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暮らしがある小さな空間から世界を見る――「熊本かわりばんこ」#16〔梅雨時の庭〕田尻久子

 長年過ごした東京を離れ故郷・熊本に暮らしの場を移した吉本由美さんと、熊本市内で書店&雑貨カフェを営む田尻久子さん。
 本と映画、そして猫が大好きなふたりが、熊本暮らしの手ざわりを「かわりばんこ」に綴ります。 ※#01から読む方はこちらです。


梅雨時の庭

 日が長くなってくると、もうすぐ夏至だなあと思う。空はいつまでも明るく、午後8時近くになってもまだ夜という感じはしない。夏至の前には梅雨がきて、陽の光を雲がさえぎってしまうけれど。

 庭の植物は日を追うごとに育ち、特に野菜は急速に伸びた。トマトやオクラの苗は植えてすぐはちびだったのに、数日見ないうちに私の背丈と変わらないほど伸びていて目をみはる。支柱の長さが足りなくて電線に向かって伸びていこうとしているので、なんとかしないとまずいことになりそうだ。植物はどうやって電線があることを知るのだろう。大家さんが植えたであろう、もともとあったムカゴもぐんぐん育ち、こちらは支柱が倒されそうになっている。獰猛どうもうという言葉が浮かぶほどのいきおい。私は庭の手入れをあまりしないので、たまにしげしげと見てはその姿に驚くばかり。

ムカゴ

 フェンネルはときどき料理に使っていたのだが、しばらく放っておいたらみるみる伸びて花が咲いていた。いまではアゲハの幼虫のすみかになっている。何度見かけても数日後には消えているから、鳥にやられているのだろう。根元に近いところにいれば見つかりにくいと思うのだが、柔らかい葉のほうがおいしいのか、まるまると太った姿でてっぺん付近の花の辺りで葉をかじっているから捕食されてしまう。アゲハになるのを楽しみにしていたのに。

アゲハの幼虫

 県外の方は熊本の野菜のでかさにびっくりするらしい。日照時間が長いから野菜が大きくなるのだろうか。関東に住む元スタッフが、熊本は昼が長いから帰ってくると得した気分だと言っていた。

 ナスは特に大きくて、30㎝を超えるものもめずらしくない。ナスについて県外の人と話すまでそれが普通サイズだと思っていた。大きいから大味でまずいだろうと思われそうだが、意外とおいしい。でも気をつけないと、材料に「ナス1本」と書いてある料理を熊本のナスでレシピ通りにつくったら、うすぼんやりした味になる。

 日が長くなると、ときに縁側でビールを飲む。まれに明るいうちに職場から家にたどり着ける日があるからだ。集合住宅に住んでいた頃はベランダで飲んでいたが縁側のほうが気分がいい。たくさんは飲めないから、柿の種の小さい袋ひとつとコップ1杯のビール。ほんの15分くらいのささやかな楽しみだ。

 先日も、すっかり暗くなるまでにはまだ時間があるなといそいそビールをついで縁側に座り込んでいたら、外出先から帰ってきたお隣さんに手を振られた。吸い寄せられるようにお隣さんに行くと、手入れの行き届いた庭に色とりどりの花が咲いている。大雑把なうちの庭とはずいぶん違う。これはね、ミッチャンってダリヤ。花の名前をひとつひとつ教えてくださる。ほわほわした不思議な植物があったので、これかわいいですねえと言うと、持っていっていいよとすぐに株分けしてくださった。名前はホウキギ。たしかに箒っぽい。

ホウキギ

 シソもいつでも取っていいからねえ、と気前よくおっしゃる。散歩している人はお隣さんの庭の前でよく立ち止まる。花をめでる声が聞こえてくるのでわかる。庭の美しさだけではなく、ご夫婦のほがらかなお人柄が人を惹きつけるのだと思う。

 家におらんときでも、いつでも見にきてよかよ。花は見てもらったほうがよかけんね。

 柔らかい声でそんなふうに言われると、誰だってうれしい。丹精込めた庭には季節ごとに折々の花が咲くから、散歩中の楽しみにされている方も多いのだろう。

 日暮れどきはカラスやスズメがよく鳴き、話は植物から鳥へと移る。お隣さんは鳥好きだ。数日前、シジュウカラのヒナが庭に迷い込んできた。私はいなかったのだが、お隣さんが発見して教えてくれたと庭仕事中の家人から写真が送られてきた。ヒナと言っても巣立つ寸前のようで、大きさは親鳥とあまり変わらず、頭にまだふわふわの羽毛が残っていた。飛ぶ練習の途中で迷い込んできたようで、網戸にしがみついて鳴いていたそう。写真の下のほうではうちの猫が家の中からヒナを見ていて、恐ろしげな構図だった。

