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エッセイ「空想居酒屋 〔「何処でも居酒屋」開店〕」島田雅彦

 感動の美酒に、死ぬまでにもう一度食べたい逸品の肴……。島田雅彦さんが体験してきた酒場天国の数々をコトバで再現し、「こんな酒場で飲みたい」という欲望を“善きドリンカー”たる読者と共有しながら実際に「空想居酒屋」の開店を目指す、至極の酒場エッセイ。
 ※本記事は連載第19回です。最初から読む方はこちらです。

「包丁一本 晒に巻いて 旅へ出るのも 板場の修業」と「月の法善寺横町」に歌われている通り、板前は旅人である。包丁さばきと料理レパートリーを頼りに何処ででも生きていけなければならない。友人にはイタリアンのシェフから居酒屋の板長に転身した人もいるし、ニューヨークで寿司を握っている中学時代の同級生とばったり遭遇したこともあった。
 これまで客として訪れた魅惑の居酒屋、屋台をコトバを尽くして再現し、エア呑みを極めようとしてきた。また絶品のつまみを空想のテーブルに並べ、読者に大量の唾液を分泌させてきた。折しも、新型コロナの感染拡大により、外呑みの機会が激減し、続々と名店が暖簾をたたみ、新たな飲食のスタイルの開発が急務となっていた。空想居酒屋もエア呑みからリアル呑みの段階に入った。「空想居酒屋」の進化系である「何処でも居酒屋」の開店準備も整った。
 名前の通り、何処でも開店できるのが、最大のメリットではあるのだが、公園や路上で店を広げても、近隣住人や警察に注意されるまでのあいだしか営業ができない。火を使う料理はとりわけ規制がうるさい。許可さえもらえれば、閉店中の店先を借りたり、民家の庭やガレージでも開店できるが、そこはあらかじめよく話し合っておく必要がある。調理インフラはこちらで全て揃えるにしても、水がなければ、居酒屋は干上がるので、最低、水道が使えることが条件になる。
 候補はいくつかあったが、初台にある行きつけのカフェ「HOFF」には半分オープンエアのテラスがあって、ここでは予約客がBBQを楽しめる仕様になっている。スペースも充分あるし、タバコも吸えるし、風通しもよく、近隣住民からのクレームもなさそうだ。店主のナオキ君も好奇心満々で、月に一度の休業日である第三月曜日にこのスペースを貸してくれることになった。

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普段は喫煙や深呼吸、酔い覚ましの場所として使われているテラス


 場所を確保したら、最寄りのスーパーを探す。徒歩圏内に「OKストア」があり、食材の買い出しはここで行うことにする。メニューは頭の中に入っている。必要な食材は野菜、魚介、肉、加工食品、缶詰、調味料と種類ごとに整理されているので、メモなどいらない。買い物をしながら、安売りの商品、旬の食材を見つけ、急遽、メニューに加えるといった臨機応変な対応をするのが、「何処でも居酒屋」の基本方針である。この日は卵が安かったので、二パック、二十個買っておいた。

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物色中


「何処でも居酒屋」はフットワークが命なので、調理インフラはコンパクトにまとめ、自分で持ち運べるようにしておかなければならない。家から機内持ち込みサイズのキャリーバッグを持ち出した。メインの収納スペースに、ステンレスのバットを合わせたら、ピッタリと収まった。このバットは高円寺のリサイクルショップで三百円で買ったもので、大量の揚げ物をする際に、パン粉を入れて使うのに最適と思われる。かなり大きなバットなので、小型のカセットコンロと調理器具、調味料一式は全て収納することができた。
 コンロは二つあると、作業効率も二倍になる。小型のものなら二つまではキャリーバッグに収納可能だ。鍋は大小二つのフライパンがあれば、充分だ。スーパーでも千円未満で売っているテフロン加工のものは用意した。深さのあるタイプなら、炒め物、焼き物はもちろん、煮物もできるし、油を張れば、揚げ物もできる。鍋物をする場合はフライパンの代わりに、アルミ製の鍋を用意し、その中に調味料を収納すればいいし、人数が多ければ、ステンレスのバットをそのまま鍋として使うこともできなくはない。
 百円ショップは包丁、まな板、トング、お玉、ボウル、ザル、魚焼きの網、ジップロックなど、調理器具一式が安く揃うし、基本調味料も全て百円で揃う。

