
空っぽの猫ベッド、もう誰も落とさない私の本――「熊本かわりばんこ」#24〔拾われ猫フジタが生きた14年〕田尻久子
長年過ごした東京を離れ故郷・熊本に暮らしの場を移した吉本由美さんと、熊本市内で書店&雑貨カフェを営む田尻久子さん。
本と映画、そして猫が大好きなふたりが、熊本暮らしの手ざわりを「かわりばんこ」に綴ります。 ※#01から読む方はこちらです。
拾われ猫フジタが生きた14年
沈丁花がつぼみをつけている。前の家のベランダで生き残り、引っ越したときに連れてきたのだが、地植えをしたらしっかりと根付いた。椿の花も一輪だけ開いていて、昨年より少し早い気がする。そういえば今年は正月早々にメジロを見たから、ふくらみつつあるつぼみを偵察しに来ていたのだろう。人間以外の生き物や植物は自然界にあわせて行動しているのに、人間はつい暦を気にしてしまうからいちいち早いだの遅いだのと言ってしまう。まだ群れでは来ないが、ここのところメジロを頻繁に見かけるようになった。春が近づいてきた。

7年ぶりと言われた寒波が到来した当初は寒さに震えたが、対策が功を奏したのか、今冬はわりと過ごしやすかった。それでも寒がりの猫たちは、点いていないときでもストーブの前に集合する。早く点けろという抗議行動だ。この冬は、慢性腎臓病になってしまった猫のフジタがなるべく辛くないようにと、湯たんぽを入れたりして猫の寝床をできるだけ暖かく保った。私は冬が好きなのだが、今年はメジロ同様、春を待ちわびている。
しかし、フジタは病気だろうがいつ何時でもフジタだ。私が知っている猫の中でいちばんの食いしん坊。腎臓病になってからは、どんな猫用フードを買ってきても一口二口食べてはぷいっといなくなってしまうほど食欲が落ちているのに、人間用の食事を用意すると途端に鳴きはじめて物色しようとする。免疫が落ちたせいで口の中は口内炎だらけだし、点滴をしているとはいえ慢性的にやや脱水ぎみのはずなのだが、食い気が残っているとはたいしたものだ。
白黒猫のフジタとコテツは兄弟で、2009年にわが家にやってきた。というか、私の車の下で鳴いていた。そのほんの数日前にチミイという三毛猫を亡くしたばかりだった。私がはじめて一緒に暮らした猫はミイというのだが、ミイを拾ったすぐ後にチミイがやってきたから、小さいミイで「チミイ」と呼んでいた。なんでそんな紛らわしい名前をつけたかというと、猫を飼ってはいけない貸家に住んでいたときに拾ったので、里親を探そうと思い、情が移らないように仮名で呼んでいた。ミイミイ鳴いていたから、ミイ。迎え入れる誰かがもっといい名前を考えてくれるだろうと期待していたのだが、名前をつけないから情が移らないなんてことはもちろんなく、結局2匹ともうちの猫になってしまい、家も引っ越すことになった。

話はそれたが、ミイとチミイは死ぬときもあまり間を置かずに立て続けに逝ってしまった。ほぼ同じ日数をうちで暮らしたことになる。さみしくなってしまったな、と思った矢先にフジタとコテツが私の車の下で鳴いていたというわけだ。最初は、親猫がそばにいるかもしれないから見に行ってはいけないと自制した。しかし、いつまで経っても子猫の鳴き声がすぐ近くで響いている。1時間以上鳴いていたと思うのだが、もしかしたら気になり過ぎて長く感じただけで、もっと短い時間だったのかもしれない。母猫を探す子猫の鳴き声というのは切ないどころではない。命がかかっているのだから、切羽詰まっている。出勤前で、出かける準備をしているところだったから焦ってもいた。もう限界と心の中でつぶやき声のするほうへ行ってみると、よりにもよって私の車の下で鳴いている。かがんで車の下をのぞくと、あっさり近寄ってきた。抱き上げて、あーあ、とうとう触ってしまったと思っていると、もう1匹チョロチョロと出てきて驚いた。まさかうちに2匹分空きが出たよと誰か教えたのかと、思わず疑う。
あとから出てきた猫がフジタだ。なぜ覚えているかというと、出てきた瞬間、2匹もいて困ったなと思いながらも、おかっぱ頭が藤田嗣治みたいと笑ってしまったからだ。うしろ足の柄もおかしくて、股上がものすごく浅い、黒いももひきをはいているように見える。両手に1匹ずつひょいひょいと抱き上げると、2匹ともまったく抵抗せずに手の中に収まった。
それからいそいで病院に連れて行くと、健康状態に問題はなく、体重は2匹とも500グラムだから生後1カ月くらいですねと言われた。連れたまま出勤すると(もちろん遅刻だ)、疲れたのか店に置いているソファで2匹くっついてよく寝ていた。家に帰り、白玉といまは亡きチャチャオくんにもおそるおそる引き合わせると、そんなに動揺することもなくすぐに受け入れてくれた。白玉は子猫好きなので、まるで母猫のようにおしりを舐めてあげたりしていたから、フジタとコテツは私より先に白玉になついた。ちなみに白玉は雄猫だ。

