「NHK出版新書を探せ!」第16回 歴史研究から普遍を問う――與那覇潤さん(歴史学者)の場合〔前編〕
突然ですが、新書と言えばどのレーベルが真っ先に思い浮かびますか? 老舗の新書レーベルにはまだ敵わなくても、もっとうちの新書を知ってほしい! というわけで、この連載では今を時めく気鋭の研究者の研究室に伺って、その本棚にある(かもしれない)当社新書の感想とともに、先生たちの研究テーマや現在考えていることなどをじっくりと伺います。コーディネーターは当社新書『試験に出る哲学』の著者・斎藤哲也さんです。
※第1回から読む方はこちらです。
〈今回はこの人!〉
與那覇 潤(よなは・じゅん)
1979年生まれ。東京大学教養学部卒業。同大学院総合文化研究科博士課程修了、博士(学術)。学者時代の専門は日本近現代史。2007年から15年にかけて地方公立大学准教授として教鞭をとり、講義録『中国化する日本』(文春文庫)が大きな話題に。その後、重度のうつによる休職をへて17年離職。2018年、病気の体験を踏まえて現代の反知性主義に新たな光をあてた『知性は死なない』(文藝春秋)を発表し、執筆活動を再開。2020年、斎藤環氏との共著『心を病んだらいけないの?』(新潮選書)で小林秀雄賞。
コロナ後に訪れる「ニヒリズムの時代」
――最初に、少年時代の與那覇さんについてお聞きします。著書の『知性は死なない』(文藝春秋)では、ご自身が小学生だったころに東西ドイツの統一があり、ソ連が地図から消えたことに衝撃を受けた、と述懐されています。この「衝撃」の内実をもう少し伺いたいのですが。
與那覇 まだきちんと自我ができる前に、昨日と今日で「ルールががらっと変わることがある」のを、知ってしまった衝撃がありました。地図帳の世界地図が書き換わるというのは、いわば「墨塗り教科書」の弱められたバージョンかなとさえ思うんですよ。
1945年8月15日、日本の敗戦を境に、それまで「正しいもの」とされてきた教科書の不都合な部分が黒塗りにされた。「俺は正しいことを教えているのだから、おまえらは俺に従え」と言ってきた教師たちが、一夜にして主張を翻した――。これほど劇的ではないにせよ、ベルリンの壁の崩壊やソ連邦解体では、それに類することが起きていると当時の僕は感じたのだと思います。
もしかしたら、このコロナ禍でも似たようなショックを体験する世代が育つかもしれません。たとえば授業は教室で受けることが当たり前だったのに、急にオンライン授業になった。それまで「教室に来い! 真の学びはキャンパスにしかない」と言っていた教授たちが、ある日を境に突然「教室には来るな。勉強なんかネットでできる!」と言い始める。しかしコロナ禍が終息したら、またきっと「教室に来い!」と言うのでしょう(失笑)。
そうした手のひら返しの連続は、権威に対する不信を必ず増大させます。戦後で言えば教師たちの変節を目の当たりにして育ち、やがて「既存の権威への不信」を究極までこじらせたのが江藤淳(文芸評論家。1932年生)でした。きっとアフターコロナでも無数の「プチ江藤淳」が育ち、「大学育ちの学者は死ね。お前ら嘘つきの語る歴史なんか信じない」と罵声を浴びるようになるのではと、僕はいまから恐怖に怯えていますよ(笑)。
――政治家も論者も言うことをコロコロ変えるので、何を信じていいのか、わからなくなってしまうということでしょうか?
