
完全犯罪と思われた密室殺人の謎の真相が伝えるひとつの事実――中山七里「彷徨う者たち」
本格的な社会派ヒューマンミステリー『護られなかった者たちへ』『境界線』に続く、「宮城県警シリーズ」第3弾。震災復興に向けて公営住宅への移転が進む仮設住宅で発生した、殺人事件。後悔を抱えたまま十数年にわたって絶縁状態だった旧友との再会は、蓮田にとってさらに苦いものとなった。その一方、覚悟を新たにして、笘篠のもとへ向かった――
※当記事は連載第10回です。第1回から読む方はこちらです。
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非番明けで登庁した蓮田は刑事部屋で笘篠を見つけると、すぐに駆け寄った。
「話があります」
「奇遇だな。俺もだ」
手近な椅子を引っ張ってきて、笘篠と正面切って向かい合う。
ここ数日の単独行動は公務から逸脱していたと謗(そし)られても仕方がない。石動課長から詰(なじ)られる前に笘篠から怒鳴られた方が、気が楽になるように思えた。
「二課の伊庭さんに話を聞いた後、地元に建設業を営んでいる知り合いがいるのを思い出したんです」
「ただの知り合いなのか」
「幼馴染みなんです」
蓮田は貢たちとの交遊歴を打ち明ける。プライベートな情報を告げることに抵抗はあるが、コンビを組んでいる笘篠にも報告しなかったペナルティとも言える。
説明を聞き終えた笘篠は困惑顔で頭を搔いた。
「蓮田は、その〈祝井建設〉を疑っているのか」
「掛川勇児殺害に直接関与しているとは思いません。しかし事件の背景に吉野沢の再開発が絡んでいる可能性が否定しきれません」
「現状、殺された掛川に殺されるような背後関係は見つかっていない。それならトラブルになり得る要因を本人以外から探すしかない。お前の目の付けどころは間違っちゃいない」
「ほっとしました」
「問題はお前に覚悟があるかどうかだ」
不意に笘篠の視線が険しくなる。
「新人でもないヤツに今更説教することじゃないが、仮に幼馴染みが事件に関与していた場合、お前は躊躇なくそいつに手錠を掛けられるのか」
「掛けられます」
即答したものの、実際にそうした局面に立たされた時、躊躇(ためら)いを覚えないかどうかは確信できない。それでもこの場は言いきるより他になかった。
笘篠は蓮田から視線を外さない。つくづく、この男に追われる立場でなくて良かったと思う。まるでこちらの気持ちを見透かしているかのようで一時も油断ならない。
ほどなくして笘篠の言葉に違和感を覚えた。
「待ってください、笘篠さん。俺に覚悟の有無を問い質すのは、笘篠さんも森見貢を疑うだけの根拠を持っているからじゃないんですか。そうでなけりゃ問い質す意味がない」
「特に〈祝井建設〉だけを疑っている訳じゃない。ただ少し驚いている。俺は俺で好き勝手に探していたんだが、辿り着いた先がやっぱり建設業者だったからな」
「事件が仮設住民の移転や再開発事業に絡んでいると仮定するなら、当然そこに行き着くと思うんですが」
「ルートが違うんだ。俺が例の密室を破ろうとしていたのは知っているよな。スタートはそこだった」
笘篠は大儀そうに立ち上がる。
「見せたいものがある。一緒に来てくれ」
笘篠に連れられてきたのは太白(たいはく)区長町(ながまち)の住宅展示場だった。
「最初、現物を見て考えようとしたんだ」
笘篠はモデルハウスの間を歩きながら話す。
「実際の仮設住宅を使って密室状態を構築できるものなのかどうか。吉野沢には住人が退去した後の空き住宅もあるが、どれも建機による撤去が始まっていて完全なものがない。思いついたのが住宅メーカーのショールームだった」
「でもモデルハウスじゃ意味がないでしょう」
「吉野沢の仮設住宅を提供したのは〈ヤマトハウス〉という住宅メーカーだが、自社の技術を宣伝する目的で同じ仕様の仮設住宅を展示している」
やがて二人は〈ヤマトハウス〉の展示場に到着した。出迎えてくれたのは同社の営業部に勤める高橋(たかはし)という男だ。
「お待ちしていました。案内係の高橋です」
高橋は額に入れて飾っておきたいような営業スマイルを顔に張りつけていた。
「先日、そちらの笘篠さんが来られ、捜査に協力してほしいと言われた時にはずいぶん驚きました。しかし当社が事件の解決に寄与できるのなら、これほど光栄なことはありません。では、こちらへ」
高橋に先導されて進むと敷地内に数戸の建物が聳(そび)えている。うち一戸は件の仮設住宅だ。
