組織への忠誠心か? 友を信じる心か? 感傷が職業倫理に浸食して――中山七里「彷徨う者たち」
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組織への忠誠心か? 友を信じる心か? 感傷が職業倫理に浸食して――中山七里「彷徨う者たち」

本がひらく
本格的な社会派ヒューマンミステリー『護られなかった者たちへ』『境界線』に続く、「宮城県警シリーズ」第3弾。震災復興に向けて公営住宅への移転が進む仮設住宅で発生した、殺人事件。蓮田の旧友である知歌は、迷惑系NPO法人として知られる〈シェイクハンド・キズナ〉の職員に遭遇し、彼らの活動にさらなる疑念を抱く。その頃、笘篠と蓮田は難航する捜査の突破口を探して、次の手に打って出る――
※当記事は連載第8回です。第1回から読む方はこちらです。

 元より捜査会議は緊張するものだが、それでも三回目に至っても目ぼしい物的証拠が上がらなければ士気も上がらない。東雲の眉間の皺は回を追う毎に深くなる一方だった。
 高級外車のものと見られるタイヤ痕については分析が続いているが、未だ車種や所有者の特定には至っていない。
 東雲が指示した地取りと鑑取りも成果と呼べるほどの実績は上げていない。
「これだけ人数が揃っていて新規の情報は皆無か」
 東雲が部下に愚痴をこぼさない上司であるのは、ここにいる全員が承知している。東雲の焦燥ぶりは推して知るべしだろう。
「この際、担当を問わない。新証拠の発見、もしくは容疑者特定に繫がる情報があれば報告するように」
 何やら名指しされたような気がして、蓮田は笘篠を窺い見る。ややもすれば笘篠は独断専行に走りがちな部分があり、重要な手掛かりを会議に上げなかった前歴もある。おそらく東雲も忘れていないだろう。
 ところが当の笘篠は知らぬ存ぜぬという顔で雛壇の東雲を眺めている。熱気の感じられない視線は、傍目には冷めたように映るが、もちろんそうでないのは蓮田もよく知っている。
 蓮田の個人的な事情も手伝い、ここしばらくは別行動を取っているので笘篠がどこで何を調べているかを十全に把握していない。従って蓮田もまた、笘篠が情報を秘匿しているのではないかという疑念を捨てきれない。
 だが笘篠に疑心を抱いた直後、蓮田は己も知歌や関係者から仕入れた情報を報告していないことで忸怩(じくじ)たる思いに囚われる。直接は事件に関係なさそうだからという言い訳も立つが、全てを開示しない点では笘篠と変わりない。
「鑑取りの範囲を広げよう。被害者掛川勇児の学生時代まで遡り、人間関係を徹底的に洗う」
 鑑取りは自分と笘篠に振られた役目だ。蓮田が頷こうとした寸前、笘篠が挙手した。
「学生時代の交友関係には既に着手しています」
「そうか」
 笘篠の言葉に東雲は出鼻を挫かれたようだった。
「進捗状況はどうだ」
「思わしくありません」
 笘篠の言葉には遠慮会釈もない。
「掛川勇児は地元の吉野中学校および吉野広陵高校を卒業していますが、いずれの学校のクラスメイトも大半が被災しています。存命している者は半数しかおらず、しかもその多くが県外に転居しており、未だ連絡がつきません」
 席上に重苦しい沈黙が下りる。同じ被災地であってもひときわ甚大な被害をこうむった地区ではこうした現象が少なからず存在する。天災が理由とは言え、何故東北だけがこうも特殊事情に振り回されなければならないのか。重苦しい沈黙の正体は、理不尽さに対する憤りに他ならなかった。
「捜査は継続しています」
 笘篠は場の雰囲気を一顧だにせず言葉を継ぐ。
「しかしながら現状は対象者探しに終始している段階を了承してください」
 今更ながら笘篠の老獪(ろうかい)さに舌を巻く。東雲の思惑を読み切った上で、当面は口出しできないように機先を制している。刑事としての有能さは誰しも認めるところだが、組織に対する忠誠心のなさが評価を二分させている。
