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医療者たちの闘病、余命宣告、そして理想の最期――「マイナーノートで」#19〔医療者と死〕上野千鶴子

各方面で活躍する社会学者の上野千鶴子さんが、「考えたこと」だけでなく、「感じたこと」も綴る連載随筆。精緻な言葉選びと襞のある心象が織りなす文章は、あなたの内面を静かに波立たせます。
※#01から読む方はこちらです。


医療者と死

 このところ医療関係者の訃報を次々に聞く。医者は自分の得意とする分野の病で死ぬというジンクスがあるが、そうかもしれない。

 在宅医療のパイオニアのひとり、元佐久総合病院医師、ちょう純一さんが6月28日、すい臓ガンで亡くなった。東日本大震災で被災した宮城県石巻市に被災者を診療するために転居し、医療だけではじゅうぶんではない、地域を変えなくてはと政治家を志した医師である。亡くなる直前にベッドから壮絶なビデオメッセージを関係者に発信した。享年56歳、思い半ばに過ぎるものがあったことだろう。

 ショックだったのは在宅ホスピス医の先駆け、山崎ふみ医師(75歳)がステージ4の末期ガンを公表したことである。副作用の出ない程度の抗ガン剤と食事療法のみで全国の仲間と共に人体実験をやるのだと宣言した現場に立ち合った。淡々とそして気概を以て、最後まで医師であろうとする気迫を感じた。

 在宅医ではないが、「がんもどき」理論でガン治療に一石を投じた近藤誠医師が8月13日に73歳で急死したこともショックだった。死ぬなら無検査・無治療のガン死がいい、とかねて公言しておられたが、ご希望どおりではなく、出勤途上のタクシーのなかでの虚血性心不全だった。死ぬまで現役でいらしたということだろう。ご恵送いただいた新刊『どうせ死ぬなら自宅がいい』(エクスナレッジ、2022年)が奇しくも遺著となった。

 2018年には在宅医のパイオニア中のパイオニア、早川かずてるさんが亡くなられた。「ボケこそ救い」と言っておられたが、最後までボケずに、94歳で亡くなられた。信頼できる主治医に行き届いた訪問看護師、手厚い訪問介護、そして同志というべき妻と、同居を申し出た息子夫婦と孫に囲まれて、理想の在宅看取りとはたからは見えたが、ご本人は「こんなはずじゃなかった」と発言して、物議をかもした。わたしはびっくりぎょうてんして、末期の早川さんに面会を申しこんだ。「思い残すことはありますか」という問いに、「ある」と答えて、「医療は総合人間学でなければならない。道半ばやね」とおっしゃった。最後まで医師であろうとした生涯だった。

 そういえば、認知症診断の「長谷川式スケール」を考案した認知症医療の第一人者、長谷川和夫医師は、ご本人が認知症になって、2021年に92歳で亡くなられた。『ボクはやっと認知症のことがわかった』(KADOKAWA、2019年)の中で、認知症者にはデイサービスがよいと説いてきたが、ご自身が認知症になってデイサービスに行くと、「こんなところにいられるか」と拒否されたとか。気持ちはわかる。わたしもそう言いそうだ。

 早川さんや長谷川さんはわたしより年長、哀しいが先に逝くのは順番だ。それに対して山崎さんや近藤さんは同世代。そうか、そろそろなのか……と粛然とする。それが長さんになると年少の世代。死の足音が徐々に迫ってくる感がある。

 もうひとりわたしよりやや年少の医師、石蔵文信さんが、自分が全身骨転移の前立腺ガンで、手術が不可能でホルモン療法しかないことを公表なさった。『きかた上手 全身がんの医者が始めた「死ぬ準備」』(幻冬舎、2022年)という本が送られてきて、そこにその顚末が書いてあった。

 つい最近の『婦人公論』(2022年10月号)にその石蔵さんのインタビュー記事が載った。告知を受けたときは動揺した、今だって「死」は怖い、不安なのです、と正直におっしゃる。だが「諦めるよりほかないなと気持ちを切り替え」て、終活に向かったと。
 石蔵さんは「心穏やかに死を迎えるために必要な3つの条件」をあげておられる。その3つとは以下のようなものだ。

その1、「両親を見送っている」
その2、「子育てに目途がついている」
その3、「妻や子どもたちより早く死ぬ」

 その1はよくわかる。わたしは親を見送ったとき、さる方から「親より先に死なないのが子のつとめ。りっぱにつとめを果たされましたね」と言っていただいたことが忘れられない。子が親に先だつ逆縁ほど、ひとの人生にとって不幸はないだろうと思う。

