連載「哲学ディベート――人生の論点」【第4回】英語を公用語にするべきか?
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連載「哲学ディベート――人生の論点」【第4回】英語を公用語にするべきか?

●「哲学ディベート」は、相手を論破し説得するための競技ディベートとは異なり、多彩な論点を浮かび上がらせて、自分が何に価値を置いているのかを見極める思考方法です。
●本連載では「哲学ディベート」を発案した哲学者・高橋昌一郎が、実際に誰もが遭遇する可能性のあるさまざまな「人生の論点」に迫ります。
●舞台は大学の研究室。もし読者が大学生だったら、発表者のどの論点に賛成しますか、あるいは反対しますか? これまで気付かなかった新たな発想を発見するためにも、ぜひ視界を広げて、一緒に考えてください!
※第1回から読む方はこちらです。

法学部B 僕が「英語の早期教育」について調べてみようと思ったきっかけは、日本の英語教育そのものに大きな疑問を抱いていることにあります。
 僕は、小学校の頃は勉強嫌いでサッカーばかりやっていましたから、塾にも行かず、公立中学校の授業で初めて英語に触れました。その後、英語を勉強したのは、高校受験のためであり、また大学受験のためであって、英語の学習自体を楽しいと思ったことは、ほとんどありません。大学入学後も、1・2年次の教養課程で英語の授業がありましたから、考えてみれば中学・高校・大学の8年間を英語に費やしたことになります。
 それで、どれだけ英語ができるようになったかというと、先日NHKの放送センターの側を歩いていたら外国人から渋谷駅への道を聞かれて、マトモに答えられなかった。スーパーマーケットで売り場がわからなくて困っていた外国人の女性に話しかけられたときも、早口で何を言っているのか聞き取れなくて、何度聞き返してもわからなかった。せっかくモデルみたいな金髪の美人に話しかけられたのに、ガッカリしましたよ。
 改めて8年間も何をやってきたのか考えてみると、「時制の一致」とか「仮定法過去完了」とか、重箱の隅をつつくような文法問題とか長文読解問題を解くための受験テクニックを磨いてきただけです。仮にこれまでの8年間に英語に費やした時間を別のことに使っていたら、どうなっていたか?
 あれだけの時間を使ってピアノを練習していたら、今頃はどんな曲でも弾けるようになっていたかもしれないし、スケートボードをやっていたら、オリンピックに出場できたかもしれない。そう思うと、僕の受けてきた英語教育そのものが膨大な無駄のように思えるんですね。今では「外国法」の授業で判例を読むときぐらいしか英語を使わないので、受験で丸暗記したボキャブラリーも忘れてしまったし、コミュニケーションはまったくできません。
 その英語をなぜ日本人全員が小学校から必修でやらなければならないのか? いろいろと調べてみると、日本では英語を「公用語(official language)」にしようとする歴史的な動きがあることがわかりました。これは日本だけではなく世界的な動きで、「英語帝国主義」として批判されることもあるようです。この問題については、いずれ詳しく文献を調査してみたくなりました。

