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哲学ディベート――人生の論点『実践・哲学ディベート』新刊のお知らせ! 高橋昌一郎

●「哲学ディベート」は、相手を論破し説得するための競技ディベートとは異なり、多彩な論点を浮かび上がらせて、自分が何に価値を置いているのかを見極める思考方法です。
●本連載では「哲学ディベート」を発案した哲学者・高橋昌一郎が、実際に誰もが遭遇する可能性のあるさまざまな「人生の論点」に迫ります。
●舞台は大学の研究室。もし読者が大学生だったら、発表者のどの論点に賛成しますか、あるいは反対しますか? これまで気付かなかった新たな発想を発見するためにも、ぜひ視界を広げて、一緒に考えてください!
※第1回を読む方はこちらです。


 『実践・哲学ディベート――<人生の選択>を見極める』は、2020年5月10日発売である。本書は、本連載「哲学ディベート――人生の論点」の【第1回】~【第10回】に加筆修正を施してまとめたものである。ぜひお楽しみいただけたら幸いである。
 
 以下、本書の「はじめに」「目次」「おわりに」の抜粋および「付記」をご紹介しよう。

はじめに――「哲学ディベート」とは何か

 一般に「ディベート(debate)」とは、相手を「打ち負かす(beat)」から派生した単語で、古くは「戦争」や「競争」を指示した言葉である。それが転じて「討論」や「議論」を意味するようになったわけだが、今でもディベートといえば、具体的には勝ち負けを競う弁論の「競技ディベート」を指すことが多い。
 正式な競技ディベートでは、たとえば「死刑制度を存置すべきか否か」や「売買春を合法化してよいのか否か」のように、中間の選択肢が存在せず、明確に「肯定側」と「否定側」に分かれる「論題」が選ばれる。さらに、競技の参加者は「くじ引き」で肯定側になるか否定側になるかが決められる。競技ディベートでは、肯定か否定かの結論そのものが重要なのではなく、いかに怜悧に推論を組み立てて審判を説得できるかが問われるからである。
 ルールも細かく定められていて、最初に肯定側が一〇分間の「立論」を述べ、否定側が三分間の「反対尋問」を行い、次に否定側の一〇分間の立論と肯定側の三分間の反対尋問があって、五分間の「作戦タイム」がある。以上のステップをもう一度繰り返して作戦タイムが終わると、今度は否定側と肯定側の順で「反駁」を三分間ずつ行い、最後に否定側と肯定側の順で「最終立論」を行って、審判の「判定」が下される。
 競技ディベートでとくに重要なのは、一つ一つの論点に対して、明確な理由や根拠を明らかにすることである。反対尋問では、相手の矛盾を追及し、不明瞭な論点を突き詰めて、相手が説得力のある理由や根拠を示すことができなければ、尋問サイドに大きなポイントが加えられる。審判は、これらの点数の合計で勝ち負けを判定する。もし相手が何も反論できずに黙り込んでしまえば、いわゆる「論破」となって、完全勝利となるわけである。
