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「NHK出版新書を求めて」第2回 「ケア」から新書を眺めてみたら――小川公代さん(英文学者)の場合

各界で活躍する研究者や論者の方々はいま書店で、とくに「新書コーナー」の前で何を考え、どんな新書を選ぶのか? 毎回のゲストの方に書店の回り方、本の眺め方から現在の関心までをじっくりと伺う、NHK出版新書編集部の連載です。コーディネーターはライターの山本ぽてとさんです。
第1回から読む方はこちらです。


今回はこの人!
小川公代(おがわ・きみよ)

1972年和歌山県生まれ。上智大学外国語学部教授。ケンブリッジ大学政治社会学部卒業、グラスゴー大学博士課程修了。専門はロマン主義文学、医学史。著書に『ケアの倫理とエンパワメント』(講談社)『文学とアダプテーション――ヨーロッパの文学的変容』(共著、春風社)『ジェイン・オースティン研究の今』(共著、彩流社)。NHK「100分de名著」「100分deパンデミック論」に出演。『群像』や『毎日新聞』〈文芸時評〉などへの寄稿も多数。

*   *   *

 2022年4月13日。東京・池袋はあいにくの雨であった。まだまだ肌寒い季節だ。雨天で平日ながらも、ジュンク堂書店池袋本店には、ひっきりなしに人が本を求めてやってくる。
 
 本企画「NHK出版新書を求めて」では、本好きの方や気鋭の研究者の方と本屋さんへ行き、新書の棚から実際に10冊本を選んでもらおうという企画である。
 
「今日は空のリュックを背負ってきました」とやる気十分であらわれたのは、英文学者の小川公代さんだ。昨年夏に刊行された、文学作品から「ケア」を論じた著書『ケアの倫理のエンパワメント』が話題の研究者である。小川さんはいったいどのような新書を選ぶのだろうか。
 
――新書のコーナーを回る前に、気になる階も見ていただければと。
 
小川 4階の「人文・心理・教育」のコーナーに行きましょう。
 
――本屋さんはいつもどのような感じで回りますか。
 
小川 ただウロウロ歩いています。特定の本を買うために本屋さんに行くことはあまりないですね。まずは新刊や話題の本、フェアなどの棚をチェックします。

小川 あ、いま「100分de名著」はハイデガーの『存在と時間』を取り上げているんですよね。信田さよ子さんと上間陽子さんの『言葉を失ったあとで』(筑摩書房)もある。すごくいい本ですよ。あっ、『母親になって後悔している』(オルナ・ドーナト著、鹿田昌美訳、新潮社)もある。これ、買います。あ、買ったかな……けっこう2冊とか買っちゃいがちです(笑)。
 
 本屋さんにくる楽しみのひとつは、本棚を前にして、何と何を組み合わせて読んだら面白いのか考えてみることです。当てずっぽうで選んで読んでみたら、「ああ、こことここがつながるな」と見えてくる。この前は中島岳志さんの『思いがけず利他』(ミシマ社)と近内悠太さんの『世界は贈与でできている』(NewsPicksパブリッシング)を合わせて読みました。いずれも資本主義の「すきま」を埋める倫理学とは何かを問うた本でしたね。

 本を読むときは、テーマを決めて読み込むことも多いですが、能動でもない、受動でもない状態の読書も好きです。気づいたら半日とか経っています。肩が凝りすぎるので、本当はもっとリラックスして読みたいけど。あっ、「ルッキズムを考える」フェアもやっていますね。この棚の本、全部欲しいな。……けっこう持っているのもありますね。

小川 こうして話題書やフェアを見たら、宗教の棚も行きます。中でも仏教。
 
――仏教ですか。意外です。
 
小川 仏教にはずっと関心があって、西谷啓治の大ファンでもあります。チベット仏教にも興味がある。キリスト教の文学ばかり研究してきましたが、自分にはやっぱり仏教の方がしっくりくるところがあって、生まれ育った文化というのはあるんでしょうね、きっと。
 
