連載「哲学ディベート――人生の論点」【第3回】英語の早期教育は必要か?
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連載「哲学ディベート――人生の論点」【第3回】英語の早期教育は必要か?

●「哲学ディベート」は、相手を論破し説得するための競技ディベートとは異なり、多彩な論点を浮かび上がらせて、自分が何に価値を置いているのかを見極める思考方法です。
●本連載では「哲学ディベート」を発案した哲学者・高橋昌一郎が、実際に誰もが遭遇する可能性のあるさまざまな「人生の論点」に迫ります。
●舞台は大学の研究室。もし読者が大学生だったら、発表者のどの論点に賛成しますか、あるいは反対しますか? これまで気付かなかった新たな発想を発見するためにも、ぜひ視界を広げて、一緒に考えてください!
※第1回から読む方はこちらです。

教授 本日のセミナーを始めます。テーマは「英語」です。
 インターネットによるグローバル化が飛躍的に進んでいる現代社会において、事実上「世界の公用語」とみなされる「英語」の重要性が高まっています。日本では、英語の公立小学校における早期教育が開始されましたが、それには賛否両論があります。
 今日は、これからB君に「英語の早期教育は必要か?」という問題を提起してもらいます。その後で「哲学ディベート」を行いますから、どのような論点から肯定あるいは否定するか、頭の中でよく整理しながら聴いてください。

法学部B それでは、発表いたします。
 2020年4月から日本全国の公立小学校で英語教育が始まりました。これまで中学校でスタートした「教科」としての「英語」が、小学校5年生から始まり、年間70コマの授業で成績が評価されます。また、これまで5・6年生が楽しんで英語に触れていた年間35コマの「外国語活動」は、3・4年次に早めて実施されることになりました。この英語教育方針の大幅な変更は、将来どんな結果をもたらすのでしょうか?
 そもそも2011年から始まった「聞く・話す」を中心とする「外国語活動」は、「英語嫌い」が増えないように、小学生の頃から英語に楽しんで触れることを目的に導入されました。子どもたちはゲームやダンスなどを通して「遊びのようにして英語に親しむ」わけですが、実際には「遊び」だけでは「読む・書く」英語力は向上しません。
 そこで「教科」としての「小学校英語」が導入されたのですが、今度は「教科」として成績を評価されるのが嫌だという「英語嫌い」が増えるのではないでしょうか? それでは、本末転倒になってしまうようにも思います。
 ここで大きな問題になるのは、誰が「小学校英語」を教えるのかということです。英語が苦手な小学校教員が教えるよりも、ネイティブ・スピーカーが教える方がよいに決まっています。しかし、地方自治体には、その財政的余裕がありません。さらに調べてみて驚いたのですが、文部科学省は英語の早期教育を推進しているにもかかわらず、財務省は「有効性が立証されていない」という理由によって、「小学校英語」に対する「予算」配分を渋っているのが現状です。
 結果的に、英語が苦手な小学校教員が教える状況が続き、ますます「有効性」が立証されずに「予算」も付かないというジレンマ状態が続いているわけです。
 もっと驚いたのは、公立中学生に対する2つの「ランダム化比較実験」の結果、1つのモデルでは「小学校英語」の経験者と非経験者の間に英語力の有意差が認められず、もう1つのモデルでは「微弱な有意差」が認められたものの、その差は偏差値1~2程度に過ぎないという結果です。
「小学校英語」の導入には、教員の配置・研修や教材・カリキュラムの整備など、莫大なコストがかかっています。ところが、そのコストに対して「小学校英語」の有効性は偏差値1~2程度に過ぎないというのであれば、無理に「小学校英語」を進めること自体、大きな無駄なのではないでしょうか。
 僕が問題提起したいのは、このような「英語の早期教育は必要か?」ということです。

