友として、刑事として、眼前の事象の先に見えたもの――中山七里「彷徨う者たち」
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友として、刑事として、眼前の事象の先に見えたもの――中山七里「彷徨う者たち」

本がひらく
本格的な社会派ヒューマンミステリー『護られなかった者たちへ』『境界線』に続く、「宮城県警シリーズ」第3弾。震災復興に向けて公営住宅への移転が進む仮設住宅で発生した、殺人事件。県議会議員への聞き込みで、森見議員と祝井建設の黒い噂を引き出した笘篠と蓮田は、森見議員やその秘書である貢に殺人事件への関与の可能性をさらに深めた――
※当記事は連載第12回です。第1回から読む方はこちらです。

 翌朝の午前七時過ぎ、蓮田は単身森見宅を再訪した。この時間であれば貢が在宅していると踏んだからだ。
 だが、この日最初に会ったのは両手にゴミ袋を提げて玄関から出てきた沙羅だった。
「また来ると思った」
 蓮田の姿を認めた沙羅はひどく辛そうだった。
「そんな顔、するなよ。まるで俺が悪人みたいじゃないか」
「辛いのは将ちゃんが来たからじゃないの。将ちゃんを見て辛くなっている自分が嫌なの」
「そいつは悪かった」
「プライベートな用事なら、こんな時間に来たりしないよね。刑事の仕事なんでしょ」
「宮仕えは辛い」
「この家の誰を疑っているの」
「特定の誰かじゃなくて全員を疑っている。捜査しているのは、可能性のない容疑者を一人一人除外していくためだ」
「どんな容疑」
「捜査上の秘密」
「将ちゃん、捜査一課だよね。わたしもネットニュースを漁(あさ)ってみた。ここ数日の事件で県警本部が出動するような事件は何があったのか」
「沙羅には関係ない」
「一つだけ、それらしいのを見つけた。吉野沢の仮設住宅で町役場の職員さんが殺された事件」
 つくづく沙羅の勘の良さが鬱陶しい。
「旦那かお父さんが人殺しをしたと疑っているんだ」
「違う」
「じゃあ、わたしを疑っているの」
「刑事を問い詰めるなよ」
「問い詰めたくなるのも当然でしょ」
 沙羅は片方のゴミ袋を突き出す。運ぶのを手伝えということらしい。歩き出した沙羅の横に並ぶかたちでついていく。
「俺を家から遠ざけようっていうのか」
「訪問の目的をはっきり聞かないことには家の敷居をまたがせたくない」
「勘弁してくれ。これは公務なんだ」
「じゃあ公務執行妨害でわたしを逮捕したらいい」
「……前より気が強くなった」
「大事なものを色々失くしたもの。大事なものを護るためには強くならなきゃいけないから」
 またか、と蓮田は思う。失うものがなかったというだけで気後れを感じてしまう。
 ゴミの集積所までは、あっと言う間だった。沙羅がゴミ袋を置いた横に蓮田も置く。
「沙羅と一緒にゴミ捨てするのも高校の時以来か」
「将ちゃん。もし旦那かお父さんが事件の容疑者だったら逮捕するの」
「そういう仕事だ」
「ふうん」
 沙羅は踵を返して自宅へ戻る。
「万が一にもウチの家族に手錠を掛けるような真似をしたら、二度と家に立ち寄らないで。二度と話し掛けないで」
「キツいな」
「どっちがキツいと思っているのよ」
 不意に沙羅の声が大きくなる。
「十四年ぶりに会えた幼馴染みが父親や旦那を殺人犯の容疑で疑っているのよ。仕事だから裏切りとは言わないけれど、わたしにとってこんなに酷い仕打ちはない」
 言われてみれば沙羅の立場で物事を考えたことなどなかった。気まずさと申し訳なさで、蓮田は返す言葉もない。
 玄関先まで戻ると、沙羅はこちらの顔も見ずに告げた。
「会いたいのはどっち」
「貢に会いたい」
「あと三十分もしたらお父さんと一緒に県庁に出掛ける。手短に済ませて」
「分かった」
 沙羅に続いて家の中に足を踏み入れたと同時に、彼と出くわした。
「何だ、お客さんか」
 部屋着なので即座に識別できなかったが、そこに森見善之助が立っていた。善之助は蓮田を一瞥(いちべつ)し、ほうと口を開けた。
「ひょっとして蓮田さん家の将悟くんか。久しいな」
 蓮田は一瞬戸惑う。昨日、予算特別委員会の壇上で見せた傲岸不遜ぶりはどこへやら、そこに立っているのはどこにでもいそうな気のいい親爺だった。
「ご両親は元気かい」
「お蔭様で息災です」
「それはよかった。寿命を待たずにいなくなるのは堪えるからね。わたしらはもうじき出掛けるが、ゆっくりしていったらいい」
 善之助が自室のある方向へ消えていくと、沙羅は蓮田を客間に放り込んだ。居心地悪く座っていると、すぐに貢が姿を現した。
「邪魔している」
「性懲りもなく、また来たのか」
「三十分しか時間が取れないから手短に済ませろと言われた」
「今すぐ帰ってもらってもいいんだぞ」
「訊きたいことを訊いたら、即刻退散するさ」
 貢は顰め面のまま蓮田の正面に座る。
「ところで婿養子どの」
「嫌みのつもりか」
「森見家の事情を考えたら、沙羅と結婚したお前が婿入りするのは当然の成り行きだったろうから、別に嫌みのつもりはない。ただ同じ婿養子でも下にも置かない扱われ方をされる者もいれば、使用人同然にこき使われるヤツもいる」
 貢の表情に朱が差す。
「お前が森見議員からどんな扱いを受けているか、議員関係者から訊いた」