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このキャリーバッグ一つに「何処でも居酒屋」のキッチン・インフラは全て詰まっている。しかも看板付き


 ちなみにこの中に収まっている調味料を列挙すると、以下の通り。
 醤油、味噌、塩、砂糖、ナンプラー、ポン酢、オイスターソース、マヨネーズ、トマトケチャップ、ワインビネガー、ポッカレモン、オリーブ油、胡麻油、昆布、塩昆布、梅干し、カツオ酒盗、だしの素、味の素、コンソメ、豆板醤、胡椒、ガラムマサラ、鷹の爪、粉ゼラチン、片栗粉、わさび、おろし生姜、おろしニンニク、和がらし。
 これだけ揃っていれば、たいていのものは料理できる。

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買い出しを終え、「HOFF」へ


 買い物に一時間ほどかかり、現場には午後二時半に到着。すぐにデパックし、調理場を確保する。一式は全部、バットに入っているので、それをまな板の傍におけば、すぐに調理が開始できる。今回用意したメニューは前菜にカルパッチョ各種、鶏の胸肉のハム、暖かい煮物としてチリコンカルネ、サラダとして切り干し大根のソムタム風、やはり切り干し大根の具が入った台湾オムレツ、白インゲン豆とベーコン、たっぷりのチーズが入ったスパニッシュオムレツと卵料理を二種類、メインは牛肉を焼き、タリアータと牛肉サラダのヤムヌアの二種類、そして、賄い料理として汁なしそばの一種「博徒そば」といったラインナップである。

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包丁もまな板も、もちろん百円ショップ


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孤独な下準備


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スパニッシュオムレツから


 スパニッシュオムレツはスペイン・バルの定番料理だが、世界の屋台をめぐる紀行番組を見ていたら、大量のチーズを入れた超高カロリーのオムレツが名物のブエノスアイレスの市場の食堂が紹介されていて、それを見よう見まねで作ってみた。具材を混ぜた卵をオリーブオイルを敷いたフライパンに入れ、極弱火でおよそ三十分ぐらいかけて焼き上げると、ふっくらとパンケーキのように焼き上がる。これ一つで卵を十個使っている。

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できあがり


 前菜にはタコ、ブリ、ホタテを用意した。刺身としても食べられるが、ソースを七種類作り、それを絡めて食べることでバリエーションを増やした。魚介三種類+チキンの四種類×七種類の味で二十八種類のメニューが提供できる計算になる。七種類のソースは以下の通り。(1)梅干しとオリーブオイル。これにゆず果汁や塩昆布をあしらえば、旨味は倍増する。(2)酒盗オリーブオイル。これは豆腐にトッピングしてもいいが、刺身の食べ方としてはかなりポイントが高い。少量の白ワインを加えると、マイルドになる。(3)ゆず味噌。生のゆずが庭になっていたので持参し、その皮のみじん切りと果汁、ワインビネガー、砂糖を味噌に加え、よく練っている。これに和がらしを入れたり、豆板醤を入れてもよい。(4)鷹の爪とニンニクのみじん切り、コリアンダーにゴマ油とオイスターソースを合わせたソース。これはよく火鍋の具を食べる時に使う黄金の組み合わせ。(5)4の変形。鷹の爪とおろし生姜、コリアンダーとポン酢を合わせている。(6)からしマヨネーズ。これは定番中の定番。おろしニンニクとマヨネーズを和えれば、アイオリソースになるし、豆板醤マヨネーズという技もある。(7)ガラス容器に入っているのはタイ風ドレッシングである。これをかければ、あらゆるものがタイ料理になる。中身はナンプラー、ゆず果汁、ワインビネガー、砂糖、おろしニンニク、おろし生姜、レモングラス、鷹の爪、コリアンダーである。

