
やはり映画は観なくてはならぬ――「熊本かわりばんこ」#21〔映画にまつわるいくつかの話〕吉本由美
長年過ごした東京を離れ故郷・熊本に暮らしの場を移した吉本由美さんと、熊本市内で書店&雑貨カフェを営む田尻久子さん。
本と映画、そして猫が大好きなふたりが、熊本暮らしの手ざわりを「かわりばんこ」に綴ります。 ※#01から読む方はこちらです。
映画にまつわるいくつかの話
冬は映画を観たくなる
自然は律儀に日常を繰り返し、今年も秋が来て冬になった。冬になると俄然映画を観たくなるのはどうしてだろう、と、久しぶりに外に出て、近所の大学の構内に立つ一本の紅葉樹を見て思う。美しい紅葉樹に欧米の映画の中の風景が重なるのか、確か2、3年前もこの木を見ているうち急に映画を観たくなり、スーパーに行く予定だったのを急遽変更、バスに乗り、街に出て、Denkikanへ行ったのだった。
Denkikanは熊本市内で唯一の単独映画館で繁華な街中にある。すぐそばにバスターミナルが、5分も歩けばデパートがあり、お城近辺を散歩してそのあと映画でも観て買い物して帰ろうかという悠々自適のシニアには実に都合のいい映画館だ。だからか日中おいでになるお客さんの半数以上が高齢者だ。若者が多い東京の映画館とはそこが違う。熊本に帰ってきて驚いたことの一つがそれだった。映画が終わりホール内が明るくなって周りを見回せば、何と自分と同年輩の客ばかり。熊本のシニアには映画ファンが多いってことなのか、熊本の若者は日中ほかのことで忙しいってことなのか、あるいは熊本には若い映画ファンは少ないのか、などと考え寂しくなった。熊本に帰ってからは住まい周辺の夜道が暗いということもあって夜映画を観に行くことは滅多にないが、しかしある夜、たまたま行ったら若者がたくさん観に来ていて、なんだ、熊本にも若い映画ファンはしっかりいるじゃないかとホッとしたことを覚えている。
2、3年前スーパー行き変じてDenkikan行きとなった話に戻る。上映時間案内を見ると、時間的に都合のいいものは、9個も賞を取って話題を呼んでいるベトナム映画「第三夫人と髪飾り」と、細野晴臣デビュー50周年記念ドキュメンタリー「NO SMOKING」の2作品だった。是が非でもこの2本を観たいわけではなかったが、映画を観たくなっている気持ちに応えるためにはどちらか1本を選らばなくてはならない。細野さんよりベトナム映画の方が待ち時間が少し短かったのでその日はベトナム映画を観ることにした。
私は昔から、映画を観るときは作品と上映時間を最初に確かめ、それを軸にきっちりとその日のスケジュールを立てるのが常だった。熊本に帰ってきてからは特に、街に出るのが億劫なせいかせっかく出ていくなら溜まっている街での用事もぜんぶ一緒に済ませてしまおうと、無駄のない行動手順を決めなくては気が収まらない体質になった。けっこう窮屈である。タイトである。せわしない。だから街では走り回っている。ゆっくりとダラダラと過ごしてOKの年頃なのに、と思うが、30分刻みで予定を組んでいたスタイリスト時代の習性がまだ抜けていないのかもしれない。従って、フラッとその気になってサラッと観に行く自由さに日頃から憧れていた。紅葉樹にインスパイアされたその日初めてその憧れを自分のことにできたので、毎年この時期大学構内の紅葉樹を見ると必ず「第三夫人と髪飾り」及び後日観に行った「NO SMOKING」の様々なシーンを思い出す。

