一筋縄ではいかない“愉しみ”――「熊本かわりばんこ #13〔春の動物園探訪〕」吉本由美
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一筋縄ではいかない“愉しみ”――「熊本かわりばんこ #13〔春の動物園探訪〕」吉本由美

本がひらく

 長年過ごした東京を離れ故郷・熊本に暮らしの場を移した吉本由美さんと、熊本市内で書店&雑貨カフェを営む田尻久子さん。
 本と映画、そして猫が大好きなふたりが、熊本暮らしの手ざわりを「かわりばんこ」に綴ります。 ※#01から読む方はこちらです。


春の動物園探訪

〈動物園のこと〉

 花粉飛び交う中、ナマケモノに会いに行った。動物園へ行くのはひさしぶりだ。このところ冬に逆戻りしたような天気が続いて、怠け者がナマケモノに会いに行くぜよ、と決めていた3月19日の初公開日からだいぶ経っている。南国生まれのナマケモノは気温が17度を下回ると展示中止になると聞いていたので、せっかく行って見られないのでは嫌だから毎日温度計とニラメッコしていた。やっとのこと「本日の最高気温は19度」という予報が出た日、それは花粉の飛ぶ量「はなはだ多い」という日でもあったけれど意を決し、つるつるの上着に帽子に眼鏡にマスクの花粉完全防備スタイルとなり、ノート、ペン、カメラ、望遠鏡といった“動物園探訪キット”をバッグに詰め込み家を出た。

 熊本の動物園は正しくは「熊本市動植物園」という。熊本市内の東南部、江津湖の脇にある動物園と植物園が合わさった市民の憩いの場だ。いつもなら家から電車通りの味噌天神まで十数分歩き、そこからトラムに乗って行くのだが、この日は花粉の量が尋常ではないらしいので味噌天神までタクシーに乗った。タクシー利用なら家から直接動物園へ向かう方が数段早く着けるのだけれど、動物園へ行くなら断然トラムで行くのだ、と決めている。この国で市電をトラムと呼ぶことは気障っぽくてかなり勇気が要るのだけれど、深夜のNHKにときおり流れる「ヨーロッパ トラムの旅」というタイトルのヨーロッパの街々を走る電車の番組が好きでよく見るせいか、市電よりトラムという呼び名の方が私にはフィットする。しかし実生活で、しかも熊本という地方都市で、「じゃあトラムに乗って行きますね」なんて言ったらおそらく冷や汗ものだろうから口にはしないが心はトラムだから、せめて文字でくらいならと書かせてもらっているわけである。

 断然トラムで行くべきと言うそのココロは、電停「味噌天神前」から「動植物園入口」までの、ゴトゴトと車両の揺れに身を任せながらマルルやマーネやモモコや秋平などを思う十数分がやたら楽しいからだ。マルルとはホッキョクグマで、マーネはマレーグマ、モモコはカバで秋平はキリン。みんな馴染みの動物たち。その顔を思い浮かべてにたにたと微笑んでいる間にトラムは「動植物園入口」に着く。降りたホームではモモコの笑顔が出迎えてくれる。6年前の熊本地震以降99種類の動物たちの解説パネルを描いているイラストレーター、コーダ・ヨーコさんの看板である。園の近くで育ち子供の頃から動物たちに馴れ親しんだというコーダさんの描く動物たち。それは丁寧な筆致と的確な描写で、どの動物へも変わりなく注がれる親愛の念がしみじみと伝わって来る絵柄である。この人のパネルのおかげで動物園の印象がかなりグレードアップしたと思う。

電停「動植物園入口」

 電車通りから動植物園に繋がる公園に入ると、いつできたのか、入り口に楽しい看板が立っていた。お、やったね、と、立ち止まりしばし感慨に耽る。2年前まで「動植物園の未来を考える協議会」の一員だった。これから動物たちに会いに行くぞ、とのワクワク感を演出しなくて何の動物園改革ぞ! と、会議のたび、地味で旧態依然だった動物園を地震後の復旧復興工事を契機にいかに新しく楽しく彩るか言い募ってきた者としては、ほんの一部かも知れないが自分の案の実現を垣間見た思いである。協議会に首を突っ込んで良かった、間違いではなかった、と思えて胸を撫で下ろした。

