「NHK出版新書を探せ!」第11回 テクノロジーもまた「大衆のアヘン」である――斎藤幸平さん(経済思想学者)の場合〔後編〕
突然ですが、新書と言えばどのレーベルが真っ先に思い浮かびますか? 老舗の新書レーベルにはまだ敵わなくても、もっとうちの新書を知ってほしい! というわけで、この連載では今を時めく気鋭の研究者の研究室に伺って、その本棚にある(かもしれない)当社新書の感想とともに、先生たちの研究テーマや現在考えていることなどをじっくりと伺います。コーディネーターは当社新書『試験に出る哲学』の著者・斎藤哲也さんです。
※第1回から読む方はこちらです。
<今回はこの人!>
斎藤幸平(さいとう・こうへい)
1987年生まれ。大阪市立大学大学院経済学研究科准教授。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。専門は経済思想、社会思想。Karl Marx’s Ecosocialism: Capital, Nature, and the Unfinished Critique of Political Economy(邦訳『大洪水の前に――マルクスと惑星の物質代謝』堀之内出版)によって、権威ある「ドイッチャー記念賞」を歴代最年少で受賞。『人新世の「資本論」』(集英社新書)が大きな話題に。
チンパンジーに気候変動は止められない
――気候変動のような地球環境問題に思想的にアプローチする場合、人間と自然、あるいは社会と自然との関係をどのように捉えるのかが大きな論点になっています。
たとえば、近年日本でもよく知られるようになったフランスの人類学者ブルーノ・ラトゥールや「資本新世」という概念を提唱した、アメリカの環境史学者ジェイソン・W・ムーアは、「社会」と「自然」という二元論的な捉え方を批判し、ハイブリッドな一元論で社会と自然の関係性を捉えるべきだと考えています。
それに対して斎藤さんは、二元論に立脚して、気候変動の危機を克服することを主張しています。どちらも「人新世」や気候変動に対する危機感は共有していますが、一元論と二元論では実践的な帰結はどのように違ってくるのでしょうか。
斎藤 ラトゥールのように、モノに行為主体性を認めていくことになったら、究極的には、コロナも気候変動も人間のせいではない、となりかねないですよね。ウイルスだって主体性を持っているし、なんならスーパー台風も主体性を持っているということになってしまいますから。
たしかに人新世においては、手つかずの自然というのは残っていない。けれども、そのことは、自然を社会的構築物にはしないし、人間が変えることのできない自然法則は残り続けます。パンデミックも気候変動も、実際にそれらを引き起こしているのは、二酸化炭素を排出している人間、森林を伐採している人間、センザンコウを野生動物市場で売りさばこうとする人間なわけです。たしかに、センザンコウやコウモリがウイルスを持っているかもしれませんが、センザンコウだってコウモリだって、あるいはウイルスそれ自体だって、人間を殺してやろうなんて計画をするわけがありません。
それを一緒くたにして、人間の持っている意図や行為者性を曖昧にしてしまうと、責任の所在が不明瞭になる効果しかないと思います。責任の所在が不明瞭になっていくと、問題の根本がどこにあるかもわからなくなる。問題の根本がわからなければ、どこを直せばいいかもわかりませんよね。
常識的に考えて、チンパンジーにもコウモリにも、気候変動は止められない。だけど、人間は止められるわけです。これだけでもう、人間の行為主体性がまったく違う次元にあるのは明らかです。それを認めない、あるいはそれを相対化する思想は、究極的には責任逃れになる。あるいは人間もモノも同じだとか、人間とモノは違うかもしれないけど、サルとはそんなに変わらない、というんだったら、最後は「別に人間は絶滅してもいいんじゃないか、ゴキブリは生き続けるし」みたいな結論になってしまう。僕は、それだったら哲学をやる意味がないじゃないかという気がするんですよ(笑)。
――二元論に立つ斎藤さんからすれば、やっぱり人間に責任があると?
