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素敵な女性になるためのバイブル――料理と食を通して日常を考察するエッセイ「とりあえずお湯わかせ」柚木麻子

『ランチのアッコちゃん』『BUTTER』『マジカルグランマ』など、数々のヒット作でおなじみの小説家、柚木麻子さん。今月は80年代後半~90年代前半に多数出版された女性向けエッセイについての考察です。
※当記事は連載の第7回です。最初から読む方はこちらです。

#7 大人のいい女(前編)

 仕事も一段落して、めっきり涼しい。そうなると途端に、お洒落や美容に自発的に力を入れたくなってくる。そんな時、思い浮かぶのは私が子どもの頃見た母の姿だ。いつもちゃんと口紅をつけていて髪をセットしていた。ちょうど、こんな季節は、暖かそうで目の詰まったニットとしっかりした生地の長いスカートをはいていた。
 ちょっと待って、あの頃のママ、今の私と同い年くらいじゃないの? なんか、めちゃくちゃ綺麗じゃなかった!? 同い年の友人たちに確認しても、みんな「そういえば、私のお母さん、私と同じくらいの時、綺麗だった」「アイシャドウとかちゃんとつけていたよね。青とか紫の」「今の私と同い年だと思うと、かなり大人っぽいのでは」とたちまち同意の声が集まってきた。そういえば、うちの母に限らず、あの頃、周囲のお母さんたちもみんなエレガントな雰囲気だった気がする。容姿うんぬんというわけではなく、なんだかみんな、生地が分厚いたっぷりした洋服に、髪がふさふさしていて、濃い口紅をつけているのが、とてもシックで上品な感じがした。母と私はそんなに似ているわけではないが、少なくとも、モデルさんや女優さんより、ずっと真似しやすいお手本になるのではないか。
 そもそも、この連載タイトルからして母の口癖である。連載スタート時に出典を確認してみたら母の世代のバイブル・桐島洋子さんの『聡明な女は料理がうまい』に出てきた言葉だったと判明した。今回も、時代考証しつつ、母に聞き込みしてみることにする。母が私と同じ40歳の頃、私は10歳。時は91年。バブル崩壊の真っ只中といえ、記憶の中の風景はまだまだ好景気だ。
「綺麗にしていたっていうか……。まず、あの頃はね、ユニクロもGUもなかったからねえ」開口一番、まさにユニクロのTシャツを着た母はそう言った。当時は、安くて気の利いた服なんてものはなく、素敵なものはみんなすべからく高かった。だから、納得のいくまで吟味して買い物をし、大事に大事に着ていたという。衣装持ちなイメージだったが、所有していた服はそう多くはないらしい。
 そういえば、幼い日のぼんやりした残像は、ブティックで真剣に服を選ぶ母がとても多い。話しかけてくれる女性の店員さんからいい香りがしたとか、巨大なガラス瓶の中に投げ入れられたカラーの花だとか、ガラス張りの入り口のところにプールみたいに浅く水が張ってあったり、といった細部までいかにも富める時代だ。
「あと、お手本はみんな海外の映画だった。今みたいに、スターがSNSで発信しているわけではないし、ブランドが日本に展開しているわけでもない。全部自分でよく似た服を探しあてた。映画に出てくるニットに憧れて、手編みしたりもした。ないものを作るのが苦じゃなかった。憧れは海外のスターだから、当然肩にはパットを入れたんだよ」
 そういえば、母はよく手作りしていた。セーターだけではなく、粘土を捏ねて絵の具を塗り、ニスを光らせ、可愛い人形や家具などを作り、額縁に入れて飾っていた。私がもっと小さい頃はこちらが寝静まるのを待って、コツコツ創作活動していたのだという。
「あと、あの頃はマチュアな女性になるためのバイブルがいろいろあった気がするなあ」
 そういえば、母の本棚から借りた雑誌によくそんなエッセイが載っていた気がする。ネットで調べると出るわ出るわ。80年代後半から90年代前半にかけて素敵な大人の女性になるためのバイブルエッセイは百花繚乱だったのである。
 熊井明子著『素敵な女の生き方レッスン』(86年刊行)、森瑤子著『ハンサム・ウーマンに乾杯』(2002年刊行だが85年~90年に書かれたエッセイ集)、安井かずみ著『贅沢に,美しく大人の女』(91年刊行)、下重暁子著『女が40代にしておくこと 「本当の人生」はこれから始まります』(88年刊行)、そして、西村玲子さんのイラストエッセイを何点か購入した。これを全部実践したら、私も素敵な女性になれるのでは? そして私は当時提唱されていた「大人のいい女」にある共通点があることに気付く。
 後半に続く。

FIN

題字・イラスト:朝野ペコ

新作は柚木さんの母校の創設者の女性を描いた長編小説!
柚木さんの母校・恵泉女学園中学・高等学校の創設者・河井道。津田梅子のもとで学び、留学を経て女子の教育に尽力した人物の型破りな人生を追った小説『らんたん』が10月末に発売となります。

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プロフィール
柚木麻子(ゆずき・あさこ)

1981年、東京都生まれ。2008年「フォーゲットミー、ノットブルー」でオール讀物新人賞を受賞し、2010年に同作を含む『終点のあの子』でデビュー。 2015年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞を受賞。『ランチのアッコちゃん』『伊藤くんA to E』『BUTTER』『マジカルグランマ』など著書多数。最新長編『らんたん』(小学館)が10月末に発売予定。

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