教授 B君、どうもありがとう。わかりやすく発表してくれました。
 少し補足しておくと、現在実施されている「小学校英語」は、実は文科省ではなく、総理官邸の主導によって政治的に実現したものでした。
 2012年12月26日、安倍晋三氏が総理大臣に就任して、第2次安倍内閣が発足しました。2013年4月25日、文科省の中央教育審議会が「第2期教育振興基本計画について」を答申しましたが、そこには「小学校英語」に関する提言も審議報告のようなものも、まったくありません。
 ところが、2013年6月14日に閣議決定された「第2期教育振興基本計画」には、突然「小学校における英語教育実施学年の早期化、指導時間増、教科化、指導体制の在り方等」という提言が追加されていたのです!
 閣議決定された以上、関係省庁は提言を実現しなければなりません。文科省は「第2期教育振興基本計画」の具体化に着手し、2013年12月13日に「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」を発表しました。
 この計画書は、「初等中等教育段階からグローバル化に対応した教育環境づくりを進めるため、小学校における英語教育の拡充強化、中・高等学校における英語教育の高度化など、小・中・高等学校を通じた英語教育全体の抜本的充実を図る。2020年の東京オリンピック・パラリンピックを見据え、新たな英語教育が本格展開できるように、本計画に基づき体制整備等を含め2014年度から逐次改革を推進する」という文章で始まります。
 この計画書をよく読むと、「東京オリンピック・パラリンピック開催に合わせて2020年度から全面実施」・「東京オリンピック・パラリンピックに向け、児童生徒の英語による日本文化の発信、国際交流・ボランティア活動等の取組を強化」・「東京でオリンピック・パラリンピックが開催される2020年を一つのターゲットとして、我が国の歴史、伝統文化、国語に関する教育を推進」などと、7ページの中で5カ所も「東京オリンピック・パラリンピック」に言及しています。
 要するに、「小学校英語」とは、「東京オリンピック・パラリンピック開催に合わせて」、急遽、策定された教育方針なのです。そこで、大慌てで始まった「小学校英語」が現場に大きな混乱を招いているわけですが、一方、これまで遅々として進まなかった英語の早期教育が実現したことを歓迎する見解もあります。この問題をどのように考えればよいのか、君たちの意見を述べてください。

文学部A 私は、「教科」として「小学校英語」を教えることに反対です。その理由は、必ずしもすべての小学校教諭が英語を教えるだけの資格や能力を有していないと考えるからです。
 私は、「中学校教諭一種」と「高等学校教諭一種」の「教育職員免許状」を取得するために、大学で教職課程を履修しています。そもそも、日本で公立の中学校や高等学校の教諭になるためには、どの大学に在籍していようと、「教育職員免許法施行規則」に定められた教職課程を履修して、教員免許を取得しなければなりません。
「英語科」の中学校教員免許の場合、「教科及び教科の指導法に関する科目」28単位、「教育の基礎的理解に関する科目」27単位、「大学が独自に設定する科目」4単位の履修が必要です。これに加えて、教職課程全員必修の「日本国憲法」・「外国語コミュニケーション」・「体育」・「情報機器の操作」および中学校教員必修の「特別支援教育」を履修し、1週間の「介護等体験」に参加する必要があります。
 英語科の「教科及び教科の指導法に関する科目」群は、私の大学では「英語学」・「英語文学」・「英語コミュニケーション」・「異文化理解」・「英語科教育法」から構成され、英語に関する知識ばかりではなく、英語の具体的な教育方法を学びます。その集大成として、4年次に3週間、中学校で「教育実習」を行います。
 それらを終えた後、大学卒業時に教員免許を取得できるわけですが、そのうえで公立中学校に採用されるためには、各都道府県・政令指定都市が実施する「教員採用候補者選考試験」にも合格しなければなりません。
 つまり、日本の公立中学で英語を教えるためには、そこまで苦労して資格を得なければならないわけです。ところが、これまで中学で教えていた英語を小学校5・6年生で教えるようになったにもかかわらず、現在勤務している小学校教諭には、何の資格も要求されていません。
 実は、私の叔母が公立小学校の教諭なのですが、これまで英語を教えたことはなく、大学は国文科出身で英語が苦手で、もちろん「英語科教育法」を学んだようなこともありません。それでも、学級担任だから担当するようにという通達があったそうで、泣く泣く、勤務時間外に自分で英語を勉強して授業に間に合わせているそうです。
 英語の研修があったのではないかと尋ねたら、文科省は、都道府県の教育委員会が推薦する教員を集めて研修を行い、彼らが地域に戻って小学校の代表教員に研修内容を伝え、その代表教員が校内研修を行っただけでした。

