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箸墓古墳に眠るのは卑弥呼か? 新聞連載中に幾度も劇的な出来事に遭遇した「邪馬台国=畿内説」の代表作とは?――周防柳「小説で読み解く古代史」第3回
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箸墓古墳に眠るのは卑弥呼か? 新聞連載中に幾度も劇的な出来事に遭遇した「邪馬台国=畿内説」の代表作とは?――周防柳「小説で読み解く古代史」第3回

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「邪馬台国はどこか?」に代表されるように、日本の古代史はいまだ解明されない謎ばかり。そのため、吉川英治や松本清張をはじめ、たくさんの作家がインスピレーションを掻き立てられては物語を書き、あるいは持論を展開してきた。本連載では、日本史を舞台にした作品を多く手掛ける著者が、明治・大正・昭和の文豪から平成・令和の小説家まで、彼らが描いた「歴史的なあの場面」に焦点をあて、諸説を紹介しながら、自身もその事件の背景や人物像を考察していく。作家ならではの洞察力と想像力を駆使して謎に挑むスリリングな古代史企画。
*第1回から読む方はこちらです。


謎1 卑弥呼と邪馬台国  (その3)

卑弥呼の鏡とパンドラの箱

 九州説が続きましたので、畿内説に移りましょう。趣向もがらりと変えまして、内田康夫うちだやすおさんのミステリー、『箸墓幻想はしはかげんそう』です。
 内田さんといえば、ルポライターにしてアマチュア探偵の浅見光彦あさみみつひこのシリーズでおなじみです。このご存じ光彦氏が、邪馬台国の候補地である纒向まきむく遺跡で、殺人事件の解決に奔走するのです。

内田康夫『箸墓幻想』(角川文庫)

