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最終回! “最後の女帝”称徳天皇と弓削道鏡、その本当の関係とは?――周防柳「小説で読み解く古代史」第18回(謎6 その3)。

本がひらく

「邪馬台国はどこか?」に代表されるように、日本の古代史はいまだ解明されない謎ばかり。そのため、吉川英治や松本清張をはじめ、たくさんの作家がインスピレーションを掻き立てられては物語を書き、あるいは持論を展開してきた。本連載では、日本史を舞台にした作品を多く手掛ける著者が、明治・大正・昭和の文豪から平成・令和の小説家まで、彼らが描いた「歴史的なあの場面」に焦点をあて、諸説を紹介しながら、自身もその事件の背景や人物像を考察していく。作家ならではの洞察力と想像力を駆使して謎に挑むスリリングな古代史企画。
*第1回から読む方はこちらです。


謎6 女帝と藤原氏の世紀 (その3)

「最後の女帝」の醜聞はあったか

 では、「謎6」最後の女帝である四十六代孝謙こうけん重祚ちょうそののちは四十八代称徳しょうとく)女帝にいきましょう。否、この章最後というより、この人をもってその後千年、女帝は姿を消してしまうので、単に「最後の女帝」と言ったほうがよいかもしれません。
 女帝の時代が終焉した理由――、それは、この女帝が起こした弓削道鏡ゆげのどうきょう事件があまりにも衝撃的だったからです。
 ご存じの方も多いと思いますが、ざっと説明しますと、称徳女帝が看病禅師かんびょうぜんじの道鏡を寵愛し、太政大臣禅師、法王と、特別ポストを設けて異例の昇進をさせた挙げ句、「道鏡を帝位に就ければ国はますます栄える」という宇佐八幡宮うさはちまんぐうの神託を信じ、皇位まで譲ろうとしたのです。
 看病禅師とは、宮廷内の道場に在籍する医師を兼ねた僧で、病気治癒の祈禱を行うほか、投薬や按摩あんまなどの施術をしたり、精神面の慰撫いぶ(いまでいう心理療法)をしたりもします。
 その一人であった道鏡は河内かわちの弓削村の出身で、元興寺がんごうじ義淵ぎえん、東大寺の良弁ろうべんなどに師事し、陰陽道おんみょうどうにも通じ、山岳修験の聖地である葛城山かつらぎさんにこもって荒行まで修した、なかなかの実力の持ち主であったようです。以前は胡散臭うさんくさいインチキ坊主と見る向きが強かったのですが、最近では仏教原典の梵語ぼんごにも通じた知性派だったとして、評価がかなり変わってきました。
 四十代半ばごろ、孝謙女帝は重篤な心身不調に陥るのですが、道鏡の治療によって快癒しました。それ以降、すっかり入れこんでしまったのです。
 いくら才能があるとはいえ、道鏡は皇室とは縁もゆかりもない平民です。女帝の行きすぎた寵愛ぶりに、囂々ごうごうと批難の声があがりました。
 道鏡が天皇になるという最悪の事態は、女帝の腹心の和気広虫わけのひろむしの弟、和気清麻呂きよまろによって阻止されましたが、政界の秩序は混乱を極めました。
 その後まもなく、女帝はやまいを得て世を去り、道鏡も東国へ遠流され、一件は落着しました。けれども、この一連の騒動によって、「女帝」というものが潜在的にはらんでいる危険性があらわになりました。そして、その存在意義も見直されることになったのです。
 同じ女帝であっても、夫亡きあとの皇后が、わが子が適齢になるまでの中継ぎとして即位する場合はこんな問題は起こりません。しかし、未婚の皇女の場合は違います。襲位後も独身を通すことが基本で、子はできないので、誰かを嫡子に擬制ぎせいして後継指名をすることになります。ここに落とし穴が生じます。
 多くの場合は、周囲にしっかり意見を聞いたうえで、穏当な人選が行われるのでしょう。しかし、一つ間違って女帝が暴走すれば、とんでもない事態が起こりえます。そのことをこの事件は世に知らしめたのです。
 そもそも、律令には女帝の継嗣に関する明確な取り決めがありません。その一方で、かつて天智てんじ天皇が定めたという「不改常典ふかいのじょうてん」なるものがあります。伝承によるものなので、内容については諸説あるのですが、古代史学の仁藤敦史にとうあつしさんは、「皇位継承は先帝の意志を尊重して決定する(譲位、立太子、遺詔ゆいしょうなど)」ことだと唱えておられます。
 この不改常典に、女帝が父の聖武天皇から賜ったという「おうやっことなすとも、奴を王と云ふとも、いましむまにまに」という言葉が響きあうのです。そのままに解せば後継者を好きに選んでよいとの意にとれますので、女帝はこの遺詔の威力を一二〇%有効活用して、道鏡法師を取り立てたのです。
 大胆でもあり、なかなかの確信犯でもあったと思います。
 前置きが長くなりました。では、具体的な作品に移ります。玉岡たまおかかおるさんの『天平てんぴょう女帝じょてい 孝謙称徳こうけんしょうとく』です。
 称徳女帝と道鏡を描いた作品はいくつもありますが、その中でも本書はかなり新しい解釈を展開した一冊です。もっとも際立つ論点は、称徳女帝と道鏡の間に恋愛関係はなかった、、、、としている点です。

