
帰省するひと、それを迎えるひと。同じ記憶を携えて――「熊本かわりばんこ」#20〔あの時代、あの場所でしか味わえないこと〕田尻久子
長年過ごした東京を離れ故郷・熊本に暮らしの場を移した吉本由美さんと、熊本市内で書店&雑貨カフェを営む田尻久子さん。
本と映画、そして猫が大好きなふたりが、熊本暮らしの手ざわりを「かわりばんこ」に綴ります。 ※#01から読む方はこちらです。
あの時代、あの場所でしか味わえないこと
ちばちゃんは店の元スタッフで、現在は関東に住み「une fête」という作家名でアクセサリーをつくっている。夏になると、展示を兼ねて熊本に帰ってくるのだが、新型コロナウイルス感染症第7波の影響で今回は帰省をとりやめた。家族と一緒に帰ってくるのはあきらめたが、展示は9月に延期することになった。

ここ最近は9月になっても昼間はまだ真夏のように暑い。お彼岸のおはぎも食べたのにいつまで暑いんだ、とつい愚痴をこぼしたくなる。ちばちゃんは予定通り9月末に帰ってきたのだが、長袖の服ばかりもってきたことを後悔していた。私がまだ裸足にサンダルで過ごしているのを見てうらやましがる。とはいえ、さすがに朝晩は気温が下がる。日が暮れればクーラーをかけずとも過ごしやすいので、窓を開けて風を取り込むと、どこからともなくテレビの音が聞こえてくる。
そんな夜は、昔の夏はこうだったと懐かしく思う。どこの家も窓を開け放っているから生活音がよく聞こえた。人の話し声、テレビやラジオの音、野球中継にあがる歓声……。家の中では扇風機のまわるかすかな機械音も聞こえる。それから、蚊取り線香の匂いとけむり。いまでも、匂いがせず、けむりの出ない蚊取り用品は苦手で、線香を焚いている。子どもの頃、家にはまだクーラーがついていなかったが、寝苦しかった記憶はない。祖父母の家では蚊帳に入って寝ることもあって、ままごとの家のようで楽しかった。夏には夕立がよくきたものだ。雨があがると晴れ間が広がり、気化熱が地面の温度を下げ涼風が吹いた。夕立がこない日は打ち水をすることもあった。でも、最近の猛暑には打ち水ぐらいじゃかなわないし、やってくるのは夕立ではなくてゲリラ豪雨。涼よりも不安を感じる。

ちばちゃんと夜市の話をした。彼女の実家は、私が子どもの頃に祖父母が住んでいた家のすぐそばにある。近くにはこぢんまりした商店街があって、夏休みになるとそこに夜市が立った。祖父母の家に泊まっているときに夜市が立つと、必ず連れていってもらった。その日だけは商店街にも遅くまで開いている店があり、なかでも本屋が開いていることがうれしかった。その商店街の夜市に行っていたかと彼女に訊くと、「行ってましたよー」とうれしそうに答える。彼女のほうが私よりいくらか若い。小さかった彼女が両親に連れられて、それより少しお姉さんの私と同じ空間に居合わせたことがあるかもしれないと思うと、感慨深い。夜市はたしか5がつく日で月に3回しか立たないし、時間もそんなに長くない。年齢差を加味して考えても、同じ時間に同じ場所にいた可能性はわりと高い。並んでヨーヨー釣りをしたこともあったかもしれない。だからどうということもないのだが、その可能性を語れるのは結構うれしい。人生で最初の本屋さんの思い出も同じで、その商店街にある「上野書店」だった。私はその名前をごく最近、知ったのだが。
ちばちゃんには子どもが2人いる。今回は小学生のあさひだけを連れてきた。予定が決まったあとで、出席したほうがよい学校行事が展示中にあると知り、あさひはひとりで飛行機に乗って先に帰ることになった。人生初のひとり旅。それで短い滞在になったのだが、「どうしても橙書店のカレーが食べたい」と言って一度だけ店に来て、いっぱしに常連さんと並んでカウンターに座ってカレーを食べた。うちのカレーは子どもでも食べられる辛さの、なんの変哲もない味だ。それでも、「橙書店のカレーはやっぱりおいしいなあ」とうれしそうに食べてくれる。
私も子どもの頃、動物園の中にある食堂のカツカレーが大好きだった。赤い福神漬けと紙ナプキンでぎゅっと包まれた先割れスプーンも一緒に記憶されている。おそらくあれこそなんの変哲もない味で、カツもうすっぺらかったと思うのだが、あれ美味しかったなあと、ときおり思い出す。あの味を求めて、ドライブ途中の食堂なんかでついカツカレーを頼んでしまうことがいまだにあるが、たぶん、あの時代のあの場所でしか味わえない味なのだ。イベントの少ない家庭に育ったので、動物園に行くのはかなりのハレの日だったから。
あさひにとっての「橙書店のカレー」もそんなものかもしれない。ちなみにあさひは空港でカツサンドを買って、飛行機に乗ってひとりで食べるのを楽しみにしていたそうだが、カツサンドが売っていなくてがっかりしたらしい。
展示中に、遠方に住んでいる写真家のあやちゃんが来店した。彼女は前にちばちゃんのアクセサリーを買ってくれたことがあったので、展示中だと伝えると喜んでくれた。

