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政治家は自分の下した判断に責任を持つべき――『総理になった男』中山七里/第11回

「もしあなたが、突然総理になったら……」
 そんなシミュレーションをもとにわかりやすく、面白く、そして熱く政治を描いた中山七里さんの人気小説『総理にされた男』待望の続編!
 ある日、現職の総理大臣の替え玉にさせられた、政治に無頓着な売れない舞台役者・加納慎策は、政界の常識にとらわれず純粋な思いと言動で国内外の難局を切り抜けてきた。ダムの事前放流の一元化に向けて閣僚を集めた会議を催すも、過去の政策を指摘され席を立ってしまった大隈官房長官。次なる台風が迫る中、慎策は各閣僚たちの思惑をまとめることができるのか――
 *第1回から読む方はこちらです。


「困りますよ、官房長官」
 執務室に引き返した大隈に苦言を呈したのは風間だった。対する大隈は恐縮しきりといった様子で頭を搔いている。
「いや、面目ない」
 強面で知られる大隈泰治が学者然の風間に謝っている姿は、どこか微笑ましかった。傍で見ている慎策はつい口元が緩みそうになるのを堪える。
「官房長官の目力で三つの省をまとめ上げてもらいたいとお願いしていたのに」
「葛野や工藤はともかく、山添の反駁はんばくは予想以上だった」
「だからと言って売り言葉に買い言葉というのは、官房長官らしくもない」
「いや、ある意味わしらしい。正論を吐かれると、つい頭が沸騰する」
「わたしたち学者の間では、正論とか定理というのは金科玉条のようなものなのですがね」
「そこが学者と政治家の違いだ。政治家で正論ばかりを語って許されるのは一年生議員だけだ」
 大隈の言葉は慎策自身が思い知らされたことだから納得できる。政治の世界は正しさの追求ではなく、折り合いのつけ方が最重要とされる。己の思想信条に沿うかたちでなくても、利害の相反する意見の一致点を探ることが要求される。
 まだ慎策は青さを残しているが、議員生活が長ければ長いほど正論は建前にしか聞こえなくなる。大隈などはその好例だろう。
 ふう、と風間は息を洩らし肩を落とした。
「官房長官。さっきの山添大臣の話にも出ましたが、第一安佐ダムの工事遅れを含め、脱ダムの政策を進めたのは大隈派ではなく、主流派だった。まあ、あなたはそんな言い逃れなどしないでしょうけど」
「言い逃れでも何でもない。当時の政調会長は紛れもなくこの大隈が務めた。マニフェスト通りの政策を進めるとのたまった主流派を御しきれなかったのは、わしの不甲斐なさでしかない」
「そこまで卑下される必要もないでしょう」
「いや、自分より若い連中の資質を見誤った。それだけでも大した恥さらしだ」
「民生党創設の発起人は大隈さんでしたよね」
 元より政治には人並みの知識しか持ち合わせていなかった慎策だが、民生党の成り立ちくらいは知っている。長らく国民党一強の時代が続き、緩みきった内部に業を煮やした大隈が党を割り、三つの野党をまとめ上げたのが民生党だ。不祥事が続く国民党政治に倦み飽きた国民は新生の民生党に国の舵取りを任せたが、寄り合い所帯の哀しさで政権は三年しか保たなかった。
「民生党にしても、議員一人一人は決して馬鹿じゃなかった」
 大隈は遠い目をして言う。
杉下すぎした政経塾出身者や弁護士資格を持った議員が大勢いた。理論は完璧に近く、理想も高邁こうまい。『コンクリートから人へ』というキャッチフレーズもかなり国民受けのするものだった」
「国民党の公共工事偏重と複合利権を糾弾し、無駄をなくせば増税することなく国民の生活を潤せるという主張でしたね。目の付け所は正しかったように思います」
「ああ、目の付け所は正しかった。あいつらの考えることは大抵正しい。ただし馬鹿だ」
 普段から大隈は口が悪いが、民生党議員のこととなると五割増しでひどくなる。最初は近親憎悪のようなものかと勘繰ったが、最近では彼らを信じた大隈が自身を呪っているようにすら思えてきた。
「己の弁舌に自信のあるヤツは当意即妙に受け答えし、相手が少しでも合理的でないことを口にしたら直ちに論破できると思い込んでいる。だが、そういう人間に限って下調べがおろそかになる。例えば政権交代前のマニフェストでは無駄の削減により十六・八兆円捻出すると豪語していたが、事業仕分けなどというパフォーマンスをした挙句に吐き出した予算は九・七兆円に過ぎなかった」
