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自己否定のクセから抜け出す――「不安を味方にして生きる」清水研 #24[自分を認め、他人を信頼する]

不安、悲しみ、怒り、絶望……。人生にはさまざまな困難が降りかかります。がん患者専門の精神科医として4000人以上の患者や家族と対話してきた清水研さんが、こころに不安や困難を感じているあらゆる人に向けて、抱えている問題を乗り越え、豊かに生きるためのヒントをお伝えします。
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#24 自分を認め、他人を信頼する

自分が死ぬことで生じるさまざまな不都合への不安

 多くの人は自らが死ぬことを恐れ、不安を感じます。以前にもこの連載でお伝えしましたが、その理由は心理学において研究されており、大別すると3つに分類されます。
 ①「死にいたるまでの肉体的な苦しみに対する不安」、②「自分が死ぬことで生じるさまざまな不都合への不安」、③「自分が消滅することに対する不安」です。
 今回は、ふたつめの「自分が死ぬことで生じる不都合への不安」について、患者さんとの対話をもとにお伝えします。

 「自分が死ぬと、家族が経済的に困るのではないか」「恩人から引き継いだ仕事を達成できないまま死ぬことになってしまう」など、死を意識するといくつかの現実的な問題と向き合う必要が出てきます。
 いざというときにうろたえないように、普段から自分がいなくなったあとのことを考えて、身のまわりのものを整理したり、大事なものを誰に残すかを考えたりするなど備えを怠らないのも大切でしょう。
 死後に自分にとって大事な人が困らないようにする。それは、「あなたたちのことをこれほど大切に思っていたんだよ」というメッセージでもあります。
 けれど、どんなに準備をしたとしても間に合わず、対応できないこともあるでしょう。悔しくても、あきらめなければならない場合もあります。このようなときは現実を受け止めつつ、残される人を信頼するという課題と向き合う必要が出てきます。
 この課題の背後には、自分を肯定するという別の課題があります。自分の人生を認められれば、残される人が歩むであろう人生も信頼できるのです。

自己肯定感の影響

 私の外来を受診した松田里佳さん(仮名・58歳女性)は、卵巣がんの初期治療を受けてから2年たっていましたが、先日の定期検査で再発がわかりました。「私の病気はもう治らない。そのことが悔しくて、悲しくてしょうがないんです」と、涙ぐみながら言います。
 がんが全身に転移して根治は難しく、がんの進行を食い止めることが治療目標となりました。がんが再発すると、自らの死を強く意識する患者さんは多く、心理的な衝撃は最初のがん告知より大きいとも言われます。
 私は松田さんの感情が少しおさまるタイミングを待って、次のように質問しました。
 「がんの再発でこころに衝撃を受ける方は多いですが、その事情はさまざまです。松田さんはどんなことを思って、悲しまれているのですか?」
 「夫が心配なのです。自分はいいのですが、残される夫のことを考えると、いてもたってもいられない気持ちになります」
 夫の浩二さん(仮名)は里佳さんより10歳上で、現在68歳。3年前に脳梗塞を発症し、左半身が不自由になりました。私は、浩二さんとのなれそめについてうかがいました。
 「私は高校卒業後に就職しましたが、夫は最初に配属された部署の先輩でした。右も左もわからない私にイライラすることもなく、穏やかにサポートしてくれました。両親からもやさしくされた経験がなかったので、すぐに夫にひかれました。結婚して退職してからも、夫はずっと自分を守ってくれる存在でした。
 3年前に夫が脳梗塞になってからは、今度は自分が夫を守る番だと、がんばってきました。それなのに少したってがんに罹患し、今回再発もわかってしまった。夫に申し訳なくて。どうして私の人生はうまくいかないのでしょうか」

