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モノにはモノ語りがあり、かんたんには捨てられない――「マイナーノートで」#17〔捨てられない理由〕上野千鶴子

本がひらく

各方面で活躍する社会学者の上野千鶴子さんが、「考えたこと」だけでなく、「感じたこと」も綴る連載随筆。精緻な言葉選びと襞のある心象が織りなす文章は、あなたの内面を静かに波立たせます。
※#01から読む方はこちらです。


捨てられない理由

 衣替えの季節が来ると、あふれるほどにクローゼットを占める衣類を見て、ため息をつく。
 断捨離しようか。片付けのススメには、1シーズン袖を通さなかったものは捨てなさい、とか、1着買ったら1着処分しなさい、とか書いてある。

 だが服にはどれも思い出がある。「ミナ ペルホネン」のデザインを手がける皆川明さんの展覧会を見に行ったら、展示会場の最後に、皆川さんの服を愛用してきたひとたちの着古した服と、それにまつわる物語が展示してあった。ひとつひとつがその服を着たひとの家族と人生の物語になっていた。子どもの小学校の入学式に着ていった服。娘が「そのスカート、私にちょうだいね」とねだった服。亡き夫と一緒に旅行に行った服。……皆川さんの服は、流行を追わないし、体型も問わない。時代を超えても古びない。

 わたしのクローゼットの中身だって、ひとつひとつ、これはニューヨークの古着市で買ったっけ、とか、これはパリの街角で衝動買いしたもの、これは寒さにふるえあがった夏のダブリンで買い求めたアランのスウェーター……とか、その時どきの情景が思い浮かぶ。

 わけてもひとに買ってもらったものは捨てられない。
 ちょっとシックなベージュのスウェーター、流行遅れだけど捨てられない。当時はやっていた肩パッド入りだったから、パッドをはずしたが、ラインがしっくりこない。それでも捨てられない。母を喪って高齢になっていた父がわたしを訪ねて京都に来たとき、京都の青山通りと言われる北山通のブティックで、買ってくれた。父にこんなファッション・センスがあるとは思えない洒落たデザインの品だが、わたしがカラダに当てていると、「好きなら買っていいよ」と言った。母と私が新しい服を買うたびに、「カラダはひとつなのに、どうしていくつも服を欲しがるんだろうねえ」と言う父だった。そんなときには、母が「あら、女ってそんなものよ」と共同戦線を張ってくれた。

 ひとさまからのもらいものには、好きなものも好きになれないものもある。そういうときには、プレゼントをくれる相手と一緒に買いものに行って、好きなものをその場で選ぶ。買ってもらったことも、買ってあげたこともある。自分にじゅうぶんな経済力がついてからも、誰かに買ってもらうのはうれしい。ボーイフレンドとふたりでショッピングに行って、選んだものをお互いにプレゼントしあう。自分の買いものには相手のカードを、相手の買いものには自分のカードを使う。「あら、買ってくれるの、ありがとう」というやりとりを、店員さんがほほえましく見ている。帰ってから、パッケージを開けて、「わあ、すてき。センスがいいわね。なんでわたしの趣味を知ってるの!?」とわざとらしく喜んでみせる。自分が選んだのだもの、あたりまえなのだけれど。そうやって買ってもらったものが、いくつもある。あのとき、このときが思い浮かぶから、捨てられない。

 誕生日が近くなると、欲しいものを物色しておくこともある。旅先で目に留まったものを、持ちかえって、「とってもすてきなプレゼント、見つけてくれて、ありがと」と有無を言わさず相手に請求書をわたして、事後プレゼントにしちゃうこともある。相手はしかたないなあ、という顔をして苦笑している。買ってもらったモノは、そういう関係の記憶のよりしろだ。だからやっぱり捨てられない。
 
 若くて貧乏なとき。迷って買えないモノがあった。どれかひとつを選ばなければならないと迷ったときには、「うーん、決められない」とうめいた。予算はひとつ分しかなかった。おカネに余裕ができると、迷ったときには、両方とも買うようになった。だが、迷って、逡巡して、ようやく決めたモノの方が愛着が深い。

 女友だちとショッピングに行くと、シビアな判定をしてくれる。
「これ、いいわね」
 と言うと、ただちに「却下」と言うきびしい女性がいた。銀座を職場にしている、ハイセンスな女性だった。
 その彼女が珍しく「許可する」と言ってくれたコートがある。マックスマーラのとんでもないお値段のコートだった。でも、流行に関係なく、永遠に着られそうなコートだった。今でもそのコートに袖を通すたびに、いまはもうこの世にいない彼女を思い出す。

 身につけているものを、「あら、いいわね」と女ともだちが言ってくれる。「それ、ちょうだい」と遠慮会釈なく言ってくるひともいる。「しばらく使ってていいわ。そのうち廻してね」と。こちらだって負けてはいない。「まだ現役だからダメよ」とか、「あら、気に入ったの。じゃ、遺品にしておくわね」と返す。わたしが死ぬのを待っててね、と。

 ブローチやネックレスなどは、時にはその場ではずして「気に入ったのなら、あげるわ」とわたしたこともある。好きなひとにもらってもらうのが幸せ、と。その逆もある。「すてきね」と言ったとたんに、その場ではずしていただいたアクセサリーもある。初対面のひとだったので、名前も覚えていない。講演会場のトイレの中だった。これも忘れられない。そのときの情景がありありと思い浮かぶ。だから捨てられない。

 女友だちとおそろいで買ったものもある。ひさしぶりに会った外国からの友人が、その日身につけていた涼しげなネックレスをほめてくれた。安物だった。「あげるわよ」と喉元まで出かかって、もうひとりの女友だちの顔が思い浮かんだ。で、ことばを呑み込んだ。あとで彼女にあげなかったことを後悔した。今度いつ会えるかわからない友人だった。

 と書き連ねているのは、どれも「捨てない/捨てられない理由」ばかりだ。年寄りの住まいがゴミ屋敷になり、家族が勝手にモノを処分すると怒るのも無理はない。モノにはどれもモノ語りがあって、そんなにかんたんに捨てられないのだ。

 断捨離なんてしなくていい、と言っていたのは五木寛之さんだっけ。いずれわたしがいなくなれば、モノもそのモノ語りごと一緒に消える。そうなればモノはすべてゴミになる。死んだ後の遺品整理は誰かがやってくれるだろう。断捨離は第三者にやってもらうに限る。

(タイトルビジュアル撮影・筆者)

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プロフィール
上野千鶴子(うえの・ちづこ)

1948年、富山県生まれ。社会学者。認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長、東京大学名誉教授。女性学、ジェンダー研究のパイオニアであり、現在は高齢者の介護とケアの問題についても研究している。主な著書に『家父長制と資本制』(岩波現代文庫)、『スカートの下の劇場』(河出文庫)、『おひとりさまの老後』(文春文庫)、『ひとりの午後に』(NHK出版/文春文庫)、『女の子はどう生きるか 教えて、上野先生!』(岩波ジュニア新書)、『在宅ひとり死のススメ』(文春新書)などがある。

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