経済学部C つまり、一言で言えば「現場に丸投げ」ということね。
 日本には公立小学校が2万校ほどあって、その3・4年生に「外国語活動」、5・6年生に「英語」を教えるとなると、「小学校英語」に関わる小学校教諭は、日本全国で数十万人を超えるはずです。
 その先生たちに、大学の教職課程に匹敵するような英語教育も施さないまま、すでに児童に教えさせているという現状には、大きな問題があると思います。どうしてこんなに準備が不十分な状況で「小学校英語」が「見切り発車」してしまったのか、ずっと不思議に思っていたのですが、先生の説明を伺って、やっと何が起こったのかが見えてきました。
 そもそも安倍前首相は、就任以来、「東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会」の最高顧問として、オリンピック・パラリンピック招致活動の先頭に立ってきました。本来は、開催都市が主導するはずのオリンピックなのに、安倍氏が異様なほど前面に出てきて、私は以前から違和感を抱いてきました。
 2016年のリオデジャネイロ・オリンピックの閉会式で、安倍氏がゲーム・キャラクターの「マリオ」に扮して登場したときには、東京都知事でもない安倍氏の「浮かれた」軽薄な姿にビックリしました。
 文科省の「東京オリンピック・パラリンピック開催に合わせて」という計画書から、「小学校英語」が安倍氏周辺主導の「浮かれた」副産物だったことがよくわかります。こんな思い付きのようなプランで、日本の子どもたちに対する大事な教育方針が変えられてよいのか、私は、根本的な危機感を抱きます。
 とはいえ、小学校から英語を始めること自体には、私は賛成の立場です。私は国際線のキャビン・アテンダントを目指していて、高校時代はオーストラリアのシドニーに短期留学し、その後も機会がある度に海外旅行をしていますが、何といっても痛感するのが、英語の発音のマズさです。
 幼稚園から小学校にかけてネイティブ・スピーカーから英語を習っていた友人は、ほぼ完璧に英語を発音できます。この友人のように、幼少期から外国人に接していれば、言語としての英語を掴めるだけではなく、英語圏の文化や考え方に触れることもできるでしょう。
 すでに「小学校英語」が始まってしまった以上、全国の小学校に優秀なネイティブ・スピーカーを配置して、とくにリスニングとスピーキングに力を入れた早期教育を実施すべきだと考えます。
 安倍政権は、ほとんど誰も使わないような「アベノマスク」を国民に配布するために莫大な国家予算を消費しました。そのような無駄使いを見直せば、ネイティブ・スピーカーの「予算」も計上できるはずだと思います。

理学部D 僕は、逆に、今すぐにでも「小学校英語」を全面的に廃止すべきだと考えます。というのは、そもそも外国語は日常生活で使わない限り身に付かないので、英語を無理に小学校の「教科」にすること自体、大きな間違いだと思うからです。
 さきほどA子さんが指摘していたように、現時点で「小学校英語」を教えている教員は、正式な英語教員資格を得ているわけではなく、彼らのカリキュラムの有効性には疑問があるし、適切な教科書を選択しているのかも不明です。もし彼らが間違った発音やアクセントを教えてしまうと、後で修正しなければならないため、中学や高校の教育に支障をきたします。
 小学校の児童の立場からしても、教科としての「英語」には成績が付くことから、宿題や勉強量が増えるわけで、国語・算数・理科・社会のような基礎科目の勉強がおろそかになる可能性もあります。「英語」の成績が悪かった児童は、小学校5・6年生の時点で「英語嫌い」になるかもしれません。
 そもそも、大多数の日本人にとって大事なのは「読む・書く」英語であって、「聞く・話す」英語ではないと思います。僕は大学院進学志望ですから、文献を調べる際にも、専門論文を書く際にも、英語を使わなければならないことは、よく理解しています。しかし、そこで必要な英語は、これまでのように中学校から始めれば十分で、高校や大学の入試にしても、語彙や文法を中心にした読解力中心の試験のままでよいと考えます。
 ただし、C子さんのように国際線で活躍したい人、楽天やファーストリテイリングのように英語を社内公用語にする多国籍企業を目指す人が、英語のコミュニケーション力を伸ばすことのできるような仕組みも必要だとは思います。
 そこで、小学校の高学年では、コミュニケーションとしての英語を学びたい児童のために、「英語」を全員の「必修」ではなく、「選択」できるようなカリキュラムは組めないものでしょうか。それと同時に、たとえば「数学」の優れた児童のために中学・高校レベルの数学を教える科目も選択できればよいのではないかと思います。

