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自分をいたわる日に食べる、やば焼きそば――料理と食を通して日常を考察するエッセイ「とりあえずお湯わかせ」柚木麻子

『ランチのアッコちゃん』『BUTTER』『マジカルグランマ』など、数々のヒット作でおなじみの小説家、柚木麻子さん。寒暖差が激しいこの時期、何もしたくない日の柚木さんの過ごし方についてです。
※当記事は連載の第36回です。最初から読む方はこちらです。


#36 布団で過ごす一日

 この日曜日は、冷たい雨が降っていた。
 上手くいかないことが重なり、私はすっかり塞ぎ込んでしまった。寒暖差が激しいのも手伝って、もう何もしたくなくなってしまう。そうなると、過去の色々な嫌なことや、自分の悪い所、見て見ぬふりをしてきた違和感や怒りがドッと押し寄せてくる。これまでの私なら、栄養ドリンクを飲んでなかったことにしただろう。後になってから、一層ダウナーになっていただろう。ここ最近はだいぶ成熟したので、強い意志を持って、極力、布団から出ずに過ごすことに決めた。
 とはいえ、まずはイヤイヤながらご飯を炊いた。パジャマにコートを羽織り、コンビニとスーパーマーケットを梯子し、一日分の食材を買い込んでおく。買ってきたお菓子や惣菜、バナナなんかを、テーブル中央に積み上げ、家族に「ご飯は炊飯器、あとは好きに食べてくれ。好きなだけYouTubeを見ていい」と告げると、一平ちゃんにお湯を注いだ。三種類のお酒(いいちこ、酎ハイ、フルーツ系発泡酒)とじゃがりこの梅味(初めて食べる)と湯ぎりしてソースや薬味を入れた一平ちゃん、モバイルバッテリーにぶらさがったスマホを抱え、私は布団に戻り、戦利品を枕元にお供えのように並べ、布団を顎まで引っ張り上げた。ドアは開けておいて、子どもと夫がなんとなく見えるようにしておく。
 いくらなんでも布団で、飲食ってどうかと思われるだろうが、リンドグレーンの児童小説によれば、スウェーデンでは誕生日の人は、ベッドで朝食をとっていいことになっている。それにたとえ無理に気持ちを切り替えようとしても、結局家族に当たり散らしてしまう未来しか見えない。だったら、だらしなくていい。怒ったり泣いたりするくらいなら、寝たまま飲酒した方がいい。そう決めてしまったら急に楽になってきた。こんな時は活字を読む気もしないので、スマホをつついてショート動画を見ながら、うつ伏せのまま緑茶ハイを飲んで、じゃがりこ梅味を齧る。さっぱりした酸味と硬さがありがたい。酒がどんどん進み、ちょっと気持ちが上向きになったので、程よい熱さになった一平ちゃんをろくに混ぜないで、うつ伏せのまま、首だけ起こして思い切りすする。椅子に座っての食事と比べて、食べ物が落ちていく場所が微妙に違う気がしたが、普通にすするよりも、何倍も美味しく感じる。余談だが、均一に混ぜず、麺に白い部分も混ざっている方が好ましいのは、私だけだろうか。
 カップ焼きそばは普段あまり食べない。好きなのだが、塩分やカロリーのことを考えると、そうしょっちゅうと言うわけにはいかず、大体半年に一回、本当に嫌なことがあった時のみ、と決めている。
 気持ちが弱っているからか、久しぶりだからか、褐色でギラギラ油で光っている麺は、口に入れた瞬間、カッと視界が明るくなるようだった。細胞に深く訴えかけてくるような辛子マヨネーズのピリッとした味わい。ちょっと甘くて、スパイシーで濃厚で、異様に食べやすい。独特に柔らかいちぢれた麺。日本社会で生きていく上で必要な、現実を一瞬忘れさせる強い原色の夢が、詰まっている。子どもが不思議そうにそばに寄ってきて「それ、美味しいの?」と聞くので、「すっごく美味しいよ。ちょっとだけ食べてみる?」と聞いたら頷くので、箸ごとカップを渡した。
 一口食べて、子どもが「わーあ」と言って目をまんまるくした。「これ、めっちゃ美味しいね。やばいね。やば焼きそばだね」「そうだよ、やば焼きそばだよ。たまにならいいよ」もう少し食べたいというので、布団から、子どもが一平ちゃんを夢中で啜る様子をしばらく眺めていた。そういえば、私もこれくらい小さかった頃、父にカップ焼きそばを作ってもらい、そのおいしさに驚愕したことがある。本当にこれまで食べた中で一番美味しい食べ物だと思った。父は、土日は一日中布団に横になってテレビばかり見ていた。私の記憶の父は、横になってテレビを見るか寝るかしていた姿、気まぐれにカップ麺を作ってくれたあの姿である。
 以前、この連載で、父に関しては複雑な思いがあると書いたし、そうやって父がダラダラしている間にも、母は休みなく家事をしていたことを踏まえると、私とだいぶ事情は違うかもしれない。ただ、布団の中でいいちこを飲みながらこうも思った。父は父で人生にやりきれなくて、なんとか気持ちを丸めるために、布団にこもっていたのではないか。そう思うと、彼の思い出の解像度が上がる気がするのだ。
 不貞寝をしたおかげで、私はかなり元気になった。あの日から子どもが「やば焼きそば」の話ばかりするのは、いうまでもない。

次回の更新予定は4月20日(土)です。

題字・イラスト:朝野ペコ

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はじめての子育て、自粛生活、政治不信にフェミニズム──コロナ前からコロナ禍の4年間、育児や食を通して感じた社会の理不尽さと分断、それを乗り越えて世の中を変えるための女性同士の連帯を書き綴った、柚木さん初の日記エッセイが好評発売中です!

プロフィール
柚木麻子(ゆずき・あさこ)

ゆずき・あさこ 1981年、東京都生まれ。2008年「フォーゲットミー、ノットブルー」でオール讀物新人賞を受賞し、2010年に同作を含む『終点のあの子』でデビュー。 2015年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞を受賞。『ランチのアッコちゃん』『伊藤くんA to E』『BUTTER』『らんたん』『オール・ノット』、初の児童書『マリはすてきじゃない魔女』(エトセトラブックス)など著書多数。3月21日に最新刊『あいにくあんたのためじゃない』(新潮社)が発売。

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