
ガンダムの作画監督が描き下ろした『ナムジ』と『神武』を読む――周防柳「小説で読み解く古代史」第5回(謎2 その2)
「邪馬台国はどこか?」に代表されるように、日本の古代史はいまだ解明されない謎ばかり。そのため、吉川英治や松本清張をはじめ、たくさんの作家がインスピレーションを掻き立てられては物語を書き、あるいは持論を展開してきた。本連載では、日本史を舞台にした作品を多く手掛ける著者が、明治・大正・昭和の文豪から平成・令和の小説家まで、彼らが描いた「歴史的なあの場面」に焦点をあて、諸説を紹介しながら、自身もその事件の背景や人物像を考察していく。作家ならではの洞察力と想像力を駆使して謎に挑むスリリングな古代史企画。
*第1回から読む方はこちらです。
謎2 記紀神話と初期大和王権(その2)
ガンダムの迫力を神話へ
続いては、神話を扱った作品の序破急の急――、安彦良和さんの『ナムジ』と『神武』です。
安彦さんといえば、いまなお人気の高いアニメーションの『機動戦士ガンダム』の作画監督として知られます。が、四十代で『ナムジ』を描いて以降は、専業漫画家としておもに歴史をテーマとする作品を発表してきました。時代考証や推理も綿密ですが、やはり、なんといっても画力が素晴らしく、文字とは違う説得力に圧倒されます。
この二作の底には、原田常治氏の『古代日本正史』という種本があります。日本じゅうの神社をしらみつぶしに研究した成果から神話の再解釈を試みた異色の書なのですが、安彦さんはここに自身の考えを加えてさらに飛び跳ね、また、ある部分は逆にオーソドックスの方向へ揺り戻し、独自の世界を創りあげました。
主人公はナムジ(オオナムジ、オオクニヌシ)と、その子ツノミ(カモタケツノミ、アジスキタカヒコネ)の父子二代です。
本作のおもしろいところは、登場人物が神様ではなく、すべて実在の人物として描かれている点です。このため、抽象的な絵空事ではなく、すべて切れば血の出るような生々しいドラマになっています。
では、まず『ナムジ』です。

時は二世紀後半。出雲(本作では於投馬)の国は海の向こうから製鉄と騎馬の文化を携えて渡ってきた大王スサノオに支配され、倭国最大の勢力を誇っていました。この土地に一人の孤児が流れつきます。これがナムジです。
記紀神話ではオオクニヌシはスサノオの何代目かの子孫ということになっていますが、本作では血のつながりはありません。しかし、知恵があって度量も大きいため、めきめきと頭角を現し、スサノオの末娘のスセリヒメと恋仲になります。彼らの世界では末子相続がならわしなので、ナムジは婿養子となってスサノオの跡をつぐのです。
ナムジとスセリはスサノオから杵築の里を贈られ、りっぱな住まいを建てます。これが杵築大社(出雲大社)の始まりです。やがて子のタケミナカタも生まれ、ナムジはえいえいと国造りに励みます。
そのうちに、スサノオが領土拡大の野心を抱き、筑紫の強国である邪馬台国の征討に出かけます。これによって、歴史上言うところの「倭国大乱」が幕を開けます。
もともと邪馬台国は筑後川流域の山門にあったのですが、スサノオの猛攻に恐れをなして南に逃走し、クマソ(球磨と曽於)のはざまの日向の西都原を拠点としました。一方、出雲方は宇佐を陣としてにらみあいに入ります。ところが、ここで誰もが予想しなかったことが起こりました。邪馬台国から人質として来ていた美貌の王妃ヒミコ(日霊女)にスサノオが惚れ込んでしまったのです。スサノオはヒミコに骨抜きにされて故国を忘れ、はるばる遠征してきた意味も忘れ、そのまま筑紫の王のように居ついてしまいます。ミイラ取りがミイラになるのです。