 あと、いま実家に住んでいる母が病気をしていて、わりと頻繁に電話をしてサポートをしているんです。そうした話を「100分de名著」のプロデューサーの秋満吉彦さんにしたら、『日蓮の手紙』の回をおススメしてくださったんです。私も母も別の場所ですが番組も見て、その回のテキストを読みました。

(植木雅俊「100分 de名著 『日蓮の手紙』」 2022年 2月 (NHKテキスト))

 母は「だんだん自分の身体が変化していって、元気だった頃の自分がいない、こんなの死んだも同然だ」と電話で言うんです。でも日蓮を読むと、生の世界と死の世界が地続きであることがわかる。何も持たずに何も出来ないまま生まれた人間が、何か出来るようになって、それからまた何も出来なくなって土に還っていくサイクルは仕方がないんだなと。そういう話を電話でして、二人で泣いているという(笑)。
 
 私は20年以上人文学の研究を続けてきて、英文学に限らずいろいろと読んできたのですが、そうして読んできたものが私の言葉を通じて、いま母の精神に浸透していっている感触があります。人文学の驚異的な力を感じているし、本当に大事なんだなと思いますね。

――では新書のコーナーを見ていきましょう。10冊選んでいただきたいです。
 
小川 今日は選ぶ予定の本をメモしてきました。その場で買おうとすると絶対迷うから(笑)。まずは岩波新書から『村上春樹は、むずかしい』(加藤典洋)、『ネルソン・マンデラ』(堀内隆行)を。梯久美子さんの『原民喜』は表紙がいつもの表紙じゃないんですよね。
 
 次はNHK出版新書へ行きましょうか。『悪と全体主義』(仲正昌樹)と『恐怖の哲学』(戸田山和久)。あと中野京子さんの『美術品でたどる マリー・アントワネットの生涯』も気になっています。私が研究対象にしている時代なので。あ、ここには無いみたいですね。あと小池昌代さんの『恋愛詩集』を。

――次は中公新書ですね。
 
小川 『オスカー・ワイルド』(宮崎かすみ)を。あ、あったあった。副題の“「犯罪者」にして芸術家”というコピーがいいですよね。あと2008年と少し前の本ですが、堂目卓生先生の『アダム・スミス』。
 
――アダム・スミスですか。
 
小川 実は今、感情史のブームもあって、アダム・スミスは注目されているんですよ。あ、ありましたね。池袋ジュンク堂さんはさすがの品揃えです。あとは中公ラクレの『たちどまって考える』(ヤマザキマリ)を。
 
――次はちくま新書ですね。
 
小川 ちくま新書には「ケアを考える」シリーズがあるんですよね。その中から、『医療ケアを問い直す』(榊原哲也)と、佐藤優、池上和子『格差社会を生き抜く読書』、伊藤周平『社会保障入門』を。あと波頭亮先生の『文学部の逆襲』。これは絶対買います。ちくまプリマー新書からは、倉林秀男さんの『英語の学び方』。
 
――ジュニア向けの新書もチェックしますか?
 
小川 見ます、見ます。私みたいな、いろんなことに広く浅く興味のある人間は、こうした中高生向けのレーベルはありがたいです。新書といえども、今はまったくの初心者にとっては難しい時がありますから。
 
 平凡社新書からは『新版 ぎりぎり合格への論文マニュアル』(山内志朗)。光文社新書からは、『感染症としての文学と哲学』(福嶋亮大を)。これは勉強のために。あとロシアの文学ももっと知りたいので、亀山郁夫先生の『ドストエフスキー 『悪霊』の衝撃』を。
 
小川 最後に、もう一回岩波新書に戻っていいですか。天畠大輔さんの『〈弱さ〉を〈強み〉に』。いいタイトルですよね。「弱さを強みに」。これは、私の今年のテーマとも言えますね。どんなものを書くときもこれを強調していこうと思っています。
 今何冊ですか?
 