「どうせ対立している会派の人間からだろう」
「通常の秘書の仕事以外にも、いかがわしい見張りをさせられているらしいじゃないか」
「あいつらは義父の評判を落とすことに血道を上げている」
「森見議員後援会の関係者からも同じ証言を得ている」
「……相手は全員商売女だ。援交でもなけりゃ不倫でもない」
「それでも地元のマスコミには知られたくないんだろう。だからホテルとかを使わない」
「いくら独身でも、不特定多数の女性と付き合っていたら女性票が飛んでいく」
「腹は立たないのか」
「議員のためには粉骨砕身するのが秘書の務めだと教えられた」
 粉骨砕身どころではない。プライドの高い貢は心まで殺している。
「本当に議員のためを思っているのなら、女遊びをやめるように諫言(かんげん)するべきじゃないのか。第一、沙羅に知られたらどうするつもりなんだ」
「とっくに知っている」
 貢は皮肉な笑みを浮かべた。
「決して許してはいないが、しょうがないと諦めている。父娘でもお互いいい大人だ」
「いい大人同士かもしれんが、あまり健全とも言えんな」
「部外者は黙っていろ」
「森見議員からもそう言われたのか」
「黙っていろと言ったはずだ」
「お前が喜んで尻尾を振っているとは、どうしても思えない。婿養子の立場はともかく、森見議員に首根っこを押さえられているのか」
「何のことだかさっぱりだな」
「〈祝井建設〉の役員の中に森見議員の名前がある。登記簿を読むと、新工場設立と同時期に役員に就任している。お前の婿入りと役員就任を条件に新工場設立の費用を提供した。だからお前は森見議員に頭が上がらない」
「想像するのはお前の勝手だ。勝手に想像して幼馴染みを嗤っていればいい」
「同情されるよりはマシってことか」
 貢の顔が奇妙に歪む。自尊心を刺激された様子に、蓮田は優越感と罪悪感を同時に味わう。
「なあ、貢」
「親しげに呼ぶな。刑事として訊いているんだろうが」
「もしかしてお前、森見議員から見張り以上に理不尽な命令をされているんじゃないのか」
 返事が途切れた。
「仮設住宅跡地の再開発事業は、関係者に多大な利潤をもたらす。森見議員もその一人だ。次の選挙を控えて資金はいくらあっても多過ぎることはない。再開発事業促進のためには計画通り仮設住宅を撤去しなきゃいけない。お前は森見議員から命を受けて何かしたんじゃないのか」
「何を疑っている。はっきり言ってみろ」
「八月十四日、夜八時から十時にかけてどこにいた」
「ほお、アリバイ調べか。俺を犯人だと疑っているんだな」
「慌てるな。一定条件にある関係者にだけ訊いているんだ」
「祝井の人間を陥れて出世できるなら、親父さんと同じことをするって訳だ。血は争えんな」
「……答えてくれ」
「八月十四日ね」
 貢は懐からスマートフォンを取り出し、何度か表面をタップしてみせる。
「残念だな、刑事。その日、午後七時から十時にかけて森見議員は後援会長と会食している。志津川の〈くにもと〉っていう割烹の店だ。当然、俺も議員と一緒にいた」
「そうかよ」
 貢は小さく上唇を舐める。
「話はこれで終わりか」
「ああ、約束通りすぐに退散する。見送りはしなくていい」
「誰がするか」
 客間に貢を残して、蓮田は玄関を出る。幸い沙羅も見送りには出てこない。
 蓮田は車庫に回る。中に駐車されているのはベンツS550だった。
 頭の隅で両角の報告が甦る。
『この〈ADVAN Sport V105〉はベンツSクラス、BMW Ⅹ3といった主に高級外車に装着されているタイヤです』
 その両角から借り受けた鑑識用粘着シートを取り出し、蓮田は四本のタイヤのパターンに押し当てる。
 貢はアリバイを告げた際に上唇を舐めた。本人が気づいているかどうかは知らないが、これこそ貢が噓を吐く時の癖だった。結婚して沙羅がついていながら癖は治らなかったものとみえる。
 では貢が虚偽を述べたのは、証言のどの部分だったのか。
『その日、午後七時から十時にかけて森見議員は後援会長と会食している。志津川の〈くにもと〉っていう割烹の店だ。当然、俺も議員と一緒にいた』
 会食の事実は〈くにもと〉に問い合わせればすぐに確認できる。同席しているメンバーも同様に確認できる。いずれにしても店に事情聴取すれば判明するはずだ。
 タイヤのパターンを複写し終えると、蓮田は速やかに森見宅を後にする。十メートルも進むと、電柱の陰から笘篠が出てきた。
「取れたか」
 蓮田は返事をする代わりに粘着シートを掲げてみせる。
「よくやった」
「でも笘篠さん。これは所有者の承諾を得ずに採取したものです。公判で採用するのは困難ですよ」
「公判に必要となったら改めて採取すればいいだけの話だ。第一、あのベンツの所有者が誰なのか知っているか」
「森見議員じゃないんですか」
「陸運局に確認した。名義は森見沙羅になっている」
 笘篠の口ぶりには自信が窺える。森見議員や貢では採取に抵抗するだろうが、沙羅が相手なら苦もなく説得できると考えているのだ。
「本人にぶつけてみたのか」
「きっちりアリバイを主張してきました。容易に白黒がつくアリバイですけど」
「じゃあ、さっさと白黒つけるさ」
 もう笘篠は蓮田の覚悟を問おうとはしなかった。
 