彼女は熊本地震のあとにもすぐに遊びに来てくれ、店の写真をたくさん撮っていった。それからしばらくして店を引っ越すことになったので、その日撮った写真にはいまはもう見ることのできない光景が写っている。彼女はそれらの写真をノートに貼って、引っ越した翌月に届けてくれた。そこには、店にいるのが日常である私とは異なる視点の写真があった。地震からしばらく経ってちばちゃんが帰省した折にそのノートを見せると、「だめだあ」と言って泣いていた。私が写真を見て想起する記憶と、彼女のそれとは、同じ写真を見ていてもかなり違うだろう。何を思い出して泣いていたのかは彼女にしかわからない。ノートの表紙をめくると「橙書店にて」とまず書いてある。頁をめくり1枚ずつ写真を見れば、見る人それぞれの記憶がよみがえるから、何通りもの物語がそこに浮かび上がる。本と一緒だなと思う。
あなたが見て泣いた写真を撮った人だよとあやちゃんを紹介すると、ちばちゃんは「会えるなんて、うれしい」と喜んだ。実は、あやちゃんはそのノートを借りに来たのだという。写真展の一環としてノートを展示するそうだ。しかも、貸している間の代わりのノートまでつくってきてくれた。新たにつくられたノートを見ると、以前はなかった写真が少し付け加えられている。
久しぶりにみんなでノートの写真を見た。頁をめくっては記憶のかけらを見つけて、ちばちゃんが歓声をあげる。以前の店舗には、木材が薄く釘を打てない壁があった。そこだけ棚をつくることができず、何もないのもさみしいからと、送られてきた郵便物やもらった絵などをどんどん壁に貼っていった。その壁の写真の中に、彼女の息子が「ひさこさんえ」と私宛てに描いてくれた絵や、彼女の息子たちが生まれたときの足形を見つけて懐かしんでいる。私の友人の娘が書店の2階に泊まったときの置き手紙も見つけて、これは誰が書いたの? と訊いてくる。訊かれた私は、すっかり忘れていた、その手紙にまつわる出来事を思い出す。ちばちゃんは息子たちの足形を見たときに、きっと、息子たちがまだ小さな手や足をもっていた頃を思い出していただろう。

カウンター席の横の壁を這っている配線にも写真や手紙がはさんである。懐かしい人の写真を見つけたお客さんが、手元で見ようと1枚引き抜き、バランスをくずしたそれらがすべて落ちてしまう、ということもときおりあった。そんなことはすっかり忘れていたが、写真を見てふと思い出す。
カウンターの下に付いているコンセントの写真を、私はまじまじと見てしまう。お客さんたちの足が当たって、傷や汚れがたくさんついている。もとは真っ白に塗っていたけれど、見る影もなく汚れている。その部分は木材でできていて、私がペンキを塗った。目立たない場所だから塗るのが下手でも大丈夫、と工務店さんに言われて塗った。この写真を見ておもわず涙腺がゆるんでしまいそうになるのは、おそらく私だけだろう。なぜだかその写真がいちばん記憶をよみがえらせる。その木材は部分的にいまの店舗の本棚の一部になっている。
最後には、前のノートにはなかった、引っ越したあとの店の写真。もう何年も経ったから、すっかり私にもお客さんにも馴染んでいる場所だ。最後の頁には、「二〇二二年九月三〇日 いわいあや」と書いてある。彼女がノートを借りに来た日の日付で、できたてほやほやをもってきたようだ。
久しぶりに会えるから、一度くらい一緒に食事をしようとちばちゃんと約束をしていた。感染者数はまだ減っていないし、彼女のご両親はあまり外出されていないようだったので、外食はしないほうが安心だろうと思い私の家に呼ぶことにした。彼女の実家は私の家からほど近い。
昼間は暑いが夜は外のほうが気持ちいいから、庭で炭火をおこして、野菜や魚介類を焼いた。家人が近所のお手頃価格のスーパーで食材を買ってきてくれるから安上がりだし。普段は、魚介類を食べると猫たちがうるさくて辟易するが、外だと手を出されることがないから楽ちんだ。でも、匂いは家の中にも流れていくから、猫たちは外にいる私たちをうらめしそうに見て、たまにニャーと抗議の声をあげている。

