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歴史から学ばない「無知」のツケは国民が支払わなければならない――「マイナーノートで」#18〔無知のツケ〕上野千鶴子

各方面で活躍する社会学者の上野千鶴子さんが、「考えたこと」だけでなく、「感じたこと」も綴る連載随筆。精緻な言葉選びと襞のある心象が織りなす文章は、あなたの内面を静かに波立たせます。
※#01から読む方はこちらです。


無知のツケ

 ウクライナ戦争が始まってから半年経った。
 いや正確に言おう、ロシアがウクライナに侵攻を始めてから半年経過した。
 冷戦が終わった後の21世紀の世の中にまさかの熱い戦争が始まり、それが収束しないまま、まさかの半年を迎えた。軍事評論家たちは、この戦争は長引くと言い、戦闘状態は日常化し、やがてニュースも衝撃力を失っていく。
 ウクライナの状況は、各国メディアや現地の人びとのレポートが詳細に伝えてくれる。伝わらないのはロシアの状況だ。

 この戦争が始まってから、戦争がぐんと近くなった。とりわけ日本人のわたしたちにとって、80年前の戦争が。あのころの日本は、きっとこうだったんだろうな、という気がしてくる。言論統制、プロパガンダ、非国民狩り、ナショナリズム……インターネットの時代に、その気になれば外国からの情報が手に入らないわけでもないだろうに、今のような情報戦のもとで、政府のプロパガンダを信じ込むロシア国民がいるとはにわかに信じがたいが、外からの情報が入ってこない80年前の日本で、「大本営発表」を信じ込まされた日本人の無知は、想像にかたくない。だが、無知はしっかりツケを支払わされる。「知らなかった」とは言えないし、言わせない。何より無惨な敗戦によって、日本国民はとてつもないツケを支払わされた。後から自分の無知を呪っても、文字通り「後の祭り」だ。

 ウクライナとロシアの圧倒的な国力の差は、日中戦争で巨象を相手に闘った小国日本の彼我の差と対照的である。最後は圧倒的に豊かな物量を持つアメリカに叩きのめされた。だが、ロシアというあの広大な国土、豊かな資源、そして国民総動員をかけたら無尽蔵と言ってよいほどの兵力……の差に、ウクライナは持ちこたえることができるだろうか? ウクライナは侵略された側の国だ。完全に制圧されるまでは「徹底抗戦」するほかないだろう。

 戦争は物量をもとにした軍事戦だけではない、精神戦でもある。かつての日本は、精神戦においても負けた。自分たちの土地をじゅうりんされることへの怒り……戦意において、日本はすでに負けていたのだ。不敗のアメリカが唯一敗戦したといわれるベトナム戦争も同じだった。だが、正義と理のあるところがつねに勝つとは限らない。

 最近になってようやくロシア兵の現実について、情報が入ってきた。ブチャの虐殺に関わったとして戦争犯罪者の咎めを受けたロシア兵は、おびえた若い青年だった。演習だと思って参加した軍事行動は、ほんものの戦場だった。自分で選んだわけでもない戦場へ送り込まれ、よく理由もわからずに闘いを強制され、やらなければやられるという不安と恐怖で武器を取り、知らないあいだに殺人者に仕立て上げられてしまう……。

 ウクライナの東部戦線に送り込まれたロシア軍もまともな補給路がないままに、現地の住民の家に押し入り、略奪の限りを尽くした。「食べるものがなかったから仕方がなかった」と兵士は証言する。略奪の際に女を強姦する。その報道に接する度に感じるのは、日本軍もそうだったのか、という思いである。無謀な作戦、ふじゅうぶんな装備と補給、手当たり次第の破壊、侵略地の住民たちの不安と恐怖そして憎しみ、それにさらされる側の増幅された恐怖。その恐怖への反動からさらに残虐になる殺戮。戦場でくりかえされるのはつねに同じ経験だ。そしてそれをよく理由もわからずに強いられるのは、その社会の若者たち、年端もいかない青年たちなのだ。

 ロシアは同じ経験を約40年前にアフガニスタン侵攻でしている。1979年から89年までおよそ10年間続いた侵攻を止めさせたのは、ロシアの母親たちの力だったという。ロシア社会も少子化が進行し、「お国に差し出す息子」など、いなくなったのだ。当時のロシア軍兵士の死者数は1万5千人、ウクライナ侵攻ではすでにその死者数を超えた。