「それはあながち民生党だけの責任ではないでしょう」
 普段は政権時代の民生党をくさす風間も、話の流れで擁護する側に回っているのが面白かった。
「二〇〇〇年代に入って社会保障費が急増しましたよね。あの時点で国民党は他の予算を減縮して社会保障に充てました。公共事業費も例外じゃない。一九九八年度の十四・九兆円をピークに削減が始まり、政権交代直前には七兆円にまで下がっていた。いくら民生党が公共事業費を目のかたきにしようが、もうそれ以上は削減のしようがなかったでしょう」
「それでもマニフェストを実行しなければ国民に言い訳ができないから、本来は必要だったダムの計画まで白紙に戻さざるを得なかった。その挙句にダム建設を見込んで町の再開発を計画していた関係者と族議員に蛇蝎だかつのごとく嫌われた。マニフェストを立てる前に少し調べれば分かっていたことだ。それを手前の正義感と弁舌に酔い、大して調べようともしなかった。馬鹿というのはそういう意味だ」
 吐き捨てるように言うと、今度は大隈も肩を落とした。
「しかし多くのダム工事を遅らせた責任の一端はわしにもある。第一安佐ダムが完成していれば犠牲者があれほど多くはなかったという意見も否定できん。なあ、総理」
 不意に大隈がこちらに向き直る。
「総理は被災地を視察した際、ひどく悲嘆した顔を見せた。傍目には国民の悲劇を嘆いているように見えたが、ひょっとしたら、被災した者の中に知り合いがいたんじゃないのか」
 息が止まるかと思った。まさか慎策が替え玉であるのを見抜かれたのか。
 咄嗟とっさに役者としての勘を働かせる。慎重に大隈の顔色を窺うが背信を責めているようには見えない。これは哀悼の意を示す目だ。
「ご想像の通りです。流されて行方不明になった者の中には友人の名前がありました」
「そうか」
 言うなり、大隈は深く低頭した。
「申し訳なかった」
「官房長官、頭を上げてください」
「本来であれば脱ダム政策に手を挙げた議員全員が被災者とその遺族に頭を下げるべきだが、今は身近なあなたに下げるしかない」
「本当に、頭を上げてください」
「濁流の届かぬ安全地帯で被害の有様を眺めていた者が、しかも地域住民の生命と財産を護るダムの建設を意図的に遅らせた行政の責任者がどれだけ頭を下げても供養にはならない。重々承知している。だが、総理が被災した友人を持っているのなら、ここで頭を下げなければ、今後胸襟を開いての話ができなくなる」
 律儀な上に昔気質むかしかたぎときたか。胸にくるものがあったが、行方不明中の両親のこともあり慎策もすぐには反応できなかった。
 横から助け船を出してくれたのは風間だった。
「官房長官。あなたのお気持ちには大いに感じ入るものですが、政策として間違っていたかどうか当時では分からなかったことです。民生党は民生党なりに社会保障を厚くして国民の生活を少しでも楽にしようとしていた。その姿勢自体は責められるものではないでしょう。そもそも脱ダム政策を進めて、どこかに利権が転がり込んだなんて話は聞いたことがない」
「いや、風間先生。そう弁護してくれるのも有難迷惑というものだ。政治家は自分の下した判断に責任を持たなきゃならん。それがどれだけ過去の判断であったとしてもだ」
「まだ早いですよ」
 ようやく言葉を見つけた慎策が返事をする。
「何が早い。過去の判断にも責任を持つべきだとわしは」
「官房長官には災害時におけるダムの対応の一元化をお願いしました。真垣政権が打ち出す災害対策のうちの最重要課題と言っても過言ではありません。これに失敗すれば、また新たな水害で犠牲者を出す羽目になります」
 脳裏に両親や友人の顔が浮かぶ。慎策は私情を断ち切るようにして言葉を続ける。
「あなたが頭を下げるとしたら、新たに犠牲者を出してしまった時です。そうは思いませんか」
 大隈が何か言おうとしたのを制して、言葉を継ぎ足す。
「無論、その時にはわたしも一緒に詫びることになります」
 束の間、押し黙った大隈は一度だけ深く頷いて立ち上がる。
「山添の説得はわしがやる」
 そして執務室を出ていった。
 後に残った慎策と風間は互いに椅子を近づける。
「おい、今の」
「ああ、分かっている」
 風間の言わんとすることは即座に理解できた。
 山添の説得は大隈自身が担当する。言い換えれば葛野農水大臣と工藤経産大臣の説得は二人に任せるという意味だった。
