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大王アメタリシヒコの正体は厩戸皇子か?――周防柳「小説で読み解く古代史」第11回(謎4 その2)。

本がひらく

「邪馬台国はどこか?」に代表されるように、日本の古代史はいまだ解明されない謎ばかり。そのため、吉川英治や松本清張をはじめ、たくさんの作家がインスピレーションを掻き立てられては物語を書き、あるいは持論を展開してきた。本連載では、日本史を舞台にした作品を多く手掛ける著者が、明治・大正・昭和の文豪から平成・令和の小説家まで、彼らが描いた「歴史的なあの場面」に焦点をあて、諸説を紹介しながら、自身もその事件の背景や人物像を考察していく。作家ならではの洞察力と想像力を駆使して謎に挑むスリリングな古代史企画。
*第1回から読む方はこちらです。


「神宿る皇女」対「阿修羅」

 一冊目は、三田誠広みたまさひろさんの『碧玉へきぎょくの女帝 推古すいこ天皇』です。
 この作品は北国の大豪族の男大迹王おおどおうが、倭国の新しい大王として迎えられるところから始まりますので、時代の全体像をとらえるのにふさわしく思い、最初にあげました。

三田誠広『碧玉の女王 推古天皇』(学研M文庫)

 本書のテーマの一つは、選ばれたる皇女に神の意志が宿り、時代の先行きを決めるという神秘的な運命論です。
 タイトルにある「碧玉」は、その皇女のしるしで、主人公の炊屋媛かしきやひめ(推古女帝)はこれを手白香皇女たしらかのひめみこ継体けいたい天皇の皇后)から受け継ぎました。手白香皇女は飯豊青皇女いいどよのあおのひめみこ仁賢にんけん顕宗けんぞう両天皇の姉)から受け継ぎました。飯豊青皇女は神功皇后じんぐうこうごう応神おうじん天皇の母)から受け継ぎました。いずれも皇統が危機にひんしたとき、後継者を選んで未来へのみちをつないだ女性です。
 本書ではその原点に触れていませんが、アマテラスが父のイザナギから譲り受けたという翡翠ひすいの首飾りをイメージしているのではないかと感じます。アマテラスこそが、この地上にくだる最初の王(天孫てんそんニニギ)を決めた女神だからです。
 おのれの役割を悟った炊屋媛は心を定め、平らかな世の実現を願います。が、ちまたにはそれと対抗するように仏教が伝わり、怒濤どとうの勢いで広まっていきます。やがて、仏の申し子のような皇子が目の前に現れます。兄用明ようめい天皇の嫡男、厩戸皇子うまやどのみこです。炊屋媛は冷たい美貌を持つこの天才少年を、うす気味悪く思います。
 一般に、この時代の崇仏論争は、蘇我馬子そがのうまこ物部守屋もののべのもりやの対立を主に、俗的な権力闘争として描かれることが多いように思います。本作はその土俵を一段止揚しようし、「神宿る皇女」と「仏の申し子」という、一種崇高な対決で表現したところが独特です。
 炊屋媛の悩める想念の宇宙に、神功皇后、飯豊青皇女、手白香皇女が白く光る女神として現れます。それと向きあうように、三つの顔を持つ阿修羅あしゅらの姿をした厩戸皇子が対峙します。三対三の不思議な構図がおもしろいです。
 敵なのか、味方なのか。物語はミステリーめいた緊張感をはらんで進みますが、やがて「この皇子は敵にあらず」という結論が導かれ、神仏の融合のような形で決着します。
 では、敵は誰なのでしょうか。融合した二つの極は、いずれ滅ぼさねばならぬものとして、蘇我の息子たちに照準を合わせるのです。
 物語は厩戸が崩じ、馬子、推古も高齢により世を去るところまで描かれるのですが、推古は死に際し、みずからの後継として田村皇子たふるのみこ(亡夫敏達びだつの嫡孫、のちの舒明じょめい天皇)を望みます。そして、わが息のかかった宝皇女たからのひめみこをすでに縁づいていた夫から引き離し、田村にめあわせ、神秘の碧玉を手渡すのです。
 宝皇女は、のちに蘇我氏を討つことになる中大兄皇子なかのおおえのみこの母、皇極こうぎょく女帝です。
 神宿る皇女の役目が、また一つ受け継がれ、幕となります。

