連載「哲学ディベート――人生の論点」【第2回】生まれてこないほうがよかったのか?
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連載「哲学ディベート――人生の論点」【第2回】生まれてこないほうがよかったのか?

●「哲学ディベート」は、相手を論破し説得するための競技ディベートとは異なり、多彩な論点を浮かび上がらせて、自分が何に価値を置いているのかを見極める思考方法です。
●本連載では「哲学ディベート」を発案した哲学者・高橋昌一郎が、実際に誰もが遭遇する可能性のあるさまざまな「人生の論点」に迫ります。
●舞台は大学の研究室。もし読者が大学生だったら、発表者のどの論点に賛成しますか、あるいは反対しますか? これまで気付かなかった新たな発想を発見するためにも、ぜひ視界を広げて、一緒に考えてください!
※第1回から読む方はこちらです。

文学部A 私が「出生前診断」について調べてみようと思ったきっかけは、以前、家庭教師のバイトのために通っていた家庭に障害のある子どもがいたことです。
 今から3年前になりますが、私が大学1年の頃、中学3年のⅩ君に英語を教えていました。ある日、彼の部屋で勉強を見ていたら、突然、小さな男の子が大声で叫びながら部屋に突入してきたのです。
 Ⅹ君は、「どうしたのター君、心配しなくて大丈夫だよ」と男の子を抱きかかえて、部屋から連れ出しました。戻ってくると、「ビックリさせてごめんなさい。ター君は僕の弟です。重度のダウン症で、知的障害に加えて視覚にも障害があるんだけど、いい子なんだよ」と言いました。お兄さんらしい、しっかりとした姿でした。
 でも、英語のテキストにロサンゼルスのディズニーランドの話が出てきたとき、「僕はアメリカなんて一生行けないな」と、ため息をつきながら呟いたことがあります。理由を尋ねたら、「だって僕は、ター君の面倒を見なきゃならないから……」と答えました。Ⅹ君には妹もいるのですが、仕事で忙しいご両親は、「兄妹でター君の面倒を見てあげてね」と頼んでいたようです。
 その翌年、Ⅹ君は第一志望の高校に合格したので、私の家庭教師のバイトも終わりました。ところが、その彼が、高校2年の夏休みに行方不明になったのです! 警察から電話があって、もしかして私に連絡はなかったかと聞かれた際に教えてもらったのですが、Ⅹ君は貯金を全部引き出して、衣服や所持品もスーツケースに詰めて、覚悟の家出をしていました。
 家出の数日前、彼は「障害者の弟の面倒を一生見るのは嫌だ」と言って両親と大喧嘩になったそうです。あれほど弟思いだったⅩ君も、思春期を迎えて、自分だけの自由な時間がほしくなったのかなと思いました。
 彼の家庭は、すべてがター君を中心に動いていましたから、家族で旅行に行くとか、一緒にレストランで食事するとか、普通の家族ならばごく日常的に思える出来事が、ほとんどなかったようです。Ⅹ君は、日本のディズニーランドにさえ行ったことがなかったと思います。すごく真面目な子でしたから、ずっと思い詰めていて、それが一気に爆発したのではないでしょうか。
 それから1週間くらいして、彼が九州で保護されたと連絡が来て、ホッとしました。その後、Ⅹ君は、オーストラリアの高校に留学しています。彼は自由な生活を満喫しているかもしれませんが、今では、彼の妹さんが全面的にター君の世話をしているはずです。
 それまで私は、授かった赤ちゃんは、どんなことがあっても産むべきだと思っていましたが、ター君1人のために両親と兄妹の4人が振り回されている光景を見て、重度の障害を抱えた子どもを育てることがどれだけ大変なことか、本当に安易な気持ちで判断するわけにはいかないと考えるようになりました。
 もちろん、自分が実際に妊娠してみなければわからない面もありますが、今の私は、妊娠したら「出生前診断」を受けるつもりです。そして、もし胎児に「染色体異常」が確定的に発見されたら、人工中絶する可能性も高いと思います。