神話の世界ではスサノオが恋慕する相手は決まっています。そうです。アマテラスです。本作では、ヒミコはすなわち天照大神なのです。
記紀神話では、この二人は誓約をして、スサノオの剣から三女神(タギリヒメ、サヨリヒメ、タギツヒメ)、アマテラスの玉から五男神(アメノオシホミミ、アメノホヒ、アマツヒコネ、イクツヒコネ、クマノクスビ)が生まれますが、本作ではこのうちの三女が、スサノオとヒミコから生まれます。五男は他の王とのあいだにできた子という設定です。
かくして年月を経るうち、邪馬台国が勢力を吹き返し、ヒミコを奪還します。スサノオも襲われて命を落とし、とたん、北筑紫の国々や海人族、クマソたちも騒ぎはじめ、宇佐の出雲陣営は窮地に陥ります。スサノオにはオオドシ(オオモノヌシ、ニギハヤヒ)というすぐれた息子がおり、あるときまで行動をともにしていたのですが、途中から別れて大和へ進出していました。
そこで、ナムジが救援の軍を率いて筑紫へ遠征するのですが、これまたヒミコの罠にかかり、十年も牢獄の中で過ごすはめになります。囚われのナムジを助けたのはヒミコとスサノオの娘のタギリヒメで、おかげでナムジは巌窟王よろしき軛を逃れ、地上に復帰することができました。ところが、可憐で純粋なタギリを愛してしまったため、出雲に帰ることもできなくなり、さりとて邪馬台国の人間になることもできず、どっちつかずの身の上となります。
その後、ナムジは血煙の立つ戦場で妻のスセリと子のタケミナカタに再会します。が、案の定ナムジに対する彼らの怒りはすさまじく、裏切り者として攻められます。ナムジは彼らと干戈を交えるのを避けたいあまり逃走し、運命の波に翻弄されるように北筑紫の鐘の岬から船出します。そして、玄海の孤島の沖の島にたどりつきます。

やがて、ここへタギリと赤子のツノミが後を追って現れ、ナムジは彼らとともに広大なわたつうみの世界で生きていこうと決心する――、ところで幕となります。
以上のように、次々に登場する名前は記紀神話でおなじみですが、物語はまるきり違います。とくに興味深いのはナムジの人物造形で、どこにも根を持たぬ漂泊者のような性格が貫かれています。記紀に描かれるオオクニヌシは、オオナムジ、ヤチホコ、アシハラシコオ、ウツシクニタマなどたくさんの名を持ち、妻も多く、活動範囲も多岐にわたります。おそらく複数の人間の事績を合体させたゆえなのでしょうが、これを破綻させず、一匹狼的なキャラクターに還元した点は稀有と感じます。だからといって虚無的なわけではなく、むしろ愛情深く、悩み多く、人間的なのです。このようなオオクニヌシは見たことがありません。
最後に沖の島の海民となる幕切れも一般的なイメージからすると意外ですが、当地を支配していた海人族の宗像氏が航海の女神としてアマテラスの娘の三女神を崇めていること、とりわけ「海の正倉院」と呼ばれる沖の島にオオクニヌシの妻のタギリヒメが祀られていること、また、宗像氏が出雲と深い関係を持ち、朝鮮半島と日本海沿岸の土地土地をつなぐパイプであったことなどを考えれば、うなずける結末でもあります。
八咫烏ツノミ
では、続編の『神武』です。

本作には、大きく二つの要点があり、一つは出雲が邪馬台国の圧力に屈し、「国譲り」がなされること、もう一つは、ヒミコの孫であるイワレヒコ(神武天皇)が日向から纒向へ「東遷」し、初期大和王権ができあがることです。
それだけ言えばおなじみの記紀神話そのものですが、こちらも従来とはまったく違います。
物語は、沖の島の海人族として生きていたナムジが世を去ったところから始まります。長年にわたる出雲との泥仕合に業を煮やしていたヒミコは、いまぞ好機と敵の殲滅に乗り出します。出雲の王が末子相続で受け継がれることを逆手に取り、わが娘タギリヒメが生んだ虚弱な末子のツヌヒコ(コトシロヌシ。ツノミの弟)を無理やり神輿に担ぎ、猛将のタケミカヅチを先鋒に据えて乗り込んでいくのです。