聖徳太子が師事した僧

 女神の力に着目した物語の次は、仏道を見つめた一冊をあげましょう。比較文化学者の上垣外憲一かみがいとけんいちさんの『陽炎かぎろい飛鳥あすか』です。
 本書の主人公は、厩戸皇子が師とした高句麗こうくりの僧、慧慈えじです。五九五年に来倭して、六一五年に帰国するまで二十年の交流が描かれます。

上垣外憲一『陽炎の飛鳥』(アートヴィレッジ)

 異国僧から見た厩戸皇子とは他に例のない視点で、それだけでも珍しいのですが、上垣外さんは日韓関係史が専門で、これまでも両国にゆかり深い人物(たとえば豊臣秀吉や伊藤博文など)を軸に据えることによって、二つの国の相互関係を考察してきました。このたびはその軸となる人物が慧慈になっただけですから、上垣外さんにしてみれば奇をてらったわけでもなんでもない正攻法であるわけです。ましてや慧慈は外交使節としての側面もあるので、なおのこと自家薬籠中じかやくろうちゅうのテーマであったのでしょう。
 六~七世紀の朝鮮半島の動きの中で、倭国にとってもっとも重大な事件は伽耶かや任那みまな)が新羅しらぎに攻められ、欽明きんめい治世の五六二年、ついに併吞へいどんされてしまったことでした。欽明天皇はこれを悔しがり、「任那を回復せよ」が最大の遺言となりました。
 推古朝でも新羅への悪感情は強く、折に触れて討伐の声があがるのですが、厩戸皇子は慎重論を取ります。それは、半島三国の後ろに誕生した帝国ずいを意識したためで、目先にとらわれた小競りあいがどのような不利を招くか危惧したのです。隋にとって最大の敵は高句麗ですから、まずはこの二強の動きを見極め、そのうえで残る新羅、百済とうまく駆け引きしていかねばなりません。
 作中には厩戸皇子と慧慈が国際情勢を談義する場面がたくさん出てくるのですが、著者専門の畑として、興味深く読み入ってしまいます。
 厩戸皇子の事績に関しては、全般的に穏健な解釈です。厩戸皇子が折に触れて慧慈に相談を持ちかけ、慧慈が都度都度アドバイスを返し、結果的によい成果が積みあげられていきます。
 たとえば、「憲法十七条」は、厩戸皇子が儒学博士の覚哿かくかに草稿を作らせ、できあがったものを手直ししたとしています。もともと十二条だったものに皇子が「をもってとうとしとなし……」「あつ三法さんぽうを敬え……」などの四条を加え、さらに慧慈が「忿こころのいかりを絶ち、おもてのいかりを棄て……」の一条を加え、十七条となりました。
 この憲法は儒教と仏教が融合した独特の思想として評価されています。このように具体的な情景として描かれると、なるほどと納得します。
 厩戸皇子と慧慈のうるわしい関係は、切ないことに、ほかならぬ厩戸皇子の最大級の仕事――「日出ひいずるところの天子、書を日没ひぼつする処の天子に致す……」の雄渾ゆうこんな国書で知られる遣隋使派遣――によって断たれることになります。
 高句麗と隋は敵対国なので、隋と倭国の間に良好な関係が結ばれた以上、慧慈を優遇するわけにいかず、居心地が悪くなってしまったのです。
 物語は六一五年、帰国の船に乗船した慧慈を、厩戸皇子、妻の菩岐岐美郎女ほききみのいらつめ、子の山背大兄王やましろのおおえのおうが大和川畔で見送るところで終わります。
 派手なエンターテインメント性はありませんが、端正な構成と淡々とした運びが快く、厩戸皇子と慧慈の人となりが素直に伝わってくる小説です。