與那覇 そのとおりで、そこから陰謀論にはまるまでは一直線です。「日本人は戦後、GHQによるWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)に洗脳されてきた」とする陰謀史観の元祖は、それこそ江藤淳でしたから。
学問的な権威に対する不信が蔓延するのなら、本来は誰かが、信頼を回復する役割を引き受けなければいけません。でも実際は「信頼が失われたのはお前のせいだ」と、責任を押し付けあうゲームだけが流行っているのが、コロナ禍での現状ですよね。
敗戦のときには「それでも戦争は終わった」という解放感があったし、ベルリンの壁の崩壊時にも「これから世界はもっとよくなっていく」と多くの人が感じました。だからこそ、かつては既存の権威に「騙されて」しまったとしても、これからはお仕着せの「正解」を鵜吞みにせず、よりよい世界を目指し続ける気持ちを大事にしようとする空気が、1945年にも1989年にも生まれたんです。
だけど2021年から始まるのは、何も信じられないし、しかも前より悪い世界しか来ないというきつい時代です。「コロナ明け」とともに日本では、史上かつてない重度のニヒリズムが始まるんじゃないかという気がしています。
本多勝一育ちから「ポストモダンの左旋回」を経て
――ちょうどいま池袋のジュンク堂で、與那覇さんが選書した本を実際に見て買うことのできる「與那覇潤書店」が開催されています(2021年夏まで)。與那覇さんが少年時代に読んだ本のなかに、ミステリーやSFとともに、本多勝一(元朝日新聞記者)の『日本語の作文技術』が入っているのが目を惹きました。
【写真】ジュンク堂書店池袋本店6階エスカレーター前で開催中の與那覇潤書店
與那覇 僕が「批判精神」を教わったのは、本多勝一さんだと今も思っているんです。通っていた中高一貫校の社会科の先生に左派の人が多くて、教材として本多さんの著書をけっこう読みました。それらを通じて、同時代の世界や社会のあり方を「これでいいのか?」という視点で観察する方法を教わった(詳しくは、6月刊予定の『歴史なき時代へ(仮)』朝日新書を参照)。でも、本多さんのようなアプローチだけではうまくいかないこともある、と大学で学ぶわけです。
――日本政治思想史の研究者・河野有理さんが編んだ『近代日本政治思想史』の巻末座談会で、学部や大学院時代の東大駒場の雰囲気についてぶっちゃけて語られていますね。哲学や芸術を扱う表象文化論が華やかだった時代から、もっと直截に政治的なカルチュラル・スタディーズの全盛期へと移っていったと。
與那覇 僕が大学に入ったのは1998年で、この頃がたぶんアカデミズムの潮流が切り替わる時期なんです。本多さんが代表するような戦後左翼の論調を「ベタでダサい」と忌避していたはずが、97年の「新しい歴史教科書をつくる会」創立、99年の国旗・国歌法成立もあって、いつの間にか「戦前のかつて来た道に戻ろうとするナショナリズムを“脱構築”せよ」といったトーンに変わっていきました。
しかしこれだと脱構築という「用語」が新しいだけで、せっかく大学に入ったのに習う中身が中学・高校と変わらない(苦笑)。仲正昌樹さんの旧著(2002年)の書名にある『ポスト・モダンの左旋回』(現在は作品社)の渦中で、大学生・院生として過ごしたわけです。なんとも言えずモヤモヤする体験でしたね。
三谷博先生と出会えた幸運
――先の座談会では、学部生として三谷博先生の講義をとったことがきっかけで、大学院も三谷ゼミに進んだと語っています。
與那覇 三谷先生には学部の卒論から指導していただきました。今回紹介する1冊目の本『維新史再考』(NHKブックス)は、その三谷先生の主たるテーマだった幕末研究の集大成です。
三谷先生の講義でいちばん衝撃を受けたのは、明治維新を「死者の少ない革命」だとする見方なんです。政治体制の全面的な転換、身分制の放棄といったとてつもない変化が起きたのに、安政の大獄から西南戦争までカウントしても3万人しか死んでいない。フランス革命は、対外戦争を除いても内乱と処刑で65万人死亡ですから。総人口としては、フランスの方がむしろ少ない(維新時の日本の8割程度)にもかかわらずです。
そう聞いて初めて「なぜだ?」という問いが湧く。それに答えようとして調べるからこそ、「新しい歴史像」が見えてくるのだと。ここが大事なんだと思います。いま、過半の歴史学者の書くものがつまらないのは、なんの問いかけもなく「珍しい史料を読んだから新しい」「マイナーなテーマだから新しい」といった話ばかりしているからですよ(笑)。