 その時の兵士と家族の証言を、『戦争は女の顔をしていない』の著者でノーベル賞受賞作家のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチが『亜鉛の少年たち アフガン帰還兵の証言 増補版』(岩波書店、2022年)という本に収録している。亜鉛とは、死亡した兵士の遺体を入れるひつぎが亜鉛でできていたことから来ている。読み始めたが、あまりにつらくなって本を置いた。40年も前のことなのに、たったいま起きていることと寸分たがわない。

 それとまったく同じ経験を、アメリカ軍の兵士たちがイラクでもアフガニスタンでもした。見も知らぬ異国の人びとの暮らしの場へ、とつぜん武器を持って押しかける。不安と恐怖と憎悪が若者を取り囲む。見えないところから、銃弾や爆撃が飛んでくる。隣にいた同僚の兵士の肉体が木っ端微塵に吹き飛ぶ。自分がやられなかったのは、偶然にすぎない、と感じる。やらなければやられる……と極限的な状況へ追いつめられる。条件反射的に武器を手に取る。

 ベトナム戦争でもアフガニスタン戦争でも戦争神経症になった兵士たちがたくさんいた。戦場で心にも身体にも深い傷を負う。復員しても平穏な日常に戻れない。周囲とは誰一人経験をわかちあえず、孤立する。悪夢にうなされ、荒れ、すさみ、自分も周囲も傷つける。もう一度あのひりひりした戦場へ戻りたいと願う者さえいる。せっかく生き長らえて還ってきたのに、自ら命を絶つ者もいる。だれもかれも、それまで平和な日常を送っていたふつうの若者たちだというのに。

 皇軍兵士にも、隠されていたが、そういう人たちがいた。90歳を超えた認知症の高齢者が、施設職員に苛烈な暴力をふるうと聞いて、その背景に軍隊経験があるらしいと知った。身体化された記憶は、自制の能力が剥がれ落ちると浮上してくるのかもしれない。

 人間の感情は進化しない。歴史も少しも進化しないようだが、持っている武器の破壊力だけは格段に進化した。その大量破壊兵器の進化の極限が、核兵器だ。核は抑止力といわれたが、実際に熱い戦争が起きてしまうと、核は戦争の抑止力にならないことが証明されてしまった。しかも抑止力とは「使わない/使えない核兵器」が前提だったはずなのに、もしかしたらいずれ登場するかもしれないという危惧さえいだかせる。現に「使える核」としての戦術核兵器(小型核爆弾)の開発も始まっていると聞いた。

 絶対安全な場所から戦術核兵器の発射ボタンを押す司令官には、もはや殺戮の現場にいるという実感さえないだろう。上空から見るコンピューター画面の映像がすべてで、その下で何が起きているかを想像する必要もない。それだけではない、無人兵器がこれだけ開発されると、兵員の損失なくGPSでターゲットを正確に攻撃するドローンも使われるようになる。コンピューターもGPSもドローンももとはといえば、軍事技術の開発の産物。人間という進化しない未熟な生きものに、こんな危険なおもちゃを与えた結果はどうなるのだろう?
 
 ウクライナの人びとのなげきを見ていると、このトラウマは3代続く……と感じる。だがその反対側、ロシアの人びとにとってもこの経験は3代にわたってたたるだろう。戦争は一過性で終わらない。ふかい傷跡を、生き残った者たちに残すことを、わたしたちは77年かけて学んだはずではなかったか?

 歴史から学ばないこともまた無知だ。無知のツケはきっと来る。国民は無知のツケを必ず支払わされる。足もとが惻々とすくむようなこの思いを、どうやってロシアの人びとに伝えればよいのか。

(タイトルビジュアル撮影・筆者)

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プロフィール
上野千鶴子(うえの・ちづこ)

1948年、富山県生まれ。社会学者。認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長、東京大学名誉教授。女性学、ジェンダー研究のパイオニアであり、現在は高齢者の介護とケアの問題についても研究している。主な著書に『家父長制と資本制』(岩波現代文庫)、『スカートの下の劇場』(河出文庫)、『おひとりさまの老後』(文春文庫)、『ひとりの午後に』(NHK出版/文春文庫)、『女の子はどう生きるか 教えて、上野先生!』(岩波ジュニア新書)、『在宅ひとり死のススメ』(文春新書)などがある。

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