井上陽水~幸田文~岡本仁――「熊本 かわりばんこ #07〔思わぬ喜び、かなわぬ希望〕」吉本由美
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井上陽水~幸田文~岡本仁――「熊本 かわりばんこ #07〔思わぬ喜び、かなわぬ希望〕」吉本由美

 長年過ごした東京を離れ故郷・熊本に暮らしの場を移した吉本由美さんと、熊本市内で書店&雑貨カフェを営む田尻久子さん。
 本と映画、そして猫が大好きなふたりが、熊本暮らしの手ざわりを「かわりばんこ」に綴ります。 ※#01から読む方はこちらです。

思わぬ喜び、かなわぬ希望

探しもの

♪♪ 探しものは何ですか? 
 見つけにくいものですか? ♪♪

 という井上陽水の『夢の中へ』を歌いながら部屋から部屋へ渡り歩くのがこの頃の日課になった。毎日何かを探している。とにかくもの忘れがひどく、固有名詞は当然のこと、どこに何を仕舞ったかさえも思い出せないことが多い。大事だからと忘れないだろうところへ置いたり入れたりしたはずのものなのだ。それが出てこない……というか仕舞い場所がわからない。立ち止まり、しばし考え、「人生謎だらけ」と名探偵ポアロ氏のように呟いては苦笑いする。年のせいか、はたまた認知症の入口に近づいたのか。面白いといえば面白いが、差し迫った用件のときは焦るし苛立つ。メモ、写真、手紙がその多くだが、本もある。本はそのたびに、古書店行きのラベルを貼って廊下の隅や2階の空き部屋に重ねている箱をいちいち開けなければならず、まことにやっかい極まりない。

 雨の降り続く8月のその日も陽水を歌いながら、写真好きだった父の残した膨大なる量のアルバムの中から“しまこ”の写真を探していた。“しまこ”とは東京の白金台の庭付き共同住宅に住んでいたとき、スルスルと部屋に入り込んできて4日間も居続けたシマヘビのことだ。これは事件! こんなことは滅多にない! と、猫と対決しているところやテーブルの下でとぐろを巻いている姿やシャーと威嚇したりニョロニョロと長くなって室内を探検している姿などを写真に撮っていたのだった。

 熊本に帰ってきて、この“世にもめずらしい光景”はどうしても田尻久子さんほか熊本の仲良しに見てもらいたいと思い探しているのだが、それがもう6、7年見あたらない。皆さんにお見せするため透明ビニールの小さなアルバムに纏めたことまでは覚えている。もしかしたら親の仏壇用写真を探しているときにでも何かの手違いで紛れ込んだのかも知れない、と思い、雨の日の8月初め、整理がてら家族のアルバムに手を付けたのだ。それにしても、この残されし家族アルバムの山を見よ! 子供のいない、受けつぐ人もいない私はそろそろこの山に「要処分」のシールをつけなくてはならないだろう。ああ面倒くさい、ああ難儀なことよ……なんて、重く分厚いそれらをかき分けながら唸っていたら、アッ! と驚く光景が広がった。2冊の大きなアルバムの間に本が1冊挟まっていたのだ。

思いがけず

 その、挟まって身動き取れずにあった本は“しまこ”同様ここ数年探しあぐねていた幸田文の小説『おとうと』だった。こんなところに! と、当然目からはハートマークが飛び出たのだが、同時に、私以外に手に取る人のいない本がなぜ、どうして、こんなところに挟まっているのか? 挟んだのが私なら、では私は何のためここにこの本を挟んだのか? という謎がわいてきて力が抜けてしまった。まったく自分がわからない。自分はどうしてこの本を探していたのか、今やその理由さえ思い出せない。人生は実に謎だらけである。ため息が出る。でも、まあ、とにかく、謎は謎として右に置き、歳月に茶色く色褪せた母の大切な本をアルバムの山並みから救出し埃(ほこり)を払った。

写真1

幸田文『おとうと』(外箱・表)

写真2

同(外箱・裏)

 小説『おとうと』は、体が弱く患いがちな母親に代わり家族の世話に奔走する、今で言うヤングケアラーの女学生の姉と、子供から少年期へ変わりつつある弟との、姉弟愛のお話だ。私にも弟がいるからわかるが、ある時期姉にとって弟は特別の存在になる。手下だった小さい者が急に自我を持ち反撥する、その変化が憎らしいような、愛さないではいられないような、殴りたいような、世話しないではいられないような、戸惑いに満ちた複雑な思いである。その心情が、弟が結核に罹り亡くなるまで姉の目線できりりと綴られている。本当にきりりと……幸田文52歳時の黒曜石のような文体である。高校生のとき母から借りて読み、いたく身に沁み、これを入口に幸田文の世界に入ったという記憶がある。

