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エッセイ「空想居酒屋」第11回 〔鰻〕 島田雅彦

 私の幼少期の偏食については『君が異端だった頃』という私小説にありのままを書いた。当時と較べると、私の食事のバリエーションは爆発的に多様になり、苦手なものはほとんどなくなった。それでも友人の娘があらゆるおかずを拒絶し、白いご飯しか食べないのを見て、かつての自分を思い出し、ほくそ笑んだりする。私は豚も牛も鶏も一切、口にしなかった。すき焼では白滝と豆腐だけ、カツ丼も肉だけ残し、衣と卵だけ食べていた。焼肉店に行っても、肉には見向きもせず、ビビンバだけ食べていた。唯一、食べられる肉は脂身が全くない馬肉を煮たものだけだった。寿司は卵とタコ、カッパ巻だけで、中トロもエビもウニもイクラも青魚も一切受け付けない。そのくせ甘いものはあるだけ延々食べ続けていた。私の栄養状態を心配した両親や祖父母は、何を与えれば、食欲が湧くのかをあれこれ試した結果、白いご飯に海苔を与えておくか、さもなければ、鰻丼の出前を取ると、完食することがわかった。
 パンダに笹、コアラにユーカリ、そして、雅彦には鰻ということで、幼い頃の私は鰻を主食にしていた。浅草を遊び歩いていた江戸っ子の祖父は面白がって私を馴染みの鰻屋に連れてゆき、よく鰻重を食べさせてくれたが、私が「口に入れると溶けるし、タレも甘過ぎない」と生意気に批評したりするので、仲居さんが「まあ、小憎らしい」と呟いたのをなぜか鮮明に覚えている。
 幼い頃に食べ過ぎた反動が大人になって出たか、しばらく鰻と疎遠になっていた時期がある。遅まきながら、鰻以外にもうまいものがあることを知り、食の世界の多様性に積極的に触れようとしていた時期と重なる。鰻は私にとっては、「偏食」の象徴だったので、それを克服するには一定期間、距離を置く必要があったのだ。