アメタリシヒコとは何者か

 三冊目は、黒岩重吾くろいわじゅうごさんの『聖徳太子――日と影の王子』です。
 本書は厩戸皇子が十四歳で物部合戦の初陣を飾るところから始まり、人生がもっとも順風であった二十代までを描きます。飛鳥の政権とのあいだに確執かくしつが生まれ、理想と現実の落差に苦しむことになった晩年は『斑鳩王いかるがおう慟哭どうこく』という別作にまかせ、こちらは若き日の青雲せいうんこころざしが中心です。悟り澄ました聖人ではなく、恋に悩み、煩悩に苦しむ人間的な王子像に好感が持てます。

黒岩重吾『聖徳太子 日と影の王子』1(文春文庫)

 なにしろ全四巻の大作ですから、周囲の人物群像、時代背景の描写も詳細を尽くして読みごたえがあるのですが、とりわけ注目したいのは、馬子と推古女帝と厩戸皇子の関係を考えるうえでネックとなる「ある事案」について、きっちりと論じている点です。
 それは、中国の史書『隋書』「倭国伝」の六〇〇年(開皇かいこう二十年)の条に見える、遣隋使にかかわる不可解な問題です。
 遣隋使といえば、一般には小野妹子おののいもこらが使節となった六〇七年(大業三年)の渡航が有名ですが、これはじつは第二次であり、それより七年前に第一次の遣隋使が派遣されているのです。しかし、『日本書紀』は一次についてはいっさい触れていません。
 倭国の使者(誰であったかは不明)は、隋の文帝ぶんていからいろいろと質問されたようで、『隋書』にはかなり詳しく倭の国情が記されています。
「王のせい阿毎あめ(アメ)、あざな多利思比孤たりしひこ(タリシヒコ)、号は阿輩雞弥あほけみ(オオキミ)という」
「王の妻は雞弥けみ(キミ)と号す」
「王の後宮には六、七百人の女がいる」
「太子は歌弥多弗利かみたふり(ワカンドオリか)という」
 アメタリシヒコとは固有名ではなく、「天つ神の子で世を治める男」という意味の一般名称と思われます。ワカンドオリも、この読み方でよいとすれば、「若御裔(皇族の王子)」という一般名称です。
 倭国の大王は推古女帝のはずなのに、「大王は男で、妻がおり、嫡男がおり、後宮にはたくさんの側室がいる」とは、穏やかではありません。
 黒岩さんは、馬子と厩戸が「隋は女帝を認めていないので、蛮視されぬために、国王は男ということにしたほうがよい」と、ご機嫌の悪い推古女帝を説得する場面を描いています。使者は虚偽の申し立てをするよう言い含められ、隋へ向かうのです。
 本作は六〇七年の遣隋使を派遣する前に終わるので、そちらの場面はありません。その代わりに「終章」が設けられ、この問題を含めた疑問点を論じています。この章がたいへん興味深いのです。
 六〇七年の派遣の翌六〇八年、隋の煬帝ようだいは帰国する小野妹子らに裴世清はいせいせいらを答礼使として随行させました。煬帝が倭国に興味を持った証拠で、つまり厩戸皇子の強気の国書が大成功をおさめたわけですが、生身の使者と対面するとなれば、ごまかせることにも限度があったはずだと黒岩さんは言います。
 裴世清の目に映った倭国の大王アメタリシヒコは誰だったのでしょう。黒岩さんはこれを厩戸皇子とみます。しかも、その場限りのウソではなく、じっさいにこのとき厩戸皇子が位に就いていたとみなすのです。なぜならば、いかに廟堂びょうどう諸大夫まえつきみが口裏を合わせようと、長く滞在していればどこからか情報が漏れ、真の大王は女性と伝わってしまっただろうからです。
 とはいえ、この「厩戸大王」はごく短命で、まもなく推古女帝と大臣馬子の鉄壁のコンビが復活したと考えます。理由は、六〇八年の会見がうまくいきすぎ、厩戸の声望が予想を超えて高まったからです。国内だけならまだしも、国際的にその名が轟けば、おのれの制御がきかなくなると馬子が危惧したのです。
 これらは『日本書紀』のこの時期の諸儀式の模様を詳細に読み込んでの推測です。
 その後、厩戸皇子は政権からていよく排除されつづけ、おかげで厭世えんせい的になり、仏教に没頭し、浮かばれぬ境遇の中で崩じました。厩戸皇子は愛妻の菩岐岐美郎女とわずか一日違いで亡くなっているのですが、これはかなり不自然なことなので、あるいは自死だったのではなかろうか――。
 以上が黒岩さんの推理です。なかなか大胆です。
 厩戸皇子の登場する小説の中で、六〇〇年の遣隋使の問題について触れているものは少ないので、さすがの度胸と感じます。
 飛鳥時代を描いた黒岩さんの作品としては、この他に推古女帝と三輪逆みわのさかうとの恋を中心に据えた『紅蓮ぐれんの女王――小説 推古女帝』、物部守屋と蘇我馬子の対決を描いた『磐舟いわふね光芒こうぼう――物部守屋と蘇我馬子』があります。その少し前の時代の『北風きたかぜつ』では、継体天皇の大和進出が描かれています。時系列に沿って読むと、より時代の流れをとらえることができるのではないでしょうか。

