ランニングを始め、キャッチボールやバッティング練習に取り掛かった。その日私はカメラを意識することなく、彼らを見守り、応援するだけでよかった。
 スタッフさんたちの気遣いに感謝すると同時に、たとえリアルではなくても、リアルに見せる責任があることを知った。
 甲子園ポスターが駅や街に貼られるようになると、周りから「高校野球の女の子!」と気づいてもらえるようになった。「そうです」と答える。たとえ甲子園に行って本当の高校球児を見ることがなかったとしても。


プロフィール
南沢奈央

俳優。1990年埼玉県生まれ。立教大学現代心理学部映像身体学科卒。2006年、スカウトをきっかけに連続ドラマで主演デビュー。2008年、連続ドラマ/映画『赤い糸』で主演。以降、NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』など、現在に至るまで多くのドラマ作品に出演し、映画、舞台、ラジオ、CMと幅広く活動している。著書に『今日も寄席に行きたくなって』(新潮社)のほか、数々の書評を手がける。

タイトルデザイン:尾崎行欧デザイン事務所

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