見出し画像

【連載】南沢奈央「女優そっくり」第4回

芸能界随一の読書家・南沢奈央さんによる、「私小説風エッセイ」。かくも不思議な俳優業、どこまでが真実でどこからが虚構か。毎月1日更新予定。
第1回からお読みになる方はこちらから

現場で鍛えてきてください

 初めてのドラマは、私が事務所に入る前から決まっていた。
 スカウトされてから事務所に入るまでの一年のあいだに、事務所が営業してくれていたそうだ。私が事務所に入らなかったらどうなっていたのか。むしろ入らない可能性のほうが高かったはずだ。なのに、事務所に入ってすぐにデビューできるように仕事を用意しておいてくれたのだ。
 それだから、私は何の準備もできぬまま、いきなりドラマの現場に行くことになった。無茶苦茶な話ではあるが、今思えば、訳のわからぬまま放り出されてよかった。たいして女優としてのやる気もないのに、演技のレッスンなど受けさせられてもすぐに嫌になっていたと思う。
 しかし、よかったと思っているのはこちらサイドだけで、そんな小娘が来たものだから、スタッフさん、共演者の方々はいい迷惑だっただろう。だって何もかもわからないのだから。
 現場で鍛えてきてください。
 そう事務所に言われた私は、これからすべてを現場で学べばいいと思っていた。だから事前に勉強しようというアイデアすらもなかった。
 それだから当然、台本を覚えていかなければならないことも知らなかった。
 ドラマの撮影現場では、基本的にドライ・リハーサル、テスト、本番という流れになる。カメラなしでシーンの始めから終わりまでを通してやってみる「ドライ」では、カメラマンはどのようなアングルで芝居を切り取るかをイメージしながら、役者の表情や動きを見る。そしてカット割りなどがわかってきたら、照明部はどの位置から明かりを当てるか、音声部はマイクを構えたり置いたりしても映り込まないところを探る。芝居を重点的に見ているのは、監督だ。
 そんな、シーンを作り上げるのにとても重要なドライの時間に、私は台本を持って台詞を読み上げるという所行に及んでしまった。今でもドライでは台本を片手にやる大御所の方も見かけるが、デビューしたての新人がそんなことやったものなら、怒られるに決まっている、というのは今ではよくわかる。だが、その時の私がやったことあるのはせいぜい学芸会。台本片手にお稽古するようにドライはこなし、本番に台詞が言えるようになっていればいいと思っていた。
 そんな状態でドライをやったものだから、シーンを作れるわけがない。明らかに不穏な空気が流れた。まずは南沢の芝居を固めなければと、監督が細かく演出をつける時間になっていった。この台詞は歩きながら、表情はこんな感じで。演出を受けてすぐできるわけもなく、台詞もつっかえつっかえ、表情もがちがち。それでも撮影はやらねばならない。私の芝居ではなく演出の様子からシーンの意図を汲み取ったスタッフさんたちが、各々プロの仕事を進める。
 監督から「本番!」と声がかかるまでに、かなりの時間がかかった。その日最初のシーンから、撮影スケジュールは押していた。
 この繰り返しでシーンを撮影していったものだから、スタッフさんの堪忍袋の緒は切れた。「台詞は覚えて現場に来い!」。現場に響き渡った声で、さらに現場の空気は張りつめていったのだった。
 現場に緊張感を漂わせ、スタッフさんに怒鳴らせてしまうような私が、なんとその作品の主演だった。しかも連続ドラマ。なるほど、現場で鍛えるにはもってこいの環境だ。約3か月だっただろうか、実際の高校に通いながら、休みの日、または学校を休んで、別の制服を身にまとい、女子高生を演じていたのだった。
 女子高生といっても、特殊な役だった。『恋する日曜日 ニュータイプ』(2006年)というタイトルから想像がつくかもしれないが、超能力少女だ。役作りの参考にと、藤子・F・不二雄の『エスパー魔美』をマネージャーから勧められた。魔美の人物像をウィキペディアから借りると、〈明るく快活でそそっかし屋なおてんば〉、〈情に厚くて心優しくややお節介で、困った人を見ると放っておけないタイプ〉とある。たしかに、あの頃読んでおけば、役作りに使えたかもしれない……。
 私が演じる多々野ユリには相棒がいる。下良隆三という、インチキな超能力グッズを開発して販売している、うさん臭い人物。ユリが気づいていない自身の超能力を、下良さんは利用して一儲けしようとするが、奔放なユリに振り回され、結局二人で協力してあらゆる事件を解決していく――という筋だった。
