都会暮らしでは叶わない自分好みの庭造り――「熊本 かわりばんこ #03〔「庭育て」が始まった〕」吉本由美
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都会暮らしでは叶わない自分好みの庭造り――「熊本 かわりばんこ #03〔「庭育て」が始まった〕」吉本由美

 長年過ごした東京を離れ故郷・熊本に暮らしの場を移した吉本由美さんと、熊本市内で書店&雑貨カフェを営む田尻久子さん。
 本と映画、そして猫が大好きなふたりが、熊本暮らしの手ざわりを「かわりばんこ」に綴ります。 ※#01から読む方はこちらです。

ひさしぶりに散歩に出ると

 2021年5月15日、早くも熊本に梅雨入りが発表された。平年より20日早く、1951年の統計開始以来過去2番目に早いらしい。かんかん照りより雨降りが好きだけれど、まだ5月半ば、早すぎませんかと思う。もう少し気持ちの良い日々を味わわせてほしい。冬の寒さが解けたと思ったら花粉が飛ぶ。アレルギー性鼻炎の私は外に行けない。年中つらいが花粉が飛ぶと倍つらくなるのだ。花粉が終わると黄砂が来る。黄砂で目が痒くなるとそれが刺激となって顔中めちゃくちゃ痒くなる。その黄砂もやっと去り、やれやれと、5月の心地よい陽差しのもとでのんびり散歩といきたいなあ……と、思った矢先の梅雨入り宣言なのである。早すぎる。地球環境の変化がじわじわと迫ってくる。なんにせよ、宣言の二日前、買い物ついでに足を延ばし散歩の真似ごとなどやっておいて良かった、と、雨降る庭を眺めながら思った。

 コロナ禍で昨年の春以降、私も人並みにお籠もり生活を続けている。机仕事だから生活必需品の買い出し以外出かける必要もなく、すると無駄なお金を使わないで済むし、一人には馴れているのでたいして不満もないのだが、運動不足が気になっていた。その前から「これからは節約人生」とジムもピラティスも止(や)めていたので、外歩きまでしなくなるとさすがに身体がなまってきていた。しからばご近所散歩しかない。なのに寒かったり花粉だったり黄砂だったりで、軟弱者ゆえやる気が失せた。これじゃいかんと焦りが募っていたのだが、それが先日、つまり梅雨明け宣言の二日前、ついに「黄砂は少ない」という予報が出て、散歩するなら今日じゃないかい? と自分に問うたのだ。どんより曇って今にも雨粒が落ちてきそうな空模様だったが、冷蔵庫もガラガラになりつつあるし、買い出しついでに散歩とキメた。

徳富兄弟

 我が家周辺はただの平凡な住宅地なのでこれぞという散歩コースはない。せっかくだから少し離れているけれど昔通った中学校あたりまで行ってみることにした。そこから10分ほどの川辺に出ると地方住まいの特権である甘くて瑞々しい空気が待っているのだ。ひさしぶりに深呼吸でもしてみよう、そうしよう、そうしよう、と足取り軽く中学校を通り過ぎ、ふと右方向の空を見ると、まるで銭湯の煙突みたいにとんでもなく大きな樹が聳えていた。そうだ、学校のすぐそばに「徳富記念園」があるんだった、と気が付いた。確か建物の中に入れたな、庭に古い日本家屋があったな、その庭がやたらときれいだったな、何か特別な植物が育てられていたな、など、子供の頃の記憶がぼんやりと顔を出す。寄ってみることにした。

 ところが門は閉まっていた。門に大きく「休園中」の札が掛かっている。“地震の影響により園内旧邸復旧工事のため休園します”というメッセージがあった。熊本地震からもう5年は経つのにまだ工事中なのかと腑に落ちない。熊本市内では公共施設も復旧を終え商業ビルがどんどん建っている。それらを見ると地震からの復興事業はある程度進んだように思えるけれど、規模の小さな文化施設は後回しにされているのか。確かに入園者数となるとわずかなものだろうが。