 熊本市動植物園は動物園エリアと植物園エリアに分かれている。私の子供の頃は動物園だけが水前寺成趣園じょうじゅえんの東側に「熊本動物園」としてあった。家からわりと近いので学校が終わったあと自転車で駆けつけて遊ぶなどしていた。馴染みの場所だったはずだが、園内の様子はあまり覚えていない。ぶっとい檻が立ち並んでいたことと、ニホンザルの檻に顔を寄せ観察していたら近づいて来た大きな猿に三つ編みおさげを摑まれて長い時間放してもらえなかったことと、雄ライオンが大声で吠え続けるのでこれじゃご近所はたまったもんじゃないな、と思ったこと、くらいの記憶しかない。 

 周りが住宅地として発展したため手狭になったようで、私が18歳で熊本を離れた年から3年後に江津湖畔の現在地に移転した。移転して間もないときの帰省時、父親の車に乗って見に行ったけれど、わざわざ車で行かなくてはならないことや湖を背景に茫漠と広がる園内が、身近でこぢんまりした動物園に親しんでいた者には魅力的に思えず、以後は62歳で熊本に戻ってくるまで数えるほどしか訪れていない。 

 東京時代は上野動物園に足繁く通い、それでも物足りなくて全国の動物園を旅して回るという仕事を得て『キミに会いたい 動物園と水族館をめぐる旅』という本まで出した。そういう人間としては、魅力には乏しいけれども動物には会いたいし観察したいしと、熊本に戻ってからは四季折々江津湖畔まで出向くようになった。動物たちと顔見知りになると設備に不満はあっても行くようになる。地震後に立ち上がった「動植物園の未来を考える協議会」には、拙著をご覧になったのか、地元紙にたまたま書いた動物園記事を読まれたのか、市長さんが協議会の一員に私を推してくれたようで、そうなった以上は、とさらに頻繁に通うようになった。そして問題だらけの動物園の悩み事が自分の身内の一大事のように常に頭のどこかで疼くようになった。今や動物園は熊本のみならず全国的に世界的にその存続の危機に瀕している。もはや自然界からの展示動物捕獲は望めない以上、個体確保をどうするか。種の保存、繁殖のためのネットワークはどうなるのか、そもそも展示は必要なのか……その他もろもろ問題は山積みだ。しかし、このことについて書き始めるととてもページが足りないのでこの件はここでストップ。とにかく動植物園の西門まで来たのである。

 〈桜とフタユビナマケモノ〉

 西門は植物園エリア入り口だ。入ると目の前に“花の休憩所”なるものがあり、以前の温室周りがリニューアルされて休憩所になっていた。本日の目的ナマケモノくんは温室住まいである。けれど脇から続く桜並木が目に入り、せっかくのこの季節、先にお花見をすることにした。まだ満開にはほど遠いが、うっすらと咲いたこの時期の少女のような儚さが、むせるような満開時より好みである。先におじいさん、おばあさんがゆっくりゆっくり歩いておいでだ。少し後輩の自分は10メートルほど下がり、やはりゆっくりと歩を進める。 

 何かのついでに見ることはあるが、わざわざ桜を見に行ったことはこの数十年覚えがない。桜を好まぬわけではないが、あの人混みが好かぬのだ。長い生涯を振り返っても花見と名の付く思い出は少ない。子供の頃、母の実家の山鹿やまがを流れる菊池川の堤で祖父母たちとお花見お重を広げたこと、友だち2家族と私と彼氏と大きな犬というグループで小金井公園の満開の桜のもと飲んで食べて寝転んだこと、川崎市東生田の兄と慕う友人に誘われ彼の家の近くの丘で夜まで花見の宴をやったこと、ヤクルトスワローズの神宮開幕戦のあと青山墓地で寒さに震えながら桜を見たこと、そのくらいしかない。数えたら4回だ。一般的に言ってこれが多いのか少ないのかはわからないが、そのシーンのいくつかが鮮烈な思い出として頭の奥に刻まれている。 