教授 重度のダウン症の場合、身体が20歳、30歳と大人になっていっても、知的能力は2歳程度のままで、自分で排泄や入浴ができないケースもあります。彼らをどのようにケアしていくべきか、家庭ばかりでなく、社会全体で考えていかなければならない問題といえます。
 少し別の視点から考えてみましょう。これは哲学の「幸福論」で議論されることのある論点です。
 君たちの人生は、さまざまな出来事の積み重ねで構成されていますね。そこで、これまでの人生を振り返ってみてください。楽しかったこと・嬉しかったこと・喜んだことなど「ポジティブ」な出来事と、悲しかったこと・苦しかったこと・嫌だったことなど「ネガティブ」な出来事をおおまかに分けると、そのどちらが多かったですか?
 次に、その「ポジティブ」と「ネガティブ」を足してみてください。「ポジティブ」が多ければ「プラス」、「ネガティブ」が多ければ「マイナス」になるはずですが、いかがですか?

学生 (全員が「プラス」に挙手)

教授 ここにいる5人は、全員が「プラス」だということですね。もちろん、そうでしょう。君たちは、先進国の充実した衣食住の下、大学で学び、友人がいて、恋人と遊びに行くこともできる。世界レベルから見れば、非常に恵まれた立場にいます。
 しかし、実は、現在の地球上で生きている約75億人のうち、7億人以上が飢餓や栄養失調で苦しんでいます。驚くべきことですが、世界では、毎日2万5千人以上が「餓死」しているのです。
 そもそも「人間は苦悩するために存在している」という思想があります。その萌芽は、原始仏教などにも見られますが、とくに明確な「厭世(えんせい)哲学」を打ち立てたことで知られるのが、生涯を孤独に犬と暮らしたドイツの哲学者アーサー・ショーペンハウアーでした。
 彼が1819年に発表した代表作『意志と表象としての世界』によれば、世界は「私」の表象であり、その根底は「盲目的意志」に支配されています。この「盲目的意志」は、飽きることなく永遠の欲望を抱き続けるため、人間は苦悩の連続に陥らざるをえません。
 人間は、いくら若くありたいと願っても、年老いていく。いくら健康でありたいと願っても、いつかは病気に冒される。いくら生きていたいと願っても、最後には必ず死ぬ。人間の生涯には、もちろん「ポジティブ」な出来事もあれば「ネガティブ」な出来事もあるが、トータルでは必ずマイナスになるのではないか?
 この考え方を徹底して推し進めたのが、南アフリカにあるケープタウン大学の哲学者デイヴィッド・ベネターです。彼は、2006年に『生まれてこないほうが良かった』という著書を発表して「反出生主義」を主張しました。
 彼の論法によれば、「存在」することは必然的に「マイナス」を導くので、「プラスマイナス・ゼロ」の「非存在」よりも劣ることになります。つまり、「存在することは害悪」であり、しかも「絶対的に害悪」だというわけです。彼は、次のように述べています。
「善良な親は、自分の子どもが苦しまないように、あらゆる手を尽くそうとする。しかし、その子どもをすべての苦しみから救う唯一の確実な方法は、最初からその子どもを産まないことではないか。なぜ善良な人々は、それに気が付かないのか……」
 多くの動物は、本能的な性衝動によって繁殖します。さらに人間は、父母性本能や家系継続の社会的欲求、あるいは老後の面倒を見てもらう計算などに基づいて、子どもを生み育てます。しかし、ベネターによれば、それらは生まれてくる子どもに「害悪」をもたらす親のエゴイズムであり、反道徳的行為に他なりません。
 ベネターは、地球上の理想の人口は「ゼロ」であり、感覚器官を有するあらゆる生命も「絶滅」する方がよいと主張します。ただし、すでに生まれてしまった人間は「手遅れ」なので、段階的に人口を減らして、最終的に絶滅すべきだと結論付けています。