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徳富記念園の門

「徳富記念園」は徳富蘇峰(そほう)・蘆花(ろか)の兄弟が明治3年から幼少期を過ごした屋敷ということだ。中学の授業中、教師が「蘇峰とは蘆花とはどういう事をなしえた人物か」と親しい人のように話していた記憶があるが、私を含め生徒の中にそれに興味を覚えた者はいなかった気がする。けれどときどき、ご近所ということから下校途中に寄ることもあった。日本家屋の原型とも言えるような旧居にも惹かれたが、小さな庭が美しかった印象が強い。そこに(名前を知ったのは後年だけれど)カタルパというめずらしい木が育っていて、梅雨どき白いきれいな花を咲かせていたのを覚えている。もしかしたら今日もその花に会えるのではと期待したのだが当てが外れた。門の外から中を覗くと数か所に工事中のシートが掛かり、裏門の前には工事関係者用プレハブ小屋が建っていた。作業服(裾がしぼんで大きく広がっているズボン)の人と目が合い、「何か?」という顔をされた。いやいやいやと慌てて立ち去る。もう一度表門へ回り、そこに聳えている2本の大きな樹を見上げた。2本ってことは蘇峰と蘆花の象徴ってことか。なんにせよ、大きな樹を見上げると背筋が伸びて気持ち良い。

「うざい」は愉快

 川まで出て向こう岸の街を眺めた。川というのは一級河川の白川だ。阿蘇の根子岳(ねこだけ)を水源とする白川はそこを振り出しに熊本市内の街の真ん中を走り抜けて有明海に出る。街は川に大きく二分されている。住宅地である我が家は川の東側、お城やデパートや本屋や洋菓子店や饅頭屋のある賑やかな街は川の西側。従って“川を渡って街へ行く”のが子供の頃の楽しみだった。
 今も川の向こうへ行くのは楽しいことだ。美術館がありTSUTAYAがあり無印があり映画館があり「オレンジ・橙書店」がある。ほかにもギャラリー、和食屋、八百屋などお楽しみの場はいろいろあるが、行きつけと言えばだいたいこんなところである。お籠もりの日々になってからは「オレンジ・橙書店」にもご無沙汰している。この1年でたぶん4、5回も行っていない。コロナで自粛というわけではないがマスクをつけての行動が鬱陶しいし、バスの減便で“足”が不便になったのも出不精に変身した理由である。

 たまには「オレンジ」で久子さんほか顔見知りの常連さんたちと気の置けないおしゃべりに興じたいと思う。わりと皆さん“武士系”なので話し方は柔らかいがテーマは堅いことが多い。すると居合わせた若いチャラ子さんから鬱陶しいような興味あるような複雑な視線が送られてくる。私たちの話が聞こえたのか「なんだ? このオバチャンらは」という不審げな顔を2度ほど目撃したことがある。きっと「うざい」と思っているんだろうなと楽しくなった。年を取ったせいか最近「うざい」と思われることが愉快になった。「オレンジ」はそういう私たち(オバチャン連!)の遊び場でもある。早く呑気に遊びに行けるようになればと願う。
 なんてことを思いながら川向こうの街を眺め、ひとつふたつため息をついてスーパーに向かった。もう1時間くらい歩いている。馴れない長散歩に膝がよれている。早く帰って横になりたい……と思う自分に年を感じた。

庭はまったく金食い虫

 梅雨入り宣言通りに雨の日は続いて、昨日(5月20日)などは梅雨から受けるしっとりとしたイメージの真逆をいくような集中豪雨だった。最近は集中豪雨より線状降水帯という表現をよく聞くが、確かにドバーッと屋根を崩壊させるかのごときに降ったと思うとパッと止み、しばらくの後またドバーッと降るという降り方には線状降水帯という呼び方がふさわしい。
 この降り方をされると庭は瞬く間に池……というと大げさだがそれに近くなる。前庭と裏庭をつなぐ小径は少し低いので川になる。庭に水溜まりができてくると条件反射のように“白川は大丈夫だろうか”と不安になる。白川は何度も氾濫を起こしているらしいので気になってしかたがない。特に昭和28年(1953)と55年(1980)の水害がひどかったらしい。白川とウチとの距離は徒歩で15分くらいあるから直接の被害はないが、それでも昨今の“想定外の被害”を思うと、もしかしたらと構えてしまう。

 雨が止んで水が引いたので庭に出るとワッとなる。草たちが昨日の倍に育っているのだ。この時期の草の勢いは本当にすごく、まだ可愛い赤ちゃんね、と引き抜くのを免除しているとすぐに育って根を張り巡らせる。だから草を抜くなら雨の上がった直後がいいのはわかっているのだが、そこまで雑草中心の暮らしはできずについ後回しになる。すると数日で見るも恐ろしき雑草の混沌世界となるのである。なんとかしなくちゃと思うが何せ梅雨だからすぐまた雨が降る。しかたないから上がるまで待ち、上がって晴れたからと庭に出ると、熊本の無礼とも言える強烈な陽差しに尻込みする……を繰り返しているうちに、庭は手の付けられない状態となるのである。こうなると好きなの嫌いなの分けて引き抜くなんて甘いことは許されず、好きも嫌いもぜんぶまとめて刈り取る作業になるのである。