 祖父母の家は米屋で毎年花見は欠かせない行事らしかった。祖父母、大叔母、伯母と従姉妹、裏の精米工場で働くおにいさん方、私の一家にご近所の親戚一同という大所帯で桜堤にござを広げた。重箱がいくつ並んでいただろう。一升瓶が何本立ちそびえていただろう。4、5歳の私がお祖母さんの膝の上で眩しそうに桜を見上げている写真がある。お祖母さんは大叔母さんとともに朝も暗いうちから、大人数分のお重の中身を作り続けたに違いないがキリッとした顔で写っている。お祖母さんと私は血の繋がりはない。お祖父さんが六十幾つで先妻に先立たれたあと、後妻として米屋に入った人だ。内々の結婚式は私がそこ(米屋の奥座敷)で産まれたばかりのときだったから、彼女は私を本当の孫のように可愛がった。大阪難波の問屋が生家らしいが、気丈夫で細いが働き者の姿が女優田中絹代に重なって、彼女が亡くなったあとは思い出すように田中絹代出演の映画をよく観た。

  東生田の話はこうだ。兄のように慕う友人宅の近所の小高い丘の上に1本の大きな桜の木があった。そこで夜まで宴を開くと言う。なんで夜までと訊ねたら、夜桜のもと大野一雄に踊ってもらうからだと言う。びっくりした。もう亡くなったが大野一雄と言えば国内のみならず世界に名の知れた舞踏家だ。彼の舞踏に触発されてダンサーとなった著名な方々は世界に散らばっている。そんな人が私らの花見においでになるとは信じがたい。

  無音の中、白塗りの顔で重く静かに踊っていく大野一雄。聞こえるのは、彼の吐く息、摺れる布音、床板を摑む足の音だけという映像を何度か見ていた。妖しい魅惑というか、ちりちりと小さな炎が燃えているような幽玄の世界に引きこまれた。そんな雲の上の存在が、「え? おいでになる? 舞台でもないのに私らの前で踊ってくださる? なんで、なんで?」となるわけである。兄のように慕う友人によると、絵本作家だが舞台関係に近い仕事もする彼の妻が大野さんと知り合いで、ダメモトで夜桜の宴に誘ってみたら「やろう」ということになったのだそうだ。 

 むろんその夜集まったのは私や友だちだけではない。桜の舞い散る宵、大野一雄の舞踏を目の前で観ることができる……なんてことは、それが興行ではないってことは、滅多には体験できないことなのだ。編集者がいてカメラマンがいて、何やかやと集まったのは十数人になったと思う。飲んで食べて普通に花見を終えたあとの夕暮れどき、どこからともなくしずしずと、白塗りの顔に赤い衣装(確かではないが赤だったと思う)を纏った大野一雄が躍り出た。その一瞬、みんなが息を呑む音が聞こえた気がした。暗闇の静寂の中を一人踊り続ける男の上に桜の花びらが、月並みな表現だけれどはらはらと舞い落ちていく。そのひとときの光景は今では夢としか思えない。しかしその夜の空気の匂いや微かな動きで衣装から流れ出る香の匂いまでくっきりと思い出せるのだから現実のことなのだ。 

 などと思い出しながら桜並木を歩き終え、温室に入った。暑い国の鬱蒼と繁る樹木の間できれいな鳥たちが餌をついばんでいた。放し飼いなのですぐ目の前だ。オウギバト、ミノバト、ムネアカカンムリバト、というコーダさんの解説パネルがある。いつも驚かされるのが自然の創る色の美しさだ。これら東南アジアやパプアニューギニアの森林に棲む鳥たちも、みどり、瑠璃色、紫、エメラルドなどの鮮やかな羽の色をして、繊細華麗な冠を付けている者もいる。 