 当時は気にもしなかったが、大人になって手に取ると外箱も布張りの表紙も素敵で、装丁は谷内六郎さんだった。さすが、と唸った。セミ、カブトムシ、クワガタ、カタツムリ、そしてゴムパチンコ。少年の面影が伝わってくる絵柄に今改めて魅了される。初版が昭和32年9月15日とあるから64年も前のものだ。値段は280円。今の時代、このような丁寧で美しい装丁を見ることは少ない。何のために探していたのか本当のところはわからないが、絵柄から受けた感銘を思うと装丁に関してだったような気もする。いずれにしても近日中に読み返そう。高校生のときの感想と73歳の感じ方の違いにも興味が出てきた。

写真3

同(表紙)

運の配分

 8月の記録的大雨は探しものには良かったが、思いもしない惨事(大げさだが私にはこう呼ぶほかない)も招いた。排水溝と室内の電気配線の一部が立て続けにお陀仏したのだ。ともに築六十数年の家に仕えて働いてきた古株で、その老朽化は何年も前から気にはなっていたが目を瞑(つむ)っていた。それがついに、この“数十年に一度の記録的大雨”に負けてしまった。まず外の排水溝の中の陶管が砕け、その1週間後くらいに居間・廊下・玄関・脱衣所・風呂場・勝手口の電気配線がショートして、修復工事の必要に迫られた。今年だけでも、エコキュートの取り替え、雨樋の付け替え、屋根の修理、とメンテナンス工事が続いている。私が戻ってからの10年間を遡ると、施したメンテナンス工事は大小合わせて二十数回にも及ぶ。古い家だからしかたがない、人間と同じ、どこもかしこもボロボロだよね、と、同病相憐れむ気持ちで掛かる費用を振り絞っているが、熊本に戻る前まではこんなに厳しい老後生活が待っていようとは思いもしなかった。家賃がないから楽ちんだわ~と喜んでいた自分が愚かに見えて哀しい。

 けれどめげるわけにはいかない。自分は人生前半がラッキーだったから、後半アンラッキー(とまではいかないにしても)でもしかたがないのだ。前半に運を使いすぎたのだ。「人間は誰しも自分に与えられた運を持って生まれます。その運の量をどう配分し使いこなすかでその人の人生の浮き沈みが決まります」というようなことを、中学生のときだったか、学校帰りに近くの教会で聞いた覚えがある。信仰心皆無の人間だが、なぜかこの言葉はそれからずっと長い間、もう半世紀以上、心のよりどころのように自分の中にあって、つらいときひどい目に遭ったときには必ず出てきて元気づけてくれるのだ。

 そういうわけで8月の半ばからお風呂禁止(シャワーもときどき)、台所の水仕事も極力抑えて排水量を減らし、夜の暗い室内は壁際に2つのスタンド照明、手元はランプ、廊下を歩くときや洗面所では懐中電灯で足元手元を照らし、シャワーは明るいうちにすます……という生活を続けた。不便だが、同じ頃の「シチリアに熱波48.8℃」というニュースを見ては“まだマシだ”と我が胸に言い聞かせた。48.8℃とはなんちゅーことか! 日本も大雨に悩まされたが世界中が豪雨、熱波、山火事、と異常気象に見舞われている。けれどそれも人間のまいた種だからしかたがない。近頃はしかたがないことが多すぎるが、荒れ狂う天地の神の怒りを収めるべく自らの暮らしを見なおすしか道はないのだ。

 この禁断の生活、最初は不便さにまいったが、人間強いもので慣れてくるとその不便さも「キャンプのようだ」と面白く思えてきた頃の8月下旬、排水溝工事と配線修復工事が順繰りになされた。やれやれである。居間の天井灯がパッと明るく輝いたときは思わず拍手した。キャンプ生活も面白くはあったが、やはり夜の薄暗い室内は鬱陶しかった。若いときなら「仄(ほの)かに明るく居心地の良い間接照明」を喜べたが、年を取ると薄暗い室内は、躓(つまず)くしものもよく見えず、危ないのだ。

再訪叶わず……

 そのように、8月末やっと人並みの生活に戻れたものの、楽しみにしていた霧島高原行きが工事日と重なりおじゃんになったのは、返す返すも残念でならない。その頃霧島の美術館で友だちの個展が開催されていたのだ。友だちとは編集者の岡本仁(ひとし)さん。私が『オリーブ』のスタイリングで忙しくしていた80年代、彼は『ブルータス』だったか、マガジンハウスの編集者で、“食いしんぼ”同士よく一緒に食べに行っていた。横浜中華街ツアーなんて叫んで朝から夜まで食べ歩きしたこともある。今思うとなんて馬鹿な……となるけれど、そのときはたぶん私ら食べ盛りらしかった。