「前もって言っておくが、農水省の後ろには国民党の大票田である農家が控えている。舵取りを誤って農家の恨みを買ったら、次の選挙は目も当てられない。葛野農水大臣と農水省はそれを警戒している」
「舵取りをするつもりはない」
 慎策は言下に答えた。
「俺は大隈さんみたいに恫喝ができない。だから協力を仰ぐ」

 執務室に入ってきた時点で、葛野は早くも身構えていた。何を要求されるか承知しているからだろう。
「会議の次は個別交渉ですか」
 葛野はまるで座面に画鋲がびょうが置かれているかのような慎重さで椅子に座る。同じ閣僚だというのに、ここまで警戒されては敵対する野党議員と変わらない。
「交渉ではなく協力要請ですよ」
「意味合いは一緒でしょう」
 慎策は下手に出てみたが、葛野の態度は硬化したままだ。
「会議の際にもお話ししましたが、農業用ダムは農業用水の確保と調整のために建設されたもので、言わば農家の資産です。農協の承諾を得ないまま、こちらの都合で放流するのは困難です」
「お言葉ですが、今しも河川が氾濫しようとする時、資産に固執していたら何もかも失ってしまいますよ」
「農家にとって水は血液と同等の資産なんです」
 葛野の言葉は悲愴めいていたが、次の台詞で理由が分かった。
「わたしも農家の生まれです」
「それは初耳です」
「地方の小作農で、苦労してわたしを大学まで入れてくれました。親の仕事をずっと見ていたので農家の苦労も課題も骨身に染みています。だから総理から農水大臣に任命された時は他のどの大臣よりも燃えていたと自負しております」
 省益よりも農家の利益を優先して行動する。考えてみればこれほど担当大臣に相応しい人材も珍しいのではないか。
「総理もお聞き及びのことと存じますが、農業用ダムは一級水系・二級水系を含めて全国に四百十九基あり、そのほとんどが洪水調節容量を持たない、利水目的のダムです」
 元々、洪水調節できるような容量がないダムだから事前に放流しても大した効果は望めないという理屈だ。
「仮に事前放流したとしてもですよ。放流後に水位が回復しなければ渇水する惧れも出てきます。そうなった場合、行政はどこまで補償できるでしょうか」
 見方によれば渇水は洪水と同等かそれ以上に始末に負えない。また農作物の不作が食料自給率の低下に直結することも分かっている。
 補償の問題については風間が代弁してくれた。
「現在でもコメを守るために、農家には年間約三千五百億円もの補助金が支給されています。これ以上は財務省が首を縦に振らないでしょうね」
「問題は他にもあります。農業用ダムは土地改良区などが管理していますが、これまで管理者は利水管理が主な作業でした。これに事前放流という新規の仕事を加えるとなれば教育も操作負担の軽減も検討しなければなりません」
 マンパワーの問題も頭を悩ませる。元より人員が限られている状況で仕事量だけが増えれば、当然リスクマネジメントが必要になってくる。最終的には人事とカネの問題になるが、それこそ乾いた雑巾を絞るような話になってしまう。
「先にも述べた通り、農業用ダムは利水を念頭に置いた設計なので、治水ダムのように洪水予測システムの設備がなく高レベルの水管理が困難な状況です。とても事前放流に適したダムではありません」
 こうもないない尽くしで説明されると気分が滅入めいってくる。だがこちらも事前に風間と問答を想定しているので、いくつかは反論できる。
「葛野大臣が心配されるのももっともです。しかしリスク回避が全く不可能という訳でもありません。まず渇水の惧れについてですが、これは利水に最低限必要な量を定めておき、その範囲で水位を低下させておけばいい」
「なるほど。しかし低下水位は予測雨量によって大きく変化します。精度の高い予測システムがなければ、依然としてリスクは大きいままです」
「予測雨量については気象庁からGSM(地球全体の大気を対象とした数値予報モデル)とMSM(日本およびその近海の大気を対象とした数値予報モデル)のデータを提供してもらえれば数値予測の精度が上がります。更に最近ではAI(人工知能)を導入してより精緻で長期の予報にも対応する試みがされています。折角のシステムを利用しない手はありません」
「ではダム管理者が事前放流の操作を強いられる問題はどうしますか」