「事情は認識している。継続して、早急に報告を纏めろ」
 管理官としてはそう締めるしかないだろうと思った。
 会議が終わると、早速笘篠が声を掛けてきた。
「ちょっと付き合え」
「どこにですか」
「遠い場所じゃない」
 黙ってついていくと、笘篠は庁舎出口ではなく別フロアに移動する。
「笘篠さん、ここって二課のあるフロアじゃないですか」
 蓮田の声を無視して、笘篠はずんずんフロアを突き進んでいく。やがて辿り着いたのは二課の部屋だった。
「笘篠」
 それまで分厚いファイルに目を通していた男が気配に気づいた様子で顔を上げる。
「今、いいか」
「帳簿を読んでいる最中だ」
「見れば分かる」
 男は忌々しそうに舌打ちをすると、蓮田に視線を向けた。
「お前の相棒か」
「蓮田だ。こっちは二課の伊庭(いば)」
 蓮田が一礼すると、伊庭は胡散臭げに返してみせた。タメ口を利いているので、歳も階級も笘篠とさほど違わないのだろう。
 蓮田は伊庭と初対面だった。同じ刑事部であっても捜査一課と二課が合同で捜査にあたることは稀だ。そもそも二課は詐欺、横領などの知能的犯罪や選挙犯罪等の捜査などを担当するため、人の動きよりもカネの動きを追うことが多い。自ずと足で証拠を探すのではなく帳簿類から手掛かりを見つける。フィールドが違えば、接触する機会が少なくなるのは当然の理だった。
「で、人の仕事を中断させていったい何の用だ」
「十五日、南三陸町吉野沢の仮設住宅で役場の職員が殺されている」
「その事件は知っている。だが二課の出る幕じゃない。被害者が詐欺や横領に手を染めていたというなら話は別だが、こっちにそんな情報は下りていない」
「被害者についての鑑取りは俺たちがやっている。確かに被害者掛川勇児が役場のカネをどうこうしたという証言も噂も聞いていない」
「話が見えん」
「人の問題じゃない。場所の問題だ。仮設住宅絡みでお前の担当している事件はないか」
 俄に伊庭の表情が奇妙に歪む。
「鑑取りで何も出なかったから、場所に目を付けた訳か。視野が広くて結構だな」
「茶化す前に答えろ」
「まだ疑惑とも呼べないレベルで事件にもなっていない。せいぜい噂だぞ」
「噂ならいくら話したところで支障はあるまい」
「……同僚相手にそんな交渉をするから嫌われるんだ」
「別に好かれたいとは思っていない」
「立っていられると目障りだ。二人とも座れ」
 笘篠と蓮田は手近にあった椅子を引き寄せ、伊庭の正面に座る。ただし話し相手はもっぱら笘篠の役目になる。
「吉野沢の現場に行ったのならロケーションも堪能しただろう」
「港から一キロ離れた高台の住宅地で眺望良好だった」
「津波に攫(さら)われた部分は危険区域として居住禁止になっている。別の言い方をすれば、仮設住宅の建っている高台は国が安全と認めた一等地という訳だ。現在、仮設住宅から公営住宅への移転が進んでいるが、住民の移転と建物の撤去が終わった後、あの更地はどうなると思う」
「南三陸町の議事録を閲覧する限り、まだ具体的な計画は発表されていないみたいだが」
「正式な発表を待つまでもない。国が保証する一等地を更地のまま放置しておくもんか。国の復興予算を分捕(ぶんど)ってでも再開発に着手するだろうさ。最新の耐震構造を備え、十メートル級の津波にも吞まれない新興都市。そのお題目なら予算を引っ張ってこれるし、大規模再開発でヒトもモノも呼び寄せることができる。雇用創出、人材不足の解消、地域の発展といいことずくめだ」
「含みのある言い方だな」
「カネとヒトの集まるところには欲と色も集まる。復興に関わる公共事業だから、旗振りは国だが許認可や入札に関しては各自治体が取り仕切ることが多い。大型公共工事となれば大手ゼネコンにノウハウがあるように思われがちだが、こと震災復興については地元業者に目がない訳じゃない」
「談合か」