「第三夫人と髪飾り」はベトナムに生まれ育ち、ニューヨーク大学で映画制作を学んだというベトナム人女性監督アッシュ・メイフェアの長編デビュー作で、19世紀の北ベトナムを背景に一夫多妻をテーマにした“美しく官能的” な物語だった。確かに“美しく官能的”だが、私としてはつまらないとまでは思わないけど「うん!」と頷くほどでもなくて、何かモヤモヤしたものが残った。というのも飛び抜けて官能的で美しい映像も、結局は「青いパパイヤの香り」や「夏至」でオッシャレーとアジア趣向の日本女性陣から熱狂的な支持を得たベトナム系フランス人監督トラン・アン・ユンの二番煎じにしか見えなかったからだ。トランさんの映画と間違っても仕方がないようなところがある。
観終わってパンフレットを読むと(私はパンフレットを映画を観る前でなく観終わってから読むタイプだ)、さも有りなん、そのトラン・アン・ユン本人が美術監修を手掛けていた。「なーんだ、やっぱりか」と二重にガックリした。メイフェアさんには映画界の巨匠たちから大きな期待が寄せられているとパンフレットにあるが、そんなことでいいのかとムカッとした。助けてもらうのは大切なことだがここまでおんぶに抱っこでいいのか。寅さんだったら「デビュー作を巨匠なんぞに頼っちゃあおしまいよ」と言うはずだ。新人ならば自分らしさで勝負するのが本筋じゃないか? と異議を吐き出してみたのだが、日本の片田舎に住むオッシャレーでもないおばあさんにそんなこと言われたってデビューで蝶よ花よの監督には屁でもないだろう……と、シートの中でひとり苦笑したのだった。
細野さんのこと
後日銀行で用事を済ませたあと、そうだ「NO SMOKING」を観ようとフラッと思い付いてDenkikanに駆け込んだ。始まる寸前だったのでいつもなら頼むコーヒーはあきらめて席についた。映画鑑賞中手元にコーヒーがないのは残念だが、こういう“飛び込み”も私は好きだ。ハアハア言いながら、間に合ったぜへっへっへと忍び笑いをしつつ、コートを脱ぎ、シートに座り、観る体勢になったときの“では!”という心持ち。身体中が映画への期待に満ち満ちているそのときが。
細野さんのドキュメンタリーは冬観るのにぴったりの、温かく、とてもフレンドリーで楽しい作品だった。“細野さんに会いにいこう。”というキャッチコピーどおりに細野晴臣という大先輩に会いに行き、あのゆったりとした口調のおしゃべりを聞いて得して帰って来たような気分になる。幼少の頃の細野少年、「はっぴいえんど」の結成秘話、「YMO」の大ブレイク、そして現在の縦横無尽な音楽活動。全編に細野さん独特のユーモアが漂い、観ている間中グスグスと笑いの火種が燻っている。私は昔からこの人の照れ隠しのようなユーモアが好きだったのだ。私より一つ年上のおじいさんだが、好きなことをして自由に軽々と飄々と生きておられてカッコいい。“自由人”という日本には稀にみる素敵な存在である。映画後半のライブ場面の楽しげな細野さんを観ながら、私もこういうおじいさんになれればなあ、と強く思った。

細野さんについてはもう一つ個人的な記憶がある。怒られるような話ではないからここにこっそり書いてみる。それは私の白金台時代半ばのことだから17、8年前になるだろうか。旅の仕事で数日留守にするため泊まり込みの猫留守番をま〜こ(手相観の日笠雅水さん)に頼んだときのことだ。ま〜ことは手相を観てもらって以来の仲良し関係で、喜んで引き受けてくれた。そのときうちには気難しい三毛猫のコミケと、新しく迷い込んできためちゃくちゃ性格のいい黒猫のクッちゃんがいた。このクッちゃんにま〜こはメロメロになった。彼女はクッちゃんのかわいらしさを誰かと共有したかったが、今みたいにいつでもどこでもLINEでおしゃべりという時代ではないから、旅先の私を相手にするわけにはいかない。そこでその夜、晩御飯を一緒に食べた細野さんに「とびきりかわいい黒猫がいるけど見たくない?」と訊ねたのだった。