 纒向遺跡とは、奈良県東南部の三輪山みわやまの裾野に位置し、東西約二キロ、南北約二キロの広大なエリアに、多数の前方後円墳、祭祀施設、倉庫、水路、金属類の加工場跡などが集中している都市遺跡です。
 なかでも三輪山の南西麓に横たわる箸墓古墳は、全長約二百八十メートル、二重の周濠を備え、大型の前方後円墳としては日本最古です。被葬者は『日本書紀』には七代孝霊こうれい天皇の息女、倭迹迹日百襲姫命やまとととひももそひめのみこと(三輪山の大物主神おおものぬしのかみとの神婚の伝説がある)とありますが、規模からすると大王墓の可能性が高く、かねてから卑弥呼の墓ではないかと目されてきました。後円部の寸法が『魏志倭人伝』に記されている百余歩と一致することは、先にもいったとおりです。
 じつのところ、邪馬台国論争は二〇〇〇年ごろまで九州のほうが優勢だったのですが、その後、畿内が少しずつ勢いを盛り返してきました。その要因としては、纒向遺跡の全貌が明らかになり、年代もかつて考えられていたよりかなり遡ることがわかってきたことが大きいです。
 この『箸墓幻想』はそんな上昇機運の中で書かれたのですが、いかなる神様の采配か、連載中に大きな発見が二つも続きました。
 一つは、二〇〇〇年三月に箸墓古墳の東に隣接するホケノ山古墳(全長約八十メートルの前方後円墳)から「画文帯神獣鏡がもんたいしんじゅうきょう」が出土したことです。先にも少し言いましたが、鏡といえば、卑弥呼が魏の皇帝から贈られたとされる「三角縁神獣鏡さんかくぶちしんじゅうきょう」が有名です。しかし、三角縁神獣鏡には、じつは日本国内で製造されたのではないかという疑いがあります。これに対し、画文帯神獣鏡は後漢時代(主に三世紀初)に作られた舶載鏡はくさいきょうであることが明らかなので、〝卑弥呼の鏡〟としてはこちらのほうがふさわしいのです。
 共伴きょうはん土器(鏡とともに出土した土器)は三世紀中葉のものでした。
 二つ目は、二〇〇一年五月に、箸墓古墳のやや北の勝山かつやま古墳(全長約百二十メートルの前方後円墳)から、丹塗りを含む木材が出土し、年輪年代法調査によって、「紀元一九九年プラス十二年以内」と判明したことです。纒向遺跡の中でも最古級の墳墓であることを示す数字です。
 おのおのの被葬者が誰であるかはともかくとして、これらの結果により、纒向遺跡が二世紀末から三世紀にかけての、すなわち、卑弥呼の生きた時代とぴったりと重なる存在であることがますますはっきりしたわけです。
 加えてもう一つ、同じ時期に、ある意味においてはこれらの発見以上に世間を騒がす事件が起こりました。「神の手」といわれた考古学者、藤村新一氏による、いわゆる「旧石器捏造事件」です。
 内田さんの執筆スタイルは、最初に結論を決めないロードムービー方式ですから、これらのトピックスを巧みに織り込みつつ書かれていきました。いま読んでも、当時の空気感が行間からじわじわと立ちのぼるのが感じられます。
 では、本編を紹介しましょう。なお、小説はあくまでもフィクションなので、混同されませんように。
 物語の主人公は小池拓郎という孤高の考古学者で、筋金入りの邪馬台国畿内派です。大学を退官し、八十近い高齢になりながら、ホケノ山古墳の発掘現場に日参し、調査に精力を注ぎつづけてきました。その彼が突然失踪し、初瀬はつせダムから遺体で発見されるのです。一方、ホケノ山の現場から画文帯神獣鏡が見つかり、大騒ぎになります。
 小池の死は殺人と断定されますが、手掛かりはなく、なんとか真相を究明したいと願った関係者からの依頼で、浅見光彦がやってくるのです。
 結論から言いますと、この銅鏡は小池が若かりしころ、ある禁を犯して手に入れたものでした。その後、恋愛関係のもつれから人手に渡ったのですが、因果めぐりめぐってホケノ山の土中に埋められたのです。
 藤村新一氏の事件を持ち出すまでもなく、これは絶対にやってはならぬことです。しかし、この件が切ないのは、単にわが名を挙げようとする功名心からではなく、それしか方法がないという、やむにやまれぬものが根底にあった点です。
 小池がこの画文帯神獣鏡を手に入れた場所。それは、箸墓古墳なのでした。盗掘したのです。なぜそんな大それたことをしでかしたかというと、この古墳に恋い焦がれ、取り憑かれていたからです。しかし、どんなに求めても、手は届きません。なぜなら、日本の現在の規則では、天皇陵とそれに準ずる墳墓は発掘できないからです。その焦燥が爆発し、ひそかにしのびこんでしまったのです。
 その結果、小池は宝を手に入れました。けれどもそれは口が裂けても言えぬ、永遠の秘めごととなりました。
 小池が老体に鞭打ってホケノ山古墳に通いつづけたのは、箸墓に手を出せない以上、箸墓に隣接していて、関連の深いホケノ山に手がかりを求めるしかないという思いからでした。ここを掘りつづけていれば、いつか必ず成果が現れ、邪馬台国論争を揺り動かすことができるだろう。じっさい、小池は箸墓から画文体神獣鏡を見つけたのです。ホケノ山からも同様の価値あるものが出土してもおかしくないわけです。
 そこには、真に愛する女性を横目に見ながら、別の女性を妻として偽りの生活を続けるにも似た悲しみがあります。
 しかし、この小説にいちばんいわく言いがたい味を与えているのは、老考古学者の悲哀でもなく、彼のかつての恋人の情念でもなく、一言のセリフもないまま背景に見え隠れしている宮内庁という黒服の存在であるように、私には思えます。彼らが神聖にして侵すべからずとして守っているその玉手箱の中にこそ、本物の古代があるのです。
 物語の最後、箸墓古墳からブルーシートに包まれたなにかがひっそりと運び出されます。それは自殺した真犯人の遺体なのですが、現場は厳重に守られ、報道も規制され、なにもなかったことになります。そもそも陵墓に一般人が立ち入って事件を起こすなどは、ありえないことだからです。
 ゆえに、ホケノ山から発掘された画文帯神獣鏡も箸墓とはなんのゆかりもなく、したがって、幸か不幸か小池が犯した罪も暴かれず、ひいては浅見光彦の推理も妄想として終わるのです。
 これが、この小説のいちばんの面白味であり、なんとなく後ろ首のあたりがぞくっとするところです。
 それにしても、なぜ宮内庁は古代天皇の陵墓を開け、この国の歴史をきっちり解明しようとしないのでしょうか。それこそが二十一世紀における文明国の科学的態度と思いますが、ことこの問題に関しては、そういう理屈は働かないらしい。この国の成立にかかわる好ましからざる真実が暴かれるのを恐れているという揣摩しまもありますが、どうでしょう。
 そして、このパンドラの箱的なものの大本をたどっていくと、この国の皇統の物語を作った人たち――皇室そのものではなく、神話を作った人たち――にたどりつくような気がします。
 そこにかかわる小説は、次章以降に取りあげる機会があるかと思います。