「それも含めてだ。随意契約でいくなら業者との間に癒着が生じる。競争入札にしたところで事前に入札価格が分かれば商売相手を出し抜ける。いずれにしても跡地の再開発が公になる前から実弾が飛び交うのは目に見えている」
 伊庭の口ぶりから彼が狙っているのは贈収賄であることが窺える。
 ただ相手構わずに賄賂を渡しても直ちに罪が成立する訳ではない。贈賄罪の成立には次の三つが構成要件となる。
 ・贈賄の相手が公務員であること
 ・公務員への贈賄が職務に関していること
 ・行為として「供与・申し込み・約束」があること
 贈賄罪が成立するのは贈賄の相手が公務員の場合が原則であり、更にその公務員が『職務に関している』ことが必要だ。たとえば利害関係のない公務員に対して贈賄しても賄賂としての性質がなく、贈賄罪は成立しないことになる。
 つまり公共工事に関わる県議会議員や県職員といった公務員に金品が渡った時点で、ようやく贈収賄が成立するのだ。それまでは様子見だと、伊庭は言いたいらしい。
 だが笘篠は納得する素振りを見せなかった。
「続きを話せ」
「噂はここまでだ」
「ただの噂にしては妙に信憑性のある話し方だ。計画が大っぴらになっていないにしろ、現時点で何人かの役人かいくつかの建設業者に目をつけているんじゃないのか」
「本当に嫌なヤツだな」
「自覚している」
「自覚しているから余計にタチが悪い。まあ、いい。特定の何人かに注目しているのは確かだ。ただし現時点で誰も目立った動きはしていない。おそらく活発になるのは県議会で今後の再開発について公になってからだろうな」
 二人のやり取りを横で聞いている蓮田は内心冷や汗ものだった。
 公共工事に関わる県議会議員。
 震災復興の公共工事に関わる地元建設業者。
 二つの言葉を並べると、直ちに森見議員と貢の顔が浮かんでくる。二人は贈収賄どころか義父と婿の間柄だ。公共工事による利益を我がものとするのに、これほどうってつけの組み合わせはない。既に何人かに注目しているとのことだが、果たして伊庭の頭の中に森見義父子の名前はあるのだろうか。
 あるに違いない、と蓮田は判断した。婿の実家が建設業という関係の二人を、名にし負う捜査二課が見逃すはずもない。
「だがな、笘篠。殺害されたのは許認可に何の影響も及ぼさない、いち職員だろう。今の話がためになるとは思えん」
「知って損になることは、あまりない。礼を言う」
 笘篠はそれだけ言うと立ち上がり、さっさと立ち去っていく。蓮田も慌てて立ち上がり、伊庭に頭を下げる。
「どうもありがとうございました」
「ほう、あいつと違って礼儀は弁(わきま)えているようだな」
「伊庭さんは笘篠さんと長いんですか」
「同期だ。あいつが本部にくる前から知っている」
「昔からあんな風だったんですか」
「違うな」
 不意に伊庭の目が懐かしげに緩む。
「所轄にいた頃はまだ協調性があった。他人に無理を強制することもなく、上長の指示は直立不動で聞いていた」
「まるで別人の話を聞いているみたいですね」
 今とはずいぶん違う、という言葉は吞み込んだ。
「震災後だろうな。変わったのは」
 伊庭の指摘には同情的な響きがあった。
「あまり笑わなくなった。まあ当然かもな。それに組織や上司への敬意が薄れたように見えた」
 笘篠は津波で妻子を失っている。詳しい事情も心情も本人から聞いたことはないが、性格が変貌するような出来事であったのは容易に想像がつく。
 思えば、長らくコンビを組んでいる笘篠と距離を感じる理由の一つは被災経験の有無なのだろう。知歌たちに対しても同じだが、大切なものを失った者と何も失わなかった自分との間には深くて暗い溝が横たわっている。
「ただし、あいつが変わったのは震災の影響だけじゃなさそうだ」
 伊庭は気になることを口にする。初対面である蓮田にこれだけ話そうとするのは、笘篠に関心がある証拠だろう。