玉岡かおる『天平の女帝 孝謙称徳』(新潮文庫)

 たしかに女帝はやまいを治してくれた道鏡に深い信頼を寄せました。しかし、それは男女の関係ではなかったと考えるのです。
 道鏡のほうも、敬愛する女帝のために、誠心誠意尽くしただけです。結果的にはたいへんな高位を授かりましたが、それは、差し出された贈り物を受け取っただけで、最初から女帝を利用してのしあがろうと考えていたわけではありません。
 一般に、この二人はなまなましい性的関係をもって語られます。道鏡巨根伝説などは、その最たるものです。しかし、本書はそのような要素はきれいさっぱり捨て去りました。そもそも妙な色のついた伝説はほとんど後世の潤色であり、当時の記録には、その手の怪しげな話はまったく載っていないのです。
 話が前後しますが、本書では女帝が恋をしていた相手は、道鏡ではなく藤原仲麻呂なかまろ恵美押勝えみのおしかつ)だったとします。天然痘によって不比等の四子が死に絶え、政界の主力が橘氏のほうへ移っていく中で、女帝の母である光明皇后は、将来をにらんで一族の若手を後援しましたが、そのなかでもとくに目をかけたのが、とびぬけた秀才で、美男でもある、南家のプリンス仲麻呂でした。当時阿倍あべ皇太子と呼ばれていた女帝もまた仲麻呂に注目し、すっかり心奪われてしまったのです。手練手管に長けた仲麻呂は甘い言葉を用いて初心うぶな皇太子を惹きつけつづけました。
 その後、仲麻呂は着々と実力をつけ、政界でのしあがっていきます。聖武天皇が退いたのちは、光明皇太后の家政機関をパワーアップした「紫微中台しびちゅうだい」というものを作って権力を一手に握り、対抗勢力である橘氏一党も一掃しました(橘奈良麻呂たちばなのならまろの乱)。かくして、仲麻呂の天下が訪れます。
 仲麻呂に対する孝謙女帝の恋心はますます募りますが、抜け目のない仲麻呂は、独身女帝にはこれ以上の伸びしろがないと見切りをつけ、自分の意のままになる大炊王おおいおう淳仁じゅんにん天皇)に乗り換える準備を始めました。孝謙女帝には、天皇という立場でなくなれば自由に愛しあえると誤解させ、譲位を促しました。そして、いざ計画が成就すると、冷たく遠ざかったのです。
 仲麻呂に裏切られた女帝のショックは甚大でした。そのうえに、最愛の母の光明も世を去ります。位も失い、恋も失い、家族も失い、生きる気力をすっかり喪失してしまいました。
 孝謙女帝が道鏡の療治を受けたのはそのころでした。道鏡の神通力によって、女帝は諸々の桎梏しっこくから解き放たれ、よみがえりました。女帝が道鏡をことほぎ、敬い、高く取り立てたのはその感謝のゆえでありました。
 一方、仲麻呂との仲は完全に決裂します。そのきっかけは、仲麻呂が淳仁天皇を通して、女帝と道鏡の仲を批難したことでした。女帝は怒りを爆発させ、両者は本格的な戦闘態勢に入ります。かわいさ余って憎さが百倍とはこのことです。
 仲麻呂は一時の勢いが噓のように転落の一途をたどり、近江で一族もろとも敗死を遂げました。
 淳仁天皇も帝位を剝奪されて淡路に流され、女帝は重祚して称徳女帝となりました。
 母の光明皇后にかばわれていた孝謙女帝のころは線の細いお姫様天皇でしたが、裏切りと失恋と戦乱を経て復活してのちは、怖いものなしの逞しい女帝に変身しました。
 本書で二つ目に面白いのは、称徳女帝の後継者をめぐる物語です。
 総じて、称徳女帝は道鏡を天皇にしようとしていたといわれますが、この本ではそうではありません。女帝には、実の息子同然に鍾愛しょうあいしていたカケルという隼人はやとの側近がおり、聡明で忠実なこの若者にこそ位を渡したかったのです。しかし、哀しいかな血筋の壁を超えることはできません。あきらめかけていたところに、降って湧いたように椿事ちんじが起こりました。
 それが、宇佐八幡宮の神託でした。
 そこにどんなたくらみがあり、誰の差し金だったのか、そんなことは女帝には関係ありません。「道鏡を天皇にせよ」というお告げが降って湧いたようにやってきたことは、千載一遇の好機です。この託宣に従って、まず道鏡を位につけ、血のつながりがなくとも皇位につけるという前例を作ったのち、カケルを道鏡の養子として立太子し、しかるべき皇女を迎えて、本命の、、、新たなる天皇にしたらよい。――と、夢のようなことを考えたのです。