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前菜のラインナップ


 鶏ハムは海南鶏飯(ハイナンジーファン)と同じ処理法、すなわち低温調理を施してある。塩とワインとショウガ、セロリなどに漬け込んで、臭みを抜きつつ下味をつけた胸肉をおよそ六十度くらいのお湯に十五分ほど浸しておく。六十度を保つために、冷めたらコンロの火をつけたり消したりを繰り返す。その結果、驚くほど柔らかく、旨味が内側に閉じ込められた状態になる。胸肉にありがちなパサつきは全くない。そのままでも味わい深いが、こちらも七種類のタレのどれとも合う。とりわけゆず味噌を塗ると、絶品。

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鶏ハム


 青パパイヤがあれば、ソムタムを作りたかったところだが、切り干し大根で代用した。冷凍ものではあるが、新大久保で仕入れたレモングラスも入っている。

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切り干し大根のソムタム風


 チリコンカルネは缶詰だけでも作れる手軽な料理で、河原に繰り出し、大鍋で作って、芋煮の代わりにする手もある。今回はセロリ、ニンジン、タマネギ、ニンニク、それに牛ひき肉を炒め、さらにチョリソーとベーコンを加え、キドニー・ビーンズとひよこ豆の二種類の豆、トマト缶を入れ、鶏を調理した時に出たスープとコンソメを加えて煮込んでみた。味に深みを出すためにガラムマサラを入れ、生の鷹の爪と豆板醤で辛みを補ったので、かなりスパイシーに仕上がった。

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チリコンカルネ


 沖縄ではおばさんたちが市場で働いているあいだ、おっさんたちは博打にかまける光景が昔はよく見られた。その際に用意される賄い料理が通称「乞食そば」だが、ここでは名前を変えて「博徒そば」と呼ぶこととする。本来は沖縄そばを使うが、今回はラーメンの生麺を使った。固めに茹で、ゴマ油をまぶし、そこにかまぼことスパム・ミートと青ネギと紅ショウガをあしらう。好みで醤油や味の素をかけてもいいが、具の塩分だけでも充分だ。博徒はこれを洗面器に盛り、泡盛を呑みながらかまぼこやスパムをつまみにし、お昼時になると麺を食べる。まさにオールインワンの食事である。

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博徒そば


 メインはステーキだが、ルッコラとわさび菜のベッドの上にミディアムに焼きあがったステーキを切って横たえるタリアータを作った。これにタイ風のドレッシングを合わせれば、ヤムヌアになる。

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牛肉のタリアータ


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盛り付けも、もちろん店主自ら


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いざ、開店!


「何処でも居酒屋」では基本、酒は各自持ち寄るか、クーラーボックスに入っているビールや酎ハイ、ワイン、日本酒などをセルフサービスで飲む。今回、食器とグラスは店に借りたが、紙皿やアルミホイルや葉っぱでもよしとする。百円ショップで小皿と椀を十枚ほど用意し、一品ずつを上品に盛りつければ、客は勘定を払わずには帰れまい。

撮影協力=今井 卓

連載第20回へ続く

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プロフィール
島田雅彦(しまだ・まさひこ)

1961年、東京都生まれ。作家・法政大学教授。東京外国語大学ロシア語学科卒業。在学中の83年に『優しいサヨクのための嬉遊曲』で注目される。『夢遊王国のための音楽』で野間文芸新人賞、『彼岸先生』で泉鏡花文学賞、『退廃姉妹』で伊藤整文学賞、『カオスの娘』で芸術選奨文部科学大臣賞、『虚人の星』で毎日出版文化賞を受賞。ほかの著書に『天国が降ってくる』『僕は模造人間』『彗星の住人』『悪貨』『ニッチを探して』『オペラ・シンドローム』など多数。2010年下半期より芥川賞選考委員を務める。
*島田雅彦さんのTwiiterはこちら

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