
引っ越しておもう祖父のこと、幼い頃のこと――「熊本 かわりばんこ #08〔家の記憶、ひとの記憶〕」田尻久子
長年過ごした東京を離れ故郷・熊本に暮らしの場を移した吉本由美さんと、熊本市内で書店&雑貨カフェを営む田尻久子さん。
本と映画、そして猫が大好きなふたりが、熊本暮らしの手ざわりを「かわりばんこ」に綴ります。 ※#01から読む方はこちらです。
家の記憶、ひとの記憶
新しく住まった家は生類の気配が濃い。
夜になると、勝手口の定位置にヤモリが現れる。灯りにあつまるさらに小さな生き物をじっと待っている。時間もほぼ同じでだいたい10時半くらい。ガラス戸の向こう側にいるので、小さな手足が吸盤みたいに貼り付いているのが見える。あまり動かないがときにしっぽを左右に振るので、家の猫が眼を見開いて一緒に見ている。たまらず、はっしと手をかけることもあるが、残念ながらガラスの向こう側にいるヤモリはびくともしないので、猫は釈然としないそぶりで去っていく。
ヤモリが来ているか確認するのが日課になった。どうやら、同じヤモリが毎日来ているようだ。体長は6センチくらい。運がいいと捕食の瞬間に立ち会える。突然、俊敏に動き出したかと思うと、埃と見まがうほどの小さな虫にパクッと食いつく。その姿が見たくて出没する時間になるとついつい姿を探してしまうのだが、寒くなった途端、来なくなった。早くも冬眠してしまったのだろうか。来春まで会えないのかと思うと、ちょっとさみしい。
引っ越しの日、最初に歓迎してくれたのもヤモリだった。引越業者さんを誘導しようと掃き出し窓を開けた瞬間、頭に何かが落ちてきて思わず叫んだ。下を見ると、ヤモリがそそくさと逃げていった。歓迎ではなくて、抗議だったのかもしれないけど。
勝手口のガラス戸の向こうには、大きなカマキリがいたこともある。小さな虫が灯りに寄ってくるので、勝手口はごちそう広場なのだ。りっぱな鎌を持っていて、いつも来るヤモリより大きかった。カマキリはどんなに大きな相手でも威嚇してくる。この間、買い物をしに店に入ろうとしたら、自動ドアの前にカマキリがいた。邪魔しないように気をつけて近づいたのに、カマキリの横あたりに足を置いた瞬間、身体を反らして鎌を上に持ち上げ威嚇してきた。中に入りたいだけだよ、と思いながらそっと横をすり抜けた。カマキリみたいに、大きな力にもひるまない心を持ちたいものだ。
朝は黒っぽい蝶が舞っているのをよく見かける。おそらくカラスアゲハ。優雅に木々のまわりをひらひら舞っている。
困るのはカミキリムシ。自転車をイチジクの木の横に置いていたのだが、木屑まみれになっていた。何でこんなことに? と家人に訊いたら、たぶんカミキリムシがいる、と教えてくれた。ずっと気配だけだったが、イチジクの葉が落ちはじめた頃、ようやく姿を見た。
家の中にもよく虫が入り込んでいる。いちばん驚いたのはクワガタ。ある夏の日、家に帰ったら壁に貼り付いていた。わりと大きかったし、白い壁だからかなり目立つのに、猫はちっとも気が付いていなかった。家が古いとはいえ、エアコンを入れて窓を閉め切っていたのに、そんな隙間があるのかと不思議だった。さすがにすぐに庭にお帰りいただいた。
家の中でいちばんよく見かけるのは蜘蛛。数種類が生息している。洗面所には、引っ越してからこのかたずっとイエユウレイグモが住んでいる。家幽霊蜘蛛、漢字で書くと妖怪みたい。ユウレイグモとはよく言ったもので、脚が細長く白っぽくてきゃしゃなその姿は、たしかに幽霊っぽい。巣がどんどん大きくなっているので、同じ個体だと思われる。巣をはらわないから、居心地がいいらしい。そろそろ下のほうだけでもはらわないと、洗面台に立ったときに頭に巣がつきそうだ。ハエトリグモはそこらじゅうで見かける。目が悪いからうっかり掃除機で吸い込みそうになる。というか、吸い込んでしまったことがある。水切りの受け皿で溺死していたこともあるので、受け皿の水をよく捨てるようになった。なぜそんなに気をつけるのかというと、幼少の頃に祖父に言われたことが忘れられないからだ。
「じいちゃん、蜘蛛がおる」と祖父に訴えると、必ずこう言われた。
「蜘蛛は殺すとでけん(殺してはいけない)、なんもせんけん大丈夫」。
子どもの頃、祖父母の家で寝床に入ると、アシダカグモがよく天井に現れた。大きいのは15センチくらいあるから、それが寝ている顔の正面に来ようものなら怖くてしかたがなかった。あれが顔面に落ちてきたらどうしようと不安で、考えないようにしようと思えば思うほど、顔が蜘蛛で覆われることを想像してしまう。並んで寝ている祖父に知らせても何もしてくれないので、見えないところに消えて欲しいと願うばかり。子ども心に蜘蛛は殺してはいけないと刻まれた。毒を持っている蜘蛛もいるが、たいていは益虫だといまでは知っているから、怖くない。