今年の夏は新型コロナの感染者数が爆発的に増えたので、夏らしいことは何もできないまま終わってしまったから、里帰りしている彼女を迎えたこの夜の食事が遅れてきた夏休みのように思える。ほんとうは、ちばちゃんの家族もみんな一緒に火を囲めればもっとよかったのだけれど。でも、たまに家族と離れて過ごすのもお互いにとっていいことかもしれない。
ちばちゃんは食事をしながらしきりに「これってリトリートですよ」と言っていた。リトリートは最近耳にするようになった言葉だが、日常生活や住み慣れた土地を一時的に離れ、心身ともに休ませる過ごし方のことを言うらしい。昔の言い方で言えば「転地療法」か。よくよく聞くと、仕事でちょっと落ち込む経験もしたらしく、帰省そのものが結果として「リトリート」になったようだった。私たちは特別なことをしている感じはまったくないのだけれど、彼女にとっては非日常だったよう。
サッカー用語でリトリートは、ボールを奪われたあとすぐに自陣に戻り、守備の陣形をととのえることらしい。ときに退却することも大事ってことか、と思いを馳せていると、あるお客さんの言葉を思い出した。店にはじめて来た旅の人がなぜか「ここは避難所ですよ」と言ったのだ。避難所も人によっていろいろだろう。本屋だったり、山の中だったり、海辺だったり、仮想世界だったり。

展示が終わり、賑々しいちばちゃんが帰っていくと秋がきた。というか、秋をすっ飛ばして冬という感じで、朝晩冷え込む。最近は、冬ごもりの準備でヤモリがせっせと捕食している。寒くなれば、猫も雀もふっくらしてくる。冬になると雀は、羽根の中に空気の層をつくって寒さから身を守るそうだ。ふくら雀という。ふっくらとしてたいそうかわいらしいが、食べ物は減るわ、寒いわで当の雀にとってはつらい季節だろう。とはいえ、季節はまだ秋。お向かいさんには金木犀があって、オレンジ色の小花が遠目に見てもかわいらしく、甘い香りを放っている。剪定をされているところに出くわしたので、金木犀がいい香りですねと声をかけると、「うちの奥さんは金木犀の匂いが好かんかったもんねえ……」とおっしゃった。何気ない会話からも、ふと感じる香りからも、記憶は呼び覚まされる。
立ち話をしているとお隣さんも出てきて井戸端会議の体をなしてきたのだが、私は仕事に行かなければならず、ギャラリーの見守る中、「いってきまーす」と言いながらさっそうと車を出したら、ハンドルを早く切りすぎて車の底をこすってしまった。車の窓を開けて余裕で挨拶などしていたのに、派手な音をたてたので恥ずかしい。だいじょうぶ、たいしたことはなか、などと声をかけられ、みなさんの笑い顔に見送られる。金木犀の香りを嗅いだときに思い出す記憶が、私にもまたひとつ増えた。

(次回は吉本由美さんが綴ります)
プロフィール
田尻久子(たじり・ひさこ)
1969年、熊本市生まれ。「橙書店 オレンジ」店主。会社勤めを経て2001年、熊本市内に雑貨と喫茶の店「orange」を開業。08年、隣の空き店舗を借り増しして「橙書店」を開く。16年より、渡辺京二氏の呼びかけで創刊した文芸誌『アルテリ』(年2回刊)の発行・責任編集をつとめ、同誌をはじめ各紙誌に文章を寄せている。17年、第39回サントリー地域文化賞受賞。著書に『猫はしっぽでしゃべる』(ナナロク社)、『みぎわに立って』(里山社)、『橙書店にて』(20年、熊日出版文化賞/晶文社)、『橙が実るまで』(写真・川内倫子/スイッチ・パブリッシング)がある。
吉本由美(よしもと・ゆみ)
1948年、熊本市生まれ。文筆家。インテリア・スタイリストとして「アンアン」「クロワッサン」「オリーブ」などで活躍後、執筆活動に専念。著書に『吉本由美〔一人暮らし術〕ネコはいいなア』(晶文社)、『じぶんのスタイル』『かっこよく年をとりたい』(共に筑摩書房)、『列車三昧 日本のはしっこへ行ってみた』(講談社+α文庫)、『みちくさの名前。~雑草図鑑』(NHK出版)、『イン・マイ・ライフ』(亜紀書房)、『東京するめクラブ 地球のはぐれ方』(村上春樹、都築響一両氏との共著/文春文庫)など多数。