 私は、「自分の人生はうまくいかない」という松田さんの言葉が気になりました。どんなに大変な人生であっても「波乱万丈のなか精一杯生きてきた」と肯定的な人がいる一方で、他人からは華々しく見えても「自分の人生は取るに足らないものだ」と否定する人もいます。
 これは自己肯定感(「自分は自分のままで良い」と思えること)が育まれているかどうかによって大きく左右されます。
 私は「自分の人生はうまくいかないと思われるのはどうしてですか?」と尋ねるとともに、これまでの人生について聞きました。
 松田さんは厳しい実母との折り合いが悪く、つねに不和な家庭のなかで成長したそうです。「あなたは手を焼かせる」と言ってくる母親に反発しながら、その言葉は松田さんのこころに刺さりつづけ、「自分は周囲に迷惑をかけている」という罪の意識をもつようになりました。
 やさしい浩二さんに出会ってから、はじめて日々の生活に安心感が生まれました。浩二さんの存在に救われる一方で、自分は面倒をかけて浩二さんの負担になっているという思いもずっとありました。その罪の意識は、かたちを変えながら松田さんの中に存在しつづけたのです。
 脳梗塞になった浩二さんを守りたいという気持ちには、そのような自責感の反動があるように私は思いました。

 「松田さんは、小さい頃からとても苦労されてきたのですね。周囲に迷惑をかけたと自分を責めているようですが、その状況で幼い松田さんに何ができたでしょう? そうせざるを得なかったのではないでしょうか」と、私は松田さんのこれまでの道のりをねぎらいました。
 「そうでしょうか? 先生の言葉には救われますが、もっとやりようがあったのではないかと、どうしても思ってしまいます。夫に対する申し訳ない気持ちも消えません」と、松田さんは涙ぐみながら話しました。

 私は松田さんに対して、浩二さんに感謝の気持ちと、申し訳ないという思いを率直に伝えることを提案しました。松田さんはこれまで本心を周囲に打ち明けるのが苦手だったので、最初はためらっていました。
 「松田さんが黙っていると、浩二さんは心配するかもしれない。松田さんの気持ちを知ることで安心できるでしょうし、感謝を伝えられて悪く思う人はいないでしょう」
 松田さんは少し考えたのち、「がんばって伝えてみます」と言いました。

ふたつの課題と向き合う

 次の診察のとき、松田さんの表情は晴れやかでした。勇気を出して気持ちを打ち明けたところ、浩二さんからもこころからの感謝の言葉があったそうです。「あなたの存在に、私の人生がどれだけ救われてきたかわからない。無邪気な一面をもつあなたといることは、自分の人生にどれほど光を与えてくれただろうか」という言葉に、松田さんは涙が止まらなかったと言います。
 そのあとで浩二さんは冗談っぽく、こう言ったそうです。「あっちでいい男がいても、俺が行くまで待っててくれ。あなたが待っていてくれると思ったら、介護を受けながらもう少しがんばれそうだよ」
 「まだ、あっちに行くのには早いわ。こちらで楽しい時間をたくさん過ごしましょう」と、松田さんは答えたのです。

 松田さんは長いあいだできなかったふたつのこと、①自分を認めること、②他人を信頼すること、に取り組むことができました。このふたつは関連しており、自分の人生の道のりを肯定できれば、大切な人がこれから進むであろう道のりについても肯定的に考えることができるのです。
 自分を肯定することは、一般的なカウンセリングにおいても中心となる課題のひとつです。自身で理解していても、自己否定のクセからなかなか抜け出せない人は多くいます。
 一方で、松田さんのように死を意識した人は、短期間で課題を解決できることがあります。死を意識すると、「このまま自分の人生が終わっていいのか?」という問いが芽生えます。これが課題を解決するための強い原動力になるのだろう、と私は感じています。


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清水 研(しみず・けん)
精神科医。がん研究会有明病院 腫瘍精神科部長。2003年から一貫してがん医療に携わり、対話した患者・家族は4000人を超える。2020年より現職。著書に『もしも一年後、この世にいないとしたら。』(文響社)、『絶望をどう生きるか』(幻冬舎)など。

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