神託事件の舞台となった、現在の宇佐神宮(宇佐市)

 しかし、託宣に疑惑の目が集まったため、女帝は和気広虫にその真偽を確かめさせることにします。
 広虫は無二の腹心ですから、わが意を汲んで本物の保証をするはずでした。ところが、広虫も、その使者となって宇佐へ下った弟の清麻呂も、女帝の望みにはわなかったのです。
 「わが国では天地開闢てんちかいびゃく以来、君臣の定めが踏み越えられたことはない。あま日嗣ひつぎは必ず皇緒こうちょを立てよ」
 夢を潰された女帝は癇癪かんしゃくを起こして清麻呂と広虫を流罪に処します。それは、うすうすわかっていた誤りをまともに正されたばつの悪さゆえの怒りでありました。
 女帝が愛したカケルは、その後不幸な事故によって死んでしまい、どのみち女帝の夢は叶わなかったのですが、歴史上の謎とされる神託事件が、新鮮なストーリーとして再構成されていることに感じ入りました。
 そして、もう一つ、この小説には大きな読みどころがあります。一般に、称徳女帝は皇太子も定めず、後嗣の指名もせず病死したといわれます。しかし、じつはちゃんと遺詔が残されていた、と描くのです。
 その内容は最後の最後に明かされるのですが、女帝が目したのは、それまでライバル的存在であった井上内親王いのえないしんのう(県犬養広刀自の娘)の一女の酒人内親王さかひとないしんのうでした。愛憎を超えて、再び「女帝」を指定したのです。
 遺詔の中で、女帝はかく述べます。
 「人は言う。女に天皇は務まらない、と。本当にそうか。皆は存分に助け合ったのか。男と女、真実、力を合わせたか。それを否、と打ち消せるのは朕しかいない。……
 日嗣の皇子には皇族の内から女人を指名する。いま一度、女帝の世を確かめてみようではないか。朕も全力で補佐しよう。どうか大きな援助と指導をたまわりたい。」
 しかし、称徳女帝の切なる望みが叶うことはありませんでした。廟堂の新体制を作った藤原の男たちに、二度と女帝を立てる気がなかったからです。遺詔は闇に葬られ、しかも遺体には不審な「斑点」が浮かびあがっていた――という、ややサスペンス風の幕切れとなります。
 女性天皇の問題は、古くて新しいテーマであり、千五百年の時を経たいま、また注目が集まっています。 
 本書は女性の根本的な生き方を問うた小説でもあります。必ずしも歴史に詳しくない若い方でも、共感をもって読めると思います。