医学部E 僕も、その点では、D君に賛成します。日本の公立小学校では、ほとんどすべての科目が「必修」で、非常に画一化されたカリキュラムが組まれています。
 しかし、実際には小学校の時点で、数学や物理学といった特定分野に秀でた児童も存在するので、そのような子どもの能力と個性を伸ばす方向に教育をシフトさせるべきだと思います。もっと海外のように「飛び級」を認めてもよいのではないでしょうか。
「小学校英語」について、僕は、むしろこの機会に、もっと徹底した英語教育を行うようにすればよいのではないかと思います。ただし、そのためには、すでにC子さんが指摘しているように、優秀なネイティブ・スピーカーを採用する必要があるでしょう。
 さらに、中学や高校の英語の教員免許を持つ人を、特例的に小学校の英語専門教員として雇用するとか、海外勤務していた定年退職者に非常勤で教えてもらうとか、日本には英語の得意な人も多いので、もっと小学校教育に参加してもらえばよいと思います。
 少し調べてみたのですが、2016年に「世界経済フォーラム(World Economic Forum)」が発表した「世界で最も強力な言語(The most powerful languages in the world)」というランキングによれば、英語が圧倒的に「世界第1位」でした。
 このランキングは、①地理(Geography)、②経済(Economy)、③コミュケーション(Communication)、④知識・メディア(Knowledge and media)、⑤外交(Diplomacy)の5つの観点から世界の言語を数値化したものですが、そのすべてで英語は第1位でした。ちなみに、総合2位は母語人口の多い中国語ですが、「外交」で使われる中国語は世界第6位というように、大きく差が開いています。
 つまり、今後のグローバル化社会で日本人が生き抜いていくためには、どうしても英語というコミュニケーション・ツールが不可欠と考えられます。ところが、世界と比較すると、日本の英語教育開始年齢は、遅目なのです。
2011年から2012年にかけて、イギリスの国際文化交流機関「ブリティッシュ・カウンシル」が世界の64カ国を対象に行った調査の結果、フランス・イタリア・スペインなどのヨーロッパ諸国や、アジア圏周辺でも中国・ロシア・インドなどでは、小学校1・2年レベルから、英語教育を開始しています。
 日本は島国で、極端に言えば、生まれてから死ぬまで外国人と英語で話すことが一度もないような人がいます。しかし、地理的に隣国と繋がっている世界の国々では、双方の公用語として「英語」を使用せざるをえません。そのため、小学校低学年から、しかも日本よりも授業時間数をかけて、英語教育を行っているわけです。その意味で、日本の英語教育は、中途半端なように感じます。
 2021年3月時点で、インターネットの1000万を超える情報コンテンツを調査した結果、60.6%が英語で書かれているという資料もあります。第2位のロシア語が8.3%、第3位のトルコ語が3.8%と続き、日本語は2.1%で第8位に過ぎません。
 つまり、世界の情報の60%は英語、2%が日本語なのですから、日本語ばかりで情報を処理していたら、世界から取り残されてしまうことは明らかでしょう。現実問題として、英語は世界の「公用語」なのですから、これからの日本人は、誰もが自在に「読む・書く・聞く・話す」の四技能を使えるようになるべきだと思います。

教授 「英語の早期教育は必要か?」という問題から「英語を公用語とすべきか」という「英語公用語論」の哲学的議論が抽出されました。本当に難しい問題だと思いますが、このディベートを契機として、改めて自分自身で考えてみてください。

(続く)

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参考文献
British Council, “British Council survey of policy and practice in primary English language teaching worldwide,” https://www.teachingenglish.org.uk/article/british-council-survey-policy-practice-primary-english-language-teaching-worldwide
Ethnologue, “Languages of the World,”https://www.ethnologue.com/
Web Technological Surveys, “Historical trends in the usage statistics of content languages for websites,” https://w3techs.com/technologies/history_overview/content_language
World Economic Forum, “There are the most powerful languages in the world,” https://www.weforum.org/agenda/2016/12/these-are-the-most-powerful-languages-in-the-world/
高橋昌一郎『愛の論理学』角川新書、2018
高橋昌一郎『哲学ディベート』NHKブックス、2007
寺沢拓敬『小学校英語のジレンマ』岩波新書、2020
鳥飼玖美子『英語教育の危機』ちくま新書、2018
文部科学省「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」https://www.mext.go.jp/a_menu/kokusai/gaikokugo/1343704.htm

題字・イラスト:KAZMOIS

プロフィール
高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう)

國學院大學教授。専門は論理学・科学哲学。著書は『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『愛の論理学』『東大生の論理』『小林秀雄の哲学』『哲学ディベート』『ノイマン・ゲーデル・チューリング』『科学哲学のすすめ』など、多数。

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