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白村江のいくさは中大兄の策略だった?――周防柳「小説で読み解く古代史」第15回(謎5 その3)。

本がひらく

「邪馬台国はどこか?」に代表されるように、日本の古代史はいまだ解明されない謎ばかり。そのため、吉川英治や松本清張をはじめ、たくさんの作家がインスピレーションを掻き立てられては物語を書き、あるいは持論を展開してきた。本連載では、日本史を舞台にした作品を多く手掛ける著者が、明治・大正・昭和の文豪から平成・令和の小説家まで、彼らが描いた「歴史的なあの場面」に焦点をあて、諸説を紹介しながら、自身もその事件の背景や人物像を考察していく。作家ならではの洞察力と想像力を駆使して謎に挑むスリリングな古代史企画。
*第1回から読む方はこちらです。


謎5 運命の兄弟、天智と天武 (その3)

余豊璋と哀しみの白村江

 四冊目は荒山徹あらやまとおるさんの『白村江はくそんこう』です。その名もずばり、古代最大の外征である六六三年の「白村江の戦い」を真正面から描いた作品です。
 白村江の戦いは、飛鳥時代の小説には必ず盛り込まれる必須項目、、、、ですが、乙巳いっしの変や壬申じんしんの乱に比べると、あまり掘り下げられていない印象があります。国中を震撼しんかんさせた戦争でありながら、意外に実態がわかっていないせいでしょうか。
 その敗因については、中大兄皇子なかのおおえのみこの読みの甘さと、国際感覚の欠如として片づけられがちな気がします。しかし、荒山さんはまったく違う観点からこのいくさを描きました。しかも、主人公は余豊璋よほうしょうという、これまでにたぶん一度も主役になったことがないであろう人物です。歴史の解釈としても、エンターテインメントとしても、際立って斬新です。

荒山徹『白村江』(PHP文芸文庫)