うなぎの赤ちょうちん

見る機会がめっきり減った「鰻屋」の赤ちょうちん

 二十年くらい前からまた鰻への執着が強くなり、鰻屋詣でが復活した。きっかけは鰻の串焼との出会いだった。東京には串焼の専門店が少なくない。新宿の思い出横丁にも、渋谷の道玄坂にも、池袋や東中野、大井町、虎ノ門にもある。蒲焼の副産物とでもいうべきキモ、ヒレ、エリ、レバー、カブトなどの部位を焼いたものや骨せんべいを肴に酒を飲み、短冊の白焼にわさびやニンニクをトッピングしたものを追加し、締めに鰻丼をかき込むスタイルは、庶民的とも言われていたが、鰻の稚魚の不漁による価格高騰によって、串焼も高級になってきて、若い客の姿も見かけなくなった。
 串焼鰻の醍醐味は普段、なかなか口に入らない部位それぞれ独特の味わいを堪能するところだ。そこはモツ焼に近いところがあるのだが、素材全てが鰻であるから、かなりマニアックだ。「くりから」というのは脂がそれほど乗っていない背中側の肉で、このあっさりした味わいは最初の一本に最適である。キモはレバー以外の内臓の総称で、エイリアンを彷彿とさせる胃袋を中心に一緒くたに串刺しになっている。キモ吸いやキモの刺身も同じ部位で、鰻屋では鰻が焼き上がるまでの待ち時間に食べることになっている。ほろ苦さとモチっとした歯応えに特徴があるが、タレの味と山椒の風味を纏うと、酒が進む。私がよく出かける東中野の「くりから」では、梅割り焼酎をよく飲むのだが、この安酒がなぜか串焼との相性が抜群なのだ。ゴボウの芯に鰻を巻きつけた八幡巻や背ビレの肉をニラで巻いたヒレも手間のかかった一品で、それらを食べる段にはもう二杯目の梅割りに進んでいる。エリはカブトの下の、魚でいえばカマの部分で、骨っぽいのだが、この部位だけは塩で食べる。レバーは希少部位で、一本の串に刺さっているのはざっと十尾分ほどの肝臓で、これはすぐに品切れになる。私が特に好きな部位は鰻の尾ビレに近い部位のカワで、身が薄いのでタレがよく絡み、またよく動かす部位のせいか、鰻が本来持っている香りが強い気がする。
 カブトはそのまま焼いても、骨っぽいので、大抵の店では骨が柔らかくなるまで蒸している。大阪では腹開きした鰻を頭をつけたまま金串に刺して焼くので、焼き上がった段階でまだ頭が残っている。盛り付ける前に落とされた頭を集めて、豆腐などと一緒に煮た半助鍋を出す店もある。自分は半助鍋こそが好物なのだといって、これだけ食べに来る客がいるかどうかは知らないが、極めてリーズナブルな値段なので、給料日に本体を食べることにし、財布に千円しかない時は半助鍋でしのぐというようなことができるのは、さすが貧者にも優しい食い倒れの都ならではである。
 鰻屋では待ち時間をどうやり過ごすかも悩みどころだ。急ぎの時は電話を入れ、あらかじめ竹の重と白焼の注文をしておくこともできるが、店に着いてすぐに鰻重の注文をし、すぐに出てくる骨せんべいや板わさを肴に酒を飲む、この時間も好きだ。しばらくすると、キモ焼や鰻巻(うまき)も出てくる。店によっては刺身や焼鳥を置いているところもあるが、あくまでメインは鰻重であるから、やや禁欲を保ちつつ、ちびちび飲むことになる。いきなり酒飲みモード全開とならないところが、鰻屋の客が上品に見える理由かもしれない。
 テーブル席で向かい合った妙齢の男女が微妙に目を反らしながら、手持ち無沙汰にしている光景を傍から観察し、夫婦か、不倫か、付き合って何年になるか、相思相愛か、倦怠期かを想像するのも楽しい。男は腕組みをして、店内を見回し、女はやや俯き気味にメニューを熟読したりしながら、ひたすら待っている。今日は鰻だけ食って帰るつもりだったのに、いよいよ待ちきれなくなると、酒を注文してしまう。案外、鰻屋の待ち時間に交わす会話には本音が出るかもしれない。なぜなら、何かを期待して待つ時と空腹を抱えている時は、よほどのひねくれ者でない限り、人は素が出るものだからである。