 温室には初めて入ったが狭いところに川が流れ滝さえある。コレも知っているアレも知っていると樹木をチェックしながら進んでいるとギョッと身を引く巨木が現れた。悪夢に出て来そうな恐ろしい姿である。ベンガルボダイジュというらしい。木の幹に見えるのは実は気根きこんで、1株でこのように広大な面積を占める、という。インド~熱帯アジアの森で育つそうだ。う~む、そこにはちょっと行きたくないなあ。

 ベンガルボダイジュをぐるりと回って進むと、お、いましたよ、枝の間にあのヒトが。目的のナマケモノくんが枝のベッドで休んでいた。昼過ぎである。食事も終わり眠たいのだろう。しばらく見ていたが動かない。食後の眠たい気持ちは私にもよ~~くわかるが、せっかくやって来たのである。一目くらい顔を見せて欲しいじゃないか。 

 というわけでちょうどいらした飼育員さんに頼んでみた。「ナマケモノくんにちょっと顔を上げて貰ってはダメですか?」と。飼育員さんの話では朝の開園後と食事時以外はほとんど寝ているそうで、「だから怠け者=ナマケモノというのであって、今度は開園後よく動いているときに来て下さい。今、ちょっとそそのかしてみますけどね」ということなのだ。何度も言うが、怠け者の私にはナマケモノくんの気持ちはよ~くわかるのである、けれどせっかくやって来ている。どうか動いて下さいな、と願う。 

 木の枝の彼を見つめていると、下に回った飼育員さんが吊してあったレタスの葉っぱでナマケモノくんの顔をパタパタした。すると「なあに?」という感じで顔を上げた彼、おもむろに葉っぱに手を伸ばし食べ始めた。寝るか喰うかで生きているんだ、友だちなんだ、としみじみ思う。ものぐさぶりもバサバサの毛並みも今の自分に瓜二つだし、顔は知り合いのAさん似だし、親近感はこの上なしだ。正式にはフタユビナマケモノといい、鋭い爪を持った2本の指でしっかと枝を摑みぶら下がりながら枝から枝へ進むらしいが、ぶら下がってばかりで頭に血が上らないのだろうか、と余計な心配をついしてしまう。まあ、また来よう、開園直後に。

〈楽しかったり哀しかったり動物園探訪は〉

 このあとはいつも通りに日本庭園を抜け、動物園エリアの隅っこにある動物慰霊碑に手を合わせた。動物園は「生」と「死」の激しく交差する場所だ。この11年、顔見知りの動物だけでも、キリン、ウマグマ、ウンピョウ、シフゾウ、キンシコウ、ホッキョクグマ、マンドリル、マレーグマなど、死が相次いだ。その死を発表されていない動物を入れたら数知れない者たちが(ここに埋葬されないまでも)眠っている慰霊碑を見過ごすことは私にはできない。 

 その先の大型鳥類、キツネやタヌキ、シシオザル、キンシコウの展示場を過ぎると新しくできたレッサーパンダの飼育檻が見えた。人が山のように集まっている。みんなスマホをかざしてシャッターチャンスを狙っている。レッサーパンダはナマケモノと同じ時期に園にやって来たニューフェイスだ。めずらしいし可愛いから人だかりがして散々カメラを向けられるのも仕方ないかと思うけれど、胸が痛む。近年の動物園は昔に比べればいろいろと飼育環境の改善に努めているとは思うけれど、結局は動物たちは「見せ物」であることに変わりはない。しかしまた、これについて書き始めるときりがなくなるのでストップするが、このように動物園歩きは楽しいだけでなく考えさせられることや胸の苦しくなることも多く、一筋縄ではいかない“愉しみ”と言えようか。 

 猛獣エリアを見てやっとモモコとソラのカバ舎に来られた。ここに来るとホッとする。血の繋がりはないが姉妹のように仲の良い2頭には、たとえ動かない寝姿だけでも見ているだけで癒やされる。モモコは今25歳になったろうか。彼女が赤ちゃんだった頃を私は愛媛とべ動物園で見ている。母親ミミにくっついてプールに沈んでいた。ときどき顔を出して小さな耳をプルプル回すのがやたら愛らしかった。父親は有名なハグラーだ。日本に入国するとき横浜の検疫所から脱走し大騒ぎになったカバくんで、このときのTVニュースを食い入るように見ていた覚えがある。 

