どんな一年にしたいのかを決めるだけで半分達成「来年はどんな年にしようか」――昆虫・動物だけじゃない、篠原かをりの「卒業式、走って帰った」
動物作家・昆虫研究家として、さまざまなメディアに登場する篠原かをりさん。その博識さや生き物への偏愛ぶりで人気を集めていますが、この連載では「篠原かをり」にフォーカス! 忘れがたい経験や自身に影響を与えた印象深い人々、作家・研究者としての自分、プライベートとしての自分の現在とこれからなど、心のままにつづります。第20回は篠原さんのお正月における心がけ&来年の目標のお話です。
※第1回から読む方はこちらです。
#20 来年はどんな年にしようか
今年も残すところ、あと数日である。今年の個人的ビッグニュースといえば、「出産」であるが、思っていたよりも今年は「出産の年」にはならなかったなあと思っている。
私の今年の漢字を選ぶとしたら、「産」や「誕」にはならないだろう。
いまだ、自分が親であるという自覚は薄く、毎朝、すやすやと眠る赤ちゃんの丸いほっぺたが小さく上下するのを見ながら、「どなたが産んでくださったのか存じませんが、本当にありがたく……」と思っている。
「産後の恨みは一生」という言葉があるが、周囲の人に恵まれたことで、幸い、誰のことも恨まずに、新鮮で目まぐるしい日々を送った結果、「産」の記憶自体が希薄になってしまった。実は、いつかこの連載に載せたいと産後すぐにエッセイを1本書いておいたのだが、本当によかったと思っている。もし、これから書かなければいけなかったら、伊藤若冲の描いた「象」の絵くらいの解像度になっていただろう。
ディズニー映画『ライオン・キング』を見て、偉大な父であるムファサには一向に共感できない一方で、その息子のライオン、シンバと暮らし始めた、ミーアキャットのティモンとイボイノシシのプンバァの凸凹コンビに対しては、気持ちが分かり過ぎて泣ける。
子が生まれ、父になり、母になるというよりも、愉快に過ごしていた二人組が三人組になってもっと楽しくなった。
赤ちゃんと暮らしているということによって、毎日面白いことはたくさんあるが、「出産」が全てを塗り替えるような思い出かというと、そんなことはなく、今年も例年のようにいろいろあったなと思っている。
出産とご贔屓(宝塚歌劇団における推し)の卒業(外に出る)と私の仕事である出版と出演を合わせて「出」は、かなり有力な私の今年の漢字候補である。
しかし、私の今年の漢字は、「書」にすることにした。
なぜなら、今年は、本当によく書いた年だったからだ。そして、今年が始まるとき、そういう年になればいいなと思っていた。
私が一番好きな三が日にまつわる説は、「三が日の過ごし方でその一年が決まる」というものである。例えば、三が日にお金を使うと、その年はたくさんお金を使ってしまうとか、三が日に勉強すると、よく勉強する一年になるとかである。もちろん、節制したり、努力したりするだけではなく、のんびり過ごす一年を望んでも良いだろう。
私は今年、元旦に「たくさん書く年にしたい」と願い、実際に、1月1日の朝から原稿を書いていた。
この連載は昨年12月から始まったし、書籍原稿も今までで一番たくさん書いたし、残念ながらまだ結果にはつながっていないが、論文も書いた。育児や家事との両立は、もちろん簡単なことではないので、執筆に充てる時間は、以前に比べるとかなり少なくなった。
それでも、今年がこれまでの人生で一番「書いた」年だったと、胸を張っていえる。
赤ちゃんと暮らし始める前は、執筆作業の中で、書き始めるまでに一番時間を使っていたのだが、執筆に充てられる時間が大幅に短くなったことで、気分は「乗る」ものではなく、「乗らせる」ものになった。結果として、成果物は増え、締め切りまでかなりの時間を残して原稿を書き終えることも珍しくなくなった(もちろん、全てではないので、この原稿は、締め切りまで、あと数時間である状態で書いている)。
ただ、たくさん書いただけではなく、自分の調子に左右されずに書き上げることができるという能力を身につけることができた点において、文句なしに「書」の年だったといえる。
私は、「三が日の過ごし方でその一年が決まる」という説には、おせち料理の験担ぎをはるかしのぐ信憑性があると思っている。黒豆や昆布は、ざっくりと健康に良い食材であるというほかは、たまたま日本で付けられた名前が、たまたま日本語で縁起の良い言葉に似ているだけにすぎない。しかし、三が日の過ごし方がその一年を決めるというのは、肌感覚として、かなり妥当なのだ。
例えば、2,000文字のエッセイを書くとき、1,000文字書き終わった状態は、全体の何%完成しているといえるだろうか?