斎藤 そうです。人間だけが社会を変えられる力を実際に持っていると思うし、人間のそういう独自性をしっかりと擁護すべきだという立場を取っています。その意味で、僕はヒューマニストだし、人間中心主義です。人間の定義を曖昧にするポスト・ヒューマンの議論は受け入れられません。
僕は人新世の問題に対して、人間の特殊性が引き起こす問題に応答していく責任があるというふうに考えています。ただ、同時にマルクス主義者なので、社会関係を重視します。つまり、人間全員が同じ影響力を持っているわけじゃなくて、先進国の1%、あるいは0.1%の人たちがまず責任を取っていく必要がある。つまり、そういう1%の人たちの生活を稼働させている資本主義そのものに挑まざるを得ないし、最終的にはそこにブレーキをかけていくことが必要だ、ということです。
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デジタル化は「見えない化」につながっている
――近年、情報資本主義やデータ資本主義ということがよく言われていますが、『人新世の「資本論」』では、脱物質化社会についても批判的に考察されていますね。
斎藤 僕たちの生活が非物質化していくと環境がよくなるという話がありますが、それは嘘というか、誤解を招く。たとえば、Netflixの動画を30分見るだけで、サーバーに負担がかかるので、クルマが8キロ走ったのと同じぐらいの二酸化炭素が出るといいます。だから、Netflixユーザーだけで大変な二酸化炭素の排出源になっているわけです。
でも、ふだんネットを使っている分には、そういうことはあまり見えないですよね。デジタル化は「見える化」ではなく、むしろ「見えない化」につながってしまっているところがあります。しかも、パソコンにしても携帯にしても、レアメタルを膨大に使わなければつくれない。そう考えると、あまり物をつくらなくなったから環境にいいよね、とは言えないんですね。これは、サービス業にも同じことが言えます。『人新世の「資本論」』にも書いたことですが、旅行に代表される余暇活動のカーボン・フットプリント(原材料の調達から廃棄・リサイクルに至るまでに排出される温室効果ガスの排出量をCO2に換算したもの)は全体の25%を占めると言われています。
データ資本主義や認知資本主義に移行したところで、人間と自然の物質代謝から自由になるわけではありません。問題の解決には程遠いんですね。そのことは、資源の消費量の変化を見れば一目瞭然です。
鉱物、鉱石、化石燃料、バイオマスを含めた資源の総消費量は、1970年には267億トンでしたが、2017年には1000億トンを超え、2050年には1800億トンになると予測されています。一方で、リサイクル量の割合は減っていますから、資本主義の脱物質化なんてまったく進んでいないわけです。みんながスマホやPCを使っているから錯覚してしまいますが、実際はいまだに物質化社会なんですよ。
――情報テクノロジーの問題と関連して、貨幣についてお聞きします。電子マネーやデジタル通貨、あるいはビットコインのような仮想通貨は今後も普及していくと思いますが、斎藤さんの展望する「脱成長コミュニズム」では、貨幣や通貨はどのようになっていくのでしょうか。
斎藤 『人新世の「資本論」』では、貨幣の話はほとんど出ていないんですね。そこは自分のなかでもう少し整理する必要があると思っています。
貨幣の議論をすると、結局、流通や交換の話になるんですよね。柄谷行人さんは、交換のあり方から資本主義を克服しようとして、「新しい交換様式」ということを提唱しています。だから、その実践的な手立てが地域通貨ということになるわけです。
僕が『大洪水の前に』や今回の本で考えてきたのは、もう一度マルクス主義の原点に返って、交換ではなく生産の次元で社会を変えていこうということです。生産という次元で考えると、自分たちで生産を管理するものこそ、根源的なコモン(共有物)だという議論になる。理論的には、その生産を押さえた上で、じゃあ、今の貨幣をもっと共同体的なものに落とし込んでいくとどうなるか、ということになると思います。
ただ、具体的なあり方を考えるのは難しい。仮想通貨はたくさんありますが、地域通貨的な取り組みで成功している例は、世界でも少ないですし。なぜうまくいかないのかというと、やっぱり生産と切り離されているからじゃないでしょうか。つまり、今のマーケットを前提とした上で、貨幣だけを変えようとしても無理でしょう。生産の変革と並行するかたちで、それに合わせた貨幣を構想していく必要があります。それはこれからの研究課題ですね。
『AI以後』と人間の独自性
――最後に、斎藤さんがお読みになっているNHK出版新書をご紹介いただけますか。
斎藤 NHKの番組を書籍化した『AI以後――変貌するテクノロジーの危機と希望』を挙げたいと思います。この本では、世界的な知性と言われている知識人が、それぞれAI論を語っています。個人的に面白かったのは、ダニエル・デネットですね。
僕は、日本でもすっかり人気者になったマルクス・ガブリエルの通訳や翻訳をしていることもあって、彼とさまざまな対話をしました。ちなみに、その対話の一部はNHK出版新書の『欲望の時代を哲学するⅡ――自由と闘争のパラドックスを越えて』に入っていて、こちらを挙げようか迷いました(笑)。