相手方にも、スセリヒメが生んだ末子のミナカタがいますので、出雲の民はツヌヒコを担ぐかミナカタにつくかで真っ二つに割れます。タケミカヅチはその動揺を鋭く突いて、優勢に立つのです。剛勇で鳴らしたミナカタは遥か諏訪まで敗走し、残されたツヌヒコもまもなく世を去り、出雲はヒミコの手に落ちます。
これが、本書の描くところの「出雲の国譲り」です。
父祖一族のむざんな衰勢を憂えたツノミは、叔父のオオドシが治める大和の纒向に第二の故郷を打ち立てたいと願います。そして、あれかこれかと思案した末に、一つの案を思いつきます。
それは、オオドシの末娘のミトシ(イスケヨリヒメ)の婿に日向のイワレヒコを迎えること――。
長く続いた戦乱を終わらせ、新しい世の中を到来させるためには、出雲と邪馬台国が無血で同盟を結ぶのが理想であり、そのためには婚姻が最良と考えたのです。イワレヒコは若年ながら静謐と知性を兼ね備え、いくさのない世を願う穏やかな魂の持ち主です。ツノミはイワレヒコに出会ったとき、この人しかないと運命的なものを直感したのです。
ツノミの案は双方の首脳に受け入れられ、やがてイワレヒコは大和へ向けて旅立ちます。
その道のりは平坦ではありませんでした。浪速から上陸すると先住民のナガスネヒコに猛攻をしかけられ、やむなく南へ迂回して熊野の危険な山中を進みます。悪路に難渋するそのイワレヒコを、ツノミが迎えにいきます。
記紀神話に登場するカモタケツノミは、別名八咫烏といいます。つまり、ツノミの役どころは、イワレヒコを金の明かりで照らして大和へ導く鳥であり、これが本作の提示する「神武東遷」なのです。

かくして、イワレヒコの婿入りは成りました。しかし、これにて一件落着――、ではないようです。なぜなら、跡取り娘に婿をもらったと考えているのは出雲側だけで、邪馬台国のほうは、出雲を隠微に乗っ取ったつもりらしいからです。
まもなくヒミコは死にますが、そのあとには少女の台与が不気味にたたずみ、大和を睨んで青白い怒りの炎を燃やしています。台与はイワレヒコとクマソの娘のあいだに生まれた一粒種なのです。邪馬台国から海彼の魏に向けて、いくさの応援要請も出されます。けれども、それ以上のことは本書では語られません。
この先、日向の邪馬台国はどうなるのか、ツノミたちの大和はどうなるのか、早く続編が書かれぬかと気になります。
大和盆地の西側の葛城山のふもとには、高鴨神社(上鴨社)、葛木御歳神社(中鴨社)、鴨都波神社(下鴨社)など、出雲系の神社が多くあり、ツノミ(アジスキタカヒコネ)、ミトシ(イスケヨリヒメ)、ツノミの子のハヤオ(アジスキハヤオ)、ツノミの弟のツヌヒコ(コトシロヌシ)、母のタギリヒメ、ツノミの妹のテルヒメ(シタデルヒメ)、テルヒメの夫のアメノワカヒコなどが一家総出のおもむきで祀られています。周辺には出雲の加茂郷から移住してきた人々が多く住んでいたようです。
葛城の出雲神たちは三輪山のオオモノヌシ神に比べると地味な存在で、このように物語の主役になることもあまりありません。それだけに新鮮味も格別です。
なお、カモタケツノミとアジスキタカヒコネ、ミトシとイスケヨリヒメ、オオドシとニギハヤヒに関しては、記紀では別神とされていることを、念のため申し添えます。
プロフィール
周防柳(すおう・やなぎ)
1964年生まれ。作家。早稲田大学第一文学部卒業。編集者・ライターを経て、『八月の青い蝶』で第26回小説すばる新人賞、第5回広島本大賞を受賞。日本史を扱った小説に『高天原』『蘇我の娘の古事記』『逢坂の六人』『身もこがれつつ』がある。