 県警本部に戻った二人は粘着シートを鑑識に預け、次に件の料亭に向かった。
〈くにもと〉は志津川地区でも震災を免れた老舗の料亭だった。蓮田が事前に調べてみたが、ネットには口コミ一つ掲載されていない。言い換えれば、軽々しくネットに感想を書き込むような客を座敷に上げていないのだろう。
 女将を捕まえた笘篠は早速、事件当日の会食について確認する。
「森見先生と後援会の田崎(たさき)様ですよね。ええ、八月十四日の夜七時から十時まで〈霞の間〉でご歓談されていましたよ。日頃からお二方にはご贔屓(ひいき)いただいております」
「秘書の方も同席しているんですか」
「はい、毎回ご一緒されています。ただお食事はお一人だけ隣の部屋で摂っていらっしゃいます。森見先生に呼ばれたら、すぐに対応できるようにと説明されました」
 宴席でも貢は使用人扱いなのか。横で聞きながら蓮田は不憫(ふびん)に思う。貢が吐いた噓はこの部分だったのか。
「七時から十時というのは確かですか」
「前菜からデザートまで時間に沿って運ばれますからね。皆様、完食されて。お見送りは午後十時を少し過ぎた頃でした」
〈くにもと〉から吉野沢の仮設住宅までクルマで飛ばしたとしても十五分。さほど遠い距離ではないが、七時から十時までのアリバイが証明された今は何の意味もない。
 捜査は空振りだったが、蓮田は安堵した。今回の事件で何度こうした矛盾に襲われたことか。
「憑き物が落ちたような顔だな」
 捜査本部に戻る車中、笘篠が話し掛けてきた。
「今まで憑かれたような顔をしていましたか」
「余裕がない風だったな」
「正直、知り合いを疑うのは今回限りにしたいです」
「俺たちが事件を選ぶことはできない」
 ふと思い出す。前回の事件は笘篠個人に大きく関わるものだった。笘篠には身を切るような内容だが、それでも事件は容赦なく発生する。その意味で事件は一種の災厄だ。人を選ばず、突然に襲い掛かってくる。
 これで振り出しに戻った。そう考えながら刑事部屋に戻ると、笘篠の机の前で両角が待ち構えていた。
「一致したぞ」
 前置きも何もない。両角が興奮している証拠だった。
「お前たちが持ってきた粘着シートのパターンと、現場に残っていたタイヤ痕が一致した。それだけじゃない。粘着シートに付着していた砂の一部は現場の砂と同一のものだった」
 思わず蓮田は笘篠と顔を見合わせた。

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プロフィール
中山七里(なかやま・しちり)

1961年生まれ、岐阜県出身。『さよならドビュッシー』にて第8回「このミステリーがすごい!」大賞で大賞を受賞し、2010年に作家デビュー。著書に、『境界線』『護られなかった者たちへ』『総理にされた男』『連続殺人鬼カエル男』『贖罪の奏鳴曲』『騒がしい楽園』『帝都地下迷宮』『夜がどれほど暗くても』『合唱 岬洋介の帰還』『カインの傲慢』『ヒポクラテスの試練』『毒島刑事最後の事件』『テロリストの家』『隣はシリアルキラー』『銀鈴探偵社 静おばあちゃんと要介護探偵2』『復讐の協奏曲』ほか多数。

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