ガブリエルが著書でよく批判の槍玉に挙げるのがダニエル・デネットなんです。ガブリエルにいわせると、デネットはヒューマニズムの破壊者だと。デネットは、進化心理学的に人間の心や意識を解明しようとしている。この本でデネット自身「私は長年、人間の心の進化について研究してきました。元はバクテリアだった生命が長い進化の果てにヒトという生物となり、現在の私たちの心がいかに存在するに至ったのか」と語っています。
そうなると、人間の独自性や特殊性はなくなっていく。ヒューマニズムを擁護するガブリエルからすると、バクテリアと人間を同一線上で考えるデネットの自然主義的な議論は、反省的な思考をもつ人間の独自性を忘却した暴論ということになります。
じゃあ、そのデネットはAIをどう考えるのか。面白いのは、AI論を語るデネットは、意外にも人間の独自性を主張するんですね。生物や動物の側から人間を語ると、人間の独自性が希薄になっていくのに対して、AI側から語るとむしろ人間の独自性を強調する。そこが興味深く感じられました。
テクノロジーもまた「大衆のアヘン」
――斎藤さん自身は、AIをどのように捉えていますか。
斎藤 この本の内容からは離れてしまいますが、汎用型AIやシンギュラリティといった議論が活発になっていることと、今日お話ししたポスト・ヒューマンのような議論は密接に関わっていますよね。それは、人間をどこか軽視する発想につながっていくと思うんです。そういった議論を野放しにすると、人間の責任とか倫理といったものが解体されてしまう。だから、もう一度ヒューマニズムを復権させなければいけないと思います。そこが、マルクス・ガブリエルとも一致する点です。
――その場合、近代的な、理性的で自律した強い個人に立脚するような人間観とは異なる人間観が必要になる気がします。
斎藤 そうですね。たぶん「人類」という概念がかつてないほど重要になるだろうと思います。西洋の白人男性だけをモデルにしたような「ヒューマニズム」ではなく、人類としてのヒューマニズムですね。
加えて、何でもかんでもAIやテクノロジーを頼る思考は危険だということも強調しておきたいです。いま、テクノロジーもある種のアヘンになっていて、技術発展がこれからどんどん起これば、気候変動も解決できると人は考えたくなるわけです。たとえば、二酸化炭素を海底に閉じ込めてしまえるような技術だったり、太陽光を反射するパネルを宇宙空間に飛ばすジオ・エンジニアリングだったり、そういう技術ができれば一挙に解決できるだろうと。
そうしたら、僕らは基本的に何も変えなくていいわけですね。今まで通り、肉を食って、クルマに乗って、家へ帰ったらNetflixを見ていればいい。これが本当だったら、すごい福音です。でも、そうではないんですね。電気自動車にしたって、莫大な電力が必要です。それを再生可能エネルギーで賄おうとしたって、太陽光パネルの材料はアフリカや南米から持ってくるということになるわけです。
そういうことを繰り返していくと、先進国がグリーンになっても、地球の裏ではアマゾンの森林がどんどん伐採され、そこで先進国で使うようなバイオマスが生産されるようになり、今まで以上に植民地的な支配や格差が広がってしまいます。
しかも「夢の技術」なわけですから、いつ実現するかわからない。だったら、今できることからしていきましょうというのが僕の提案です。勘違いしないでほしいんですが、技術は要らないと言っているわけではありません。技術は必要ですが、未来の技術に過度に希望を託すと、今すぐできることから目を逸らすことになってしまうのではないか、ということなんです。
究極的には、私は資本主義システムを変えないといけないと思っています。自転車に乗る、木を植える、食べる肉の量を減らす、休日を増やす。どれもすぐにできることです。けれども、それがなぜ難しいかといえば、この社会が絶えざる労働や消費に駆り立てるからです。システムを変えていけば、物を消費するためにあくせく働くいまの社会よりずっとストレスもないし、豊かに暮らせる社会に移行できる。そういう新しい価値観の創造を促すためのAIやテクノロジーの活用を考えなければなりません。その意味で、脱成長コミュニズムのための技術論やAI論を構想していく必要があると思います。
――今日はどうもありがとうございました。2021年1月のNHK「100分 de 名著 カール・マルクス『資本論』」も楽しみにしています。
*取材・構成:斎藤哲也/2020年11月11日、東京・渋谷にて取材
〔連載第12回へ続く〕
プロフィール
斎藤 哲也(さいとう・てつや)
1971年生まれ。ライター・編集者。東京大学文学部哲学科卒業。ベストセラーとなった『哲学用語図鑑』など人文思想系から経済・ビジネスまで、幅広い分野の書籍の編集・構成を手がける。著書に『もっと試験に出る哲学――「入試問題」で東洋思想に入門する』『試験に出る哲学――「センター試験」で西洋思想に入門する』がある。TBSラジオ「文化系トークラジオLIFE」サブパーソナリティも務めている。
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