同じことを言い換えますと、そもそも歴史学って、人文学の中でも報われない学問ではあるんです。はっきり言えば、テキストの読み方がすごく不自由。たとえば哲学なら「実証的」なカント研究がある一方、執筆当時のカント本人の意図についてはあえて無視して、彼の哲学の「今日におけるポテンシャル」を引き出しますといった論文も書ける。フィクションに対する読みの独創性を競う、文学研究は言わずもがなですよね。
ところが、歴史学だけはこれができないんだな(苦笑)。実証史学の世界では、あくまで史料が「書かれた時点での意味」に即して論じるのが絶対の作法ですから、「書いた人がなにを考えたかは知りませんが、僕はこう読みたい」というのは許されない。もちろんそれは、事実関係を詰めてゆくタイプの知性を磨く訓練としては有益なのですが、しばしば手で触れられる「物体としての古文書」に書いてあることしか、紹介できないような学者を育ててしまう。ざっくり言えば、普遍性を持つ「大きな話」ができなくなるということです。
三谷先生は精緻な実証と、日本史以外の研究者とも共有可能な普遍的な考察の両方を、常に追求してきた珍しい先生なんです。細かい事実を解明するだけではなく、大きな話をすることが大事だ。しかしその大きな話が「根拠のないもの」であってはいけないから、事実をきちんと踏まえることが必要だ――。そういう考え方の下で育ったことは、本当に運が良かったと思っています。
――当時の駒場で進行していた「左旋回」的な研究動向に対して、三谷先生はどういうスタンスだったんですか。
與那覇 ご自身の軌跡をふり返った『日本史からの問い』(白水社)にも少し記されていますが、三谷先生は1968年以降の東大紛争期を「アンチ全共闘」で過ごした人なんです。それもあって、当時のポストモダン左派には色んな意味で距離を取っていましたね。
僕などはなにせ本多勝一育ちですから――というか実は今もそうなのですが――内心、明治維新は「失敗」だったと思っている(笑)。日本にまともな近代社会なんて、最初からないじゃんかと。それに対して三谷先生は、飲み会の席でもよく「明治維新はまちがいなく成功したんだ。それが、自分やもう一つ上の世代が(マルクス主義史学に対抗して)なし遂げた、最大の歴史観の転換だった」と仰っていました。先ほどご紹介した「死者の少ない革命」という観点も、そう考えるからこそ着想できた面はあると思います。
幕末の政変を急進化させた2つの偶然
――ここで『維新史再考』についても紹介いただけますか。
與那覇 この『維新史再考』はまさに、実証的な歴史の解明と普遍的な理論の探求との2つを、兼ね備えた内容になっています。
【写真】與那覇潤書店でも展開中の『維新史再考』。直筆POPには「私の指導教官の研究の集大成で、長いです。ポイントは、徳川幕府の体制をゼロにする「グレートリセット」が起きたのは、実際のところものすごく小さな偶然のつみ重ねだったということ。これまでのイメージが変わります」と記されている
歴史をミクロにふり返ると、徳川家を最大の実力者として残す微温的・漸進的な改革に留まる形で、幕末の混乱が収拾される可能性は、思われている以上に大きかった。逆にいうと、なぜ武力討幕のような急進化を経て、全面的に秩序を変革するタイプの明治維新が起きたのか。微細にみるとそれは近代化に伴う必然ではなく、偶然の作用が大きかったことがわかる。これが実証面での読みどころだと思っています。
三谷先生がこの本で紹介するのは、本当に小さな2つの偶然です。ひとつ目は、日米修好通商条約(1858年)を締結する段階での米総領事ハリスの変節。ハリスは当初、幕府が日本国内での手続きを済ませてから調印することを受け入れて、領事館のある下田に逗留中でした。ところが約束された期限の1か月以上前に突然、神奈川沖に軍艦で漕ぎつけて即時調印を要求したんです。
英仏両国に条約締結の「一番手」を取られないようにとの意図でしたが、これが結果的にまずかった。ハリスの気まぐれによる期限繰り上げがなければ、幕府は将軍の後継者選定や勅許(天皇の裁可)の問題を解決し、国内をまとめてから条約を結べた可能性が高い。
――天皇が許可する前に条約を結んでしまった結果、将軍職を争って敗れた側(一橋党)が批判する口実になり、幕末の動乱に入ってゆくと。でも、もしハリスが最初の約束通りに、正式な調印期日まで待ってくれていたら……。
與那覇 そこまで大きな政争は起きず、「開国した江戸幕府」が安定して続いたかもしれません。逆にいうと、対立する勢力との調整が不足したままでの条約調印を強いられた時点で、大老だった井伊直弼に「反対派は徹底的に潰して、抑え込む」というスイッチが入ったのだろうと。そう三谷先生は考察されています。