 その仁ちゃんが長い長い編集仕事の集大成を霧島高原にある美術館「霧島アートの森」で展示しているのだ(「岡本仁が考える 楽しい編集って何だ?」)。これはぜひ行かねばならない。行って、観て、お祝いを言いたい。が、霧島高原は遠い。熊本のお隣だから地理的には近いのだが、熊本からだと公共交通はJR肥薩線(それも途中乗り換えあり)で栗野駅下車、そこから町営バスで20分あまり掛かる。待ち時間などを考えると午前中が吹っ飛んでいく。日帰りとなるととんでもなく忙しい。しかも現在は昨年の豪雨でJR肥薩線は八代-吉松間が不通だ。どうしたって車利用となる。車のない人間はどうすればいいのだろう。8月の九州の炎天下、老女一人でどうやったら辿り着けるのだろうか……と思いあぐねているところに日田リベルテの原くんから神のご加護のようなメールが来た。「僕が前のようにお連れしますから行きませんか?」と。

 大分県日田市でミニシアター「リベルテ」を一人営む原茂樹さんとは仁ちゃんつながりの不思議なご縁で知り合って、意見の合う者同士仲良くしている。しっとりしてこぢんまりして美しい日田の町へ行き、シアター、町、川、仲間という彼の世界を案内して貰ったり、彼が熊本に来たりして、直接会う機会は少ないが、メールで、インスタグラムで、よく語り合う。

「前のように」とは2年前「霧島アートの森」で開催された「風景をつくる眼。中原慎一郎が出会ったアート、デザイン、工芸」展に連れ出してくれたときのことだ。朝、日田市から車を走らせ熊本の私の家にピックアップに来てくれた原くん(“くん”と呼べと言うのでそう呼んでいる)である。九州自動車道を突っ走り、栗野出口から出て20分ほど、人家、畑、牧場、林、と穏やかな高原風景の中を走ると緑に包まれた野外美術館に到着した。駐車場の入口で草間彌生の巨大オブジェが出迎える。緑滴る並木のアプローチを進むと右に赤も眩しい植松奎二(けいじ)の彫刻〈浮くかたちー赤〉が展示されている。その奥に会場である建物があった。

写真4

「霧島アートの森」のアプローチ

写真5

植松奎二・作〈浮くかたちー赤〉

 展示会場内には高原の涼やかな風が流れていた。数々の興味深い展示を見終わって併設のカフェに入ると、大きく開け放たれたガラス戸の向こうに青々と萌える原っぱが広がっていた。高原の空気特有のさらさらとした肌触りと青臭い匂い。気持ちの良い美術館だった。もう一度あの緑緑した空間に包まれたいし、仁ちゃんの膨大なる量の、しかもいちいち面白げな編集記事、書き物、写真に触れたいし、美味しいところに連れて行ってくれるという約束もあるし、本当に楽しみにしていたのだ。それが工事日と重なってことごとくおじゃんになってしまった。だったら別の日に、と思ってもそう簡単に問屋はおろさぬ。私はヒマでも劇場主で映写技師でもある原くんはそんな頻繁には休めないし、基本東京に暮らしている仁ちゃんもいるかどうかわからないし、と、うだうだ考え別の道を探っていたら、悩みを一掃するが如く「9月から1か月間コロナ禍のため美術館は休館します」との報が入った。あ、はー、もはやアウトか。美術館へ行く楽しみ以外にも高原をドライブしたくてうずうずしていたけれど、ついてないときって実際こういうものだなと虚しくカレンダーを置いたのだった。

(次回は田尻久子さんが綴ります)

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プロフィール
吉本由美(よしもと・ゆみ)

1948年、熊本市生まれ。文筆家。インテリア・スタイリストとして「アンアン」「クロワッサン」「オリーブ」などで活躍後、執筆活動に専念。著書に『吉本由美〔一人暮らし術〕ネコはいいなア』(晶文社)、『じぶんのスタイル』『かっこよく年をとりたい』(共に筑摩書房)、『列車三昧 日本のはしっこへ行ってみた』(講談社+α文庫)、『みちくさの名前。~雑草図鑑』(NHK出版)、『東京するめクラブ 地球のはぐれ方』(村上春樹、都築響一両氏との共著/文春文庫)など多数。

田尻久子(たじり・ひさこ)
1969年、熊本市生まれ。「橙書店 オレンジ」店主。会社勤めを経て2001年、熊本市内に雑貨と喫茶の店「orange」を開業。08年、隣の空き店舗を借り増しして「橙書店」を開く。16年より、渡辺京二氏の呼びかけで創刊した文芸誌『アルテリ』(年2回刊)の発行・責任編集をつとめ、同誌をはじめ各紙誌に文章を寄せている。17年、第39回サントリー地域文化賞受賞。著書に『猫はしっぽでしゃべる』(ナナロク社)、『みぎわに立って』(里山社)、『橙書店にて』(20年、熊日出版文化賞/晶文社)がある。

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