教授 それは興味深い問題だから、ぜひ調べてみるといいね。少しだけヒントを言っておくかな……。
 そもそも日本で最初に「英語公用語論」を唱えたのは、初代の文部大臣・森有礼だった。彼は「薩摩藩第一次英国留学生」としてイギリスに留学し、明治政府の外交官となってアメリカに赴任した。そこで彼は、アメリカの有識者に日本の教育について意見を求め、1873年に著書『Education in Japan』を英文で発表した。
 その中で彼は、日本は日本語を廃止して英語を公用語にしなければ、世界の商業社会から取り残されてしまうと危機感を主張したんだが、時代を先取りしすぎたためか、当時はまったく受け入れられなかった。今では、森氏に大変な「先見の明」があったと高く評価する見解もあるがね。結果的に彼は、国粋主義者の暴漢に襲われ、脇腹を刺されて41歳の若さで亡くなった。
 第2次大戦後、日本を占領した「連合国軍総司令部(GHQ)」の要請により、「アメリカ教育使節団」が派遣された。この使節団は、アメリカの大学教授や各州の教育委員ら27人の教育専門家で構成され、どうすれば日本に民主主義教育を根付かせることができるかを検討した。
 彼らは、1946年3月に「アメリカ教育使節団報告書」をGHQに提出し、その方針に基づいて1947年3月に「教育基本法」と「学校教育法」が制定された。ここで日本の教育の「機会均等」「男女共学」「小学校6年・中学校3年の義務教育」「教育委員会方式」といった、現代にいたる教育制度の根本方針が定められた。
 さて、実はこの報告書には、日本語の漢字を廃止してローマ字表記にすべきだという提言が織り込まれていてね。「いまこそ、国語改革のこの記念すべき第一歩を踏み出す絶好の機会」であり、「ローマ字は民主主義的市民精神と国際的理解の成長に大いに役立つ」と主張している。
 日本語は51字の「ひらがな(カタカナ)」と2,000字以上の「漢字」から成り立っているが、ローマ字表記ならば「アルファベット」26文字ですべてを表現できるだろう? 外国人でも読むことができるし、タイプライターがあれば即座に印字できるから、意思疎通に便利だし、効率的だとみなされたわけだ。
 この使節団は、そもそも難解な漢字を読めるのは一部の知識人だけで、大多数の日本人は「ひらがな(カタカナ)」で意思疎通をしているに違いないと考えていた。そこで彼らは、1948年8月、全国から15~64歳の男女約17,000人を無作為抽出して、日本人の識字率を調査した。現代のようにコンピュータは存在せず、電卓さえなかった時代だから、手作業で大変な調査だったと思うがね。
 調査に使われたのは、「ひらがな・カタカナ・漢字・数字の読み書き」や「文章読解力」など日本語能力を問う問題90問。その結果、全体平均は100点満点に換算して78点と驚くほど高く、非識字者はたった2.1%にすぎなかった。この数値は、当時の世界各国の非識字率と比べても著しく低く、アメリカ教育使節団の想定は完全に覆された。これによって、日本人が信じ難いほど高い日本語能力を持っていることが明らかになったから、「漢字廃止」と「ローマ字表記」の議論は消え去った。
 近年では、総理大臣・小渕恵三氏の私的諮問機関「21世紀日本の構想懇談会」が2000年1月に「日本のフロンティアは日本の中にある」という報告書を発表し、その中に英語の「第二公用語化」という構想が出ている。
 こちらは、「第一公用語」の日本語は大切にしながら、さらに英語を「第二公用語」として法制化してその地位を押し上げ、日本人の英語能力を高めるべきだという論法だ。この論法は、今でも政策論争や教育論争といった何らかのキッカケがある度に議論に登場してくるようだね。

文学部A 私は「日本近代文学史」の授業を受けていて、小説家の志賀直哉が終戦直後の1946年に雑誌『改造』に随筆を発表し、日本語を廃止してフランス語を公用語にすべきだと主張したというエピソードを聴いて、ビックリしたことがあります。
「小説の神様」と呼ばれるほど日本語を大切にしていた志賀が、「世界で最も美しい言語はフランス語」だからという理由で、しかも本人はフランス語をまったく読み書きできないにも拘わらず、フランス語の発音のイメージだけから「美しい」と主張したそうで、とても不思議に感じました。もしかすると、戦争で荒廃した日本を立て直すには、それくらい徹底した変革が必要だと考えたのかもしれませんが、現実にはとても無理な話だと思います。
 そもそも日本人の「母語」は日本語です。私たちは幼児期から日本語を通して世界を認識し、物事を理解しているわけですから、それを他の言語に置き換えることなど、最初から完全に不可能だと思います。
 つまり、私たちの「第一公用語」は、あくまで日本語です。そのうえで「第二公用語」として英語を設定するという発想に対しても、私は賛成できません。というのは、現在の日本社会にその必要があるとは思えないからです。
 これはフィリピン出身の留学生から聞いたのですが、フィリピン共和国は7,000以上の島から構成される島国で、使用されている母語は172にも及ぶ多民族・多言語国家だということです。
 最も人口の多いのは、約1億900万人のフィリピン人の4分の1を占める「タガログ族」で、彼らの母語が「タガログ語」なので、それを簡易化して人工的に作った「フィリピン語」が第一公用語に定められています。
 さらに「英語」が第二公用語になっていますが、それはフィリピンが歴史的にアメリカの植民地だった時代が長く、国民が英語を用いることに違和感を持たないためです。むしろ若者は流暢な英語を話し、伝統的なタガログ語やセブアノ語といったフィリピン固有の言語を話す老人が徐々に減少しているのが現状だそうです。
 フィリピンのような多民族・多言語国家で、出身島や母語の異なる国民が円滑なコミュニケーションを取るために二つの公用語を必要とすることは理解できます。しかし、日本は過去に植民地支配されたことがなく、無理に外国語を使わなくても構いません。これは世界の中で考えてみても、とても珍しく、誇りに思ってよい環境だと思います。
 日本語は日本人としてのアイデンティティそのものであり、日本文化の基盤でもあります。ですから私たちは、日本語と日本文化を守っていくことが最優先事項だと思います。