 物語は六四二年、百済くだら王家の内紛の果てに王座を勝ち取った義慈王ぎじおうが、亡父のちょうを独占していた継室の明珠めいしゅとその幼な子の豊璋を絶海の孤島に流し、殺そうとするところから始まります。残忍な死刑執行人は、義慈王の腹心の鬼室福信きしつふくしんです。すでに明珠は凄惨な凌辱の果てに首をねられており、続いて豊璋の命が奪われようとします。
 そのとき、海賊然とした男が忽然こつぜんと現れ、横合いから幼い王子をさらいます。倭国の若き大鷹おおたか蘇我入鹿そがのいるかです。入鹿はこのとき外遊していて、百済の内紛に遭遇し、好奇心から囚われ人の船の跡をこっそりつけていたのです。
 豊璋は倭国へ運ばれ、蘇我氏が葛城かつらぎ山麓にもうけた「巣箱すばこ」と呼ばれる孤児院で育つことになります。
 一体に、余豊璋は百済の人質としてこの時期の倭国に滞在していたとされる王子ですが、どのような経緯でやってきたのかも、いかなる性質の人質だったのかも、判然としていません。それだけに、入鹿が百済の処刑島から攫ってきたという本書の設定は面白く、その命を奪おうとしていたのが鬼室福信という点も、また秀逸と感じます。
 のちに百済が唐と新羅に攻められ滅びたとき、余豊璋は祖国復興の旗印として、生き残りの将たちから担がれます。この御輿みこし担ぎの中心となったのが福信です。が、豊璋はまもなく彼を殺してしまいます。従来、これは世間知らずの豊璋の愚行とされ、復興軍の自壊を早めたとして批判されてきました。しかし、過去にこのようなバックグラウンドがあったのだとしたら、まったくうなずけます。
 話が先に進みすぎました。元に戻します。
 「巣箱」にはよく似た境遇の子供がたくさんおり、豊璋は朴市秦田来津えちのはたたくつという少年と親友になります。田来津は朴市秦氏の跡取りだったのに、争いによって氏上うじのかみの座を傍系の一党に奪われてしまったのです。少年たちは身を寄せあいながら、自分らを庇護してくれる入鹿に憧れ、慕います。
 ところが、三年後のある日、その入鹿が死んでしまいます。乙巳の変です。これにより、豊璋の人生は一転しました。入鹿に取って代わった中大兄皇子(本作では葛城皇子かつらぎのみこ)は底知れぬ冷淡さを蔵した男で、豊璋は悪い予感に震えます。
 幼いときにむごいトラウマを負った豊璋は、争いごとを好みません。ただただ平穏に生をまっとうしたいと願っています。ゆえに、三輪山みわやまのふもとの小家で、人目に立たぬようにひっそりと養蜂ようほうなどしながら暮らします。
 けれども残酷な運命が、その生き方を奪います。六六〇年の百済滅亡と、続く白村江の戦いです。
 豊璋にしてみれば、倭国に暮らしてすでに二十年の月日がたっており、身も心もほとんど倭国人になっています。そんな恐ろしい戦争には、かかわりたくありません。なぜいまさら自分が百済の王にならねばならぬのか。しかし、中大兄に巧みに説かれ、抜き差しならぬところへ追い込まれていくのです。
 中大兄は友国を救うために倭国水軍の中でも最高の手練てだれである阿曇比羅夫あずみのひらぶ阿倍比羅夫あべのひらぶを用い、万全の戦闘態勢を準備すると言います。さらに、豊璋の幼き日の親友である秦田来津に親衛隊を率いさせるとも約束します。豊璋は田来津に守ってもらえるならと考え直します。
 さらに豊璋の心を動かしたのは、いとしい恋人の存在でした。豊璋の傍には人質生活を支援してくれる多蔣敷おおのこもしきの一族が添うていたのですが、豊璋はその妹の祚栄そえと愛しあうようになっていたのです。いま自分は孤独な蜂飼い人であるけれど、もし百済の王になったら、祚栄を華やかな王妃にしてやれる――。そんなひたぶるな愛情でした。
 ところが、恐ろしいことに、このいくさはすべて中大兄の巧妙な策略だったのです。
 中大兄には、死にかけの百済を救援する気など、はなからありませんでした。唐の常套手段である遠交近攻のことも先刻承知です。祖国の今後のことを思えば、どうあっても新羅と協調するのがよい。ゆえに、新羅の名君である金春秋きんしゅんじゅう武烈王ぶれつおう)ととっくの昔に接触し、相互不可侵の秘密同盟を結んでいたのです。
 白村江の戦いは、一般に倭国vs.新羅・唐の海戦といわれています。でも、じっさいには新羅とは戦っていません。密約があるからです。相手は唐だけです。
 加えて、本作では驚いたことに、その唐とすらほとんど戦わないのです。
 中大兄は当初、阿曇比羅夫、阿倍比羅夫らによる最強の援軍を編成すると約し、豊璋たちを送り出しました。しかし、その後変更に変更を重ね、また派兵を何年も引き延ばし、六六三年になってようやく白村江に送ったのは、駿河の廬原君臣いおはらのきみおみという予定外の一軍のみでした。その彼らは唐水軍にまみえるや、攻撃らしい攻撃もせず、退却してしまうのです。
 なぜならば、そもそも戦う気がなかったからです。中大兄から、「利あらざれば退くも可」と指示されていたからです。
 哀れなのは、捨て駒にされた豊璋たちです。 
 もともと争いごとなどには縁のない心やさしい王子だったのに、自分に課せられた責任を果たすために、必死に頑張りました。母の仇の憎い鬼室福信とも、ぎりぎりのところで和しました。本作の冒頭の情景から、豊璋が福信を殺したのだろうと思わせますが、そうではなく、福信は軍内の対抗勢力に除かれたのです。
 見知らぬ外国のような祖国に戻って二年。いまかいまかと待ちわびた援軍に裏切られ、豊璋は愕然がくぜんとします。結局、自分のために戦ってくれたのは親友の田来津だけでした。
 最愛の妻の祚栄も死んでしまいます。自分の伯父が中大兄と新羅の両方に通じ、夫を陥れたスパイであると知り、自決したのです。その名は多遂おおのとげる――、新羅名は金多遂きんたすいです。
 それにしても、中大兄皇子にとって白村江の戦いとは、いったいなんだったのでしょう。助ける気もない百済を助けるふりをし、茶番、、のいくさによって、わざわざ唐に負けにいった。なぜそんな真似をする必要があったのでしょう。
 それは、中大兄が自分の思い描く政治改革を進めるためであった――、というのがこの小説の結論です。
 私民を排し、私有の土地を排し、税制を整え、戸籍を作り、律令りつりょうに統制された中央集権国家を作る。中大兄には、そんな大いなる理想がありました。蘇我宗家を倒してしばらくは、それはうまくいきそうに思えました。けれども、間もなく押しても引いてもびくともしなくなりました。旧守派の抵抗が強すぎたのです。
 中大兄はいら立ち、古臭い考えの大夫たちを憎みました。このままではだめだ。人が足らぬ。頭が足らぬ。思いきって人間を入れ替えなければ、わが望むまつりごとはいつまでたっても実現しない――。
 それが、白村江の戦いの動機です。
 一瞬、理解に苦しむ発想かもしれません。でも、その後強行された近江への遷都、飛鳥に取り残された反対派の豪族たち、代わりに大量に用いられた百済の亡命貴族たちを見れば、なるほどと納得がゆきます。
 百済人が満ちあふれる風景なので、一見、百済びいきのようにも見えますが、そうではありません。中大兄は人が欲しかっただけなのです。百済というは滅びてよい。むしろ滅びたほうがいい。優秀な人材だけが、まるごと欲しかったのです。先進的な律令の知識になじんだ優秀な官僚たちが。
 しかも、彼らは利権に凝り固まった飛鳥の豪族とは違います。中大兄を故国の恩人として感謝し、なんにでもよろこんで協力してくれる、きわめて歓迎すべき人たちなのです。
 本作の最後に中大兄が言い放つせりふは、なかなかに衝撃的です。
「つまるところ、白村江の戦いとは、人さらい戦争なのだ」
 加えて、結果から言うと、唐に負けた倭国が唐からおどされたり報復されたりすることもありませんでした。中大兄はきわめてうまくやった、、、、、、のです。
 中大兄の徹底した酷薄さに舌を巻くとともに、余豊璋の哀しみに胸が詰まります。
 伝えによると、余豊璋は高句麗に逃れたそうです。その後の行方はようとして知れません。