「これは治水ダムの運転員さんから仕入れた話ですが、放流操作の大部分はこれもAIに任せて負担を軽減している実験段階だそうです」
 葛野は意表を突かれた様子だった。
「AI任せなら突発事や想定以上の事態にも対処できそうですしね。AIを導入するだけなら工事費用も期間もさほど問題にはならない。いかがですか、葛野大臣」
「ううん」
 腕を組んでいた葛野は、しばらく黙考してから頷いた。
「補償の対応については言及されませんでしたね」
「計測困難なのです」
 慎策はゆるゆると首を横に振る。
卑怯ひきょうな言い方になりますが、精度の高い予測システムを導入した場合の試算が難しい。これだけは実際に渇水被害が出てから予算を検討するしかありません」
「財源はどうするのですか」
「村雲財務大臣を拝み倒してでも予算をつけますよ」
「村雲さんの財務大臣就任は総理肝煎りの人事かと思いましたが」
「肝煎りであろうがお仕着せだろうが、国民のための予算を組めない財務大臣などクソ食らえですよ」
 呆気に取られた葛野は次の瞬間、噴き出した。
「まさか総理の口からそんな台詞が聞けるとは」
「軽蔑してくれて結構です」
「いやあ、逆にご尊敬申し上げます」
 葛野はすっくと立ち上がる。座る時とはずいぶん違う。
「早速、官房長を含めた関係各所に検討させます」

 葛野と入れ替わるように姿を見せたのは工藤経産大臣だった。
「まるで校長室に呼び出された学生の気分ですよ。お手柔らかに」
 工藤は派閥のバランスと副大臣経験があることから大臣に推挙されている。身辺調査をしても不都合な事情は見当たらなかったから、そのまま就任させた次第だ。
 何度か話してみて分かったが、工藤は議員というより限りなく官僚に近いタイプの男だった。評価されるのを望んでいる一方で、失敗をひどく嫌う。
「豪雨時におけるダムの事前放流の件です」
「そうでしょうね。会議では大隈官房長官の気迫に押されてしまいました。こうして総理に直接お話しできる機会をいただき、有難いです」
「緊急時に即時対応するためには、現在の縦割り行政を排し、情報収集と命令系統の一本化を図りたい。この点は同意してもらえますか」
「それはもちろん。地域住民の生命と財産を護る上で必要不可欠の措置と考えます」
「ありがとうございます」
「ただ、こうして総理と対面で話せる以上、経産省の本音もお伝えしたい。経産省としては総論賛成各論反対という立場を取らざるを得ません」
 工藤は椅子に深く座り、こちらとの距離を遠ざける。最初から譲歩するつもりはないという意思表示だ。
「我々経産省の任務は国内産業の強化・発展の促進、新たな価値観と産業の創出促進、中小企業・地域経済への支援、加えて地球環境を守る持続的なエネルギー政策です」
「それは承知していますよ」
「電力ダムに洪水調節容量を設けて、水害が予想される場合には事前放流を実施する。確かに河川の氾濫は抑えられ、地域住民に安心と安全を期待させるものでしょう。しかし事前放流には大きなデメリットもあります。台風シーズンというのは年間で電力需要の高い時期でもあります。元来、発電に利用する予定だった貯留水を放流したはいいが、もし天候の都合で雨が降らなかったらどうなるとお思いですか」
「ダムに大量の流入水がなければ当然、発電に支障が出るでしょうね」
「その通りです。市民生活のみならず、電力を大量に消費する製造業や電力会社の収益に大きな影響が出ます。そうした生殺与奪の権を他の省庁に預けるというのは、なかなかの冒険なのですよ」
 工藤の論旨は明確で、文句のつけようがない本音だった。経産省の目的とも合致するので反論もしにくい。
 だが工藤にはミスを回避したがるという欠点がある。
「経産省の言い分はもっともです。わたしとしても経産大臣の主張は間違いではないと考えます」
「少し持って回った言い回しですね」
「経産大臣とは別の『もし』を考えているからですよ。もし次の大型台風が襲来し、事前放流もできず、今回以上の被害者を出してしまった場合、規模の大きな発電用ダムを抱える電力会社と管轄官庁である経産省には非難が殺到するでしょうね」
 工藤の顔がにわかに険しくなった。
「それは脅しですか」
「あくまでも『もし』の話です。予想が的中しないように祈るばかりですが、こればかりは空模様なので総理大臣の権限も及びません」
