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エッセイ「日比谷で本を売っている。」〔大人の矛盾と子供のモヤモヤ〕新井見枝香

日比谷で働く書店員のリアルな日常、日比谷の情景、そして、本の話(第7回)。※最初から読む方はこちらです。

 勤め先の書店がある商業施設「日比谷シャンテ」は、地下2階で日比谷駅に直結している。その通り道には、大好きなスターバックスがあって、通りかかるたびに甘いドリンクを飲む習慣がついてしまった。しかし、行きも帰りもとなると、さすがに節制したほうが良いのではと思い、ミルクを無脂肪に変更することにした。なんとなくおしゃれなオーダーである。ところがどうしてもさっぱりとした味になるため、物足りない。その代わりにと、ホイップを増量してみると、今度は甘みが足りず、それを補うために、キャラメルソースをたっぷりかけてもらうようになった。私は一体、何がしたいのだろうか。
 新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が解除され、ようやくスタバが営業を再開すると、私はもう「本当に飲みたいものしか飲まない」と心に決めた。またいつ、こういう事態が起こるかわからない。もしかしたら、今日の一杯が、私の人生における最後のスタバになるかもしれないのである。複雑な矛盾から解き放たれ、久しぶりのスタバでオーダーしたのは、グランデサイズのアイスホワイトモカ。ミルクをブレベに変更し、シロップを通常4プッシュのところ、MAXの8プッシュに変更した、エクストラホイップのカスタマイズドリンクだ。飲んだ瞬間に「エヘエへッ!」とむせるほど甘く、とろみが出るほどこってりしているため、飲めば飲むほど喉が渇く。ちなみにブレベとは、通常のミルクと生クリームが半々の「特濃」ミルクだ。最高に美味かった。
 スタバの店員にとって、思わず突っ込みたくなる矛盾したオーダーなど、めずらしくないのだろう。書店員の私にだって、思い当たることがある。
 断捨離に関する本を、カゴいっぱいに買ってしまうという矛盾。片付け上手になる本を立ち読みしたあと、その本を片付けないという矛盾。ダイエット本のお供に、レジ脇のチョコレートを追加してしまうという矛盾……。そう、人間は矛盾だらけなのだ!

『モヤモヤそうだんクリニック』は、脳研究者の池谷裕二さんと、絵本作家のヨシタケシンスケさんが、小学生から届いた様々な“モヤモヤ”に「科学」と「ユーモア」でヒントをくれる、一見子供向けの本だ。しかし目次を見ると、彼らがどう答えるのか、大人の私でも想像がつかない、素朴すぎて答えづらい質問や相談が並ぶ。そのなかでも、職業柄気になるのが《どうしても本が好きになれません》というモヤモヤ。確かに、店頭で親御さんから同じような相談を受けることは多い。興味がなさそうにふてくされた子供の横で、親が必死に本を選ばせようとしているのだが、そもそも子供は本を読みたくないのだから、いつまでたっても選べない。そのうえ親自身も全く本を読まないから、面白そうなものを選んであげることができない。え! 自分だって好きじゃないのに、どうして子供は好きになれるって思うの!? 大人って、矛盾だらけだ。
 池谷さんは、偉人の名言を引用して、読書に対する幻想を打ち砕く。読書好きの私でさえ、思わず納得してしまう回答だった。そしてヨシタケさんが添えたイラストが秀逸だ。本が読めない人が『本が読めなくてもいいじゃない』という本を作り、「読まなくてもいいので応援してください!」と宣伝している。
 大人になると、こういった冗談のような矛盾に、あちこちで遭遇する。何しろ、自分自身だって、何かしらの矛盾を抱えたまま生きているのである。しかし子供は、大人の矛盾に敏感だ。
 子供たちが、本を好きにならなければいけないという呪縛から解き放たれて、全ての人が自由に本と向き合えることを願う。

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プロフィール
新井見枝香(あらい・みえか)

書店員・エッセイスト。1980年、東京都生まれ。書店員歴10年。現在は東京・日比谷の「HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGE」で本を売る。芥川賞・直木賞の同日に、独自の文学賞「新井賞」を発表。著書に『探してるものはそう遠くはないのかもしれない』『この世界は思ってたほどうまくいかないみたいだ』(秀和システム)、『本屋の新井』(講談社)。
*新井見枝香さんのTwitterはこちら

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