 競技ディベートのルールを見れば、それが法廷における検察側と弁護側の討論のアナロジーになっていることがわかるだろう。裁判では、議論を有利に運び、相手に打ち勝って、裁判官や陪審員・裁判員を説得することが最も重視される。あるいは、真犯人の行為を立証する探偵や、容疑者を取り調べる刑事などの迫力ある追及を想い起こしてもらってもよい。競技ディベートでは、何よりも最終的に勝つことが大切なのである。
 古代ギリシャ時代の哲学者アリストテレスは、「いかなる状況においても説得の方法を見つけ出す能力」こそが「弁論術」だと定義した。競技ディベートが、その種の「説得の方法」を磨くための非常によい訓練になることは、たしかである。
 ただし、残念なことに、多くの現実的問題の背景には、さまざまな興味深い哲学的問題が潜んでいるにもかかわらず、競技ディベートでは、そこまで深く踏み込んで議論することが少ない。
 たとえば「尊厳死を容認すべきか否か」のような論題を競技ディベートで扱う場合、あくまで現代の医学的あるいは法的な立論から審判を説得しようとする推論が多く、その背景にある生命倫理観や死生観といった人生哲学そのものを考察するケースは、ほとんどない。というのは、一般に哲学的見解は、理想論あるいは抽象論すぎると相手から批判される難点があるからだ。議論の展開によっては、「机上の空論で非現実的」ではないかと一言で反論されることあるため、競技ディベートでは敬遠されることが多くなる。
 そこで、以前から私が推奨しているのが、議論に勝つことや、相手を論破し説得することが目的ではなく、純粋に多種多様な哲学的見解を浮かび上がらせて、自分が何に価値を置いているのかを見極める「哲学ディベート」という議論の方法である。
 哲学ディベートの目的は、現実問題の背後にある哲学的見解を見出し、お互いの意見や立場の相違を明らかにしていく過程で、かつて考えたこともなかった発想や、これまで気付かなかったものの見方を発見すること、さらにそこからまったく新しいアイディアを生み出すことにある。
 たとえば、「出生前診断を受けるべきか否か?」という問題は、実際に妊娠したカップルが判断を迫られる「人生の選択」である。ところが、その現実の問題を追究していくと、実は、その背景に「生まれてこない方がよかったのか?」という「反出生主義」と呼ばれる哲学的見解が潜んでいることがわかるだろう。
 本書は、第1章「出生前診断と反出生主義」、第2章「英語教育と英語公用語論」、第3章「美容整形とルッキズム」、第4章「自動運転とAI倫理」、第5章「異種移植とロボット化」について、各章を現実的問題と哲学的問題の二つのセクションに分けた「実践・哲学ディベート」によって構成されている。
 本書が焦点を当てているのは、実際に誰もが遭遇する可能性のあるさまざまな「人生の選択」である。舞台は大学の研究室、教授と五人の学生がセミナーで話している光景……。読者は、発言者のどの論点に賛成あるいは反対するだろうか? 読者は、どの論点に最も価値を見出すだろうか? その議論の先はどうなるのだろうか?
 これまで思いもしなかった新たな発想を発見するためにも、ぜひ視界を広げて、一緒に考えてほしい!