音楽界に顔が広く、忌野清志郎さんや大貫妙子さんとも仲が良いというま〜こは手相観となる前、「YMO」のマネージャーをやっていた。手相観となってからも付き合いは続いて、そんな中のある夜だった。細野さんのお宅も白金台なので、ご飯からの帰り道ユミちゃんの部屋に寄ってもらってクッちゃんを見せたいと思ったそうだ。なぜなら細野さんも長年黒猫を飼い続けていて、黒猫についてはやたら目の利く自称「黒猫評論家」だったから、と、後日ま〜この説明があった。許可なしでヒトの部屋に他人を上げることには少し罪悪感があったそうだが、細野さんにクッちゃんを見てもらいたい願望がそれを遥かに上回ったという。そしてご対面。ゆっくりクッちゃんと戯れた黒猫評論家細野さんは帰り際にひとこと、「実にいい黒猫だね。黒猫界でもトップに近いと言ってもいい」と言ってくれたよー、と、戻ってきた私にま〜こからいの一番に報告があった。彼女に負けず私の喜びいかなることか。私の大事なクッちゃんを細野さんが褒めてくれたなんて。そのあとも白金台のお蕎麦屋で何度かお見かけした。そのたび「クッちゃんを褒めて下さってありがとうございます」と感謝の気持ちを伝えたかったが内気な私にはとうとうできなかった。ただ勝手に親近感を抱き、ああいうおじいさんになれたらな、と叶わぬ夢を抱いているだけなのだ。
おしゃべり映画会発足
私の子供時代、熊本市内には映画館がたくさんあった。子供だから名前を覚えているのはよく行った、電気館、大劇、新世界映画館、東映パラス、くらいなものだが、映画全盛期の頃はぜんぶで30軒ほどあって、数では九州一を誇っていたらしい。それが、私が熊本を離れた1964〜66年あたりから数を減らしていったという。確かに夏休みなどで実家に戻り、さて映画でも観ようかと映画館の集中していた新市街に行ってみると、あったはずの映画館が軒並みパチンコ店に替わっているのに驚いた記憶がある。その他も、小学生の頃「新吾十番勝負」を観るため通い続けた東映パラス(だったかなあ)も、恐怖映画を立ち見席の一番前で観ていたら(当時は人気映画は立ち見で観なくてはならないほどに混んでいた)、怖さ絶頂のシーンで隣にいたサキ(小学生時代の親友)が手をギュウウッと握ってきたので私もギュウウッと握り返し、あれ? 手がゴツいと隣を見れば見知らぬオヤジがニッコリ笑いかけてきて、それこそ怖い! と逃げ出したという思い出のある全映座(だったかなあ)も消えていた。こんなんじゃ映画好きはどうなるの、と熊本のそんな状況を呪ったけれど、映画館の衰退は何も熊本だけのことではなく日本中で起こっていたことで、東京くらいではなかったか、ミニシアターに人が集まり映画館がどんどん増えていったのは。
それでも頑張っていたシネパラダイスが閉館して残ったのが電気館だけとなったのはいつ頃のことだったか。私が戻ってきたときはその電気館もリニューアルして新しくDenkikanとして再出発していた。そしてシネコンが1館できていた。それが今では3館に増えた。こんなささやかな街中にシネコンが3館もあることに違和感を覚える。それぞれの上映作品が異なっているのなら手も叩ける。様々な作品に出会えることは映画ファンの喜びだ。しかしその3館の上映作品はほぼ同じだ。TOHOシネマズ、ユナイテッド・シネマ、ピカデリーと館名は異なるのに上映作がほぼ同じとはどういうことだろう。シネコンしかない街なら、大作、話題作、アニメ、ドンパチ、以外の映画を観たい人たちはどうすればいいのか。シネコンの上映システムがどうにもわからなくてムラムラと不満ばかりが溜まっていくのだけれど、まあ熊本はDenkikanだけでも単独上映館として残ってくれているのはありがたいことだ。