計算として正しいのは、もちろん50%である。しかし、実際の体感としては、90%完成している感じがする。
私の場合、まず、何を書くかを決めることが全体の50%を占める。そして、書き始めた時点で、もうプラス30%だ。書き進めるという作業が20%で、そのうち、半分の量まで書き終わっているということで体感90%といえるのである。
どんなに絶望的に思えても、書き始めたものは必ず終わるのだ。私は、書き上がった書籍の原稿を見ると、毎回、「どなたが書いてくださったのか存じませんが、本当にありがたく……」と思っている。
一年をどう過ごすかも同じことだと、私は思う。どんな一年にしたいのかを決めることで50%、実際に始めることで30%。つまり、三が日の過ごし方で、一年の目標の80%は完了しているので、残り20%を一年かけて達成すればいいということなのだと思う。
もちろん、三が日そのものに特別な力が存在しているわけではないので、新年度や誕生日をきっかけにしてもいいし、何でもない日に突然始めたっていい。
でも、言い伝えとして既に存在しているものに乗っかると何だか心強い感じがするから、三が日は、これから始まる一年を象徴するような過ごし方をすることを楽しみにしている。
来年は贅沢に二つも目標を持っている。
一つは、知らないことをたくさん知る年にすることである。
至って爽やかで健やかな目標設定に見えるが、実は、自己嫌悪のざらついた気持ちから逃れるためである。仕事柄、人から物知りだと思われるし、実際、物知りであることを完全に否定するわけではないのだが、私の理想とする物知りには、遠く及ばない。このことは私の密かなコンプレックスになっていて、物知りだと思われるたびに「この程度では……」と心苦しく、焦燥感を募らせていた。来年は、このコンプレックスに堂々と決着をつけにいきたい。一年でどうにかなるものではないが、真剣に物知りになろうと努力を始める年にしようと思うのだ。2025年は、私の物知り元年である。手始めに、三が日は、「未知の分野の本」と「得意科目の苦手分野の本」、「好きな分野の新しい本」をそれぞれ1冊ずつ読んで、「無知の知」の獲得を目指そうと思う。
もう一つは、自分から人を誘える年にすることである。ありがたいことに、人から誘ってもらうことに乗っかっているだけで楽しく過ごしてきた人生であったが、自分から誘う頻度が著しく低いことは、自分自身の大きな課題であると気付いた。
思い返せば、「宝塚歌劇団のチケットがあるので連番しませんか」以外のお誘いをしたことが著しく少ない。人から誘ってもらうとかなりうれしいくせに、自分から誘うことをしないというのは、怠慢というほかない。人間関係を維持する努力を相手に押しつけていたと言っても過言ではない。
自分から人を誘える人になるための努力は、今年の10月くらいから始めている。
早速、今までの流れを覆してしまうことになるが、これは、例外的に三が日に始めるのが適さない目標だからだ。お正月は、明けましておめでとうの連絡が飛び交う。
「明けましておめでとう」だけだと寂しい感じがするからと添えたような「今度ご飯行きましょう」に、思いを込めた本気の誘いが埋もれてしまうのはもったいない。だから、10月から始めたし、逆に三が日は外すつもりだ。
みなさま、良いお年を!
第21回へ続く(2025年1月22日更新予定)
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プロフィール
篠原かをり(しのはら・かをり)
1995年2月生まれ。動物作家・昆虫研究家/慶應 義塾大学 SFC 研究所上席所員。これまでに『恋する昆虫図鑑~ムシとヒトの恋愛戦略~』(文藝春秋)、『LIFE―人間が知らない生き方』(文響社)、『サバイブ<SURVIVE>-強くなければ、生き残れない』(ダイヤモンド社)、『フムフム、がってん!いきものビックリ仰天クイズ』(文藝春秋)、『ネズミのおしえ』(徳間書店)などを出版。
バナーイラスト 平泉春奈
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