 みんなで心配して見守っていると、しばらくして山のほうから親鳥の鳴く声がして無事親元に飛んでいったという。親鳥の鳴く声もお隣さんが気づいたらしい。

シジュウカラのヒナ

 昔はあんまりうるさくなかったけん、メジロなんかば飼う人も多かったもんね。きれいか声で鳴くけん。

 鳥の話をしていたらお隣さんがおっしゃった。いまでは鳥獣保護法で野鳥を飼育することは禁じられているが、日本野鳥の会のホームページで調べたら、最後まで飼育を許されていたのがメジロだった。

 話しながら思い出したことがあった。幼少の頃、飼っていた鳥を世話する祖父にまとわりついていたとき、メジロを飼っていたこともあると祖父が言っていた。ほんとうに聞いたことか自信がなかったのだが、祖父がメジロを飼っていたとしてもおかしくないといまでは思う。私が幼少の頃に祖父母が住んでいた家は、私がいま住んでいる家のすぐそばにあり、山がどれほど近いか実感しているからだ。

 もらったのか、家に迷い込んできたのか。祖父がなにかを飼う理由はたいてい受動的だった。子どもたちが夜市で捕ってきた金魚に、迷い込んできた小鳥。物静かで、もくもくと植物や小動物を世話する人だったから、山へメジロを獲りに行ったりはしないような気がする。メジロは、見るたびに思わず「かわいい」と言ってしまうほどにかわいいし、美しい声で鳴く。飼いたくなる気持ちもわからないではないが、それはやはり人間の身勝手だろう。椿の花の蜜を吸いに現れる姿を垣間見るだけでじゅうぶんだ。

 私は中学生のときに親元を離れ、仕事をはじめるまで祖父母の家で暮らしていた。彼らと日常会話以外のことを話した記憶があまりなく、いまになってあれもこれも尋ねてみたかったと思うようになったが、祖父母はもうすでにこの世にいない。些末なことも大事なことも訊いてみたかった。メジロはどうやって手に入れたのか。どんな植物が好きだったのか。二人はどうやって知り合ったのか。なぜ満州に行ったのか。第二次世界大戦をどう見ていたのか。満州からどうやって帰ってきたのか。孫たちを預かってともに生活することにストレスはなかったのか。訊きたいことはいくらでもある。

 小さな世界に暮らしていても、そこを中心に世界を見ることは可能だ。彼らは私の「じいちゃん」「ばあちゃん」である前にひとりの人間だったのだが、それに思い至るまえに別れがきたので、何も訊くことができなかった。

 私が幼い頃、祖父母は小さな貸家に住み、つましい暮らしをしていた。こつこつとお金をため、後に家を建てたのだが、その小さな貸家のことばかりを最近は思い出す。その場所の近くに越したからに違いないが、私はその家が好きだったのだろう。写真一枚残っていないから、ずいぶんと記憶をつくりかえてしまっているかもしれないけれど。

 今年の梅雨入りは遅かった。あまりに遅いと集中して雨が降り豪雨になるのではないか、と不安になってきた頃にようやく梅雨空が広がった。6月の満月はストロベリームーンだとパソコン画面が教えてくるが、月はしばらくの間あまりおがめないだろう。吉本さんと交わす月メールもしばらくの間お休みかもしれない。

 雨が降っているとご近所さんの井戸端会議の声や鳥の声が聞こえないからなかなか目が覚めず、寝過ごしてしまうことがある。陽が射さず薄暗いのもよくない。猫たちも暗いと目が覚めないようでぐっすりと寝ている。朝寝坊の身には陽の光が重要だ。子どもの頃から変わらず朝起きるのが苦手で、寝起きの動きがゾンビみたいだと言われたことがある。ゾンビに退散してもらうために、まずは家中のカーテンを開けて光を入れるのが日課なのだが、雨だとうすぼんやりした光しか入らない。

 朝寝坊がいつにも増してひどくなるが、雨は嫌いではない。もともと出不精だから、どこにも行けなくてもまったくかまわない。仕事に行かなくてよければなおさら。災害が起きるほどの雨の場合は話が別だが。

 家を借りるとき、築五十年ほど経っていたし、大家さんがセルフリノベーションをされていたようだったので雨漏りが心配だった。案の定、越してすぐに寝室にしていた改装部分が雨漏り。不動産会社に連絡をするとすぐに対応してくださったが、先日また別の部分が雨漏りをした。私の人生はどうやら雨漏りと縁が切れないらしい。前に借りていた店舗でも、いまの店舗でも、雨漏りの経験がある。古いから家賃が安いのだからしょうがない。

