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「日記の練習」8月 くどうれいん

小説、エッセイ、短歌、俳句とさまざまな文芸ジャンルで活躍する作家、くどうれいんさん。そんなくどうさんの8月の「日記の練習」です。


8月1日
福引。赤、赤、赤、赤、赤、紫、赤、赤、赤、赤、赤、赤。

8月2日
「青春みたい」と帰り際言い合って、青春ってこの人生をつくづく気に入っているって意味かもしれない。

8月3日
ちいさなしゃぼん玉が出続ける機械があれば、ちいさなしゃぼん玉が出続ける機械を乗せた車をゆっくりと押し続ける仕事の人もいる。

8月4日
ミドリが「おれは焼きそばが好きなんだと思う!」と大発明のように言うのでアラよかったと言った。

8月5日
よ市で久々の蒸し牡蠣。何度行っても牡蠣を剥くお父さんに観光客だと思われているが、「岩手いいところだろう?」と言われるその明るさがうれしい。来客に瓶ウニを振る舞いながら合唱曲をひたすら聴く謎の時間。同い年が四人集まっても、意外と全員が歌える合唱曲は少ないものだ。クラスも学校も違うんだからあたりまえのことなのに、それぞれに違う合唱曲があって違う青春があるのは不思議だと思う。

8月6日
安野光雅展を見るために萬鉄五郎記念美術館へ。すばらしい展示。盛岡市から離れた場所にある美術館だが毎回すばらしい企画内容で、もっともっといろんな人に足を運んでほしいと思うがどんな土日に行っても空いているので毎回不安になり、せめてもとアンケートを書いて帰る。車中で夫が「結局大人になってからも、あのとき合唱に真面目に参加していた人としか仲良くなるつもりないのかもしれない」と言うので、なにそれと爆笑した後に妙に真顔になって、たしかにそうなのかもしれないと思った。結局ね。
夜、あゆさんと「戦国焼鳥屋」へ行くと入店時に法螺貝の音がして、本当に店主が法螺貝を吹いていたのでびゃ~!と手を叩いてよろこんだ。退店するときも法螺貝を吹いてくれるシステムらしく、お酒を飲んでいる間定期的に店主がすっ……と法螺貝を構える瞬間があり良かった。無口そうな男性の店主がきりっとした顔で吹くところがまた良い。オーダーミスで行き所がなくなったらしい塩辛を「じゃあ食べる!」と貰うと、奥からその店主が出てきて「焼きすぎちゃったんでね」とハツ(たれ)をプレゼントしてくれた。良い客。良い店。とおこがましくも思う。日曜は早めに帰るお客さんが多く、わたしたちが最後のお客さんになってしまう。最後だからなのか、どのお客さんよりも長く法螺貝を吹いてもらって嬉しかった。出陣じゃ。また法螺貝が聴きたくなったら行きたい。

8月7日
夏の海水浴場に行くのは何年ぶりだろう。太陽がペンキのように肌に張り付いてきて、海に飛び込むすべての人が美しかった。

8月8日
母が手作りのお稲荷さんを持ってきてくれたので、太る太ると言いながら食べた。わたしは母が「も~」とか「いや~」とか言って困っているのを見るのが割と好きだ。帰り際桃を三つあげる。母の車の中では原田知世が流れていた。
ジェルネイルを自分でオフするのに失敗してひどい有様になってしまい、ネイルサロンで削ってもらうとすっかり爪が薄く弱くなってしまった。かたいものを指先で触ろうとすると「くにょ」となり、その都度わたしのからだも「くにょ」と力が抜けるような心地。