もうひとつは維新の過程の最末期、鳥羽・伏見の戦い(1868年)の半年ほど前です。実はこのときに土佐の後藤象二郎が、薩長と幕府の内戦を回避し、平和裡な政体変革を進める政略を練って、西郷隆盛も一度は容認します。ところが後藤が山内容堂を説得しに京都から土佐へ帰った際、本来なら無関係のトラブルに巻き込まれて帰京が大きく遅れ、その間に話は流れてしまいました。
これらはまさに普遍的な問いを抱きつつ、それに照らして細かく史実を追うことで、浮かび上がるポイントなわけです。国内に激しい対立があり、しかも実際に弾圧や武力衝突が発生した「後」から振り返ると、私たちはつい「あれは歴史の必然だった。起きるべくして起きた」と考えてしまう。しかし実際には、その前に無数の小さな分岐点がある。そうした小さな偶然の積み重なりこそが、大きな変化や動乱を構成してゆくのだということが、この本からは実感できます。
明治維新から解く現代世界の難題
――紛争や衝突を「必然視」しない、という見方は、與那覇さんが講義で聞いて衝撃を受けたという、「死者の少ない革命」が生まれた理由とも関係しそうに思います。
與那覇 まさにそうなんです。実は三谷ゼミの出身者で先生を囲んで、同書の書評会を開いたことがありました。そのとき、僕は「この本を読んで最初に連想したのは、ソ連崩壊のプロセスだ」と言ったんです。
小学校高学年で多感な時期だったし、それに中学受験組でもあったから(苦笑)、1991年のソ連解体へのプロセスはTVで見て印象に残ってるんですよ。もともとはソビエト共産党の書記長に全権力があり、ロシア共和国の首脳が誰かなんてどうでもいいはずだった。ところがゴルバチョフ書記長がクーデターで一時軟禁されたりした結果、「いつの間にか、ゴルビーよりエリツィンのほうが権力持ってない?」という雰囲気になってしまった。ロシア共和国大統領のエリツィンに実権があるのなら、ソ連なるものが別途存在する意味がわからない。こうして、あっという間に連邦は解体されました。
『維新史再考』が描く幕末の政治過程も、マクロに見ると似ているんです。長州藩が公然と逆らっても鎮圧できないくらい、江戸幕府の統治能力はどんどん落ちていく。結果として将軍の徳川慶喜はじめ、国内の有力者たちがしばしば京都に出てきて、混乱の収拾法を話し合って決めるようになります。でも、そうなったら「もう京都の朝廷だけでいいじゃん。江戸に幕府がある意味って、なに?」ということになる。
三谷先生が所属し、僕が大学院生として学んだのは地域文化研究専攻で、ここはヨーロッパからラテンアメリカまで、海外の諸地域を研究する先生が多いところなんです。なので、自分がそうしたコメントをしたら、三谷先生は「変革の規模に対して流血の少ない革命として、明治維新・辛亥革命(中国)・ソ連解体で比較研究のプロジェクトを作ろうかと、実は昔考えたこともある」と仰っていました。
または異なる角度から見ると、「平和裡な政権移行」を可能にするメカニズムの探究は、「いかにして分厚い“中間派”の層を作るか」という課題とほぼイコールなんですね。わかりやすい例が、2020年の米国の大統領選挙。あれだけ民主主義の伝統がある国でも、左右の両極のあいだに位置する中間層をやせ細らせた結果、「不正選挙だ! 実力でぶっ潰せ!」と叫ぶ過激派が議会に乱入する事態になったでしょう。国によってはそうした事件を契機に、統治の正統性が崩れて、内乱まで行ってしまうこともあるわけです。
――現代の世界情勢を考える上でも、非常に重要な示唆を含んでいますね。
與那覇 そのとおりで、たとえば民主化運動が不幸なことに、泥沼の内戦につながってしまう地域はいまも数多くあります。それをどう防ぎうるかという視点で眺め直せば、「日本人なら何度も習って、誰でも知ってるよ」と思われがちな明治維新からも、まったく新しいメッセージを汲み取ることができる……あれ? 困ったな、いつの間にか自分も明治維新の「成功」を唱える側になってしまったような(笑)。
*取材・構成:斎藤哲也/2021年3月31日、東京・池袋にて取材
プロフィール
斎藤 哲也(さいとう・てつや)
1971年生まれ。ライター・編集者。東京大学文学部哲学科卒業。ベストセラーとなった『哲学用語図鑑』など人文思想系から経済・ビジネスまで、幅広い分野の書籍の編集・構成を手がける。著書に『もっと試験に出る哲学――「入試問題」で東洋思想に入門する』『試験に出る哲学――「センター試験」で西洋思想に入門する』がある。TBSラジオ「文化系トークラジオLIFE」サブパーソナリティも務めている。
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