法学部B ベネターの「反出生主義」は、『知性の限界』に登場する19世紀のドイツの哲学者エドゥアルト・フォン・ハルトマンの発想にそっくりではありませんか?
 ハルトマンは、ショーペンハウアーの思想を受け継いで、人間は「無意識」に支配され、その無意識が3つの欲望を人間に抱かせると考えました。それは、①人間は現世で幸福になる、②人間は来世で幸福になる、③科学の発展によって人間世界は改善されている、という欲望です。
 ハルトマンは、これら3つの欲望がいかに「幻想」にすぎないか、丹念に立証します。たとえば、現世で人類が最も成功を成し遂げたローマ帝国の崩壊がいかに歴史的に悲惨な結果をもたらしたか、来世の存在がどれだけ科学的に信頼に値しないものか、その科学がもたらす大量破壊兵器がどれだけの人間を殺戮し地球にダメージを与えたのか……。
 こんな世界で生きていく必要があるのか、むしろ人間は自殺する方がよいのではないか、と彼は考えます。しかし、個人が自殺しても、本質的な問題は解決しません。
 人間は苦悩するために存在しているのであり、絶滅するに越したことはないのですが、仮に全人類が自殺したとしても、数億年もすれば、再び「宇宙的無意識」は新たな人間を地球上に生み出して、彼らが再び苦しまなければなりません。
 さらに、仮に地球を破壊したとしても、「宇宙的無意識」はどこか別の惑星上に「盲目的意志」に支配される別の知的生命を生み出し、彼らが人間と似たような苦悩を背負わなければなりません。
 そこで、ハルトマンは、人類があらゆる知識をもって「宇宙的無意識」を「宇宙的意識」に進化させ、宇宙が二度と生命を生み出したりしないように、絶対的に宇宙そのものを消滅させる方法を見つけるべきだと考えます。  つまり、二度と「存在の悲劇」が繰り返されないように、宇宙を永遠に消滅させることが何よりも大事だというわけです。

経済学部C 個々の人間が自殺しても何にもならないけど、宇宙自身が自殺して消滅すればよいというお話……。スケールが大きくて、SFとしてはおもしろい話かもと思います。
 でも、現実の社会では、人間は夢を抱いて、これからも子どもを生み続け、その子どもたちに希望を託していくと信じます。私は、ポジティブとネガティブで計算したら、今でも圧倒的にポジティブが多いと信じているし、いつか臨終を迎える瞬間にも、トータルがプラスのままでいる予定です。そう思い込みさえすれば、私は人生に勝つことになるわけでしょう?
 ところで、A子と一緒に私も調べてみたんですが、新型出生前診断(NIPT: Non-Invasive Prenatal Testing)などの遺伝学的検査に加えて、高性能の精密超音波診断による形態学的検査により、胎児の100種類以上の先天性異常を発見するという「出生前診断クリニック」を見つけました。
 院長の夫律子氏は、徳島大学医学部卒業の産科医ですが、その前に慶應義塾大学法学部を卒業しています。そもそも法律を勉強しているうちに生命倫理に興味を持ち、そこから医学の道に進んだという経歴の持ち主です。
 実際に「出生前診断」を実施してきた立場から、夫氏は、次のように述べています。
「『そんなに早く診断できるようになると人工妊娠中絶が増えるのではないですか?』という質問をよく受ける。診断とその後の治療の可能性や予後について小児専門医を交えた説明を繰り返していると、もちろん疾病の種類などにもよるが、妊娠の継続を決心されるご両親は決して少なくない」
「私は、産科医が『正確かつ客観的な診断』にもとづいて『診断の正確な知識と情報』を提供し、児の治療スタッフとともに『適切な心理サポート』を行っていく過程では、決して人工妊娠中絶を増加させることはないと信じている」
「どちらかといえば不正確な診断、つまり『“かもしれない”診断』の方が過度の不安をもたらし、不必要な中絶を増加させているのではないかと考えている」
「おなかの中の赤ちゃんに病気があることを知った上で妊娠の継続を決心されるご両親が、深い理解と大きな覚悟をもって出産にのぞむことになるのはいうまでもない。しかし、人工妊娠中絶を決意されるご両親にも、計り知れない苦悩と罪悪感があり、やはり覚悟をもって決心される」
「外来で診察していると、簡単に『赤ちゃんに病気があるなら妊娠を中断します』と答えを出すご両親はほとんどおられない。何度も外来を訪れ、涙を流し、インターネットに助けを求め、患者・家族の会にアプローチされる場合もある」
「その上で『妊娠を中断したい』と申し出られたときには、医療サイドはその決断を尊重し心して受けとめ、ご両親をケアサポートしていかなければならないのではないだろうか」
 ゆくゆくは、精密な「出生前診断」に加えて、「出生前治療」ができるようになるかもしれません。私たちが追求すべきなのは、「生まれてこないほうがよかった」という子どもを1人でも減らし、「生まれてきてよかった」という子どもを1人でも増やすことだと思います。

