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エッセイ「空想居酒屋」 〔ポスト・コロナの飲食店の行方〕 島田雅彦

 感動の美酒に、死ぬまでにもう一度食べたい逸品の肴……。島田雅彦さんが体験してきた酒場天国の数々をコトバで再現し、「こんな酒場で飲みたい」という欲望を“善きドリンカー”たる読者と共有しながら実際に「空想居酒屋」の開店を目指す、至極の酒場エッセイ。
 ※本記事は連載第14回です。最初から読む方はこちらです。

 空想、妄想の翼を思い切り広げるには、豊富な経験、教養が大いに助けになる。普段は居酒屋やバーで友人、知人、同業者、異業種の人、ジャンルの違う学者、弟子、学生らと雑多な意見交換をし、くだらない駄洒落を飛ばしながら、脳をマッサージできるし、他人の頭も借りて、空想をもっと遠くへ飛ばすこともできるが、コロナ禍で行きつけの店もことごとく休業、集まれる場所もなく、蟄居を強いられた浪人か、羽化の時を待つ蝉の気分で日々を過ごしている。何かの罪に問われる予定の人は留置場や拘置所に収監される日に備えて、監禁慣れしておく準備期間になるだろう。それで思い出したのは、以前、某出版社の社長から聞いた経験談だった。
 その人はかつて麻薬常習と所持の疑いで起訴され、一年ほど拘置所に収監されていた。これまで贅沢もし、数々の武勇伝を残した人ゆえ、「塀の中の禁欲生活はさぞ辛かったでしょうね」と話を振ったら、「もっぱら空想に明け暮れていたので、思ったほど辛くはなかった」という意外な答えが返ってきた。
 塀の中の食事は質素で、美食家からすれば、日々、非常食を食べさせられているようなものではないかと思ったが、「毎回、空想のおかずを二、三品追加していたから、耐えられた」というのである。今日は生牡蠣が食べたいなと思ったら、かつて食した絶品の生牡蠣のビジュアルを思い描き、レモンを絞り、殻から直接、あのつるんとした身を口に滑り込ませ、咀嚼し、舌鼓を打つ一連の動作を実際に行うのだそうだ。いわゆる、「エア生牡蠣」をするわけである。脇でその様子を見ていたら、何の儀式かと訝られるだろうが、その儀式は厳粛に行われなければならない。記憶の中にある生牡蠣のイメージを最大限、リアルに復元する以上は、集中力を高め、想像力をフル稼働する必要がある。
 「生牡蠣ときたら、白ワインも必要ですよね」と振ると、「もちろん、白ワインも用意する。これまでに飲んだ高級白ワインが記憶のワインセラーに収めてある」とまでいう。やはり、抜栓し、グラスに注ぎ、香りを確かめ、舌の上で転がし、喉越しを楽しむ儀式を行うのだそうだ。そうやって、以前に自分の舌を甘やかしてくれたメニューの数々を配給の粗食に加えるには、余程の記憶力と経験が求められる。キャビアやフォアグラソテーや松茸やポルチーニ茸、スッポンやブランド和牛などを追加するにしても、それを食べたことがなければ、再現できない。美食の経験を活かし、塀の中の粗食をいくらでもグレードアップすることができたわけだ。「そうやって、毎回、エア美食をしていたら、集中力が持たないんじゃないですか」と余計な心配もしたが、それに対する答えもふるっていた。
 ――再現できるメニューにも限りがあったが、カレーとかラーメンなら週に二回くらいは食べるだろ。だから、繰り返し、再現すればいい。そのうち空想だけで胃もたれするようになったので、その時は普通に出されたメシを食えばいい。たまに粗食で済ますのもいいもんだよ。何より空想の美食のいいところは太らないし、血圧も上がらないし、体に優しいところだ。
 それはそうだろう。美味しい霞を食っているようなものだから。もっとも、食事や飲酒の楽しみは会話が弾む相手がいなければ、半減する。独身者の食事が質素になるのは、作っても喜ぶのは自分だけ、批評するのも自分だけで、まともに作るのがバカらしくなるからである。そういう人は案外、ネットに本日のメニューをアップして、コメントをもらうことで独身のハンディを克服する。写真に撮るので、料理もフォトジェニックにしようと、盛り付けに工夫したり、一手間余計にかけたりする。パートナーがいれば、引き籠もっていても、料理がコミュニケーション・ツールになる。ずっと同じ顔を突き合わせていれば、愛も深まるが、憎しみも増す。料理は関係の悪化と修復、相手への尊敬と軽蔑、その振幅を大きくしてもくれる。 
 一人飯、一人酒がサマになるようになったら、それは一人前ということである。自堕落にならず、惨めたらしくなく、他人の同情など買わず、他人に興味を抱かれるようであれば、それはプロと見ていい。かなり昔のことだが、渋谷のまあまあ有名な蕎麦屋で飲んでいたら、往年の名脇役高品格が一人で現れ、天ざるとぬる燗を注文すると、ちびちび飲みながら、買ってきた本を読み始めた。刑事物ドラマの一シーンを思わせる構図に見入っていたら、目が合ってしまい、軽く会釈をすると、微笑で応えてくれた。以来、私の中であの時の高品格こそが、一人酒の模範となったのであった。