飛鳥時代を彩る作品群

 以上、四冊の小説をあげましたが、この他にも魅力的な作品がたくさんあります。少し駆け足になりますが、まとめて紹介します。
 澤田瞳子さわだとうこさんの『ふらむとりは』は、額田王ぬかたのおおきみを主人公とした小説ですが、歌人としてより、天智天皇の側近に近い立ち位置が与えられ、鎌足かまたり比肩ひけんしうる存在感を放っているのが読みどころです。現代に通じそうな意志的な女性として描かれ、最後は壬申の乱の戦場を見届ける勇敢な生き証人にまでなります。

澤田瞳子『恋ふらむ鳥は』(毎日新聞出版)

 たくさんの登場人物の中で、とりわけ異彩を放っているのは漢皇子あやのみこです。本作の場合はいずれかの人物に置換するのではなく、中大兄(本作では葛城)と大海人おおあまの異父兄弟、すなわち第三の男として登場し、額田王の少々武骨な協力者となります。
 澤田さんの描く額田王は、大海人とも中大兄とも、従来描かれてきたようなもつれた三角関係がありません。その代わりに、この漢皇子とのあいだにほのかな恋に近いものがはぐくまれるのが新鮮です。
 「壬申の乱」を痛快なエンターテインメントとして描いた豊田有恒とよたありつねさんの『大友おおとも皇子東下みこあずまくだり』も、おすすめの一冊です。
 大友皇子は壬申の乱の最後に自害したと正史は伝えますが、死なずに東国へ逃れたという伝説も、まことしやかに語られています。本作はその伝説を工夫し、五人もの百済人の影武者が大友皇子を守り、大海人皇子の追及をかわしながら逃避行するという破天荒はてんこうな道中劇に仕立てました。

豊田有恒『大友の皇子東下り』(講談社文庫)

 大海人皇子は遁甲とんこうの使い手だったという説は前回述べましたが、忍びの術の大本は、大友皇子の養育氏族である百済系の大友氏(大友村主高総おおとものすぐりたかとし)に伝わったともいわれています。ゆえに一種の忍術合戦のような趣もあります。
 と言うと、ずいぶん弾けた作品と思われそうですが、歴史的な蘊蓄うんちくも微に入り細をうがって語られており、なるほどと読み入ってしまいます。
 大海人皇子が美濃みの尾張おわり不破ふわなどの「東山道とうさんどう」にこだわったのに対抗して、大友皇子には「東海道とうかいどう」を下らせ、ヤマトタケルの東征と重ねるアイデアも面白いです。
 皇子の道中に同行し、奇妙な花を添えるのは、陽気で情深い上総かずさ遊行婦女うかれめ耳面刀自みみものとじです。その導きによって彼女の生国にたどりついた大友は、待ち受けていた叔父の大海人と対峙たいじしますが、最後は互いにあやめることなく、大友は耳面と二人でさらに陸奥みちのくへ落ちていきます。悲惨な終わり方をしないので、読後感もよいです。
 そしてもう一冊、天智、天武の兄弟を描いた小説として忘れてはならないのは、黒岩重吾くろいわじゅうごさんの『あまがわ太陽たいよう』です。
 本作は徹底して大海人皇子寄りの視点が貫かれています。専横な兄によって疎外されつづけた弟が、耐えに耐えた末の逆転劇として「壬申の乱」を起こすという物語です。額田王との熱愛を兄に引き裂かれるエピソードも哀しく、因縁の兄弟の描き方も、さまざまな事件の描き方も、おそらく多くの一般の方が抱いているイメージにもっとも近い小説ではなかろうかと思います。

黒岩重吾『天の川の太陽』上(中公文庫)

 先にも触れたように、大海人皇子の前半生については謎が少なくないのですが、黒岩さんはその幼少期や乳人族や、なぜ東国につながりが強かったのかといった空白の部分を、奇をてらわぬ解釈によって埋めています。安定感のある上下二巻の大作です。
 この他にもあげたい作品はありますが、このくらいにしておきます。
 ここに紹介した本たちは、一つ読むごとに事件への評価が変わり、一つ読むごとに人物の印象が変わり、一つ読むごとに風景の見え方が変わるのではないかと思います。なるほどと膝を打つこともあるでしょう。かえって首をかしげることもあるでしょう。
 しかし、それこそが、小説という創作の妙味であります。
 歴史は一つではないことの面白みを、私自身、日々感じています。

次回(10月30日公開予定)に続く

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プロフィール
周防柳(すおう・やなぎ)

1964年生まれ。作家。早稲田大学第一文学部卒業。編集者・ライターを経て、『八月の青い蝶』で第26回小説すばる新人賞、第5回広島本大賞を受賞。日本史を扱った小説に『高天原』『蘇我の娘の古事記』『逢坂の六人』『身もこがれつつ』がある。

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