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ブロードウェイミュージカルに革新をもたらした伝説のソングライター、スティーヴン・ソンドハイム――連載「アメリカ、その心の生まれるところ~変革の言葉たち」新元良一

 自由・平等・フロンティアを旗印に、世界のリーダーとして君臨してきたアメリカ。様々な社会問題に揺れるこの国の根底には何があるのか? 建国から約230年。そこに培われた真のアメリカ精神を各分野の文化人の言葉の中に探ります。
 第8回は、人民が歴史をつくり、自分たちの文化や芸術を生み育てていくというアメリカ独自の精神性に守られ、ミュージカルをエンターテインメント以上の芸術にまで高めた巨匠、スティーヴン・ソンドハイムです。


第8回「この世界は、常に混沌としている。人生で先が見通せないのは、形(form)がないからだ。形をつくれば、安定感が得られる。絵を描き、写真を撮り、音楽をつくり、ストーリーを語るのはそういうことではないだろうか。」スティーヴン・ソンドハイム

 いつからか年末が近づくと、バラク・オバマ元大統領がその年の映画や本、音楽のリストを発表するのが恒例になった。2021年の映画のリストでは、筆頭に濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」が挙げられ注目されたが、そこに添えられたオバマ氏本人のメッセージが印象的だった。

「芸術は、いつも人の心を励まし育んでくれる。だがこのパンデミックの年、わたしには、ことに音楽とストーリーテリングで切迫したものを感じた」(拙訳)

 2017年に退任後、オバマ氏は回顧録『約束の地(A Promised Land)』を出版し、さらには妻のミシェルとともにドキュメンタリー映画の制作に関わるなど、文化人としての活動を続ける。そんな同氏による芸術の存在についての考察だが、目に止まるのが「切迫(urgent)」という言葉である。
音楽にしろ、小説や映画などのストーリーテリングにしろ、こうした作品は人を慰め、勇気を与え、生きる希望をもたらすもの、といった考え方がある。しかし「切迫」は、芸術がもたらすこうした恩恵や、それが果たす役割とは異なる響きをたずさえる。落ち着きや安心とは対極にある、差し迫った緊張感を漂わせている。
“差し迫った緊張感”を生んでいるのは、言うまでもなく、パンデミックという社会的な現象である。新型コロナ・ウイルスの世界規模の蔓延により、われわれの日常は激変した。仕事、学校など外出を控え、家族以外の人たちとは気軽に会えなくなり、日々の行動に大きな制限が課せられた。
 これを機に、普段は急き立てられる生活を送ってきた人びとも、立ち止まり、我が身を振り返るようになった。愛する家族といったたいせつな人の存在、そして自身の人生について、見直し、熟考するようになったのである。
オバマ氏が示す切迫とは、この「見直し」の必要性を意味しているのではないだろうか。誰しも生命の危険に及ぶ感染の可能性に晒される状況で、元大統領はそんな自身を省みる機会を、音楽とストーリーテリングを通じて受け取ったように思われる。
 そして、この音楽とストーリーテリング両面を合わせもつ表現形式に、ミュージカルがある。