うなぎのキモ焼き

キモ焼きのほろ苦さがたまらない

 さて、備長炭に脂が落ち、燻製香のついた煙とタレが焦げる匂いに散々、食欲を刺激され、待つこと二十五分、ようやくテーブルに塗りの重箱が運ばれてくる。蓋を開ける瞬間は、歌舞伎やオペラの幕開きにも似た高揚感がある。重箱に盛ったご飯の上に、香ばしく焼き上がった鰻が畳のように並べられたその様子を先ずは賞でる。焦げ目の付き具合はどうか、特上、松、竹、梅、自分が選んだサイズに見合った大きさか、コスパはどうか、途中でちぎれたりしていないか、待たされた時間に比例して、客のチェックは厳しくなる。
 すぐに食らいつきたいが、山椒を振りかけるのを忘れてはならない。鰻の上に振りかけるのを止めはしないが、一手間かけて、鰻をめくり、ご飯とのあいだにたっぷり振りかけると、鰻本来の味を損なわず、しかも山椒効果で旨味を引き立てることができる。
 ところで、重箱に敷いたご飯の布団に鰻を横たえる鰻重の様式はわりに新しく、一九六〇年にある店が始めたのが最初だったようで、それまでは鰻丼しかなかったそうだ。甘辛いタレを纏った蒲焼の歴史は古く江戸期に遡る。一七八〇年代頃からこの食べ方が定着したらしいが、ヒゲタ醤油が濃口醤油を作り、江戸で広まった時期と重なるのだとか。鰻自体は縄文時代から食べられていた食材で、それは貝塚から出土した骨によって裏付けられている。
 東京には鰻の名店が数多くあり、「尾花」や「野田岩」のように行列に並ばなければならない店もある。また、土用の丑前後に需要が高まるが、養殖物は別にいつ食べてもいいし、天然鰻の旬は秋なので、わざわざ夏の盛りに食べなくてもいい。「鰻なんて何処で食べても同じ」と暴言を吐く人には笑顔でこう諭したい。
 先ず、蒸しを入れるか、直火焼きかで全然違う。関東から西に進むに従い、蒸し時間が短くなる法則がある。東京では平均二十分蒸すようだが、浜松では一分に満たない。名古屋まで行くと、もう蒸し時間はゼロになる。直火焼の関西風も、脂がしっかり残っていて、皮の焦げ目がパリッとしていて、江戸前とは全く違うよさがある。名古屋のひつまぶしは関西風ではあるが、茶漬もできる「お値打ち感」があり、これは鰻のせいろ蒸しとともに、別物と受け止めた方がいいだろう。東京でも関西風、大阪でも江戸前の鰻を出す店はある。鰻好きはあえてどちらがいいとはいわない。扱い方次第で鰻の味はいかようにも変わるし、その変化全てを食べ尽くしたいから。
 長年食べ慣れているのはもちろん、江戸前だが、蒸し過ぎれば、鰻自体の風味が薄れるし、串から外れたり、身が崩れたりしてしまう難もある。口に入れてとろけるような食感が好きな人もいるが、ギリギリ身崩れしないところに串打ちや焼きの技が光る。焼きには備長炭の表面が白くなっている状態が好ましい。強過ぎず、弱過ぎない炭火をコントロールしながら、何度も位置を変え、ひっくり返し、たれ漬けも三度行う。焼きの工程で余計な脂が落ち、また溶けた脂で自らの肉を焦がすことで、風味を引き出すのである。
 鰻のエキスが溶け込んだタレも店によって、全然違う。どろっとしていて甘い田舎風のものより、サラッとしたものがやはり飽きがこない。早稲田あたりにはご飯がタレで真っ黒になった鰻重を出す店もあるが、これはこれで昭和にタイムスリップした感があり、懐かしい。松竹梅のランクは鰻の大きさの違いなので、見栄を張らず、空腹の度合いで選べばいい。ただ、鰻本体の大きさは味に関係してくる。一度、琵琶湖で採れた一メートル以上もある大鰻を焼いている現場に遭遇したことがあったが、味は大きさに比例しない。見た目の豪快さにとらわれず、細めの鰻をたくさん食べる方が絶対、得である。その点で、小ぶりの鰻の蒲焼を大皿に並べた「筏」をつつきながら、白いご飯を食べるというスタイルもあり、一度「尾花」で試した。その際、ご飯は炊き立てに限る。
 内田百閒は知る人ぞ知る独特の鰻の食べ方をしていた。そのことを電車に乗るたびに思い出す。おもむろに鰻弁当を広げると、百閒先生はタレの染みたご飯だけを食べ、鰻を残す。その後、鰻を少しずつほぐしながら、ゆっくりと酒を飲み、目的地まで持たせるのである。鰻屋では待たされた分、がっついて重箱を抱えて、貪り食ってしまうこともあるが、百閒方式なら旅のお供の鰻弁当から最大限の楽しみを引き出すことができる。

うな重

鰻重への愛は変わらない

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プロフィール

島田雅彦(しまだ・まさひこ)
1961年、東京都生まれ。作家・法政大学教授。東京外国語大学ロシア語学科卒業。在学中の83年に『優しいサヨクのための嬉遊曲』で注目される。『夢遊王国のための音楽』で野間文芸新人賞、『彼岸先生』で泉鏡花文学賞、『退廃姉妹』で伊藤整文学賞、『カオスの娘』で芸術選奨文部科学大臣賞、『虚人の星』で毎日出版文化賞を受賞。ほかの著書に『天国が降ってくる』『僕は模造人間』『彗星の住人』『悪貨』『ニッチを探して』『オペラ・シンドローム』など多数。2010年下半期より芥川賞選考委員を務める。

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