奈良県天神山古墳出土の画文帯神獣鏡(4世紀、奈良国立博物館蔵)ColBase (httpscolbase.nich.go.jp)

邪馬台国小説のこれから

 では、駆け足になりますが、その他の作品を列挙します。
 正統派の歴史小説としては、黒岩重吾くろいわじゅうごさんの『鬼道きどうの女王 卑弥呼』があります。本作の卑弥呼は中国の杭州湾こうしゅうわんあたりに移住していた倭人集団の出身で、「鬼道」を初期道教のこととした点に特徴があります。邪馬台国は現在の久留米付近です。黒岩さんは古代史の題材を総なめしておられるので、この後の章にも常連として登場するはずです。
 横光利一さんの『日輪にちりん』は歴史的な問題よりも純文学として読みたい作品です。魔性の姫君卑弥呼をめぐって、不弥うみ奴国なこく耶馬台やまとの男たちが争います。ギリシャ神話のような独特の世界観があります。
 推理小説としては、高木彬光たかぎあきみつさんの『邪馬台国の秘密』があります。名探偵の神津恭介かみづきょうすけが入院中のベッドの上で『魏志倭人伝』を再検証して邪馬台国の真の位置を探します。最大の特徴は、魏の使節の上陸地点を末盧国まつらこくではなく神湊こうのみなと(福岡県宗像むなかた市)にしたことで、邪馬台国は宇佐という結論です。
 ちなみに、この作品は『「邪馬台国」はなかった』の著者の古田武彦ふるたたけひこ氏と激しい論争を繰り広げたことでも知られます。古田さんの唱える「邪馬いち(壱、一)国」説も非常に説得力がありますので、あわせて読むとおもしろいかもしれません。
 邪馬台国があったのは九州でも畿内でもなく岩手県の八幡平はちまんたいだとするのは、鯨統一郎くじらとういちろうさんの『邪馬台国はどこですか?』です。カウンターバーに集った客たちが珍妙なやり取りをした末に、仰天の結論に到達します。
 おおむね、以上のようなところでしょうか。
 最近は畿内説が追いあげ気味である、と先ほど言いましたが、小説の世界を見渡せば、九州説がだんぜん強いです。
 かくいう私も、どこがもっとも妥当かと問われれば、やはり九州、なかでも山門やまと郡かと思います。しかし、そう信じているわけではありません。極論すれば、どちらでもいいのです。というと節操がないようですが、小説というのはそもそも仮説であり、仮説が物語として成立するかどうかにすべての情熱を注ぐのが、われわれの仕事だからです。
 その意味では、今後の小説の舞台としては、少数派の畿内のほうに夢があるのかもしれません。少なくとも東遷とうせん説(邪馬台国が東へ移って大和政権ができたとする考え)には私は賛成しないので、たとえば、九州と大和に同時に邪馬台国のようなものがあった――などという実験ができたらおもしろいように思います。
 また、これはまったく別の妄想ですが、邪馬台国がどこにあったのかは、じつはすでに判明しているのかもしれません。けれども、国家的なトップシークレットとして固く秘されている、とか。
 卑弥呼が魏からもらった「親魏倭王」の印綬いんじゅも、ほんとはもう見つかっている。畿内派の考古学者の石野博信いしのひろのぶ氏によると、金印よりも重要なのは「封泥ふうでい」なのだそうですが(下賜品を紐で結んだのち、結び目に泥で封をして印をす。金印は人手に渡って移動する可能性があるが、封泥は荷を開封した場所に残される)、それも、すでに発見されている。
 しかし、考古、文献、東大、京大、DNA研究機関、そして、宮内庁と朝鮮半島を含む国際政治という、もろもろのバランスオブパワーによって、けっして明らかにしてはならぬと厳命が下っている、とか。
 小説としては、これはいちばんの開拓領域かもしれません。

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プロフィール
周防柳(すおう・やなぎ)

1964年生まれ。作家。早稲田大学第一文学部卒業。編集者・ライターを経て、『八月の青い蝶』で第26回小説すばる新人賞、第5回広島本大賞を受賞。日本史を扱った小説に『高天原』『蘇我の娘の古事記』『逢坂の六人』『身もこがれつつ』がある。

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