ブロードウェイ伝説のソングライターが残したもの

 2021年の11月に91歳で他界した作詞家・作曲家のスティーヴン・ソンドハイムは、ニューヨークのブロードウェイを活動拠点に、ミュージカルという分野に革新をもたらした人物として広く知られる。
 ソンドハイムが最初に脚光を浴びたのは、レナード・バーンスタインが音楽を担当し、映画化もされた『ウエスト・サイド物語』(1957)である。この作品に作詞家として参加したのち、作詞、作曲ともに手がけた『太平洋序曲』(1976)、『ジョージの恋人』(1984)、『イントゥ・ザ・ウッズ』(1987)などヒット作、話題作を発表した。2021年にブロードウェイで上演された『カンパニー』(1970)のようにリバイバル作品もあり、昨年は『ウエスト・サイド・ストーリー』がスティーヴン・スピルバーグにより再映画化されるなど、生前からすでに自作がミュージカルの“古典”として位置づけられていた。
 演劇およびミュージカルにおける最高の栄誉とされるトニー賞を8回獲得したほか、アカデミー賞、グラミー賞、さらにはピューリッツァー賞にも輝き、その影響は国内外にも波及し、日本でも2000年初演の『太平洋序曲』を皮切りに、『Into the Woods』や『パッション』などがこれまで上演されている。長年の功績を称え、オバマ政権時の2015年には、文化人として栄誉とされる大統領自由勲章を受賞し、元大統領本人から直接そのメダルも授与された。
 さて、ソンドハイムが大きく変革させたミュージカルだが、この表現形態から発想されるのは、エンターテインメントという一般的なイメージだろう。煌々とした照明を一身に浴び、きらびやかな衣装をまとった俳優たちがステージに現れ、朗々と歌い上げつつ迫真の演技を見せ、観客を魅了する。俳優たちの背景には、美麗なデザインが施された舞台セットが配置され、観る者に現実を忘れさせてくれる、この世のものとは思えない空間、そんなイメージである。
 たとえば、ソンドハイムの師であり、彼の両親が離婚後、父親がわりとなったオスカー・ハマースタイン二世は、ミュージカルの歴史に名を残す作詞家だが、同氏が手がけた作品は、そんなエンターテインメントの典型例と言える。長年コンビを組んだ作曲家リチャード・ロジャーズとの活動で数々のヒット作を生み、代表作『サウンド・オブ・ミュージック』における<ドレミの歌>や<エーデルワイス>は、映画化されたのも手伝い、ミュージカルを観たこともない人でも口ずさめるほど、幅広い人気を誇った。
 これに対しソンドハイムの作品は、劇場の客席にいる誰もがたちまち理解でき、感動を与えるわけではなく、観客の意表を突き、予想を覆すものも少なくなかった。なかには、ミュージカルでありながら難解すぎると評され、初演から日が浅い時期に打ち切られた作品もある。
 芳しくない評判が立ち、客の入りがわるく、興行的に失敗。そう聞けば、エンターテインメントの分野において、次の機会を与えられるのはむずかしい、と想像したくなる。ミュージカルにかぎらず、演劇、さらに映画においても言えるだろうが、構想から作品に取りかかり、完成させ、発表するまで、人や設備など莫大な投資が必要とされるのが、大きな理由のひとつにある。
 この状況に加えて、表現者本人の問題も浮上する。周囲から寄せられるプレッシャーのなか、自身のもつ知識、経験、そして才能といったものすべてを注ぎ、さらに時間と労力を惜しまず費やした作品が、残念な結果に終わってしまう。そんなとき、徒労感はもちろん、自分の今後のキャリアのことを考えた末の失望など、当事者の精神的なダメージは大きいはずだ。
 数多の功績を残すソンドハイムにしても例外ではなく、「ニューヨーカー」誌の記事によると、落ち込み、怒りすら覚えたと上演が打ち切られたときのことを振り返っている。そしてミュージカルでの表現活動をあきらめようと心が揺れ動き、一時は演劇への転向を試みることもあった。

「だが(戯曲を)書けば書くほど、これはあくまで副業で、自分がほんとうにやりたいことではない。心からやりたいのは、ミュージカルを書くことなのだ、という思いが募っていった」(拙訳)

 もっともいくら本人が望み、いつかは失敗を帳消しにし、それを上回る成功を収めると希望を抱いても、それが受け入れられるかどうかの確約はない。エンターテインメントとはいえ、その世界はビジネスである。高い志をもつ表現者に対し、投資する側は、経営面での損失が見込まれるリスクを避けようと、制作に首を縦に振らない可能性は十分に考えられる。
 にもかかわらず、ソンドハイムが創り出す野心作、問題作に、ミュージカルの本場であるブロードウェイは発表のチャンスを与えてきた。本人のたゆまぬ情熱と努力もあっただろうが、客の入りがわるく、たとえ批評家から手厳しい意見を受けても、無視することも、拒むこともなく、彼の作品を支援し続けてきた。
 筆者はそこに表現活動に対するアメリカという国の懐の深さと、歴史をつくることへの高い意識を感じる。