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雨上がり後の草ぼーぼーの庭

「芝刈り」

 6年ほど前までは、肩に掛けて右に左に動かす電動草刈り機なるものでウィ〜ンウィ〜ンと爆音立てて雑草たちを刈っていた。夏場はひと月に一度の割りで刈るのだが、老女の細腕には草刈り機が重すぎてうまく動かせずに虎刈りになる。なので弟が来ているときは弟に、友だちの滞在中は友だちに、雑誌の締めきりが迫って身動き取れないときは編集長に、頼んですっきり刈り上げてもらっていた。
 それでも自分でフラフラと刈っているときは、いつも『寺田寅彦随筆集』の「芝刈り」という掌編を思い出した。寺田センセイらしき人物が愛する芝庭の芝を刈る話だ。センセイらしき人物がさんざん芝庭の魅力を讃えた後でこう独白する。

 夏が進むにつれて芝はますます延びて行った。芝生の単調を破るためにと ころどころに植えてある小さなつつじやどうだんやばらなどの根もとに近い所は人に踏まれないためにことに長く延びて、それがなんとなくほうけ立ってうるさく見えだした。母などは病人の頭髪のようで気持ちが悪いと言ったりした。植木屋へはがきを出して刈らせようと言っているうちに事に紛れて数日過ぎた。
 そのうちに私はふと近くの町の鍛冶屋の店につるしてあった芝刈り鋏を思い出した。例年とちがってことしは暇である。そして病気にさわらぬ程度にからだを使って、過度な読書に疲れた脳に休息を与えたいと思っていたところであったので、ちょうど適当な仕事が見つかったと思った。

 と書かれた先からは、芝刈り鋏の選び方や芝をどこから刈り始めるかという問題、刈っていくときの感触や湧いてくる思い、鋏の進む先から飛び出してくる無数の虫たちへの洞察などが、科学者らしい観察眼と文学者らしい想像力で書き連ねてある。庭についての著述では、牧野富太郎博士、カレル・チャペック、そして寺田寅彦センセイのお三方のが最も好きだ。気の重い草刈りも寺田センセイのどこか惚(とぼ)けた、けれど理性的な独白を思い浮かべたりしていると楽しく運んだ。
 
 それでも体力の限界か、老女Yには長い柄の重さ2キロ弱はある草刈り機を、熊本の猛烈なる陽差しのもとで動かし続けるのは無理だった。翌年からシルバー人材センターのおじさま方に頼ることにした。冬場はパス。3月から3か月に一度、4、5人で来て雑草を抜いてくれた。3か月に一度というのは草が育って繁りが息苦しく思われ始める頃だからとても助かる。とはいえとことん抜いて庭を丸裸にしてしまわれるので、もう少し残してくれるように頼むこともたびたびだった。作業は午前中に終わり、料金はそのときどきで変わるがだいたい3万円。当然ながら雑草の量で料金は変わり、夏場は高く冬場は安い。草毟りを頼めば本当に楽ちんだが、貧乏な自分には贅沢なことのような気がするのもまた事実だった。

 庭についてはもうひとつ大きな出費があるのだ。前庭裏庭に植わっている大きな20本の庭木の剪定だ。家を建てたとき植樹したそうだからもうかれこれ60年くらいは経つ老木揃いで、これらの剪定にお金が掛かるのだ。親が生きている間は昔からお願いしていた造園会社に頼んでいたが、目の玉飛び出る料金とわかってこれもシルバー人材センターの剪定隊に鞍替えした。イヤでも樹木の剪定は年に一度はやらなくてはならない。草刈りは頑張れば自分でもできるが、大きな樹の剪定はどだい無理なので頼むしかない。シルバー人材センターは市の事業だから造園会社に比べると料金は格段に安いが、年に3回の草毟りと年に1回の剪定となれば、この後何年生きるのかわからないがこの世とお別れするまでに、私は庭にいったいいくら注ぎ込めばいいんだろう……と考えると、眠れない夜もけっこうある。