 ふたたび連絡をすると、ありがたいことに今回もすぐに対応してくださった。屋根に防水加工をするのだが、二度目は室内も少し傷んでおり、内装業者さんも入ることになった。不動産会社の担当の方は猫好きで、業者さんと打ち合わせしているときに、猫ちゃんは? と尋ねられた。雨漏り箇所は掃き出し窓の上部で、窓を開け閉めしながらの確認になると思ったので、猫が外に出ないように別室に隔離していた。こっちですよ、と閉じ込めた部屋に連れて行き猫に会ってもらう。打ち合わせは十分ほどで済み、数日後、職人さんが一人で作業に来られた。

 当日、ほれぼれする手際で職人さんが作業を終え、これで無事梅雨を迎えられると安堵していると、意外なことを尋ねられた。猫は別の部屋にいるんですか? 打ち合わせのときの会話を聞いていらしたようだ。猫に会うのをひそかに楽しみにしていたのだろうか。猫お好きですか? と尋ねると、自分では飼っていませんが姉が保護猫をたくさん飼っていて、とおっしゃる。せっかく尋ねてくださったから会ってもらうかと、猫を閉じ込めていた部屋の窓を開けると、うちの猫たちはまったく人見知りをしないのでわらわらと職人さんのほうへ寄っていく。職人さんは網戸越しに指で猫のひたいをつつき、かわいいなあと破顔しておっしゃる。私は猫と違って人見知りなので、職人さんと一対一でいることに少し緊張していたのだが、その顔を見て一気に緊張がほどけた。

 梅雨らしい雨が断続的に降っているとき、小降りになるとにわかにスズメが鳴き出しにぎやかになる。スズメは群れて行動するからよく鳴く。あそこに食べるものがある、とか、あぶないよ、とか教えあうそうだ。声に誘われて外を見ると、空は少し明るくなっている。

 スズメの数はかなり減少していて、寒い地域では冬に餓死することもあるという。人に近い場所で暮らしているのだから、減ってしまう原因は人がつくっているのだろう。スズメはあまりにありふれた鳥だからいままで気にかけたことなどなかったのに、最近ではスズメばかり観察している。部屋からちょうど真正面に見える木と木の間の塀によくいるのだが、枝葉の中からちょこちょこ出てくる様子を見ていると、塀の上が舞台のようだといつも思う。葉っぱの中が舞台袖だ。互いにじゃれあったりしているのを見るのも楽しく、見飽きない。

 今度こそ吉本さんみたいに散歩に行って出かけた報告を書こうと思ったのに、雨が降っているのを理由に家に閉じこもってスズメばかり見ている。山も川も水源地も近くて、散歩する場所はいくらでもあるのになんて不精者なのだろうと反省するのだが、熊谷守一だって自分ちの庭ばかり見ていたじゃないかと思うと、それでいいような気もする。庭の広さが違うだろう、と言われそうだが。

(次回は吉本由美さんが綴ります)

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プロフィール

田尻久子(たじり・ひさこ)
1969年、熊本市生まれ。「橙書店 オレンジ」店主。会社勤めを経て2001年、熊本市内に雑貨と喫茶の店「orange」を開業。08年、隣の空き店舗を借り増しして「橙書店」を開く。16年より、渡辺京二氏の呼びかけで創刊した文芸誌『アルテリ』(年2回刊)の発行・責任編集をつとめ、同誌をはじめ各紙誌に文章を寄せている。17年、第39回サントリー地域文化賞受賞。著書に『猫はしっぽでしゃべる』(ナナロク社)、『みぎわに立って』(里山社)、『橙書店にて』(20年、熊日出版文化賞/晶文社)、『橙が実るまで』(写真・川内倫子/スイッチ・パブリッシング)がある。

吉本由美(よしもと・ゆみ)
1948年、熊本市生まれ。文筆家。インテリア・スタイリストとして「アンアン」「クロワッサン」「オリーブ」などで活躍後、執筆活動に専念。著書に『吉本由美〔一人暮らし術〕ネコはいいなア』(晶文社)、『じぶんのスタイル』『かっこよく年をとりたい』(共に筑摩書房)、『列車三昧 日本のはしっこへ行ってみた』(講談社+α文庫)、『みちくさの名前。~雑草図鑑』(NHK出版)、『イン・マイ・ライフ』(亜紀書房)、『東京するめクラブ 地球のはぐれ方』(村上春樹、都築響一両氏との共著/文春文庫)など多数。

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