経済学部C 私もA子の言いたいことは、よくわかります。日本には立派な日本語がある以上、あえて英語を第二公用語にする必要はないということね。
 でも、外国から訪れた人たちからすると、日本では空港やホテルや大都市の決まった場所でしか英語が通じないので、非常に閉鎖的な社会に見えてしまうという欠点もあると思います。
 これは「観光学」の授業に出てきた話ですが、日本では地方の名所や旅館に行ってもほとんど英語が通じないので、外国人旅行者から敬遠されているそうです。その結果、せっかく欧米から旅行者がアジア圏に観光に来ても、日本では東京と京都だけを回って地方の美に触れることがなく、すぐに香港や上海に移動してしまうらしい。これでは「観光立国」などと言っても、インバウンドを望めないのではないでしょうか。
 ですから、一種のショック療法的な意味で、英語を第二公用語にしてしまう手段もありかなと思います。私は羽田空港が大好きでよく遊びに行くんですが、電光掲示板の文字にしてもアナウンスにしても、すべて日本語と英語の両方ですよね。レストランのメニューも日本語と英語で併記してあるし、店員に話しかけても日本語でも英語でも通じる。もし日本全国が羽田空港のようになったら、インバウンドも大幅に増加すると思います。
 それから、日本には外国人就労者も増えていますが、たとえば日本で看護師として働くためには、日本の看護師国家試験に合格しなければなりません。ここに資料がありますが、2010年の看護師国家試験に合格できたのは、外国人受験者254人中、たった3人しかいません。日本人の合格率は約90%なのに、外国人の合格率が1.2%の超狭き門になっているのは、試験が日本語だけで行われているからです。
 英語で授業の行われる四年制大学看護学科を卒業して、看護師の国家資格を得たフィリピン人やインドネシア人が、せっかく日本での就労を希望して来日しているにもかかわらず、難しい日本語の試験で不合格になっているわけです。
 今後、看護師だけではなく、栄養士や介護士などの試験を英語でも実施するようにしたら、日本で就労を希望する外国人をもっと数多く受け入れることができるのではないでしょうか?

理学部D つまり、社会のいろいろな場面で日本語と英語が併用されるようになれば、外国人の観光客や就労者の受け入れにメリットがあるということだよね。それはそれで理解できるけど、必ずしも英語を第二公用語にするほどの必然性はないと思います。
 そもそも「公用語」にするとはどういうことか、根本的に考えていく必要があるのではないかな。日本では、憲法をはじめ、基本的な法律や経済的な契約、社会的な重要事項説明など、すべてが日本語で記載されています。ここで英語も公用語ということになれば、それらの重要概念を日本語で表現しても英語で表現しても、どちらも政府や企業の公式見解とみなされるわけです。そこで翻訳が焦点になるわけですが、二つの言語間で意味やニュアンスに相違の生じる可能性はありませんか?
 理系分野では、できる限り言語的な解釈の齟齬や誤解が生じないように、研究者は、数式と記号と英文だけを用いて論文を執筆して、学会誌のレビューを受けて発表するのが学界のスタンダードになっています。ただし、理系の研究者が最初から英語で物事を考えているのかというと、実はそうではありません。
 物理学者の湯川秀樹は、幼少期から『老子』や『荘子』のような中国の文献に親しみ、京都帝国大学で物理学を専攻しながら、哲学科の西田幾多郎の講義を聴講していたそうです。そして、毎日のように夕暮れの「哲学の道」を散歩しながら、量子論の問題を考えていました。
 その問題を簡単に説明すると、原子の中心にある原子核は、正電荷の「陽子」と電荷を帯びない「中性子」で構成されていて電荷的に不安定なのに、なぜ崩壊せずに安定して存在するのか、ということです。そして27歳の湯川は、陽子と中性子の間を未知の「中間子」が素早く往来しながら結びつけているという「中間子理論」を発見します。
 ここで興味深いのは、「中間子理論」の中心概念である「媒介の思想」が西田哲学の根本思想だということです。つまり、湯川は、難解な日本語で知られる西田哲学のおかげで独創的な理論を導いたわけです。これは極端な話ですが、もし湯川が西田哲学の難解な日本語を読んでいなければ、中間子理論を発見できなかったかもしれません。
 その後、宇宙線の軌跡から湯川の予見した「中間子」が実際に発見され、彼は1949年、日本人として初めてのノーベル物理学賞を受賞しました。さきほどA子さんが、日本語は日本人としてのアイデンティティであり、日本文化の基盤だと話していましたが、それに加えて、日本語は日本人特有の思考の原点でもあるわけです。

