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ベストセラー『嫌われる勇気』著者・岸見一郎氏が哲学講義で語った「今ここを生きる勇気」とは?

 2020年5月11日、世界累計490万部をほこる『嫌われる勇気』などの著作で知られる岸見一郎氏の新書『今ここを生きる勇気~老・病・死と向き合うための哲学講義』が発売されます。本書は、NHK文化センター講座「よく生きるための哲学」に“幻の第6 回講義”を加え、聴講生の質疑応答も付した、著者初の講義形式の一冊。
 当記事では刊行に先立ち、さまざまな意見や質問が飛び交った受講生との質疑応答の様子を、本書より一部抜粋してお届けします。

──先生は、アドラー心理学を研究されていますが、フロイトやユングではなくて、なぜアドラーなのですか。
岸見 アドラー心理学が「原因論」ではなく「目的論」だからです。カウンセリングでは、私は過去の話はあまり聞きません。過去に経験したことが今の問題の原因であれば、タイムマシンがない限り問題は解決しない。でも、これまでどんなにつらい人生を送ってきた人でもこれからの人生は変えられます。
 原因ではなく目的を見ることは、問題解決の糸口になります。これが、他の心理学ではなくアドラーの心理学に興味を持つようになった大きな理由です。
 今日は話せなかったのですが、アドラーの創始した心理学を「個人心理学」といいます。この「個人」にはいくつか意味がありますが、一般的な人ではなくて「この人」という意味です。同じ人は二人としていません。個人心理学は他ならぬこの「私」、「個人」を扱う心理学という意味です。一般的な他の心理学は面白くても、私には当てはまらないと思いました。これがアドラーを学んでいる二つ目の理由です。
 三つ目の理由は、アドラーの思想は哲学なので、きちんとした理論的基礎づけがあるということです。
 さらに、アドラーが使っている言葉がやさしいからです。アドラーは専門用語をほとんど使いません。この点でソクラテスと同じです。ただし、言葉がやさしいからといって、問題とされている事柄までやさしいわけではありませんが、専門用語をあまり使わないので誰もが学べるという意味で、アドラー心理学は、psychology for the rest of us(残りの私のための心理学)なのです。

──自分の考えが絶対正しいと断定してはいけないと理解しましたが、絶対の善悪というのはないのですか。
岸見 アドラーは、「我々は絶対的な価値に恵まれていない」といっています。絶対的な価値に恵まれていない、「持っていない」というのは、それが「ない」という意味ではありません。
 だから、善悪について絶えず検証を続ける。これが哲学の精神です。その結果、絶対の善に到達できるかどうかはわからない。わからないけれど、到達したと思ってしまうほうが危ないのです。
 それがソクラテスのいう「無知の自覚」です。無知は絶対の知を前提としている。何も知らないことがわかるためには、本当に知っていないといけないのです。

──今、既成の概念とか常識を疑うというか、考えるということと幸福になることは、先生の考えの中でどう位置づけられていますか。
岸見 いろいろなことを疑い始めると、見なくてもすんだかもしれない現実が見えてきますから、生きることが苦しくなります。何も考えないで現実を知らずに生きるほうが幸福に思えるかもしれない。
 でも、空を飛ぶ鳥が飛翔するためには風という空気抵抗がないといけないように(鳥は真空の中では空を飛べませんね)、苦しみも私たちが生きていくためには必要なのです。そう思えた時に、生きることは苦しいけれども生きていることには価値があり、そのことが私たちの幸福につながると考えられるようになります。

──哲学は対話から始まるのですね。
岸見 対話のことをギリシア語では、「ディアロゴス」といいます。「言葉(ロゴス)を交わす(ディア)」という意味です。たとえ結論に到達しなくても、Aという考え方に反対する、あるいは、相容れない考え方Bをぶつけて、その結果、AでもBでもないCという考え方に到達する。これが対話です。
 たとえ、Cに至ることがなくても自分とは違う考えを知れば、対話の前とは同じではなくなっているはずです。

──講義の中で何度も「生命」という言葉が出てきましたが、今の先生が考えている生命というのはどんな形ですか。
岸見 私は十三年前に心筋梗塞で倒れました。その時ほど、自分の生命について考えたことはありません。
 入院中、夜眠れないので、医師に睡眠導入剤を処方してもらいました。飲めばたちまち眠れるのはいいのですが、二度と目が覚めないのではないかと思うと怖いのです。病気の前は朝起きたら目が覚めるのが当たり前だと思っていたのですが、決して自明ではないことに思い当たりました。
 でも、そんなふうに自分の生命について意識した時に、朝目覚めることが、それだけでどれほどありがたいことかと思えるようになりました。それからは、精神的に安定しました。
 やがて、朝目覚めたら、今日一日何か仕事が残されていると思うようになりました。そうして、毎日を丁寧に生きられるようになると、私は自分が生きているだけで価値があると思えるようになりました。その上で、できることがあれば、他者に貢献してみたいと思うようになりました。
 そして何が起こったかというと、仕事が終わってからや休みの日に私の病室にこられた看護師さんらの相談にのるようになりました。患者なのにカウンセラーになりました。
 古代のギリシア人はこんなことを考えていました。「生まれてこないことが何にもまさる幸福である」と。生きることが苦しいと思ったことのある人ならわかるでしょう。次に幸福なことは、「生まれてきたからには、できるだけ早く死ぬことだ」。でも私は、これは違うと思う。それでもやはり生きないといけないのです。苦しみを感じられるのも生きていればこそです。苦しくても、それでも生きていることが貴いのです。
 生きていると嫌なことも、つらいこともある。それでも「ああ、生きていてよかったな」と思う。それが私にとっての生命です。

※続きはNHK出版新書『今ここを生きる勇気~老・病・死と向き合うための哲学講義』でお楽しみください。

プロフィール

岸見一郎(きしみ・いちろう)
1956年京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専門の哲学(西洋古代哲学、特にプラトン哲学)と並行して、アドラー心理学を研究。著書に『アドラー心理学入門』『NHK「100分de名著」ブックスアドラー 人生の意味の心理学』、共著に『嫌われる勇気』など。

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