8月9日
当然のような顔をすることが大事な日もある。

8月10日
おばあちゃんの家でトマトを捥いでバケツに一杯貰った。結婚の報告をした時になにか重要なことを言われたはずなのに覚えていない。お金はしっかりしろやな、だったのか、真面目に暮らせやな、だったのか、そういうようなことだったと思う。実家では高齢の犬がそれなりに弱っている。すこしでも長く過ごしたいと思い犬と添い寝したら顔の目の前でものすごいおならをされて「デイッ!」と声が出た。実家が好きすぎるのであまり長居したくないと思っている自分がいる。実家にこの前まで暮らしていた自分と目が合って、そっちもたのしかったことを知っているからちょっとつらくなるのだ。

8月11日
外食なんかいいので母の朝食と父のパスタが食べたいと思いそれをねだった。夫が帰省してだれもいない自宅へ帰宅。書きながら気が付いたが同じ人物を「ミドリ」と表記したい日と「夫」と表記したい日がある。これからの作品内でどう書き分けるべきなのか……とりあえずこの日記ではきもちに素直に、そのとき思ったほうで書こう。
花火の頭のとこだけ見える。幼いころのわたしだったら「ぜんぶみたい!」と駄々をこねたと思うけど、頭のとこだけ見える花火のほうがいい花火なこともあるんだよっていまのわたしは思う。花火を見ることに拘らなくてよくなった自分を気に入っている。

8月12日
半地下の居酒屋へ。法螺貝のお店で「ほたるいかの沖漬け」がおいしいということを知ったので、それを見つけて頼もうとしたら沖漬けの作り方を教えられてひっくり返った。何て残酷な。そんじゃやめる、と言おうと思ったのにおいしいから食べよう、と注文されてしまい、南無。と思いながら食べた。おいしいね、ひーん。ひーん、おいしい。日本酒をたくさん飲むときに恋の話をしているとめろめろに酔うかんじがする。べろべろでなく、めろめろ。

8月13日
鏡を見たらわたしはサイゼリヤの壁の絵の天使のように完璧にぷくぷくに太っていて、驚きを通り越して「イヨッ!」と思った。イヨッ、天使!裸婦!どうやったらこんなにお腹が出るんですか? あっぱれだよ。

8月14日
夫のおばあちゃんの家のある山形へ。ご挨拶である。関東からも親戚一同がたまたま出そろっており緊張する。ふすまを開けるとぎゅうぎゅうに親戚が並んでおり、あまりの驚きで「サマーウォーズじゃん」 と漏らすと、「たしかに!」とややウケしてもらいホッとする。夫の親戚はみなかしこく、底抜けに良い人ばかりで口があんぐり開いた。夫は小さいころから異常に読み書きができた、とはなんとなく聞いたことがあったが、すべての親戚が「でもねえミドリくんは小さいころから本当にかしこかったんだよ」「この子は昔から天才だった」「顔つきがもう違った」などと口々に言うので驚いた。「三歳の時にはもう新聞読んでたんだよ」と言われて冗談だと思って「神童じゃん」と言うと、みんながあまりに真面目に頷くので本当の話なんだと唾を飲んだ。そうか。この人、マジで神童だったのか。神童と結婚したのかわたし。
夜ご飯にお寿司と、芋煮と、揚げ物と、漬物と、トマトと、すいかと、とうもろこしと、枝豆と、馬肉のチャーシューと、もう食べきれないと思ったところでぶどうがでてきた。完全に食べきれない。すごい。おばあちゃんの家だ。うれしい。芋煮があまりにも美味しくてお代わりして、食べ過ぎておなかが痛くなってトイレに籠もり愚かな嫁となった。二十二時になって黒獅子を見に行く。ミドリがずっと前から見せたかったと言い続けていた黒獅子はたしかにものすごい迫力で、これを見せたいと思ってもらっていたことがなんだか嬉しかった。