藤ノ木古墳の鬼神

 四冊目は少し珍しい観点からの作品として、藤ノ木陵ふじのきりょうさんの『天駆てんかける皇子みこ』をあげます。
 この本の主人公は、穴穂部皇子あなほべのみこです。欽明天皇の皇子の一人で、母は蘇我稲目いなめの娘の小姉君おあねのきみです。豊日皇子とよひのみこ(用明天皇)や額田部皇女ぬかたべのひめみこ(推古天皇)は異母兄弟にあたります。

藤ノ木陵『天駆ける皇子』(講談社)

 政界のドンの蘇我馬子から見れば、いずれも甥姪なのですが、馬子は実妹の堅塩媛きたしひめの子である豊日や額田部ばかりひいきし、異母妹の小姉君の子たる穴穂部や泊瀬部はつせべには冷淡でした。ゆえに、穴穂部は大王位の周辺にいながら、いつも栄光を逃してしまいます。そんな非情な皇位継承争いを描いたのが本書です。
 穴穂部は気性の荒い皇子ですが、愚昧ぐまいというわけではありません。ところが、運命の神様にほほえんでもらえず、常に二番手三番手に甘んじざるをえません。その鬱憤うっぷんにより、なおのこと破壊的な行動に走ってしまうのです。
 穴穂部皇子といえば、亡き敏達帝の喪に服している額田部皇太后のもとへ忍んでいった蛮行で知られます。本書はこれを、穴穂部を失脚させるために額田部と馬子がしくんだたくらみとして描きます。
 穴穂部は殯宮もがりのみやの警護に当たっていた三輪逆に難詰され、逆切れして逆を殺し、結局、自身も成敗されてしまいます。
 要するに、罠にかかりやすい哀れな皇子なのですが、では、そのような穴穂部の物語を、著者が描こうしたのはなぜなのでしょうか。
 それは、斑鳩いかるがの法隆寺の近くで発見された一つの古墳が契機となっています。藤ノ木ふじのき古墳です。六世紀末の特徴である小型の円墳の石棺の中から、二体の人骨と、東アジアでも類を見ない、すばらしい金銅細工こんどうざいくの馬具が出土したのです。
 二体の人骨には大小があり、当初は夫婦かと推測されましたが、のちに男性二人という説が濃厚になりました。この時期に同時に死に、このような副葬品ふくそうひんをもって弔われる王族とは誰なのか。いろいろ推測がなされた末に、蘇我馬子に謀殺された穴穂部皇子と宅部皇子やかべのみこではないかという説が浮上したのです。
 大王になれなかった二番手の男と、質素な墓と、不釣りあいに豪華な馬具。この三つの組み合わせが、藤ノ木さんの想像を強く搔き立てたのでしょう。
 この小説には二つの並行したストーリーの流れがあり、一つは皇位継承争いに翻弄される穴穂部皇子の流れ。もう一つは、渡来の職人の司馬村主しばのすぐりが率いる鞍作くらつくりの集団の流れです。
 司馬村主は大臣蘇我馬子の下で一族を繁栄させることに汲々きゅうきゅうとしています。まつりごとの世界に権力闘争があるように、職人の世界にも生き残りをかけた闘いがあるのです。