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一人酒がサマになったら一人前

 ところで行きつけの銀座のバーが苦境に陥っていて、LineやZoomを使って、オンライン営業を勧めてみた。ママと女の子二、三人とビデオ中継を通じて対面し、客は自前で用意した酒を飲みながら、接待を受ける。要するにビデオチャットしながら、酒を飲むわけだ。当然、感染の危険はなく、体を触られる心配もないし、客の加齢臭や口臭に辟易することもないが、問題は客がそれにいくら払ってくれるかである。営業再開の暁には特典があるとか、クラウドファンディングの一種だといわれても、「味気ないな」と思うだろう。そんな客はきっと要求をエスカレートさせてくるに違いない。遠隔の歯痒さからついコトバが乱暴になり、セクハラの一線を越えたりもするだろう。さらにビデオ画面を介していることから、いつもの癖で画面の中の女子は裸でなければならないなどと錯覚し、「おっぱい見せて」とか、「オンライン・キスしよう」などといい出すかもしれない。その時は「これより先は別料金になります」とかいって、料金表を見せてやればいいのかもしれない。
 戦時下、そして終戦後の二年間はもっとも食糧不足が深刻だった時代だが、焼け跡には闇市が立ち、空腹を満たすために人々が集まった。今は流通も途絶えることなく、食べるものにも飲むものにも不自由はないが、外食、外呑みができない。こういう経験自体が初めてで、飲食の形態が大きく様変わりする不安を誰もが抱えている。元通りになることを期待する一方で、飲食店の廃業、倒産ラッシュという厳しい現実をどう乗り越えるかが目前の課題だが、ポスト・コロナ時代の飲食はその苦肉の策として立ち上がってくるだろう。
 そのヒントは案外、焼け跡の闇市にあるかもしれない。
 そう思ったのは、先日所用で吉祥寺を訪れた時である。吉祥寺は休日の人出が多いと聞いていたので、所要を小一時間で済ませ、帰ろうと思ったが、平日の人出は普段の十分の一程度だった。老舗のいせや総本店が営業しており、中を覗くと、換気もいいし、密集を避ける席の配置だったので、久しぶりに一杯飲むことにした。実はその前にハーモニカ横丁も歩いてみたのだが、美舟といくつかの店が営業していた。都内にはこのような闇市時代の名残をとどめる横丁がいくつか残されていて、テナントも移り変わり、今では若い個人店主たちが時代のニーズに合った店を営業している。新宿の恋文横丁もゴールデン街も、高円寺のガード下や上野のアメ横、町田の仲見世商店街も、また再開発前の下北沢や溝の口にもあった横丁も闇市が直接の先祖ではないにせよ、その面影を宿している。いくら小洒落た店構えにしようが、しっかりと横丁の場末感を漂わせている。
 飲食店の原型でもあり、商店の多様性の宝庫でもあった横丁は再開発の波に煽られ、多くの町から消滅し、駅前にはランドマークのビルが建ち、チェーン店がテナントを埋めていった。結果的に資本の原理に忠実な没個性の街が増殖していったが、不況が恒常化してくると、逆にシャッター通りや横丁が復活再生するようになった。そして、現在は駅ビルを建てるような再開発のスタンダード・モデルが急速に古びてゆく様子を私たちは見ている。資本力の大きい寿司チェーン、居酒屋チェーン、ファミレス、ファーストフーズも続々、店舗をたたんでいる。個人商店は疫病蔓延以前から廃業を余儀なくされていたが、ここに来て、大資本も大きな打撃を受けている。再生、再出発が早いのはどちらか? 資本力が弱い個人商店はすぐに潰れるが、裏を返せば、すぐに再建できるフットワークの軽さが売りである。店舗がなくても、屋台で、軽トラックの移動店舗で再開もできる。まさに空想居酒屋が追求して来たミニマリズムがポスト・コロナ時代のスタンダードになりそうな気配なのだ。
 経営母体も変わるだろう。何とかホールディングスみたいな親会社を中心としたチェーン展開ではなく、また個人経営とは限らず、協同組合方式による経営、フリーマーケットに出店するような形式もありうるだろう。市営、区営、村営の食堂や居酒屋も現れるかもしれない。生きている限り飲食をやめることはできないのだから、飲食店も今まで以上に持続可能性を追求すべきである。また、飲食は文化であり、その場を提供する飲食店も文化財であり、公共財である。利潤追求とは別の目的に沿って、飲食店を存続させる試みのきっかけを与えられたと思えば、パンデミックという禍を転じて福となすことも不可能ではない。
 完全にシャッター通り化した地方の商店街などはその実験場になる。巣ごもりの期間にどの店もテイクアウトメニューを充実させ、ウーバーイーツもフル稼働したが、食事の場所を自宅から無料休憩所のような公共の場所に移せば、そこが居酒屋や食堂になる。シャッター通りを居抜きで屋台村に変える再開発は駅ビルを建てるよりはるかに簡便かつスピーディに実行できる。空想居酒屋の進化形であるどこでも居酒屋の登場は目前である。

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「どこでも居酒屋」がシャッター通りを復活させる

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プロフィール

島田雅彦(しまだ・まさひこ)
1961年、東京都生まれ。作家・法政大学教授。東京外国語大学ロシア語学科卒業。在学中の83年に『優しいサヨクのための嬉遊曲』で注目される。『夢遊王国のための音楽』で野間文芸新人賞、『彼岸先生』で泉鏡花文学賞、『退廃姉妹』で伊藤整文学賞、『カオスの娘』で芸術選奨文部科学大臣賞、『虚人の星』で毎日出版文化賞を受賞。ほかの著書に『天国が降ってくる』『僕は模造人間』『彗星の住人』『悪貨』『ニッチを探して』『オペラ・シンドローム』など多数。2010年下半期より芥川賞選考委員を務める。

*島田雅彦さんのTwiiterはこちら

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