2匹はすくすくと育った。最初はどちらか1匹だけでも里親を探そうと考えていたのだが、寄り添って寝ている姿を見ていると引き離すのも忍びなく、結局どちらもうちの猫となった。でも、探すふりをしていたような気もしている。車の下から出てきたときから、私の心の奥底では手放さないことが決まっていたのだろうとも思う。

しばらくは連れて出勤していた。フジタは見た目のインパクトが強いし、コテツははじめて来たお客さんの膝でも寝てしまうほど甘えん坊なので、どちらもお客さんに人気だった。ただ、コテツは猫にしては動きが雑でいろんなものをがちゃがちゃと倒してしまうし、フジタは見た目のひょうきんさに反して中身が繊細なので、1カ月ほどが経ち、安心して留守番をさせられるようになったら店に連れて行くのはやめた。
成長してくると体格に差が出てきた。コテツはやけに手足が太くて大きい。よく見比べると体長にかなり差がある。コテツの体のほうが長く、体格がいい。だが体重には差はなく、2匹はずっとほぼ同じ重さのままだった。ということは、あきらかにフジタのほうが太っているのだ。成長するにつれフジタは際限なく丸くなり、フジタという名前が似合わなくなってきた。シルエットがボールみたいに丸くてポンポン跳ねそうだと常々思っていたら、つい口から「ぽんちゃん」と出て、それからは呼び名が「ぽんちゃん」に変わってしまった。正式名称はフジタで、あだ名はぽんちゃん。病院のカルテには「田尻フジタ」と書いてある。
2匹とも順調に大きくなり8キロを超え、猫らしからぬ姿になっていった。ちなみに猫の平均体重は4キロ前後。何度も見ているはずなのに、吉本さんはうちに遊びに来る度に「大きいねえ」と言っていた。白玉もわりと大きい猫なのだが、フジタとコテツが一緒にいると小さく見える。

フジタはとにかくよく食べた。食い意地がはっているので、自分の分を食べている途中でもつぎつぎと他の猫の皿にまで顔を突っ込むしまつだ。他の猫たちは鷹揚で、取られてもぼんやりと見ているだけで怒りもしない。どんどん太っていくので、このままでは病気になるのではないかと心配になり、食べに行こうとするときに名前を呼んでみたり、食べるのを見張ってみたりしたが、あまり効果はなかった。帰りが遅いので置き餌をしないわけにもいかず、きっとみんなの食べ残しも食べていたに違いない。
大きいことの弊害は他にもあった。コテツに負けず劣らず甘えん坊で、寝るときは私の胸の上が定位置。あまりに重たいから半身ほどひきずり下ろすのだが、熟睡しているときに乗ってこられたら気づかない。結果どうなるかというと、悪夢を見るのだ。誰かに押さえつけられていて、私は「離してー」と叫ぼうとするが声が出ないし体も動かない。もう無理と思ったところで目が覚めて、私の顎の下あたりにフジタの顔があるのが見え、おまえかよ……とつぶやく。
私はぜんそく持ちなのだが、せきがひどかったときにあばらを折ったことがある。1カ月ほどせきが続き、胸のあたりが少し痛くなってきたところにフジタが背中から飛びつき、衝撃で痛みが増した。構ってほしくて私を追いかけ回して鳴いていたのに構わなかったから、最終手段で背中に飛び乗ったのだ。翌朝、目が覚めると息が深く吸えず苦しかった。あわてて病院に行くと、あばらが折れていますと言われた。半分ぜんそくのせいで、半分フジタのせいだと思っている。
ふくふくと丸いまま歳を取ったフジタだったが、1年ほど前に痩せはじめた。ある日、具合が悪そうにしていてごはんも食べないので病院に連れて行くと脱水症状だと言われ、血液検査の結果、腎臓病だということがわかった。コテツは兄弟で同じ歳なのに元気だから、やはり食べ過ぎが祟ったのだろう。こんなに太らせるんじゃなかったと後悔したが、酒が飲めないなら死んだほうがましだーとか言う酒飲みの人みたいだな、とも思った。美味しいものをたくさん食べたからこれからは我慢だね、と先生に言われていたが、もちろんフジタは何のことだかわかっていない。
しかし、フジタはすごい。実は病院に連れて行った2日前に、人間用に焼いたサバを盗んでいたのだ。食事の準備中、サバからちょっと目を離したすきにフジタが台所の作業台に飛び乗り、くわえて逃げていった。カタンと音がしたのですぐに気づき追っかけて取り返したが。サバ泥棒するくらいだから、まさかそんなに具合が悪くなっているとは思いもしなかった。先生からも「脱水していても、見た目であんまりわからないねえ」と言われた。脱水していると毛がバサバサになるのだが、フジタは毛が長いせいかあまりバサついて見えず、もとがあまりにも太っていたから、げっそりしているようにも見えなかった。
うちでは、この事件をフジタのサバ伝説と呼んでいる。病気に気づくのが遅くなって申し訳ないと詫びながらも、なんであのタイミングでサバを盗めるんだよとあきれてもいた。お魚くわえたどら猫を何度、家の中で追っかけたことか。野良猫じゃないけど。
あまりに魚に執着するから、フジタの首輪は、魚の名前がたくさん書いてあるものにしていた。鱈、鯛、鱒、鯖……。首のまわりにぐるり魚の名前がついていることをフジタは知らない。
そんなフジタも病には勝てず、1年間の闘病生活を経て、2月6日の朝に逝ってしまった。でも、亡くなる2日前まではパウチパックに入っている猫用フードを、スープの部分だけだが舐めていた。最後まで甘えん坊で、亡くなる前々日まで、ヨタヨタしながらベッドにのぼってきて私の懐に入って寝ていた。次の日はのぼれずベッドの脚元で鳴いていたので抱き上げて布団に入れたが、もうトイレに行く体力がなくお漏らしをしてしまったので、次の日はリビングの床に布団とペットシーツを敷いて一緒に寝ることにした。何日でもそうやって付き合うつもりだったのに、一晩だけであっという間に逝ってしまった。ぎりぎりまで食べて排泄して、あっぱれな最期だった。太く短い猫生だ。とはいえ、あと少しで14歳、そんなに短くもないか。