表現活動に対するアメリカの精神性と大衆の主体性

 いまでこそソンドハイムは、ミュージカル史にそびえ立つ巨塔や、後世に名を残す先駆者と称される。だが、彼の才能とビジネスが直結しない状況であってもサポートが受けられたのは、斬新かつ有意義なその作品を“守る”体制が構築されているからだろう。
 たとえば、ジョンソン政権時の1965年に創立された、大統領直轄の独立連邦機関で、米国芸術基金(National Endowment for Arts)という表現者を財政的にバックアップする組織がある。さらにニューヨークにあるニューヨーク州芸術文化評議会をはじめ地方レベルの公的組織、そしてNPOや民間のファンドレイジングの各団体が成立するのも、「芸術は必要なもの」「芸術は市民に役立つ」という認識が社会に広く浸透しているからだ。それがソンドハイムのような野心的で、チャレンジ精神旺盛な表現者たちに、生活面でのゆとりを提供し、創作を持続させる探究心を維持することを可能にした。
 誰も成し遂げられなかったことを実現させるために、その可能性を支える社会の仕組みは、歴史を市井の人びとの手で築いていこうとする、アメリカの自主独立的な精神とも読み取れる。ヨーロッパにおける宮廷音楽のバロック、たしなみとして貴族に親しまれた和歌といった古典と呼ばれる芸術とは異なり、特権階級に支配されない社会を基盤にもつこの国は、自分たちが主導し、文化や芸術を育んでいくという市民主導の歴史がある。
 そうした伝統が培われ、発展した恩恵を受け、ジャズやブルース、映画、ミュージカルなど大衆性を帯びた作品が生きながらえ、芸術のレベルにまで達し、斬新な作品を生み出す土壌が開拓されてきた。そして表現者たちも意識的、あるいは無意識的に、社会からの支援や期待に応え、それぞれの分野において、さらに野心作、意欲作へ取り組もうとモチベーションを高めたと思われる。
 言うまでもなく、ソンドハイムもそのひとりだ。難解な作風と言われる評価を受けつつも、ミュージカルという表現形態において自らの能力や技術の研鑽に努め、それを最大限に発揮する。新しい発想の元で活動に情熱を傾け、精力的に発表し続けて完成した彼の作品には娯楽とは異質の深みが備わり、観衆に解釈や思考を求めるものへと昇華していく。
 ソンドハイムの逝去にともない、アメリカの主要メディアのほとんどが追悼記事を掲載し、彼の数々の功績を讃える番組を放送した。公共放送のラジオ局NPRの人気番組「Fresh Air」では、三日間連続で追悼するという異例のプログラムを組んだが、同番組に度々出演したソンドハイムは、次のように話している。

「この世界は、常に混沌としている。人生で先が見通せないのは、形(form)がないからだ。形をつくれば、安定感が得られる。絵を描き、写真を撮り、音楽をつくり、ストーリーを語るのはそういうことではないだろうか。」(拙訳)

 解釈や思考を求めるソンドハイム作品に接する観客は、ほかのミュージカル作品にはないものを見出す。喜びと同時に、人生で遭遇する悲しみ、苦しみを分かちあおうとする彼のミュージカルに、登場人物の姿と自分を重ね合わせる。つまり、ただ陽気に振る舞い観客を楽しませるだけでなく、人生におけるさまざまな難局を示しつつ、おとぎの世界ではなく、より現実味を帯びたドラマが展開される。それが、ソンドハイムが言うところの「形」なのだろう。
 そしてソンドハイムが手がけたミュージカルは、虚構の世界でありながら、人びとの元へ発見や気づきを届ける。作品自体が、人びとが直面するまぢかの困難に対し、即座の解決方法を提示してくれはしない。しかし苦境に立ち、悩み、もがき、暗澹たる思いになる舞台の上の登場人物たちに、観客は感情移入し、同化し、自分にとって何がたいせつなのかを思い起こす。
 無力感、徒労感に苛まれ、絶望の淵でさまよいながらも、主人公たちはそれでも生きていこうとする。自分を支えてくれようとする家族の愛や仲間たちの思いやり。あるいは、何かのきっかけで誰かと遭遇し、わずかながらも明るい兆しを示す機会。そんな存在を、ソンドハイムが創造するミュージカルの世界で再認識するとき、観客は苛烈な現実からの逃避や、不満やストレスの憂さ晴らしを超越する、人生や生命の尊さを実感するのかもしれない。
  
 日々の暮らしにわれわれは安定を求め、その大部分にお金が関わっている。一定の収入が確保されれば、家賃や食費、教育費など生活に欠かせないものが賄える。為政者はこうした有権者の声に応えようと、経済政策を重視し、選挙などで機会があれば、その姿勢を明らかにしアピールする構造は、社会のなかですでに築かれている。
 だが一方で、経済、つまりお金だけで問題解決されないことは少なからずある。仕事や勉強、家事など日々の出来事に追われ、人間関係に悩み、ストレスが溜まり、精神的なバランスを崩すといった状況はめずらしい話ではない。
 そんなとき、ソンドハイムのミュージカルに見られるような、人びとの心の支えとなる、なにがしかの可能性を芸術は備えている。もちろん、ビジネスであるがゆえの辛辣さは否定しない。だが、アメリカ社会と表現者たちの間には、「芸術は必要」という共通認識があり、それが両者による幸福な関係を形成する、そんな風に思えるのである。

(了)

写真=Abaca/amanaimages

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プロフィール
新元良一(にいもとりょういち)

1959年神戸生まれ。作家。マンハッタンにあるリセ・ケネディ日本人学校校長。元京都造形芸術大学教授。1984年から22年間ニューヨークに在住した後、2006年京都へ移転。2014年、NHKラジオ「英語で読む村上春樹」の番組ホストを1年間担当。2016年に活動拠点を再びニューヨークへ移す。著作に『あの空を探して』(文藝春秋)、『One author, One book』(本の雑誌社)など。現在、「TOKION」にて連載コラムを執筆中。

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