見出し画像

おせちとガレット・デ・ロワと銭湯と――料理と食を通して日常を考察するエッセイ「とりあえずお湯わかせ」柚木麻子

『ランチのアッコちゃん』『BUTTER』『マジカルグランマ』など、数々のヒット作でおなじみの小説家、柚木麻子さん。今月は2023年のお正月についてのお話です。
※当記事は連載の第22回です。最初から読む方はこちらです。


#22 新年の朝湯

 新年はいつものように義母の家で迎えた。駅からまあまあ遠い住宅地。しばらく歩くと、通り沿いに、だいぶ間隔をあけてコンビニが二軒だけあるというような環境だ。
 古い木造の日本家屋は、玄関やお風呂はキンキンに冷たいが、そのぶん、こたつ周りはとろけるようなあたたかさ、石油ストーブのいいにおいが漂う。テレビをみながらおせちを食べるだけの正月にはぴったりだ。数年前から義母がおせち作りをリタイアしたので、ここ最近は私が好きなものを好きなだけ作って、私用のお酒と昆布締めの寿司と一緒に、お重につめて大晦日に運んでいる。
 私のおせちは全部ラカント(砂糖の代わりに使用できる自然派甘味料)で作る。それに加えて、だしをしっかりめにとり、減塩&タンパク質多めなので、色味はいまひとつだが、ヘルシーなのが自慢である。しかし、義母は私のパンチに欠けるおせちよりも、うちの近所のパティスリーの新年の名物、ガレット・デ・ロワに夢中。かなり本格的なバターたっぷりの味なのに「これ、おいしいわねえ!」「こんなのが売っているのねえ」と、中に入っている陶器のフェーブふくめて毎年感嘆してくれるので、予約するかいがあるというものである。あくまでも私の周辺から得た体感だが、シニアほどカロリーを気にせず、味にメリハリがあるものが好きという印象がある。せっかくの年一回の機会なので、温かくてぴったりの飲みものを是非に、と、義母がガレット・デ・ロワを切り分けるタイミングに合わせて、その都度、今イチオシのホットカフェラテを求めて最寄りコンビニに買いに走った。ちなみに、有名なコンビニのラテで、別にわざわざここで書くほどではないのだが、コンビニでコーヒーを買わない層に「ハイ、どうぞ」と差し出すと、「え、これがコンビニ? いくら?」といつもびっくりされるほどのコクと風味の豊かさだ。義母もミルクとコーヒーの配分など、あまりの出来の良さに若干、引いていた(なんでこんなことをするかというと、去年ハマっていた米ドラマ『マーベラス・ミセス・メイゼル シーズン4』で主人公の女芸人ミセス・メイゼルが、どんな状況であれ、そこにいる全員分のテイクアウトのコーヒーを手に現れる場面を何度も目撃したためである。当然のことながら、「今いらない」と断られることもあるが、コーヒー中毒のメイゼルがその都度「別に自分が何杯でも飲むから構わない」と言って引き取るのが好きすぎて、最近はちょっとした場面でラテを差し出すようになった)。そんなわけで、大晦日、元日、二日、私はせっせと義母の家の最寄りコンビニに通いつめていたのである。
 さて、今まさに年が替わろうとしている夜のコンビニ通いの最中、私は古い銭湯の張り紙を目にした。新年早々、午前中のみ朝湯があるというのだ。何度も前を通ったことはある。八年くらい前の夏、一度だけ足を踏み入れたこともある。磨き抜かれた黒っぽい木板でできた脱衣所からは小さな日本庭園が見えて、天井が高く、すりガラスから光がたっぷり入る。番台にはベテランらしき女主人がいて銀色のケースに小銭を収めている。タイルはぴかぴかに光り、お湯がとても熱い。そういえば、公共の大浴場というところには、産後一回も入っていない。一人でお湯にのんびりつかる時間をつかめないのが大きい。でも、今なら子どもを家族がみている。さっそく年が明けたら行ってみるか、と心に決めた。さて、銭湯に行きたいと思ったのには理由がある。

 最近、夫と車で移動していたら、真っ黒な煙が五十メートルくらい、空に上がっているのが見えた。最近、火事が多いので、私はすぐに消防署に電話をかけた。消防隊員の方が確認します、と言って一度電話を切り、すぐに折り返しがあった。あれは火事ではなく、銭湯の煙とのこと。普通は銭湯の煙は白い。それというのも、黒だとみんなが火事を心配するから、薬剤を混ぜて、白くしているのだそうだ。ただ、その日だけたまたま、薬剤の配分を間違えたらしい。勘違いで、忙しい時期に向こうを煩わせてしまったので、お詫びを告げた。しかし、銭湯の煙は本当は黒、薬剤を混ぜている、という情報は、私の胸に深く根を下ろし、ちょっとした日常風景の見え方が変わってきたのである。

 八年ぶりの銭湯、それも新年早々朝一番のお湯は、全身の細胞が心地よく熱で刺激され、それこそ視界がカッと明るくなるような気持ち良さだった。バリバリに硬かった背中がふんわり軽い。熱いお湯にしっかりつかるだけでここまで元気がでると思わなかった。毎晩、子どもに合わせたぬるいお湯につかりながら、ああだこうだと遊びに付き合うことが多いが、今年は一人でしっかり熱い湯につかる時間を意識的に作ろう。タオル以外はなにも持たずに行ったので、小さな石鹸、しょうゆさしのような小さなボトルに入った、シャンプーとリンスを買った。それぞれ30円なのにも驚いた。あの日からずっと体調がよく、しゃきしゃき動ける気がする。
 なんだかいい年になりそうな気がする。今年もお湯わかせをどうぞよろしくお願いします。

次回の更新予定は2月20日(月)です。

題字・イラスト:朝野ペコ

ひとつ前に戻る  # 23を読む

当サイトでの連載を含む、柚木麻子さんのエッセイが発売中!
はじめての子育て、自粛生活、政治不信にフェミニズム──コロナ前からコロナ禍の4年間、育児や食を通して感じた社会の理不尽さと分断、それを乗り越えて世の中を変えるための女性同士の連帯を書き綴った、柚木さん初の日記エッセイが好評発売中です!

エッセイ刊行記念講演「大丈夫じゃない時はお湯わかせ」開催決定!
2023年3月12日にNHK文化センター京都教室で、柚木さんの講演が開催決定しました。コロナ禍での気持ちの変化や、作品の重要なキーワードとなっている「食」に対する思い、落ち込んだり挫けそうになった時に、自分なりの方法で人生をサバイブしていく柚木さんなりの方法を、たっぷりお話しいただきます。
■教室受講
https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1263878.html
■オンライン受講
https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1265130.html

プロフィール
柚木麻子(ゆずき・あさこ)

1981年、東京都生まれ。2008年「フォーゲットミー、ノットブルー」でオール讀物新人賞を受賞し、2010年に同作を含む『終点のあの子』でデビュー。 2015年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞を受賞。『ランチのアッコちゃん』『伊藤くんA to E』『BUTTER』『らんたん』など著書多数。

※「本がひらく」公式Twitterでは更新情報などを随時発信しています。ぜひこちらもチェックしてみてください!

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!