理学部D 僕には、ハルトマンやベネターの議論は、幼稚な「机上の空論」に聞こえますね。というのは、彼らの哲学は、今現実に生きている人間には何の役にも立たないからです。
 そもそも「出生前診断」の最大の問題は、仮に「21トリソミー」で「ダウン症」であることが判明したとしても、その新生児の障害のレベルが、軽度なのか重度なのかがわからない点にあります。
『哲学ディベート』で議論になった「二分脊椎症」の新生児は、脊椎の癒合が行われないままに生まれてくるため、さまざまな神経障害をもつ可能性がありますが、どの部分にどの程度の麻痺が生じるか、誕生時には不明です。
 新生児の段階で救うためには、脊椎矯正手術を行い、脳と脊椎を結ぶシャントを据え付けなければなりません。このような外科手術を施さなければ、新生児は死亡します。
 新生児の「二分脊椎症」が判明すると、医師は、両親に手術を勧めるか勧めないかの判断を迫られます。1973年、カリフォルニア大学ロサンゼルス校医学部で小児外科を専門とするアンソニー・ショー教授は、その判断基準として、現実的要因を数値化して代入し、新生児の「生命の質」を見出すための「新生児QOL公式」を定式化しました。
 この公式によれば、「QOL=NE×(H+S)」と表されます。ここで、QOLは「生きた場合に子供がもつ生活の質」、NEは「子供の知的・身体的な生まれながらの資質」、Hは「両親の結婚の情緒的安定度・両親の教育レベル・両親の財産に基づいて、子供が家族から得られる支援」、Sは「子供が地域社会から得られる社会的支援」を意味します。
 ショー教授の理論を採用しているアメリカの病院では、医師・看護師・作業療法士・理学療法士・社会福祉士・心理学者がチームで家族を調査したうえで「新生児QOL公式」に数値を当てはめ、点数の高かった新生児の家族には手術を勧め、低かった家族には手術を勧めていません。
 この公式は、逆に見ると、①新生児の出生時の障害が重いほど、②両親の精神的・経済的支援が望めないほど、③社会保障や支援が望めないほど、点数が低くなる仕組みになっています。
 それでなくとも障害のある子どもが生きていくのは大変なのに、「新生児QOL公式」の点数が低いということは、さらに両親や社会からの支援も望めないことを意味します。その場合に手術を行わずに新生児に「安楽死」を施すことは、冷たい決断のように映るかもしれませんが、トータルで考えたら、家族と社会全体にプラスをもたらす方法だと思います。