 案の定、工藤は難しい表情をして考え込んだ。企業の利益と人命を秤にかけるような追い詰め方をされたのだから当然だろう。生え抜きの経産官僚なら不確定要素を基にした議論は避けるところだろうが、選挙で選ばれた議員は人命と人権は無視できない問題だ。
 沈思黙考の末、工藤は背中を起こして身を乗り出してきた。
「仮に発電用ダムで事前放流するとして、予報のズレを含めたリスクマネジメントをどのようにお考えですか」
「予報のズレを最小限に抑えるために、膨大なデータと最新の気象予測システムを有する気象庁から、絶えず情報を供給してもらいます」
 工藤は物足りなそうな表情を見せる。ここまでは彼も想定していた内容だろう。だから風間は追加案を捻り出したのだ。
「気象データの供給は災害時のみとは限りません」
「と言われますと」
「天候や気温の変化、そうした精緻な気象データを欲するのは何も電力会社だけではないでしょう。農業、海運、航空、電力、小売り、観光業など、あらゆる産業で気象情報が必要なはずです。その最新かつ最高精度のデータが常時提供されるとなれば、情報収集と管理の統合は決して悪い話ではないでしょう」
「ええ」
 今度は目の色が変わっていた。
「決して悪い話ではありません」
「ではご協力をお願いしたい」
「是非とも」
 工藤は快諾したものの、それで終わらなかった。
「総理。情報収集と管理の統合ですが、どこまで具体的な話が進んでいるのですか」
「まだ叩き台の段階ですよ」
 一瞥いちべつすると、風間は浅く頷いていた。多少のフライングは方便という合図だ。
「ただし、基礎となるシステムは現行のものなので、一本化にはそれほどの手間がかからないと考えています」
「よろしければその統合化、経産省にやらせてくれませんか」
「いいんですか」
 工藤が渡りに船という調子だったので、思わず声が出た。
「システム構築ならウチの産業技術環境局に得意なチームがいます。計画の趣旨を説明すれば喜んで仕事をしますよ」
「念のために申し上げますが、フィリピン沖に次の台風になるかもしれない熱帯低気圧が居座っています。猶予はあまりないと思ってください」
「なあに、総員徹夜させればちゃんとかたちにしてくれますよ」
 とんでもないブラック体質だと呆れていると、工藤は弁解がましく言葉を続けた。
「わたしも最近知ったのですが、ウチは通商産業省時代から『通常残業省』と揶揄やゆされるくらい残業が多い省庁だったみたいですね。とんだブラック企業ですが、不思議に職員の士気は高い。新しい企業利益を生むと同時に地域住民の生命と財産を護る。こういうテーマを投げてやれば寝食を忘れて取り組みますよ。期待していてください」
 最後は足取りも軽く部屋を出ていった。ミスを嫌うだけの男と思えたが、意外に身内を信じているのだと、慎策は己の不明を恥じた。
「おい、そこの張りぼて総理」
「何だ、クソ参与」
「農水大臣と経産大臣を上手く説得して悦に入っているところを悪いが、まだ大物が残っているぞ」
「分かっている。山添国交大臣だろ。そっちは大隈さんに一任したじゃないか」
「一任したから心配しているんだ」
 思えば風間は、会議で大隈と山添が決裂してからというもの、ずっと眉間に皺を寄せている。
「何がそんなに心配なんだ。二人ともベテラン議員だぞ」
「思想信条や政策の相違で争う分には、どれだけ争ってくれてもいい。同じ閣内にいれば最終的には着地点を見つけてくれる。厄介なのはな、どうしても気に食わないヤツが相手で理性が働かない場合だ」
 先刻の大隈の様子を思い出し、慎策も急速に不安を覚えた。

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プロフィール
中山七里
(なかやま・しちり)
1961年生まれ、岐阜県出身。『さよならドビュッシー』にて第8回「このミステリーがすごい!」大賞で大賞を受賞し、2010年に作家デビュー。著書に、『境界線』『護られなかった者たちへ』『総理にされた男』『連続殺人鬼カエル男』『贖罪の奏鳴曲』『騒がしい楽園』『帝都地下迷宮』『夜がどれほど暗くても』『合唱 岬洋介の帰還』『カインの傲慢』『ヒポクラテスの試練』『毒島刑事最後の事件』『テロリストの家』『隣はシリアルキラー』『銀鈴探偵社 静おばあちゃんと要介護探偵2』『復讐の協奏曲』ほか多数。

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