 その2もわかる。ひとをこの世につなぎとめる執着の大きなものは、この子を置いて死ねない、という気持ちだ。わたし自身は子を産まなかったが、子を産んだだれかれに、聞いてまわったことがある。子どもはあなたに生きる理由を与えてくれる、この子を置いて死ねないとあなたが思ったのは、子どもが何歳までだったか、と。「成人するまで」とか「死ぬまで親は親」というひともいたが、「3歳の時に、この子はわたしがいなくても生きていくと確信した」と言ったひともいれば、「生まれ落ちたとたん」という答えもあった。10歳の息子に「ママ、ガンで死ぬかもしれないの」と告げたとき、「だいじょうぶだよ、ボクはママがいなくても」と答えが返ってきて、安心と同時にさびしさを覚えたと正直に告白したひともいる。90歳になっても子どもをつくる性豪もいるようだが、やはり自分の目の黒いうちに親業を卒業できるようにしたほうがよいだろう。親業とはいつかかならず卒業するもの、子どもから「長い間お世話になりました、明日からあなたは要りません」と言ってもらうためにあるのだから。

 その3がおもしろい。
 わたしは既婚の女性に「配偶者より1日でも長く生きたいと思うか」と、これも聞いてまわった。なかには「お父さん(=夫)を見送ってからでないと、わたしは安心して死ねない」という夫想いの妻もいたが、答えからわかったことは以下のような傾向である。配偶者より1日でも早く死にたいという妻は概して夫婦仲がよく、反対に配偶者より1日でも長く生きたいという妻は夫婦仲が悪い。わたしの母は後者だった。「お父さんがいなくなって、すかーんと天井の脱けたような青空を見てから死にたい」というのが彼女ののぞみだった。子どもたちの方でも、あの偏屈者のオヤジが残されるよりは、1日でもよいから母が父より長く生きてくれたらと心底願ったが、そののぞみはかなえられず、妻に先立たれた父は、その後10年を失意と孤独のうちに過ごして亡くなった。

 石蔵さんは循環器科の医師であるだけでなく、心療内科医でもある。外来にくる中高年の女性たちの愁訴を聞いて、ははーん、と思い当たることがあった。「夫源病」である。当時「母原病」ということばが流行っていたが、そのパロディでつけた名である。著書『妻の病気の9割は夫がつくる 医師が教える「夫源病」の治し方』(マキノ出版、2012年)のなかで、夫が原因で起きる妻の家庭内ストレスがさまざまな心身の不調の原因であると唱えた。『夫に死んでほしい妻たち』(小林美希、朝日新書、2016年)という本もあるから、「夫に先に死んでほしい(夫より長生きしたい)」のは、夫婦仲の悪さの指標だというわたしの仮説を裏づける。今から思えば、一種の男性学だったと思う。社会学的だなあと思っていたら、社会学界におけるわたしの先輩であり畏友でもある大村えいしょうさんの臨床社会学研究会に長く参加しておられたことを知った。大村さんもガンであることを公表して、長い闘病の末に2015年、74歳で亡くなられた。

 石蔵さんの3つの条件のうち最後のひとつは、妻におんぶにだっこする日本の夫の虫のよいのぞみ、とも聞こえなくはないが、とはいえ、夫婦仲がよくないと口にできないせりふである。彼は口先だけでなく、ちゃんと日常生活で妻とのよい関係を維持してきたのだとわかる。3人の子どもは全員娘、そろって医師になったのは、父の仕事を尊敬していればこそだろう。勤務先の大学を早期退職してからは、孫たちの保育園の送り迎えを担当しているのだとか。家族を大事にし、家族に慕われ、愛されている石蔵さんの姿が目に浮かぶ。日本の多くの父親たちが、家族に愛されているとはいえない現実を見ると、寄り添ってくれる家族から「自分はこんなに愛されているのか」と日々実感できる石蔵さんは、日本男性としては稀有な存在だろう。だがそれも、彼自身が、家族を愛し、尊重してきたからこそだろう。

 石蔵さんの3つの条件はどれも家族に関わるものだ。
 では、おひとりさまのわたしは……?
 だいじょうぶ、たとえ血がつながらなくてもお互いを大切にしあう関係はいくらでもつくれる。それを「家族のような」と呼ぶ必要さえ、ない。

(タイトルビジュアル撮影・筆者)

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プロフィール
上野千鶴子(うえの・ちづこ)

1948年、富山県生まれ。社会学者。認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長、東京大学名誉教授。女性学、ジェンダー研究のパイオニアであり、現在は高齢者の介護とケアの問題についても研究している。主な著書に『家父長制と資本制』(岩波現代文庫)、『スカートの下の劇場』(河出文庫)、『おひとりさまの老後』(文春文庫)、『ひとりの午後に』(NHK出版/文春文庫)、『女の子はどう生きるか 教えて、上野先生!』(岩波ジュニア新書)、『在宅ひとり死のススメ』(文春新書)などがある。

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