医学部E もし僕が小児外科医の立場だったら、「二分脊椎症」で生まれてきたすべての新生児に手術を施すと思います。なぜなら、それが医師の仕事であって、それ以外の「生活の質」の選択にかかわる哲学的な議論に医師が関与すべきではないと思うからです。
 僕は、新生児内科で遭遇した先天性の「食道閉鎖症」と「口唇口蓋裂」の疾患を持って生まれてきた新生児のことが忘れられません。
 先天性「食道閉鎖症」とは、生まれつき食道が途中で途切れている病気で、約5千人に1人の割合で発症します。何も飲めない状態で「誤嚥(ごえん)性肺炎」を合併しやすいので、早期治療が求められます。
「口唇裂」とは上唇が裂けている状態、「口蓋裂」とは口腔と鼻腔を隔てる上顎が裂けて、口と鼻の中が繋がっている状態です。「口唇口蓋裂」は、その両方が重なっている状態なので、重症といえば重症なのですが、現在では、形成外科で何度か手術を繰り返せば、機能的にはもちろん、外見的にもほぼ完全に治療することができます。
 主治医は、新生児の両親に詳しく病状の説明をして、「手術承諾書」に署名捺印を求めました。ところが、両親は、赤ちゃんの顔を見た瞬間、「受け入れられない」と顔面蒼白になって、どちらの手術も拒否しました。
 新生児には点滴が入れられていますから、最低限の水分は体内に補給されます。しかし、ミルクを一滴も飲むこともできない状態なので、身体機能は徐々に衰えていきます。
 産科の主治医は、形成外科の医師も交えて両親を懸命に説得しましたが、2人の態度は変わりません。新生児の祖父母に当たる家族も来院しましたが、赤ちゃんの顔を見るなり、帰ってしまいました。
 とにかく時間がないので、主治医は、県の児童相談所に連絡しました。「児童福祉司」が病院に来て、両親と話し合ってくれたのですが、結果は変わりません。主治医は、両親の目の前で警察に連絡して、その両親の「親権」を制限してもらえないかと頼みました。両親は新生児の養育を放棄しているわけですから、もし数日間でも「親権」を止めることができれば、その間に手術ができるからです。
 しかし、「親権」を一時的にでも停止させるためには、家庭裁判所の保全処分が必要で、しかも警察は「民事不介入」なので、このようなケースには対応できないということでした。「新生児」の手術には、どうしても両親の同意が必要だというのが、日本の病院の慣行になっているのです。
 実は、医師の中にさえ、難病の新生児は、むしろ生かすべきではないと考えている人もいます。しかし、僕の研修先のドクターは、何よりも人命を尊重していました。
 そうこうしているうちに、病室の看護師から両親の姿が消えたという連絡が入りました。産科の母親の荷物もすべて持って、両親揃って病院から出て行ってしまったのです。看護師が両親の携帯電話に何度も連絡しましたが、まったく応答はありません。そして数日後、新生児は、死亡しました。
「反出生主義」のような考え方からすると、この新生児は「生まれてこない方がよかった」のかもしれません。しかし、その子は、すでに生まれてきたという事実があります。僕は、医療現場では何よりも救命が優先されるべきだと考えていますから、その医療意識を少しでも混乱させるような考え方は、承服できません。

教授 「出生前診断を受けるべきか?」という問題から「生まれてこない方がよかったのか?」という「反出生主義」の哲学的議論が抽出されました。本当に難しい問題だと思いますが、このディベートを契機として、改めて君たち自身で考えてみてください。

(続く)

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参考文献
David Benatar, Better Never to Have Been, Oxford University Press, 2006.[デイヴィッド・ベネター(小島和男・田村宜義訳)『生まれてこないほうが良かった』すずさわ書店、2017]
Arthur Schopenhauer, Die Welt als Wille und Vorstellung, 1819.[アーサー・ショーペンハウアー(西尾幹二訳)『意志と表象としての世界』(全3巻)中公クラシックス、2004]
高橋昌一郎『愛の論理学』角川新書、2018
高橋昌一郎『知性の限界』講談社現代新書、2010
高橋昌一郎『哲学ディベート』NHKブックス、2007
夫律子『最新3D/4D胎児超音波画像診断』メディカ出版、2004

題字・イラスト:KAZMOIS

プロフィール
高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう)

國學院大學教授。専門は論理学・科学哲学。著書は『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『愛の論理学』『東大生の論理』『小林秀雄の哲学』『哲学ディベート』『ノイマン・ゲーデル・チューリング』『科学哲学のすすめ』など、多数。

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