「組織に長くいると、人間というのはふた通りに分かれるものらしい。ひたすら従順で行儀のいい兵隊か、絶えず命令を疑い己の信条にのみ従うはぐれ者か」
 なるほどと思った。
 はぐれ者というのは、笘篠に似つかわしい称号だった。はぐれ者ならではの視野、組織に懐疑心を抱く者ならではの行動原理が笘篠にはある。
 二課の部屋を出て笘篠を追いかける最中、では自分はどうなのだろうと蓮田は自問する。
 これまで己は任務に忠実な警察官だったと自負していた。意に沿わぬ命令も感情に逆らう指示も甘受してきた。だが今回、知歌から得た情報や森見議員と貢について何一つ報告していない。万が一、旧友たちが事件に関与していた場合には背任を疑われかねない状況だ。
 無関係であってくれと願う一方、己の警察に対する忠誠心が予想以上に希薄であったことに驚く。まさか感傷が職業倫理に浸食してくるとは予想だにしなかった。
 ようやく笘篠に追いついた蓮田は、横に並ぶなり問い掛けた。
「掛川が殺害されたのは再開発絡みだと、ずっと考えていたんですか」
「鑑取りをしても、掛川勇児を個人的に恨んだり憎んだりするような人物は遂に浮かんでこない。彼の肉親は妹のみ、職場で犬猿の仲だった同僚もいない。第一、殺害現場は彼が仕事上訪れていた仮設住宅だ。断言はできないものの、掛川は仕事上のトラブルに巻き込まれた可能性がある」
「でも、彼は一般職員ですよ。業者から賄賂を受け取るような立場にはありません」
「トラブルがカネ絡みとは限らない。それを踏まえた上で動機の範囲を広げる必要があると思わないか」
「そうなると南三陸町役場以外にも県議会、地元の不動産業者や建設業者にも訊き込みをする必要が出てきます。課長に援軍の要請をしますか」
「県議会を相手にするなら二課に協力を要請しなきゃならない。現状は疑惑とも呼べないレベルの話だ。課長が快諾すると思わない方がいい。それよりはタイミングを見計らって捜査会議でぶつけた方が効果的だ」
 課長の承諾を待っている余裕はないという意味だ。捜査会議には刑事部長も管理官も出席する。課長の頭越しに話を進めるには一番効果的だろう。ただし課長から睨まれる覚悟をしなければならない。
「地元の不動産業者や建設業者に関しては、大規模な公共工事を扱えるようなところは多くない。今の段階なら俺たちで充分だろう」
 事もなげに言って、笘篠は歩き続ける。いったん方針を決めてしまえば後は突き進むだけ。迷ったら立ち止まり、引き返して再考する。単純で初歩的だが、実行できる者は多くない。笘篠に実績があるのはそれ故なのだろう。
 笘篠の態度は見習うべきだと分かっているが、一方で蓮田は恐慌を覚える。地元で大規模な工事を扱える業者となれば、自ずと貢の実家である〈祝井建設〉がリストに挙がってくるに違いない。
 まだ殺人の動機や背景も不明なので、貢の存在を口にしていない自分が責められる謂(いわ)れはない。だが、疎遠になっていた貢と笘篠を対面させることに形容しがたい不安があるのも確かだった。
 貢と一対一で会わなければならないと思った。

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プロフィール
中山七里(なかやま・しちり)

1961年生まれ、岐阜県出身。『さよならドビュッシー』にて第8回「このミステリーがすごい!」大賞で大賞を受賞し、2010年に作家デビュー。著書に、『境界線』『護られなかった者たちへ』『総理にされた男』『連続殺人鬼カエル男』『贖罪の奏鳴曲』『騒がしい楽園』『帝都地下迷宮』『夜がどれほど暗くても』『合唱 岬洋介の帰還』『カインの傲慢』『ヒポクラテスの試練』『毒島刑事最後の事件』『テロリストの家』『隣はシリアルキラー』『銀鈴探偵社 静おばあちゃんと要介護探偵2』『復讐の協奏曲』ほか多数。

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