8月15日
「暑いから早ければ早いほうがいいよ」と義母から連絡があり八時過ぎに向かうと、畑は完全に準備万端だった。きのう、見事な畑なのでぜひ野菜を捥がせて欲しいと言うと、それなら翌朝おいでということになったのだ。
こんなにしっかり畑に入っていいなら長靴を持って行けばよかった。と思ったが、サンバイザーと花柄の作業着とズボンと長靴を借してもらって完全なる農作業ルックに着替えた。ちいさいおばあちゃんのような格好になって、「似合う!」と褒めてもらう。うれしい!という気持ちと、畑には慣れておりますけれどもというプライドがせめぎ合いながらもくもくとトマト、きゅうり、なすを収穫する。トマトのネットの中に潜ってじゃんじゃん赤いトマトを捥ぎながら、そうか、結婚するというのはミドリが夫になるだけだと思っていたが、こうして捥いでいいトマトが増えるということでもあるのだなと妙にじーんとする。しかし、親族が連れてきた新婚ほやほやの嫁が(わーい捥いでいいトマトが増える!)と言うのはあまりにも山賊っぽすぎるだろうと思い、農業体験ができてうれしかったです!風のリアクションに留めた。義母に撮ってもらったわたしと夫の写真は結婚二十年目のような貫禄があってうけた。

8月16日
盛岡に帰ってきて一日中片付け。なにかと思った大きな段ボールの中身は、夫が買ったロボット掃除機だった。正直なところいま家にある掃除機で十分だと思っていたので一言目に「うれしい!」が出ず、「よかったね!」と言ってしまう。買っちゃった。という夫の顔が、まったく同じように家族に知らせずロボット掃除機を買ってきた日の父とまるっきり似ていておもしろい。夫というものは思い立ってロボット掃除機を買ってくる生き物なのだろうか。しかしこれがとても優秀な掃除機だ。夫はメロメロになって「ああ、そっちも行けるの?」「すごいな~」と言いながら後ろを着いて歩いている。あまりの優秀さと夫の溺愛っぷりにくやしくなって掃除機を持って「倒す!」とロボット掃除機の前に立ちはだかると「うん、対決するのね」と簡単に受け流されて不服である。トマトを30個調理して寝る。

8月17日
夏休み終了、仕事始めだ!と思っていたらみるみる体調が悪くなり、咳が止まらずぼーっとするので冷や汗を書きながら病院に電話。検査は明日ということに。帰宅した夫に隔離してもらい買い物を頼むと、ゼリーもグミも飴も頼んだよりもたくさん買って帰ってきてくれて、情けなさで自分を責めながらぜんぜん見たくないyoutubeを2時間みて、その間にもがんばって書いている人がいるのにと思ってしくしく泣いた。

8月18日
陰性。ぼさぼさの髪で呻きながら寝室から出ると「風邪でもかわいいね!」と扉の向こうの夫の声がして不貞腐れた。かわいいわけがない。太っても痩せても体調を崩す。早く体調を戻して、痩せねば。

8月19日
舌の根に口内炎が出来て痛いのとたまに咳き込む以外は症状が落ち着いてくる。病院の薬はすごい。

8月20日
書きたいことばかりが溜まって精神的に具合が悪くなっているのがわかる。昼寝、そして昼寝。ATMからATMへ。わかめスープに乾燥わかめをざばっと入れる。こんなに入れたら増えて大変なことになるよ、と思うけど、いつも思ったよりは適切な量になる。夜、思い立って原稿を二本書く。書いて、書いて書いて、そうでなければ結局は進めない。とにかくいま、停滞を感じている。こんなことではいけない、わたしはいま、小説が書きたい。

8月21日
8月22日
8月23日
8月24日

8月25日
咳がまだ出る。

8月26日
弘前。とても素敵な会場と素敵なスタッフのみなさんに支えられてトークイベントが無事終わる。青森にはどこにいってもりんごのかたちのものがある。ガードレール、時計台、ベンチ。名乗ったもん勝ちなんだから名乗ったほうがいいけど、名乗ったら名乗ったでしんどいこともあるよ。