 熊本に戻って初めて動植物園に行き、そのモモコがここにいるのを知ったときの喜びと言ったら表現しようがない。赤子のとき別れた可愛い姪っこに再会できた瞬間、とでも言っておこうか。私がつい「モモコ、モモコ、おばさんだよ!」と叫んだのを聞いてこちらに顔を向けた隣りの青年の不思議そうな表情も忘れられない。そのときはモモコ独りで寂しかないかと心配したが、すぐにソラという妹分が登場して、私は心底ホッとしたのだった。

 繁殖相手だったフジ(♂)に死なれ独りになったマーネ(♀)の次なる夫探しはたぶん絶望的というマレーグマ舎と、マルル(♀)には結婚相手も嫁入り先の予定もないというホッキョクグマ舎で落ち込んだが、キリン舎に向かう途中の池の中州にあるワオキツネザルの島にはうっとりできて気を取り直す。島暮らしではあるが少なくともこの連中に檻はないのだから。

 今日の来園目的の2つめがキリン舎覗きだ。父が死に、叔母が死に、母が死に、異母兄冬真とうまが宮崎市フェニックス自然動物園へ去り、何年も独りぼっちになっていたマサイキリンの秋平にお嫁さん候補の女の子コナツ(冬真の娘)が宮崎市フェニックス自然動物園からやって来たのだ。ややこしいが、マサイキリンは絶滅危惧種で国内には7頭しかおらず、種の保存のための繁殖は7頭の間で組み合わされている。つまり秋平とコナツは親類の関係になる。そんなわけで、遠縁のおばさん気分でいる私は「どれどれどんな娘じゃろか」と思って来たのだ。去年12月の来園時の新聞のニュースで見るとまだまだ小さな体だったが、今目の前にいるコナツちゃんは見上げる大きさ。それでもどこかしら幼さがある。そんなコナツに秋平が優しい眼差しを送る。口をもごもごしているコナツの首に頭を寄せてスリスリしてみせる。その幸せの構図に、今回は周りに誰もいないのを確かめて、「おお、おばさんは嬉しいぞおー!」と叫んでみた。

 そんなこんなでぐったり疲れ動植物園をあとにしたのは夕方だった。

 (次回は田尻久子さんが綴ります)

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プロフィール

吉本由美(よしもと・ゆみ)
1948年、熊本市生まれ。文筆家。インテリア・スタイリストとして「アンアン」「クロワッサン」「オリーブ」などで活躍後、執筆活動に専念。著書に『吉本由美〔一人暮らし術〕ネコはいいなア』(晶文社)、『じぶんのスタイル』『かっこよく年をとりたい』(共に筑摩書房)、『列車三昧 日本のはしっこへ行ってみた』(講談社+α文庫)、『みちくさの名前。~雑草図鑑』(NHK出版)、『東京するめクラブ 地球のはぐれ方』(村上春樹、都築響一両氏との共著/文春文庫)など多数。

田尻久子(たじり・ひさこ)

1969年、熊本市生まれ。「橙書店 オレンジ」店主。会社勤めを経て2001年、熊本市内に雑貨と喫茶の店「orange」を開業。08年、隣の空き店舗を借り増しして「橙書店」を開く。16年より、渡辺京二氏の呼びかけで創刊した文芸誌『アルテリ』(年2回刊)の発行・責任編集をつとめ、同誌をはじめ各紙誌に文章を寄せている。17年、第39回サントリー地域文化賞受賞。著書に『猫はしっぽでしゃべる』(ナナロク社)、『みぎわに立って』(里山社)、『橙書店にて』(20年、熊日出版文化賞/晶文社)がある。

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本がひらく
NHK出版の書籍編集部が、多彩な執筆陣による連載小説・エッセイ、教養・ノンフィクション読み物や、朝ドラ・大河ドラマの出演者や著者インタビューなどをお届けします。新刊情報も随時更新。ときどき編集部裏話も!