こうやってパソコンに向かっていると、フジタを思い出す。何かに集中しているとたいていの猫は邪魔をしたがるものだが、フジタはとくにひどかった。そんなものに夢中になってないで、ぼくを見てと鳴きはじめる。それでも放っておくと邪魔をする。邪魔の仕方は猫によって違うのだが、フジタは必ず本をひっかいていた。私が座っている横には常に本が数冊あって、それをカリカリやりはじめる。普段は本にはまったく興味がないのだから、私のいちばん大事なものは本だとわかってやっている。賢い猫だった。平気なふりをすると今度は机の上から本を落とす。それでも知らないふりをすると、本の間に手を入れようとする。上手くいけばやぶける。それで、フジタと私は何度ケンカしたかわからない。猫相手に本気で「いいかげんにしなさい!」と怒鳴っていた。でも、怒鳴ればフジタの勝ちだ。ぜんぜん怖がっておらず、やった! こっち向いたって感じで余裕の表情だ。
部屋のあちこちに不在のしるしがある。窓辺にある空っぽの猫ベッド。いつもくっついて寝ていたコテツの横には白玉が寝ていること。もう誰も落とさない私の本。寝ているときの胸の上の空白。目覚ましが鳴った途端起こしに来るフジタの声が、目覚めても聞こえないこと。帰宅して玄関を開けてもフジタが迎えに来ないこと。食卓の魚はもう盗まれないし、魚文字柄の首輪はもう持ち主がいない。
コテツはフジタがいなくなってから、前にも増して甘えてくる。相棒がいなくなったから当然だ。生まれてこの方フジタと離れたことがなく、寝るときはいつもくっついて寝ていた。コテツは場所の取り合いでよく白玉と小競り合いをしていたのだが、最近はもめることもなく一緒に寄り添って寝ている。彼らも不在を埋めようとしているのだろう。猫にだってさみしいという感情はある。

不在を意識することは、喪失を確認しているのとは違うとつくづく思う。いないことで、より存在が際立つ。私はもうフジタには触われないのだけど、前よりもくっきりとその存在を感じてしまう。とはいえ、あの丸くてふわふわでぽにょぽにょした真っ白の腹をまた触わりたいと強く、強く思うのだけど。
(次回は吉本由美さんが綴ります)
プロフィール
田尻久子(たじり・ひさこ)
1969年、熊本市生まれ。「橙書店 オレンジ」店主。会社勤めを経て2001年、熊本市内に雑貨と喫茶の店「orange」を開業。08年、隣の空き店舗を借り増しして「橙書店」を開く。16年より、渡辺京二氏の呼びかけで創刊した文芸誌『アルテリ』(年2回刊)の発行・責任編集をつとめ、同誌をはじめ各紙誌に文章を寄せている。17年、第39回サントリー地域文化賞受賞。著書に『猫はしっぽでしゃべる』(ナナロク社)、『みぎわに立って』(里山社)、『橙書店にて』(20年、熊日出版文化賞/晶文社)、『橙が実るまで』(写真・川内倫子/スイッチ・パブリッシング)がある。
吉本由美(よしもと・ゆみ)
1948年、熊本市生まれ。文筆家。インテリア・スタイリストとして「アンアン」「クロワッサン」「オリーブ」などで活躍後、執筆活動に専念。著書に『吉本由美〔一人暮らし術〕ネコはいいなア』(晶文社)、『じぶんのスタイル』『かっこよく年をとりたい』(共に筑摩書房)、『列車三昧 日本のはしっこへ行ってみた』(講談社+α文庫)、『みちくさの名前。~雑草図鑑』(NHK出版)、『イン・マイ・ライフ』(亜紀書房)、『東京するめクラブ 地球のはぐれ方』(村上春樹、都築響一両氏との共著/文春文庫)など多数。
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