8月27日
お昼にのっけ丼を食べ終わったらどっと疲れて頭が混乱してしまい、「かえりたい」と号泣して予定を随分早めて帰宅。青森でいろいろやりたいことはあったのに、明日からのことをひとつずつ考えていたらそんな暇ひとつもないじゃんと思ってこわくて、いやで、涙がたくさん出てきた。イベントで自分のことを語るとその分「じゃあお前はそんなに偉いのか?」という矢になって返ってきて、出来ていないあれこれのことを思ってとても焦ってしまう。ここから下降していくばかりの人生なんだろうと毎回本気で思う。

8月28日
失礼なメールにどう返信するべきなのかで顔を紫色にしながら唸っている時間がいちばん無駄なのに、そういう時間がいちばんあっという間に過ぎてしまう。

8月28日夜
自分の不安や悩みをSNSに書くのはもうしばらく前にやめていたのだが、やっぱりちょっと、体調の不調と仕事のエラーやトラブルが続いている感じに耐えかねて、印刷した原稿の裏に手書きでいま思っていることを書き、適当に描いた似顔絵と一緒にInstagramのストーリーズに載せた。するとほんの数分で、そのストーリーズをスクリーンショットで保存して、感銘を受けたとわたしのアカウントをタグ付けして投稿する人が現れ、あーあ、と思って全部消した。わたしが嘆くと誰かがそれをメモするのか。わたしの悩み自体があっさりだれかにとってのコンテンツになってしまうのか。じゃあもうやめだやめだ。思い出した。わたしがSNSで個人的な気持ちを投稿するのをやめるようになったのは、まったく知らない人がわたしの言葉をかんたんに額装するからだ。力を込めて書いた作品とSNS投稿ひとつを同じ重さみたいに反応されるのがいやだからだ。わたしはもっと、わたしのことを独り占めしたくなった。悩みや愚痴は、その葛藤から遠く離れるほど時間が経った後で、悩みや愚痴を話せるような仕事がきたときだけ話したほうがいい。あまりにオンタイムな葛藤は、公開してしまった途端に、鯉の池に投げ入れた餌みたいにぼちゃぼちゃ飛沫を上げてうやむやになってしまう。わたしはもっと根深く、真剣に、収拾がつかなくなるくらいの葛藤をしたい。みんなが簡単に追いついて来られないような葛藤と恨みを煮立たせるには孤独が必要だ。

8月29日
本当に喉の調子を何とかしたくて再び通院。胸に貼るシールを処方される。死んだおじいちゃんがよくこのシールを貼っていて、透明な殻をその辺に捨てるせいで裸足で遊び回るわたしの足の裏にひっついたんだよな、と思いだした。

8月30日
仙台文学館でヒデ子さんと再会。スーパー元気なヒデ子さんと腕を組んだりぎゅっとしたりしたら元気が出た。わたしは80代でこんなふうになれるだろうか。
両親と牛タンを食べ、伊豆沼の蓮を見て帰宅。母の誕生日だからもっとケーキとかご馳走、と思っていたけど、ドラッグストアで冷凍ピザと冷凍餃子とワイン買って食べて、これでいいしこれがいいんだよなあ、みたいな、団欒の、とてもいい時間。

8月31日
せっかく喉の調子が良くなってきたのに車の中でMajiでKoiする5秒前を熱唱して振り出しに戻った。


8月の「日記の本番」は9月上旬に公開予定です。

タイトルデザイン:ナカムラグラフ

「日記の練習」序文

プロフィール
くどうれいん

作家。1994年生まれ。著書にエッセイ集『わたしを空腹にしないほうがいい』(BOOKNERD)、『虎のたましい人魚の涙』(講談社)、絵本『あんまりすてきだったから』(ほるぷ出版)など。初の中編小説『氷柱の声』で第165回芥川賞候補に。現在講談社「群像」にてエッセイ「日日是目分量」、小説新潮にてエッセイ「くどうのいどう」連載中。2作目の食エッセイ集『桃を煮るひと』が発売中

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