新しい家にもこの間、アシダカグモが出没した。わりと大きめで、10センチくらいはあったろうか。私が騒いだので猫に気付かれた。追っかけたらまずいなと思っていたら、魔法のように天井の隙間に瞬時に消えた。それ以来、見かけない。半年ほど空き家だったらしいから、のびのびと暮らしていたのにうるさいのが入ってきたな、と姿を消したのかもしれない。
引っ越してからは祖父のことをよく思い出すようになった。祖父母がむかし住んでいた場所に越した家が近いからだが、祖母の姿はあまり脳裏に浮かばない。当時、祖母は働いていて、祖父に相手をしてもらうことが多かったからだろう。それに越した家には庭がある。庭は祖父の居場所だった。
夏休みになるとよく子どもだけで祖父母の家に預けられた。活発な子どもではなかったので、外を走り回った記憶はあまりない。たいていは、縁側で本を読むか、庭仕事をする祖父をぼんやり眺めて過ごしていた。
近所の水源地に遊びに連れていってくれるのも祖父だった。線路沿いを通って、八景水谷(はけみや)という水源地まで祖父の自転車で行った。原風景を問われれば、浮かぶ場所はそこだ。その頃に比べると水深が浅くなったが、いまでもこんこんと水が湧いている。帰り道に線路を横切ると、ふっと祖父の顔が浮かぶことがある。祖父は、私や弟が水に入って遊ぶのを少し離れたところで見ていた。いま思えば、祖父は退屈だっただろうし、暑かったに違いない。穏やかで無口な人だったから、木陰でただ私たちを見守っていた。その木は、根が地面に張りだしている大きな木で、祖父は根っこに腰掛けていたように記憶している。その木は、いまもある。
古い家に住みはじめて、幼いときの記憶が現在の思考とふとつながることが増えたような気がする。それが家の古さのせいなのか、年のせいなのか、懐かしい土地に来たからなのかはわからない。
家が古いと前に住んだ人たちの記憶のかけらのようなものも感じる。縁側の屋根に開いている穴は、最初に見当をつけたビスの場所が間違っていたために穴だけ残ったと思われる。天井の染みは雨漏りの跡かもしれない。かなり増改築をしてあるようなので、クローゼットの中にある灯りは、むかしは部屋の灯りだったのかも。もう、ふさいであるが、一番小さな部屋の壁には穴が開いていた。子どもが反抗期に蹴って開けたのかもね、と想像をめぐらした。全部間違いかもしれないけど、何かの痕跡ではある。人の営みの。
天井の一角には虫の死骸がずっと貼り付いている。たぶんカメムシなのだが、やけに同じ場所から動かないと最初は思っていた。数日経って、死んでいるということに気が付いた。足がクロスの凹凸にひっかかっているようで落ちないのだ。取ればいいのだが、なんとなく取れないでいる。この家の最初の記憶のひとつ。いつか落ちるだろう。でも、カメムシの姿は消えない。天井を見上げるたび、引っ越してきたときに天井にカメムシの死骸がぶら下がっていたな、と思い出すはずだから。
新しい家は、人の声がよく聞こえる。家が木造だからだろうが、ご近所さん同士でよく会話が交わされるからでもある。集合住宅よりご近所さんとの距離が近い。以前住んでいた場所でも、公園で遊ぶこどもたちの声が聞こえたし、ベランダに出ればご近所さんの声が聞こえることもあった。でも、すれ違いざまに交わす言葉は挨拶ぐらい。この辺りでは、それが会話へと続く。
私の起きる時間がまわりの人たちに比べると遅いせいもあるが、起きた瞬間に声が聞こえたりもする。夢うつつでぼんやりと布団の中にいるときに、時候の挨拶や、たわいもない会話が聞こえてくるのはわるくない。身体の具合をおもんばかったり、樹木の剪定の労をねぎらったりする言葉が聞こえてくる。
引っ越しの挨拶に近所をまわったとき、わからないことがあったらなんでも訊いてくださいね、とどなたも言ってくださった。家人は朝が早いので、よくご近所さんと会話を交わすようだ。出かけるときに出くわせば、「いってらっしゃい」と声をかけてくださるらしい。私は生活時間帯がずれているので、ご近所さんと顔をあわす機会が少ない。お隣さんに回覧板を持っていき久しぶりに顔をあわせたら、遅くまで電気が点いているから夜中トイレに起きたときに明るくていい、と言われた。たいてい、夜中過ぎまで仕事をしたり、本を読んだりしている。夜更かしが誰かの役に立つことがあるなんてはじめてだ。
