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ルーブルはあなたを待っている! ――「『NHK8Kルーブル美術館』の愉しみ方」第4回

『NHK8Kルーブル美術館~美の殿堂の500年~』は、同名の8K番組をもとに、名作を鑑賞しながらルーブルのコレクション史をひもといていく美術書です。編著者は、小池寿子さん(國學院大學教授)と三浦篤さん(東京大学大学院教授)とNHK「ルーブル美術館」制作班。このみなさんが本の完成後に久しぶりに集まりました。8K番組の学術監修を務めた小池さんと三浦さんは同世代の西洋美術史家で、本のなかでは丁々発止の対談を繰り広げていますが、久々の邂逅でも2人は縦横無尽に語り合いました(そして番組制作班や編集部も参加)。今回はその模様をご紹介する連載の最終回です。
※第1回から読む方はこちらです。

じわじわわかる

三浦 第3章の最後で紹介した〈聖母戴冠〉(1430~1432年頃)は、8Kによって質感の表現がすごくよくわかった作品だと思っています。特に金地のあたりですね。
小池 質感がすごかったですね。加えて、作者のフラ・アンジェリコは立体表現ができる人で、やはりルネサンスの画家なんだなって、改めて認識しました。画面手前のブルーのマントを着ているカタリーナの頭部の、あの球体の形がとてもよく出ていましたね。ルーブル美術館でも実際に何度も見てはいるんですけれども、8Kで見たときには、彼の人体デッサンの力を感じました。

第4回_1

〈聖母戴冠〉(写真提供=ユニフォトプレス)

三浦 何となく眺めると、ブルーと金が目に入ってくるところがありますし、ちょっと平面的に見えちゃう。けれども実は遠近感もあるし立体感もある。イタリアルネサンスの画家としての基本は全部できていた。それはそうですよね。フラ・アンジェリコの実力が非常によくわかる絵だなと思います。

第4回_2

〈レースを編む女〉(写真提供=ユニフォトプレス)

小池 第4章で紹介したフェルメールの〈レースを編む女〉(1669~1670年頃)も、8Kで見ることができてよかったなと思える作品でした。とても小品とは思えない、奥行きの深さを持っていることがわかりましたね。
三浦 そうですね。本当にいろいろな筆触というか筆致が使い分けられていることがわかりましたよね。本当に小さい絵ですから、実物に対面しても、ふっと、ああこんなものかと思ってしまいます。
小池 「ああ、フェルメールか」ってなっちゃいますね。
三浦 そうそう。どうしてもわれわれは、つい名前で見ちゃうところがある。「ああ、フェルメールはこうね」って。じゃあ、どうなんだということがわかるためには、この本や番組がやはり必要ですね。でもルーブルの作品を全部紹介するなんて無理ですから、今回は歴史的にも意味があり、また美的にもいいもので、なおかつ8Kで撮って効果があるものを精選していますので、ここで紹介したものをつかめば、ルーブルのいいところがわかるようになっているなと改めて思いました。
制作班 このプロジェクトの立ち上げの頃に、お2人から「ルーブル美術館って言ったら何を思い浮かべますか」と問われたことがありましたね。〈モナ・リザ〉〈ミロのビーナス〉〈サモトラケのニケ〉でしょうかと答えると、「全部異国のものですよね。それらをふまえて、その後、どのようにフランス美術ができたのかがわかる場所がルーブル美術館なんです」と説明していただきました。その答え合わせが、番組とこの本できちんと担保されているということが、表立って言ってはいませんが、番組を見る人、本を読む人にはわかっていただけるんじゃないかなぁと思っています。
三浦 普通ルーブルと言ったら、まず古代エジプトから入る。たいてい時代順にイメージしますよね。それを今回は崩している。むしろ、ルーブルのコレクションの歴史はフランスの歴史でもあるということなんですよね。しかも、それを前面には打ち出さず、ちゃんと読んでいただければわかっていただける、くらいにしている。そのあたりのバランスがすごくよかった。
制作班 そうですね。はっきり出さずにやっているのがいいと思うんです。表紙が〈モナ・リザ〉ではないところも、実は裏テーマがあるなという感じ。ルーブル美術館ってどういうものなのかがじわじわわかってくる、じんわり染みてくる感じです。
小池 印刷も頑張りましたね。最初、8Kキャプチャ(静止画)をそのまま再現したテストの校正刷を見せてもらった時には「これじゃ全然ダメだ」っていう感じでした(笑)。
編集部 印刷所のさまざまな担当者たちがものすごく頑張りました。8Kの番組映像を大画面で体験(鑑賞)してもらったところ、みなさんがとっても感動して、これを本にするために頑張ろうという素朴な流れが生まれたんです。この本はキャプチャとスチール画像を併用していますが、その双方について精緻な色補正を行い、何度も何度も校正刷を出して校正を重ねました。残念ながら現地に赴いての「実物校正」はできませんでしたが、既刊書で紹介されている印刷物を片っ端から集めて比較検討するなど、とにかく最適値を探りました。
三浦 よくぞここまで、という感じになりましたね。
小池 それにしては価格がとってもリーズナブル!
制作班 ステイホームの時期にこそ、ゆっくり読んでいただけるといいですね。