目次

はじめに
 
第1章 出生前診断と反出生主義
●出生前診断を受けるべきか?
●生まれてこないほうがよかったのか?
 
第2章 英語教育と英語公用語論
●英語の早期教育は必要か?
●英語を公用語にするべきか?
 
第3章 美容整形とルッキズム
●美容整形をしてもよいのか?
●なぜルッキズムに陥るのか?
 
第4章 自動運転とAI倫理
●AIに自動運転を任せてよいのか?
●AIに倫理を組み込めるのか?
 
第5章 異種移植とロボット化
●ブタの心臓をヒトに移植してよいのか?
●どこまでヒトをロボット化してよいのか?
 
おわりに
参考文献
参考資料①:日本ディベート協会・過去論題
参考資料②:全国教室ディベート連盟・過去論題

おわりに

 本書に登場する「文学部A・法学部B・経済学部C・理学部D・医学部E」の大学生五人組は、二〇〇七年に上梓した『哲学ディベート』(NHKブックス)で創作したキャラクターである。二〇二〇年には、同じ大学生五人組を主人公とする『自己分析論』(光文社新書)も上梓したので、本書と一緒にお楽しみいただけたら幸いである。
 連載中、ネットで記事を読んだ現役CAの卒業生から「経済学部Cさんに直接アドバイスしたいので、連絡先を教えてください」というメールをもらった。大変嬉しい申し出だが、経済学部Cは架空の人物なので……と丁重に返信した。
 とはいえ、その卒業生は現実感を抱いて議論に参加してくれた証拠で、著者としては誠に嬉しい限りである。他にも「文学部Aに反論したい」「法学部Bの発想に疑問を感じる」「理学部Dの意見に賛同する」「医学部Eの発想に飛躍があるのではないか」などと、さまざまなコメントが書き込まれて、コメント欄でもディベートが始まっていて、おもしろい。
 本書で論じたトピックスは、あくまで「哲学ディベート」の出発点にすぎない。各セクションの巻末に「一緒に考えてみよう」という課題を挙げておいたので、読者には、その先の展開を読者の周囲の家族や恋人や友人と一緒に話し合っていただけたら幸いである。あるいは、私が実際に行っているように、自分の脳内に「文学部A・法学部B・経済学部C・理学部D・医学部E」の大学生五人を浮かび上がらせて、それぞれの立場から意見を闘わせてみるのも楽しいかもしれない。
 「はじめに」でも触れたが、議論に勝つことが目的の「競技ディベート」に対して、「哲学ディベート」の目的は、新たな発想の発見にある。強いて「哲学ディベート」でポイントを付けるとしたら、現実的問題に対する背景の哲学的問題を探り、「そういう考え方は思い付かなかった」とか「そんな発想は想定外だった」などという新たな見解が出てくれば、大きな加点にしたいものである。
 私が実際に大学で行っている「哲学ディベート」の授業では、いかなる意見であろうと、どんな見解であろうと、そこから「新たな見解」を導き出すことを重視して議論を進めている。「哲学ディベート」を行うと、「批判」から始める競技ディベートよりも遥かに建設的で、お互いに非常に楽しい作業であることに気付くだろう!
 さて、本書から出発して、もっとディベートを行ってみたいとお考えの読者のために、参考資料を添付しておいた。「競技ディベート」の代表的な二つの団体が、過去に実施してきた「論題」のリストである。
 参考資料①は「日本ディベート協会(JDA: Japan Debate Association)」の「過去論題」である。日本ディベート協会は、「日本におけるディベート活動の推進・普及を目的」として一九八六年に発足し、二〇二〇年よりNPO法人認定を受けている。春・秋等の日本語ディベート大会の他、アメリカのコミュニケーション学会(NCA: National Communication Association)と協賛で英語ディベート大会も開催している。
 参考資料②は「全国教室ディベート連盟(NADE: National Association of Debate in Education)」の「過去論題」である。全国教室ディベート連盟は、「ディベートの発想と技術を学校教育に普及させることをもって、健全な市民社会を構築することを目的」として一九九六年に発足し、二〇〇四年にNPO法人認定を受けている。教室ディベートの教材・指導法の開発や全国各地でのディベート講習会、「ディベート甲子園(全国中学・高校ディベート選手権)」の開催などでも知られる。
 これらの「過去論題」に対して、「競技ディベート」とは別の角度の「哲学ディベート」からアプローチすれば、きっと新たな発見や驚きがあるに違いない。読者の参考になれば幸いである。

付記

 今春も大学入試シーズンが終わり、幾校かの大学から国語および小論文に拙著から文章を引用して出題した旨の「事後承諾書」が送られてきた。一般に入試問題に関しては、秘密保持のため事前に著作権者の許可を取ることができないので、事後承諾することが慣例になっている。それらの模範解答を作製し出版する予備校や出版社からも「著作権使用承諾書」が届いている。
 その意味でも、本書『実践・哲学ディベート』が、大学入試の国語および小論文の対策に大いに役立つことを強調しておきたい。本書が扱う問題の賛否両論に対して、論点を整理し、現実にどのように対処すればよいのか、どこに価値観を置けばよいのかを的確にまとめる訓練を行えば、得点がアップするに違いない。本書が、受験生諸君の助けになれば幸いである。

題字・イラスト:KAZMOIS

プロフィール
高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう)

國學院大學教授。専門は論理学・科学哲学。著書は『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『愛の論理学』『東大生の論理』『小林秀雄の哲学』『哲学ディベート』『ノイマン・ゲーデル・チューリング』『科学哲学のすすめ』など、多数。

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