天武系の奈良時代から、天智系の平安時代へ

 古代の締めくくりの百年を見てきました。
 時代の流れを追いながら、できるだけ新しい視点を示そうと努めたのですが、いま見返したら、すべて女性作家の作品でした。「女帝」を意識しすぎたせいでしょうか。
 偶然とはいえ、いささか偏ってしまった反省がありますので、男性作家の作品も少し挙げて終えたいと思います。
 まずは、黒須紀一郎くろすきいちろうさんの『覇王不比等はおうふひと』のシリーズです。タイトルの通り、不世出の政治家、藤原不比等の幼少期から死去までを描いた一代記で、「第一部 鎌足の謎」「第二部 あすかの嵐」「第三部 日本誕生」の三部からなる大著です。天智天皇=百済くだら翹岐ぎょうき、天武天皇=新羅しらぎ金多遂きんたすい、中臣鎌足=唐の工作員の余岐味よさみ……、といった具合にかなりぶっ飛んだ設定ですが、大陸諸国との関係でこの国が作られたという史観は面白く、不比等と持統女帝がタッグを組む段階になって初めてこの国の中の「外国」の要素が捨て去られ、新しく「日本」という国が誕生したというコンセプトには、なるほどと目を開かされるものがあります。その日本創造、、、、の過程で『古事記』『日本書紀』が作られていくドラマも興味深いです。
 安部龍太郎あべりゅうたろうさんの『平城京へいじょうきょう』は、その名の通り、元明女帝の時代に行われた平城京の造営がテーマです。主人公は元遣唐使船の船長の阿倍船人あべのふなびとで、新都の造営司となった兄に協力すべく奮闘するのですが、持統女帝の苦労の結晶である藤原京をわずか十六年で廃棄するとあって、反対派からすさまじい妨害工作を受けます。
 竣工までの期限を厳しく切られるなか、いかに工夫を凝らし、いかに効率的に建設を進めるか。また、立ち退かせなければならない人々をいかに慰撫するか……。プロジェクトドラマ風の面白さを堪能させてくれる作品です。遷都反対派の黒幕は果たして誰なのかという意味では、ちょっとしたミステリーでもあります。
 続いて、いわゆる時代小説風でない、不思議な読み味の小説として、松本清張まつもとせいちょうさんの『眩人げんじん』を挙げます。本章ではほとんど触れませんでしたが、聖武天皇の母の宮子夫人は、産後鬱さんごうつになって自室に閉じこもり、ために聖武天皇は三十年以上、母の顔を見ることができませんでした。その重い気鬱の病を治したのが、この小説の主人公であり、遣唐使帰りの僧である玄昉げんぼうです。
 玄昉は異国の地でペルシャの秘薬(麻薬まやく媚薬びやくの類)と幻術に出会い、それを武器としてのしあがることを夢見て帰国します。狙い通り宮子夫人を秘術によって快癒させ、一時はもてはやされるのですが、その得体の知れなさが不審を呼び、讒言ざんげんされて失脚してしまいます。
 エキゾチックな物語と目のつけ所の妙はもとより、本文の四分の一ものボリュームを占めそうな注の読みごたえも十分で、作家であると同時に古代史学者に近かった清張さん――ことに西域と日本との関係や、ゾロアスター教の影響などについて、特徴的な研究があります――ならではの文章を存分に味わえます。
 最後の一冊は今東光こんとうこうさんの『弓削道鏡ゆげのどうきょう』です。先ほどの玉岡さんの作品では、称徳女帝と道鏡の間に恋愛関係は描かれませんでしたが、こちらは熱愛の関係、しかも濃厚な肉体関係もあったという設定です。しかし、決してえげつなくはなく、打算もなく、むしろ切なさすら感じる物語となっています。
 河内の田舎から青雲の志を持って都会へ出てきた青年が、如意輪観音にょいりんかんのんの化身かと見まごう女性皇太子の尊顔をたまたま垣間見、以来、夢に見、うつつに見、憧れつづけます。そして、修行の甲斐あってやがてその傍に仕え、やまいを癒したてまつることができるようになるのです。しかも、道鏡にとっては観音そのものの帝が、初めての女性であるのです。
 二人の純愛はやがて破れますが、道鏡を置いて先立った女帝の死は、高齢による難産が原因でありました。悲哀の漂う結末です。
 このほかにも、魅力的な作品はまだまだありますが、このくらいにしておきます。

 締めくくりに一つだけ、私から「謎」の置き土産をいたします。
 それは、なぜこの百年の最後に、限りなく「袋小路ふくろこうじ」に近い独身女帝天皇が立てられたのかという点です。これに関しては、いまだにすっきりした答えは見いだせていないように思います。
 虚心になってこの百年の系図を眺めると、ほんとうにそれしか選択はなかったのだろうかという疑問が、頭をよぎります。
 天皇家の継嗣というものは、その子その孫、または、二代先三代先までを見据えて選ばれるべきものではないでしょうか。そこをいて、しかも、史上例のない女性皇太子として早々と運命を決められた感じに、なにか不可解なものを感じるのです。
 そこで思います。もしかすると、この袋小路は、それ自体がある種の謀略であり、なにか別の力によって、そうなるように仕組まれていたのではないか、と。
 壬申の乱ののち、兄弟継承は否定され、片意地のような直系継承が強行されました。しかし、それこそが皇統を行き止まりに導く罠であったのではないか。あるいはそれは天智天皇、大友皇子の側からの、「百年の計」よろしき復讎ふくしゅうであったのではないか。
 じっさい、平安時代に入って天智系に皇統が戻ると、素知らぬ顔で兄弟継承が戻ります。
 馬鹿な、と思われるでしょうか。しかし、小説的にはそれもありだという気がします。
 そんな妄想を、いま、つらつらとしたりしているところです。

※本連載は今回で終了します。全18回の内容をもとに加筆・修正して再編集したNHK出版新書を3月に刊行する予定です。どうぞご期待ください。

プロフィール
周防柳(すおう・やなぎ)

1964年生まれ。作家。早稲田大学第一文学部卒業。編集者・ライターを経て、『八月の青い蝶』で第26回小説すばる新人賞、第5回広島本大賞を受賞。日本史を扱った小説に『高天原』『蘇我の娘の古事記』『逢坂の六人』『身もこがれつつ』がある。

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