――締めくくりにあたって、小池寿子さんと三浦篤さんの原稿の一部を紹介します。

さあ扉を開けて魅惑の旅へ
――小池寿子さん執筆の「はじめに」

 ルーブル美術館は、新石器時代から19世紀半ばまでの人類の遺産を収蔵する世界最大級の美術館である。総所蔵点数は約68万点、来館者数は2018年には1000万人を超えた。8000年に及ぶ人類の歩みをたどることができるこの時空の迷宮(ラビラント)には、誰もが一度は足を踏み入れたいと願うであろう。本書は格好のガイドブックであるが、そればかりではない。そもそもフランス美術とは何か? いつからフランス美術の歴史は始まり、その仕掛人は誰なのだろうか? その問いにも、本書は充分こたえてくれるに相違ない。この迷宮は、その歴史も実は一筋縄では行かない。まずは、ルーブル成立の過程を遡ってみよう。シュリー翼の半地下には、もっとも古いルーブルの石造要塞の遺跡がライトアップされている。その威容は圧巻ですらある。タイムトリップは、ルーブル美術館見学の醍醐味の一つだが、この半地下は、いきなり中世のルーブルへとトリップできる魅惑的な空間だ。
「ルーブル」(Louvre)という名の由来については、さまざまな説がある。狼狩りの小屋を意味するラテン語「ルーペラ」(Lupara)とか、「要塞」を意味するサクソン語の「ローヴェル」(Leouar)をその起源とする説などだが、いずれも、古代末期にセーヌ川の中州のシテ島に発達したパリが、敵から守るための城砦を造らねばならなかったほど、町はずれの狼が出没するような場所であったことを意味する。12世紀ともなると、パリはシテ島を中心としてセーヌの右岸と左岸の周辺に拡張していったが、セーヌ川をまたぐため、パリ全体を城壁で囲むことは難しかった。このパリを中世の「都市」にしようと基礎を固めたのは、カペー朝フランス国王フィリップ2世尊厳王である。
 フランス国家の楚を築いたフィリップ2世は、1190年、第三回十字軍に参加するためパリを留守にするにあたり、外敵の侵入に備えて「立派な塔と城門を備えた城壁で街を囲むように」と命じ、とくに北西のノルマンディー地方から攻めてくるイギリス軍に対し、セーヌ川の出入りを監視する「ルーブル城砦」を築いたのだった。それは10本の円筒を配した78×72メートルのほぼ正方形の城壁で、中心付近には直径15メートル、高さ32メートルの天守塔(ドンジョン)が聳え立つ豪壮な建造物であった。やがて、内部には文書のみならず宝物も納められ、つづくヴァロワ朝になると国王シャルル5世賢明王によって豪華な城館(シャトー)へと変身してゆくものの、15世紀前半には、フランスとイギリスとの百年戦争後半戦によって荒廃し、王族たちはロワール川流域、そしてフォンテーヌブロー宮殿など各地の城館を転々とする移動宮廷の時代を送る。
 本書では、このフォンテーヌブロー宮殿において見事に開花した16世紀のフランス美術から古典主義を築いた17世紀、フランス美術の精華である18世紀のロココの時代、そして近代絵画の革新を導いた19世紀を経て20世紀に至るまでのルーブル美術館コレクションの歴史をたどる。それはフランス美術の魅力のみならず、フランスの歴史を堪能できる旅でもある。さあ、その魅惑の旅の扉を開けてみよう。

第4回_3

セーヌ川とルーブル美術館(写真提供=ユニフォトプレス)

ルーブルの再発見
――三浦篤さん執筆の「おわりに」

 広大な時空を横切って長い旅をしたような気がする。「8Kルーブル美術館」の4つの番組を見終わったときの率直な感想である。
 高精細の映像が美術品の魅力と秘密を明かしてくれ、8K映像が今後、美術作品の保存・修復や教育・啓蒙、さらに調査・研究にいたるまで、汎用性の高い技術革新となる可能性を感じたが、ポイントはそれだけではない。同時に、フランスの歴史やルーブルのコレクション史をたどるような構成になっていたことが予想を超えて面白かった。
 端的に言えば、ルーブルの歴史はフランスの歴史そのものなのだ。フランソワ1世、ルイ14世、ナポレオン、そして市民の蒐集家たちが主人公になる章をそれぞれ作れるのだから。高密度の大スペクタクル映画を見たような不思議な気分を感じたのは当然であろう。
 その映像に基づきながら、総論と対談でさらに広げて、深掘りしようとするのが、本書のねらいである。コラムも入れた立体的な構成なので、番組とは違った形で楽しんでいただきたい。
 本を作る過程で驚いたのは、ルーブルを再発見したことである。これまでルーブル美術館には数え切れないほど足を運んだし、多くの作品を見知っていたつもりでいたが、まだ知らないことがいくらでもあることを思い知らされた。コレクション形成の歴史もそうで、有名な人物はともかく、今ではあまり知られていない多数のコレクター、行政官、学者たちがルーブルの発展と充実のために連綿と力を尽くしてきたさまは、それぞれの話を独立させたいくらいで興味は尽きなかったし、ルーブルの懐の深さを味わうことができた。
 美術は文化の精華と言うのはたやすいが、それを心底実感できる場所は必ずしも多くはない。そのひとつこそが、名作が凝集し文化の地層を形作るルーブル美術館であることは間違いない。68万点以上の収蔵品から選りすぐった3万5000点を8部門に分類し、展示している途方もない規模の美術館である。
 今日、ルーブルは技術の進歩を取り入れることはもとより、ルーブル・ランス(フランス北部)、ルーブル・アブダビ(アラブ首長国連邦)と別館あるいは姉妹館まで作って、そのコレクションを広めようとしている。現在は新型コロナウィルスの感染拡大状況のため実際に訪問することは叶わないが、画集でもよい、映像でもよい、インターネットでもよい、あるいは本書をガイドとしてもよい、少しでもその世界に触れたならば無限の美の世界が広がっていくであろう。ルーブルはあなたを待っている。

(終)

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