年よりにやさしい庭

 ということから家計の負担をできるだけ軽減しようと、せめて草毟りくらいは自分の手で済ませられないものかと考えた。草刈り機など使わないでも老女Yが楽に草を毟り取ることが可能な庭。あるいは草を毟ることなくほったらかしでもかまわない庭。つまり年よりにやさしい庭を造ればいいのではないかしら、と。
 今の50坪の庭を手前の10坪だけ残しあとは売却するという考えが、お金は入るし草毟りの手間も少なくなっていちばんいいが、問題はヒトの家の庭の40坪の土地を購入したいと思う人がいるかどうかだ。車を引き込む道がないから家を建てるのは難しい。ある時期ここに小さな畑を拓いたがそれは自分ちの庭だからで、ヒトんちの庭の40坪の土地で畑をやりたいと思う人はいないだろう。

 それで浮上したのは庭を造り替えるというアイデアだった。ほったらかしにしてもいいエリアと、このくらいなら老女にも管理できるというエリアと、草の生えないエリアを造る。ふむふむ、これだ、と納得し、大雑把なコンテを描いてガーデン・デザイナーさんにお渡しした。それを基にできあがった設計図が下の写真だ。

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 真ん中のハート形の地面はそのときどきの草や花を植えたりするフリースペース。このくらいの広さなら私でも草毟りや種蒔きや水やりなどが管理できる。そこを取り巻く遊歩道は真砂土(まさつち)を敷いて草の生えない場所にした。草が生えない場所があるというだけで気持ちにゆとりが生まれる。遊歩道の外側が基本ほったらかしのエリアである。昔からの庭木が育ち、名も知らぬ雑草たちが何種類も暮らしている。年によって顔ぶれが変わるのだが、その顔ぶれ、庭が選別しているのか草たちが勝手に集まるのか、など考えると面白い。ごちゃごちゃ付箋を貼っているのはこれから植えたいと思っていた果樹や花の名前。2年前(2019年)の3月に着工し、4月に完成。5月にはこんな風になった。

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 庭は今年3回目の梅雨を迎えている。付箋にあった果樹や花は植木市や園芸店や庭名人の知人から苗を手に入れぐんぐん育って、「庭育て」をバックアップしてくれている。
 私は濡れた雨上がりの庭の光景がいちばん好きなのでその写真を収めようとさっき庭に出てみた。だが、出てみると昨日来の豪雨と強風で庭ぜんたいがいささかお疲れ気味の様子だった。5種類の山紫陽花の花の多くが散っていたし、植樹3年目で花をつけたレモンの赤ん坊(花のあとの果実に育つ部分)もジューンベリーの赤い実も落ちていた。宵待草やドクダミなどの“勝手に育ってもOKよ”のエリアも櫛を入れる前の洗い立ての髪のように乱れていた。朝採り野菜を配達に来てくれた人に聞くと、この嵐のような天候で農家さんではレタス、キャベツ、白菜、牛蒡(ごぼう)、などが全滅し、夏野菜の植え付けもできなくなったということだ。この夏は野菜がたいへんなことになりそうで、僕も休業になりかねないです、と愁いていた。やはり早すぎる梅雨入りと豪雨強風の影響は大きそう。これから2か月こういう天気が続くかと思うと気が滅入る。

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大雨直後の乱れた庭

(次回は田尻久子さんが綴ります)

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プロフィール
吉本由美(よしもと・ゆみ)

1948年、熊本市生まれ。文筆家。インテリア・スタイリストとして「アンアン」「クロワッサン」「オリーブ」などで活躍後、執筆活動に専念。著書に『吉本由美〔一人暮らし術〕ネコはいいなア』(晶文社)、『じぶんのスタイル』『かっこよく年をとりたい』(共に筑摩書房)、『列車三昧 日本のはしっこへ行ってみた』(講談社+α文庫)、『みちくさの名前。~雑草図鑑』(NHK出版)、『東京するめクラブ 地球のはぐれ方』(村上春樹、都築響一両氏との共著/文春文庫)など多数。

田尻久子(たじり・ひさこ)
1969年、熊本市生まれ。「橙書店 オレンジ」店主。会社勤めを経て2001年、熊本市内に雑貨と喫茶の店「orange」を開業。08年、隣の空き店舗を借り増しして「橙書店」を開く。16年より、渡辺京二氏の呼びかけで創刊した文芸誌『アルテリ』(年2回刊)の発行・責任編集をつとめ、同誌をはじめ各紙誌に文章を寄せている。17年、第39回サントリー地域文化賞受賞。著書に『猫はしっぽでしゃべる』(ナナロク社)、『みぎわに立って』(里山社)、『橙書店にて』(20年、熊日出版文化賞/晶文社)がある。

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