医学部E たしかに、独創的な研究の背景に母語に基づく思考や文化の影響があることはわかります。しかし、湯川の「中間子理論」そのものは、数字と記号と英文だけを用いた論文で発表されたから、世界中の物理学者が読むことができたんだよね。
 その後、湯川はアメリカのプリンストン高等研究所に行って、アインシュタインと一緒に研究したりしているけど、その際も英語を使ったわけでしょう? 湯川の母語は日本語、アインシュタインの母語はドイツ語だけど、二人はお互いの公用語である英語でコミュニケーションを取ることができた。公用語としての英語は、そういう意味で必要不可欠なんじゃないかな……。
 前回のゼミで、インターネットの1,000万を超える情報コンテンツを調査した結果、世界の情報の60%は英語で、日本語は2%にすぎないという話をしました。やはり僕は、日本語だけで情報を処理していたら、世界から取り残されてしまうという危機感を抱きます。
 たしかに、かつてのイギリス帝国が、アメリカやカナダ、オーストラリアやインド、東南アジア諸国やアフリカ諸国を植民地化して「英語帝国主義」を拡大させたという歴史的事実を批判することはできるでしょう。ただ、すでに英語は世界の「公用語」になってしまったのですから、日本でも英語を第二公用語にして、誰もが自在に英語を「読む・書く・聞く・話す」の四技能を使えるように教育していくべきだと思います。
 さきほどC子さんが国家試験を英語にしてはと提案していましたが、英語が公用語になれば、どの学校の授業や試験も英語で実施できるようになります。中学校や高校の授業でも、数学・理科・社会・音楽・体育といった科目を日本語と併用して英語で教えるようになれば、生徒は今よりも自由自在に英語を使えるようになるはずです。
 大学の授業が全面的に英語で行われるようになれば、いろいろな国の外国人留学生が日本に押し寄せてくるでしょう。外国人留学生が多くなれば、大学構内だけでなく、彼らの周囲のあらゆる場面で日本人が英語でコミュニケーションを取る機会も多くなります。外国人留学生や外国人就労者が、日本を活性化してくれるのではないでしょうか。
 大学の単位互換制度を活用すれば、たとえば最初の2年間は東京大学、次の2年間はアメリカのハーバード大学、大学院はイギリスのケンブリッジ大学に移動するような研究者も多くなるでしょう。このような留学によって日本人の若者の視野が広がり、日本全体のグローバル化をもたらすはずです。
 現在、世界では80以上の国と地域が英語を公用語として、英語話者は20億人を超えています。僕は、日本人も彼らの仲間入りをするべきだと思います。

教授 「日本で英語を第二公用語にすべきか」という問題は表層的な政策論争に映りますが、その根底に言語や文化に関する哲学的議論のあることがわかりますね。本当に難しい問題だと思いますが、このディベートを契機として、改めて自分自身で考えてみてください。

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参考文献
JNEWS「フィリピン看護師は、なぜ日本を見捨てて中東へ向かうのか?」、https://www.jnews.com/special/health/hea1101.html
Wikipedia, “List of countries by English-speaking population,” https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_countries_by_English-speaking_population
志賀直哉『志賀直哉随筆集』高橋英夫(編)、岩波文庫、1995
中公新書ラクレ編集部・鈴木義里(編)『論争・英語が公用語になる日』中公新書ラクレ、2002
21世紀日本の構想懇談会「日本のフロンティアは日本の中にある」
https://www.kantei.go.jp/jp/21century/houkokusyo/index1.html
村井実(訳)『アメリカ教育使節団報告書』講談社学術文庫、1979
湯川秀樹『旅人』角川ソフィア文庫、2011

題字・イラスト:KAZMOIS

プロフィール
高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう)

國學院大學教授。専門は論理学・科学哲学。著書は『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『愛の論理学』『東大生の論理』『小林秀雄の哲学』『哲学ディベート』『ノイマン・ゲーデル・チューリング』『科学哲学のすすめ』など、多数。

関連書籍

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