 下良隆三役は、林隆三さんが演じられた。私にとって初めての俳優の師だ。絶対に迷惑ばかりかけていたのに、いつも穏やかで優しい方だった。台詞が覚えられないで台本と格闘している私に、「台詞合わせ、付き合ってくれる?」とあたかも自分がやってほしいからという風に声をかけてくれた。待機時間には一緒に体を動かしてくれて、緊張を和らげてくれた。楽屋などで180度開脚をしてらっしゃったが、当時63歳だったと思うと凄まじい。
 ドラマがすべて終わった後も、定期的に電話やメールで出演した作品の感想やアドバイスをくれたり、時々お茶に行って相談に乗ってもらったりしていた。『恋する日曜日 ニュータイプ』の3年後に私が初舞台を踏んだ時も観に来てくれて、目を潤ませながら成長を喜んでくれた姿はまるで親のようだった。10年前に亡くなられた頃、お会いする機会は減っていたけれど、変わらず電話で近況の報告をし合っていた。唯一無二のかけがえのない、宝物のような関係性だった。今でも隆三さんからいただいた下駄や革のベルトは、箱に仕舞ったままだ。
 ドラマでは、そんな隆三さん演じる下良さんとのお決まりのシーンがあった。いまだに思い出すお気に入りのシーンだ。二人で誰かに自己紹介する時、「ユリです」「下良です」とそれぞれ言うと、相手が「ユリ・ゲラー?」と聞き返すという、ほぼ毎話登場するお約束のやり取り。私が「ユリです」と言うと、いつも小気味のいいテンポで「下良です」と入ってくれて、二人のバディ感が表れるのだった。
 他にレギュラーで出演されていたのが、みのる役の白木みのるさん。どんな役どころだったか説明が難しいのだが、みのるさんからの電話が来ると、「わしじゃ、わしじゃ」という着信音が鳴ることと、各話の終わりにあの高い声で「ミッションクリア!」と決め台詞を言うのが印象に残っている。想像してください、“そういう”役どころだ。
 初めての連続ドラマできつかったのは、台詞を覚えることもそうだが、毎日朝から晩まで組まれている撮影スケジュールだった。朝5時集合の時には、電車がないから両親に車で送ってもらっていた。今考えると、スタッフさんはどうやって来ていたのだろうか。もしかしたら、いつも出迎えてくれた助監督さんは、家に帰れていなかったのかもしれない。そして、夜深くまで撮影して、また翌朝集合……。あれ、私は高校行けていたのだろうか。記憶がない。
 そんな日々だったから、毎日眠くて眠くて仕方なかった。ただでさえ高校生は何もしなくても眠いお年頃なのだから。
 睡魔と闘うなかで、負けてしまった日があった。よりによって、隆三さんと白木さんとの三人のロケの日だ。どこかから移動してきて、三人一緒に待機部屋でセッティングを待つ時間があった。その間、白木さんと隆三さんがむかしの仕事の話を聞かせてくれた。若い私に対して、明らかにいろいろと教えてくださっている感じだった。なのに私は、その話を聞きながら意識を失ってしまった。人生最初で最後、人の話を聞きながら寝てしまったのだ。
睡魔じゃなくて、芝居と闘え、と今は思う。だけどあの頃の私はまだ、芝居というものと真っ向勝負できるほどの体力も、気力も、もちろん技術もなかった。
 たとえそのような資質が備わっていなくても、ひとたび役を演じれば、俳優、女優と呼ばれるのだ。
 女優になるために。
 「女優」と名乗るために。
 まずはドラマに出演することが、絶対に必要だった。
 そして今、私は女優であり続けたいと思っている。そのためには、役を演じ続けなくてはならない。
 これからも演じ続ける。その原点にこのドラマがある。


プロフィール
南沢奈央

俳優。1990年埼玉県生まれ。立教大学現代心理学部映像身体学科卒。2006年、スカウトをきっかけに連続ドラマで主演デビュー。2008年、連続ドラマ/映画『赤い糸』で主演。以降、NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』など、現在に至るまで多くのドラマ作品に出演し、映画、舞台、ラジオ、CMと幅広く活動している。著書に『今日も寄席に行きたくなって』(新潮社)のほか、数々の書評を手がける。

タイトルデザイン:尾崎行欧デザイン事務所

※「本がひらく」公式Twitterでは更新情報などを随時発信しています。ぜひこちらもチェックしてみてください!