2016年の終わりかけ、熊本日日新聞のベテラン記者 荒木昌直さんから「映画会をやりませんか」という連絡がきた。隔月くらいの間隔で会を開き、私のおすすめ映画1本をみんなで観てそれについておしゃべりしませんか? と。もう映画の仕事からは遠く離れているし人前でしゃべるのは最も苦手なことだから、最初は返事を渋っていたが、自分の好きな映画を皆さんと一緒に観てその感想を述べ合うことはもしかしたらとても楽しいかもしれないと思い直して、清水の舞台から飛び降りる覚悟で引き受けた。私が作品を選び、荒木さんがそのDVDを探し、私が作品紹介を新聞紙上に書き、荒木さんが熊日ホールでの開催の諸事を処理する。営利目的ではなくあくまでも読者サービスの一環だから入場料は無料、なのでDVD使用でも問題はない。という形で翌年2017年5月、奇数月という前提で「熊日名画座 吉本由美おしゃべり映画会」がスタートした。
初回はカズオ・イシグロ原作、J・アイヴォリー監督、アンソニー・ホプキンスの渋い演技が光るイギリスが舞台の映画「日の名残り」。7月はチャン・イーモウ監督の中国映画「初恋のきた道」、9月はJ・カサヴェテス監督、ジーナ・ローランズ主演のアメリカ映画「グロリア」、11月は例のトラン・アン・ユン監督の「青いパパイヤの香り」、翌年1月はウディ・アレン監督のアメリカ映画「マンハッタン殺人ミステリー」。取り上げる作品に関してはとんとん拍子にことは運んだ。全て自分の好きな映画だから言いたいこと伝えたいことはたくさんあるし、集まってくれた皆さんの様々な感想を聞けるのも楽しいなと思っていたのだが、やはりそうは問屋が卸さないのだ。
まず、皆さんわりと白けている。映画が終わると半数ほどの方々がわらわらと席を去られていく。残って下さった方々もどこか熱気がない。この作品に興味を持って参加されたと思ったのだが、感想をお聞きしても二、三の人以外なかなか口を開いてもらえない。見兼ねた友だち(面白がって来てくれていたのだ)が何人か感想を述べてくれたが、これは困ったなという状況だった。自分が好きで選んだ映画だが皆さんには受けなかったのか。この状況を荒木さんと話していて、徐々に浮かび上がってきたのは原因が“無料”にあるのではないかということだ。よく見ると、私の友人知人以外、参加者のほとんどがシニアだった。それは毎回の現象だ。シニアでも映画好きはたくさんいるし、実際参加者の何人かはそういう人たちだったけれど、無料なら暇つぶしにいいと参加された方が大半のようだった。
それがはっきりわかったのはホール上映を5回で終了し、2019年3月からはDenkikanでの開催と決めてからだ。ホールでDVDの粗い画面を2時間前後見続けるのはけっこう辛いし、しかも折り畳み椅子である。終了後ヘトヘトになるのは当然のことで、まずこの2つをなんとかしたかった。映画を観るなら、やはり綺麗な画面で心地よい椅子に座って観たいものだ。荒木さんからDenkikanでの開催をお願いしてみようか、との提案があった。確かに映画館でなら上の2つの問題はクリアできる。しかし映画館での上映だから無料は無理だし、フィルムの貸し出しとその料金の問題がある。それら入場料の安価設定や配給会社との交渉などをDenkikan館主窪寺洋一さんにお願いするか? うん、しよう! 受けてくれるか? できるのか? すると……できる! という返事で、晴れて3月、待望の侯孝賢監督の台湾映画「悲情城市」の上映が決まった。
「悲情城市」については書きたいことのオンパレードでとてもここには詰め込めない。入場料は窪寺さんのご厚意で確か1000円に収まったと思う。上映は3階か5階の140席のホールだったが、予約と当日券で満席状態、補助椅子も出た。無料じゃないから入らないかも、との危惧は軽く吹っ飛んだ。つまりお金を払ってでもこの作品を観たいという人はたくさんおいでなのだ。そういうお客さんばかりだから場内には熱気が走り、観終わった後のおしゃべりタイムもたくさんの意見感想が飛び交った。そうだ、そう、映画会はこうでなければと私は胸を撫で下ろした。