引っ越してすぐに、出勤をしようと玄関を開けた途端、道行く高齢の女性と目があったことがある。慌てて「こんにちは」と挨拶をすると、「こんにちは、……ございます」と思ったより長い挨拶が返ってきたが、はっきり聞き取れなかった。なんと言われたのかと考えながら車に乗り込み、しばらくしてから気が付いた。
お暑うございます。
夏の真っ盛り、じりじりと暑い日だった。ほんとうに暑いですね、毎日。言いそびれたことを残念に思いながら店へと向かった。引っ越したばかりで、私の挨拶はぎこちなかったに違いない。
若い頃だったら、近所づきあいを億劫だと思ったかもしれない。若い頃というのは、ほうっておかれたいものだ。いまでは、むしろありがたいと思う。
熊本地震を体験してからは、なおさら。本震の最中は、今日死ぬのかもしれない、と本気で思った。そう感じた人は多かったようだ。でも、揺れが少しおさまり、近所の人たちが家から出てきてなんとなく会話を交わしはじめたときの安堵感は忘れがたい。当時は大家さんの敷地内にある古い貸家に住んでいた。もともと挨拶くらいは交わしていたが、それからお互いを気遣うことがさらに増えた。近所に住んでいる人の顔がわかっているということは、非常時には何より役立つ。
聞こえるのは、人の声だけじゃない。鳥の声はもちろんのこと、夏は蟬しぐれ、虫の羽音、まかれる水の音、秋になったいまは枯葉が風に吹かれてからからと地面を走る音や、近所の人が木の剪定をするチェーンソーの音などが聞こえてくる。人の営みと生類の営みの音がほどよく混ざる。
夏から初秋にかけては、庭のイチジクの実が熟すのを毎日心待ちにして過ごした。収穫するのが早すぎるとかたくて味が薄いし、遅すぎると蟻まみれになってしまうから、毎日確認した。朝起きて庭を眺めると、ほどよいのがひとつふたつは見つかった。でも、しばらくしたら経験したことがないような真夏の長雨がはじまり、イチジクは青いまま実をかたくしていた。このまま今年は不作で終わるのだろうと残念に思った。
引っ越したとき、イチジクの枝がのびのびと道にはみだしていて、落ち葉の季節になる前に剪定をしないと近所迷惑になりそうだった。大家さんはどのくらい剪定していたのかと家人がご近所さんに尋ねたところ、「もったいなかけん、実が熟れてしまってから伐ればよかよ」と言ってくれたそうだ。長雨のあともしばらく様子を見ていたのだが、もう食べられなさそうだねと、実がなっている枝も思い切って剪定をした。ところが9月になると気温が上がり、残っていた実が赤くなりはじめた。雨が続く前に収穫したものほど甘くはなかったが、十分おいしい。いくつか採りためて、ジャムもつくった。気候がよければ、来年はもっとたくさん採れて、おすそわけもできるかもしれない。
イチジクの木は、実だけじゃなくて木そのものがほのかに甘い匂いがする。夏の朝、窓を開けて最初に気付くのはイチジクの匂い。いつかこの家から引っ越したら、この匂いが恋しくなるのだろう。
肌が焼けつくような暑さの日に、どこかの街角を歩いているとき、風にのってイチジクの匂いがかすかに運ばれてくるようなことがあれば、私はいま住んでいる家のことを思い出すはずだ。まだ引っ越したばかりだというのに、そんなことを考えている。
(次回は吉本由美さんが綴ります)
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プロフィール
田尻久子(たじり・ひさこ)
1969年、熊本市生まれ。「橙書店 オレンジ」店主。会社勤めを経て2001年、熊本市内に雑貨と喫茶の店「orange」を開業。08年、隣の空き店舗を借り増しして「橙書店」を開く。16年より、渡辺京二氏の呼びかけで創刊した文芸誌『アルテリ』(年2回刊)の発行・責任編集をつとめ、同誌をはじめ各紙誌に文章を寄せている。17年、第39回サントリー地域文化賞受賞。著書に『猫はしっぽでしゃべる』(ナナロク社)、『みぎわに立って』(里山社)、『橙書店にて』(20年、熊日出版文化賞/晶文社)がある。
吉本由美(よしもと・ゆみ)
1948年、熊本市生まれ。文筆家。インテリア・スタイリストとして「アンアン」「クロワッサン」「オリーブ」などで活躍後、執筆活動に専念。著書に『吉本由美〔一人暮らし術〕ネコはいいなア』(晶文社)、『じぶんのスタイル』『かっこよく年をとりたい』(共に筑摩書房)、『列車三昧 日本のはしっこへ行ってみた』(講談社+α文庫)、『みちくさの名前。~雑草図鑑』(NHK出版)、『東京するめクラブ 地球のはぐれ方』(村上春樹、都築響一両氏との共著/文春文庫)など多数。