 くだんの馬具は、もともと蘇我馬子が新大王の用明に献上するために注文したものだったのですが、馬子におもねりたい司馬村主はこれまでにない革新的な鞍をこしらえようと、畑違いの刀装工の新羅人、長順ちょうじゅんに装飾加工を命じました。飾り太刀に用いる透かし彫りや象嵌ぞうがんなどの細工を馬具にほどこしたら、さぞかし美しいものができるだろうと思い描いたのです。
 自分の手技に誇りを持つ長順は、邪道な求めに駆り出されたことに反発しながら仕事にとりかかるのですが、その作業場へ、ある日穴穂部皇子がふらりと現れます。そして、豪華な馬具に目を留め、くれと所望しました。親方の村主は断りますが、それが馬子の注文で、大王用明に献上されるべきものであると知ると、穴穂部は例によって憎悪の炎を爆発させます。そのまなこを見た瞬間、長順の心になにかが焼きつけられるのです。
 長順はその後、当初予定していた意匠を変更し、鞍の後輪しずわの部分に「クイシン」を彫ろうと決めます。クイシンとは「鬼神」のことです。穴穂部皇子の双眸そうぼうから射るように放たれた怒りが、どうしてもそれを彫らねばならぬという気にさせたのです。
 その後、大王用明は疱瘡ほうそうに冒され、あえなく世を去ります。穴穂部は物部守屋と組み、いよいよ自分の出番かと奮起します。が、それもつかのま、馬子と額田部の共謀によって葬り去られるのです。
 穴穂部皇子とともに殺された宅部皇子は、卑母の出生のため皇位継承から脱落していた王子で、穴穂部にとっては唯一心を許せる弟であり、親友でもありました。そのため、穴穂部とともに始末されたのです。
 物語の最後、しいされた二人は別々の墓を作るのも面倒として、同じ棺に入れられます。そして、たたりを防ぐために、司馬村主のもとで作られていた絢爛けんらんな馬具――用明天皇が亡くなり、納めるべき相手を失ったむなしい宝飾品――が添えられます。
 金色燦然こんじきさんぜんと輝く鞍に向かって、馬子は「せめてもの手向けだ」とつぶやきますが、長順は違うと思います。
 蓮華座れんげざの支柱に押さえつけられた鬼神が、苦悩の炎を噴きあげています。
 ――この馬具は、初めからここへ収まるべきものだったのだ。
 ある時代の一瞬を切り取り、それによって、時代全体の空気を描き出す筆さばきがあざやかだと感じました。

次回(9月20日公開予定)に続く

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プロフィール
周防柳(すおう・やなぎ)

1964年生まれ。作家。早稲田大学第一文学部卒業。編集者・ライターを経て、『八月の青い蝶』で第26回小説すばる新人賞、第5回広島本大賞を受賞。日本史を扱った小説に『高天原』『蘇我の娘の古事記』『逢坂の六人』『身もこがれつつ』がある。

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