「吉野沢に建っている仮設住宅と全く同じだ」
思わず蓮田が洩らすと、高橋は誇らしげな顔を見せる。
「当社の誇る木質パネル系プレハブ住宅です。一戸あたりのお値打さと気密性の高さでは他の追随を許しません」
モデルハウスの中に入ると、外見同様に間取りも建材も吉野沢のそれと同じだった。天井の採光窓も同じ位置にある。
「さて」
高橋は部屋の中央に立って蓮田たちに向き直る。
「笘篠さんからのご質問は、この住宅の中から鍵を開錠せずに脱出できるのか否か、でした。ご存じかもしれませんが、プレハブ工法というのは職人が現場で建材の加工や施工をするのではなく、工場で壁や床といった部材を造り現場で組み立てるというものです。少し乱暴な言い方になりますが、巨大なパーツのプラモデルを想像していただければよろしいかと存じます。従って壁・床・天井は隙間なく結合され、大掛かりな工事でも施さない限り人一人が出入りできるような隙間は生じません。また採光窓にしても完全な嵌め殺しになっており、内側から開けるのは不可能です」
自社製品の説明なので得意げになるのは当然だが、聞いているこちらとしては一つずつ可能性を否定されるようで面白くない。
「俺も色んな仮説を高橋さんにぶつけてみたんだ」
笘篠の方は面白そうに話す。
「ところがことごとく反論されて遂にネタがなくなった。それで考え方を変えてみた。建物から脱出するんじゃなく、死体を残しておくだけなら可能じゃないかとな」
「同じことじゃないですか」
「それが違うんですよ」
笘篠に代わって高橋が答える。
「わたしも笘篠さんからお聞きして、やっと気づいた次第なのです。では、いったん表に出てください」
訳も分からぬまま表に出ると、高橋はどこからか梯子を抱えて戻ってきた。
「先に上がりますのでついてきてください」
蓮田たちにヘルメットを渡した後、高橋は外壁に立て掛けた梯子を慣れた足取りで上がっていく。歳はそれほど違わないはずなのに、蓮田はおっかなびっくり踏み桟(ざん)の位置を足で探りながら上っていく。
「上がるの速いですね、高橋さん」
「ジョブローテーションで一時期、現場でしごかれましたから。住宅営業というのは資金計画の提案から見積もりの提出、ローンの審査、着工前打ち合わせ、着工後の変更打ち合わせまでさせられます。現場でどんな作業が発生しどんな道具をどんな時に使うのか。そうした細かな手順を知っているのと知らないのとでは、営業業務にも雲泥の差が出ますからね」
三人は梯子を上がりきり、屋根に集まった。傾斜は緩やかだが、油断すれば真下に転落してしまう。
「さて、早速取り掛かりましょうか」
高橋が躊躇なく近づいたのは天窓だ。笘篠と蓮田は這うようにして彼の後に続く。さすがにここまでくると、蓮田にも笘篠の着眼点が見えてきた。
真下に臨む採光窓は八十センチ四方の大きさで、ガラスに網が入っている。屋根と平行に天窓となるガラス障子が嵌められ、その三十センチ下に採光窓がある。つまり採光窓は二重構造になっているのだ。
「仮設住宅に採用したタイプでは採光窓の開閉は出来ず、内側にスクリーンを張ることで日照を調整しています。ただですね。こうした天窓は鳥の糞で汚れやすかったり、落下物で罅が入ったりするので交換の必要に迫られるケースが少なくないんです」
喋りながら高橋は天窓周りの屋根材を剝がす。
「この屋根材はスレート製の嵌め込み式になっていて、コツさえ摑めれば簡単に外せます」
屋根材を取り除くとガラス障子が剝き出しの状態となる。
「当社では天窓を従来のガラス製からポリカーボネート製にしています。最近はクルマの窓ガラスを軽量化する動きがありますが、ことこの分野については住宅メーカーが先を行っている感じでしょうか」
軽量というのは本当らしく、高橋はひと抱えもあるようなガラス障子を軽々と持ち上げる。
「次に採光窓まで手を伸ばし、窓枠を固定しているLアングルという金具と野地板(のじいた)を外します。これもビスを抜けば簡単に窓枠が外れます」
高橋は腰袋から工具を取り出すと手際よくビスを抜いていく。説明通り、ビスさえ抜いてしまえば窓枠は呆気ないほど簡単に外れた。
「はい、この通り」
笘篠と蓮田は屋根の上から覗き込む。密室だったはずの仮設住宅は、今やぽっかりと大きな口を開けていた。
「部屋の中で殺害したんじゃない」
改めて笘篠が自説を披露する。
「外部で殺害した後、死体を屋根まで運び、今の手順で天窓と採光窓を外したんだ。死体を開いた窓から放り込み、また採光窓と天窓を元に戻す。これで密室の完成だ」