これに気をよくして、「バーバー」「チャイナタウン」「コーヒー&シガレッツ」「ブロークン・フラワーズ」「ブラック・レイン」「幸福」「緑の光線」「お早よう」「まぼろしの市街戦」「恋恋風塵」「悪魔の手毬唄」「死刑台のエレベーター」「エレファント・マン」「真夏の夜のジャズ」とおよそ3年なんとか続け、2020年12月の「女は女である」で幕を閉じた。取り上げたい作品はまだ山のようにあるのだが、これと思う作品は諸般の事情でなかなか借りられず、そうこうしているうち荒木さんが定年退職となったため、これで終わりと決めたのだ。それにコロナが徐々に姿をあらわにしてきた。
最後の「女は女である」あたりからコロナの影響はあって、大丈夫だろうかと心配しながらの開催だった。そのあとはもうご存知の通りで私は家に籠りっぱなしでほとんど街に出ていない。従って映画もあまり観ていない。観た中で“愛おしい”と思った映画は「パターソン」「動くな、死ね、甦れ!」「サマー・オブ・ソウル」「ROMA/ローマ」「ノマドランド」「アメリカン・ユートピア」のたった6本となってしまった。寂しい。私の場合人生の伴侶は猫と映画なので、こんなに映画から離れてしまって大丈夫だろうかという不安がある。猫から安らぎを貰ってきたのと同様に、映画からは刺激と喜びを貰ってきた。その刺激と喜びが激減しているこんな状態で自分の頭は大丈夫だろうかと心配になるのである。年寄りなので刺激がないとボケるんではとすぐ思う。喜びが少ないとキレ老人になるんじゃないかとも思うのである。やはり映画は観なくてはならぬ。
とはいえ観たいと思う映画が少なくなってきているのは事実だ。自分の好奇心の衰えによるのか、はたまた映画界の不作によるのか、わからないけれど。今月はDenkikanでアニエス・ヴァルダ監督の「冬の旅」が始まりますよ、と久子さんからお知らせが来た。新聞にはペドロ・アルモドバル監督の「パラレル・マザーズ」も始まるとあった。おお、冬観るにふさわしい作品たちではないか。庭に出て空を見上げた。冬らしい美しい三日月に、明日は街に出てみようかしらと言った。

(次回は田尻久子さんが綴ります)
プロフィール
吉本由美(よしもと・ゆみ)
1948年、熊本市生まれ。文筆家。インテリア・スタイリストとして「アンアン」「クロワッサン」「オリーブ」などで活躍後、執筆活動に専念。著書に『吉本由美〔一人暮らし術〕ネコはいいなア』(晶文社)、『じぶんのスタイル』『かっこよく年をとりたい』(共に筑摩書房)、『列車三昧 日本のはしっこへ行ってみた』(講談社+α文庫)、『みちくさの名前。~雑草図鑑』(NHK出版)、『イン・マイ・ライフ』(亜紀書房)、『東京するめクラブ 地球のはぐれ方』(村上春樹、都築響一両氏との共著/文春文庫)など多数。
田尻久子(たじり・ひさこ)
1969年、熊本市生まれ。「橙書店 オレンジ」店主。会社勤めを経て2001年、熊本市内に雑貨と喫茶の店「orange」を開業。08年、隣の空き店舗を借り増しして「橙書店」を開く。16年より、渡辺京二氏の呼びかけで創刊した文芸誌『アルテリ』(年2回刊)の発行・責任編集をつとめ、同誌をはじめ各紙誌に文章を寄せている。17年、第39回サントリー地域文化賞受賞。著書に『猫はしっぽでしゃべる』(ナナロク社)、『みぎわに立って』(里山社)、『橙書店にて』(20年、熊日出版文化賞/晶文社)、『橙が実るまで』(写真・川内倫子/スイッチ・パブリッシング)がある。