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追悼 マシュー・ペリー――料理と食を通して日常を考察するエッセイ「とりあえずお湯わかせ」柚木麻子

『ランチのアッコちゃん』『BUTTER』『マジカルグランマ』など、数々のヒット作でおなじみの小説家、柚木麻子さん。今月は、アメリカのドラマ「フレンズ」に出演していた俳優、マシュー・ペリーの訃報に触れて、考えたことです。
※当記事は連載の第32回です。最初から読む方はこちらです。


#32 さようなら、チャンドラー

 最近気づいたのだが、私は何かに順位をつけるのがとても苦手だ。年末になると、本でも映画でも「今年のベスト1は?」という質問を受けるのだが、どうしても選べない。例えば、映画「バービー」は傑作だと思うが、個人的には「リトル・マーメイド」のことを語りたいという気持ちがある。文学賞の選考委員も二つやっているが、どの作品にも光るところがあり、何しろ専業作家ではないのにこの時代、生活しながら書き上げて応募したというだけで凄いので、順番をつけていいものか迷う。デビュー前、私はなかなかそこまで到達しなかったのだ。そもそも私には鋭い批評眼というものがなく、物語の体を成しているのであれば、差別的な内容でない限り、するする胸に入ってきてしまう、という弱点のせいもある。傑作や古典も好きだが、悪いところはあっても愛すべき作品というのがあって、そっちに時間を使いたい気もする。大勢が語るドラマや音楽があるのなら、誰も語らないドラマや音楽について言葉を尽くしたい。
 無人島に本を一冊持っていくならなんですか、いう質問はデビュー当時、よくされたが、私のような人間は無人島についたら読書する前に死んでいるような気もするし、一冊しか選べないというのが、すでにサバイバルの苛烈さが出ていて、苦しくなってくる。
 このように順位づけが苦手な上に、集中力も体力もないので、日常はめちゃくちゃである。子どもがYouTubeを見ている横で原稿を書きながら、顔のパックをして片手でお釜から直にご飯を食べていたりする。スマホのスケジュールと首っ引きでも、忘れていることがたくさんあるし、次回作の構想と講演会と子どもの行事とクリスマスのシュトーレンが頭の中で並列なので、心ここにあらずだ。
 そんな私をずっと肯定してくれているのが、最近出演者のマシュー・ペリーの訃報が発表された「フレンズ」だった。もちろん放送されていたのは90年代後半〜2000年半ばなので、今見ると「?」ということは多々ある。しかし、マンハッタンで暮らす仲良し男女六人の日常生活は、私の人生を決定づけた。何しろ彼らは、物事に優先順位をつけないまま、同時進行中の問題をいくつも抱えながら生きていくのである。登場人物全員がそれぞれ過去もあれば、夢も悩みもあるのだが、あんまり立ち止まらず、それぞれ人間関係が気まずい時期でさえ、ソファにずらっと座ってダラダラコーヒーを飲み、季節の行事では一応、力を合わせている。「そういえばジョーイってスターになりたかったんだ」「そういえばモニカの親は毒親だった」「あ、ロスとレイチェルって前のシーズンで別れたんだ」と、たまに思い出したりする。
 夢が叶わないまま生きていても、解決しない問題を抱えていても、隣にいる人に愛を伝えられなくてもいい。現状を変えるために日常を差し出すような無理をしなくてもいい。ただ、あきらめもせず、くさりもせず、したたかに生活をすることが一番大事で、そうやって暮らしていった先に、思わぬタイミングやチャンスが訪れる。長期にわたる六人の物語は、私にそれを教えてくれたのだ。この半分だけ地に足がついた粘り勝ちのポジティブさは、マシュー・ペリー演じるチャンドラーの個性によるところが大きかった。グループの中ではチャンドラーは一番常識人で、すごくモテるわけでも全くモテないわけでもない。陽気なスベリ屋で、優しいといえば優しいが、保身に走りがちでもある。全体で見た時、彼の存在が、登場人物たちの社会との貴重な接点になっている。チャンドラーが、リサ・クドロー演じる変人のフィービーが何か言うたびに、「えっ?」と不安そうな顔をするのが、たまらなく好きだった。チャンドラーは優れた人格者ではないが、とりあえず仲間の現状を肯定しながら、必ず隣にいてくれる人だった。「フレンズ」では女性三名がとにかく好きだが、友達、と聞いた時に私が思い浮かべるのはチャンドラーである。
 マシュー・ペリー自身は色々と問題を抱えていて、それに向き合ってきた、と共演者が語っているのを読んだことがある。一つ悩みがあったら、そこで立ち止まらずにはいられない、真面目な人だったんだろうな、と色々なインタビューからわかる。今、私はとても寂しいが、「フレンズ」の主題歌I'll Be There For Youを聞くと、いつかまたチャンドラーにきっと会える気がしているし、とっ散らかりながら前に進む私のそばにいてくれるような気がするのである。

次回の更新予定は12月20日(水)です。

題字・イラスト:朝野ペコ

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プロフィール
柚木麻子(ゆずき・あさこ)

1981年、東京都生まれ。2008年「フォーゲットミー、ノットブルー」でオール讀物新人賞を受賞し、2010年に同作を含む『終点のあの子』でデビュー。 2015年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞を受賞。『ランチのアッコちゃん』『伊藤くんA to E』『BUTTER』『らんたん』など著書多数。最新書き下ろし長編『オール・ノット』(講談社)が好評発売中。

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