タネを明かせば、馬鹿馬鹿しくなるほど単純な話だった。
採光窓を内側から外すことは不可能だが、外側からならできる。部屋から脱出するのではなく死体を残しておくだけならいとも容易(たやす)いのだ。
蓮田は腕時計を見る。高橋が作業を開始してから採光窓を外すまで四十分が経過していた。
「高橋さんが屋根に到着して作業を終えるまでに四十分しか掛かっていません。これはわたしたちのような未経験者にも可能でしょうか」
「さて、どうでしょうねえ」
高橋は腕組みをして首を捻る。
「嵌め込み式の屋根材もコツが摑めなければ四苦八苦するでしょうし、ビスを外すにも工具に慣れていなければ時間が掛かります。そもそも採光窓が二重構造になっているのを知った上で取り外しを試みるのは、素人さんでは有り得ないでしょうねえ」
「聞いての通りだ」
笘篠は屋根の上に腰を下ろす。
「密室状態を拵(こしら)えるのは可能だが、その実行には熟練の腕が必要だ。経験も道具も持ち合わせていない素人では無理。従って実行した人間は建設業や住宅メーカーなどに関係した者と仮定できる。そこから再開発の事情を組み合わせるとさらに絞り込める」
「別ルートで建設業者に辿り着いたというのは、こういう意味でしたか」
掛川が殺害されたのは夜八時から十時にかけてだ。夜中、明かりが乏しい中で採光窓を外す作業をこなすには慣れも技術も不可欠だ。逆の言い方をすれば、熟練の腕を持っていれば、残った三世帯に気づかれることなく、作業を遂行できる。
「ただし疑問が一つ残る」
「何ですか」
「犯人が密室を拵えた理由だ」
今更だと思った。
「笘篠さん。犯行の模様を立証しなければ起訴するのも困難です。犯人がそれを狙っているのは一目瞭然じゃないですか」
「だが手間が掛かり過ぎているとは思わないか。見つかって困る死体なら、いっそ埋めてしまった方が手っ取り早い。現場には、穴を掘るのに格好の建機も置いてあったしな」
「笘篠さんには何か考えがあるんですか」
「ないことはない。だが単なる思いつきだ。単なる思いつきを話しても捜査を混乱させるだけだ」
地上に下りてから笘篠はあまり話さなくなった。慣れた者の手なら密室を破れる件は捜査会議で報告すると言うが、煎じ詰めればそこまでだ。笘篠が積極的に容疑者を特定するには至らない。後は東雲管理官の判断に任せるということか。
道すがら、蓮田の脳裏には貢の言葉が再生されていた。
『工場を継いでからは現場にも出掛けている』
地元で最大の建設業者。
義父は再開発事業に関わる許認可を左右し得る県議会議員。
おそらくは義父に大きな借りがあり、返済のためにも大きな仕事を必要としている地元建設業者の役員。
そして役員に名を連ねながら、現場仕事に通暁している男。
いずれの可能性も満たしているのは貢だ。消去法ではないが、これだけ可能性が揃っていれば貢を疑わない訳にはいかない。
「笘篠さんは具体的に容疑者の名前を報告しないんですよね」
「特定するにはアリバイも未確認だし、動機も明確じゃない。役場のいち職員の殺害が再開発事業にどう結びつくのか、現時点では皆目見当もつかない」
言い換えれば、その二つが結びついた瞬間に貢が最有力の容疑者に浮上するという意味だ。
「森見貢を疑っていますか」
「容疑者の一人であることは間違いない」
「『仮に幼馴染みが事件に関係していた場合、お前は躊躇なくそいつに手錠を掛けられるのか』。俺にそう確認したじゃないですか」
「あくまでも可能性だし、俺よりはお前の問題だ。しかしお前は掛けられると即答した。それで結論は出ているだろう」
蓮田は口を噤むしかない。結論はまだ出ていない。容疑者の条件が揃っていても尚、己は貢が人を殺した可能性を感情面で否定し続けているのだ。
プロフィール
中山七里(なかやま・しちり)
1961年生まれ、岐阜県出身。『さよならドビュッシー』にて第8回「このミステリーがすごい!」大賞で大賞を受賞し、2010年に作家デビュー。著書に、『境界線』『護られなかった者たちへ』『総理にされた男』『連続殺人鬼カエル男』『贖罪の奏鳴曲』『騒がしい楽園』『帝都地下迷宮』『夜がどれほど暗くても』『合唱 岬洋介の帰還』『カインの傲慢』『ヒポクラテスの試練』『毒島刑事最後の事件』『テロリストの家』『隣はシリアルキラー』『銀鈴探偵社 静おばあちゃんと要介護探偵2』『復讐の協奏曲』ほか多数。
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