――17冊です(笑)。
 
小川 すみません! 全部買いたいので、残りは自腹で払います……

小川公代が選ぶ12冊

・堂目卓生『アダム・スミス』(中公新書)
・宮崎かすみ『オスカー・ワイルド』(中公新書)
・戸田山和久『恐怖の哲学』(NHK出版新書)
・波頭亮『文学部の逆襲』(ちくま新書)
・仲正昌樹『悪と全体主義』(NHK出版新書)
・堀内隆行『ネルソン・マンデラ』 (岩波新書)
・加藤典洋『村上春樹は、むずかしい』 (岩波新書)
・榊原哲也『医療ケアを問いなおす』 (ちくま新書)【シリーズ】ケアを考える
・梯久美子『原民喜』(岩波新書)
・小池昌代『恋愛詩集』(NHK出版新書)
・倉林秀男『バッチリ身につく 英語の学び方』(ちくまプリマー新書)
・山内志朗『新版 ぎりぎり合格への論文マニュアル』(平凡社新書)

 
――17冊の中から、とりあえず今回の企画に沿って10冊選んでいただきました。
 
小川 はい。大変でした。すみません。12冊になってしまいましたが……。あくまで私の研究者人生を振り返りつつお話しできる、という視点で選びました。
 
――まずは『アダム・スミス――『道徳感情論』と『国富論』の世界』ですね。2008年の本です。本を選んでいる時、今アダム・スミスが注目されているとおっしゃってましたね。
 
小川 スミスといえば「見えざる手」と『国富論』が独り歩きしているところがあるのですが、文学を研究している人間からすると彼の『道徳感情論』の方が重要です。私の博士論文も近代イギリスにおける感情史と文学をテーマにしましたが、18世紀に生まれた感受性文学の土壌を作り出してくれた哲学者としてアダム・スミスは何十年も研究しています。彼の思想が、今の私がケアの倫理に系統する思想の土台になっているんです。
 
 たしかに「見えざる手」は欲望 や自己愛に導かれて行動する意味も含み、新自由主義の礎にもなった思想とも言えます。一方で、スミスは、グラスゴー大学で(私が博士号を取得した大学ですね)、フランシス・ハッチソンの下で道徳哲学についての考えを深め、『道徳感情論』の中で、自己愛とは正反対のケアの倫理に類した「共感」や「同感」について論じています。私は日本で「ケアの倫理」研究を牽引してこられた岡野八代先生のお仕事に多大な影響を受けているのですが、今の『群像』の連載でも、岡野先生が論じてこられた「正義の理論」と「ケアの倫理」について書いたりしています。アダム・スミスの話に戻ると、『国富論』が男社会で掲げられてきた「正義の倫理」に近しい価値を掲げているなら、『道徳感情論』は人が関係性のなかで育んできた「ケアの倫理」についてであり、面白いのは、18世紀にはすでにひとりの知識人の中に両方の倫理が内在していて、それが二つの別個の大著として世に出たこと。スミスにはそうした面白さがあります。
 
――次は『オスカー・ワイルド ――「犯罪者」にして芸術家』。
 
小川 著者の宮崎先生はオスカー・ワイルド一筋の研究者で、最近では『獄中記』の翻訳をされていました。宮崎先生は「エゴドキュメント」と呼ばれている書簡や日記などの史料を使った研究をしています。手稿を所蔵している図書館に通い詰め、ワイルドの筆跡のクセなどを理解しながら、彼の執筆したものを読み込んでいく。ネイティブであっても難しいと言われる作業です。そうした彼女の研究が、なんと新書で読むことができる。貴重な本だと思います。
 
――次はNHK出版新書の本を選んでいただきました。戸田山和久『恐怖の哲学 ホラーで人間を読む』。
 
小川 「恐怖の哲学」はもっと語られてもいいと思っています。私はゴシック小説を研究しているのですが、フェミニズムやケアの倫理にとても関係が深いんです。実は『女性の権利の擁護』を書き、初代フェミニストとも呼ばれるメアリ・ウルストンクラフトもゴシック小説を書いていました。彼女はアダム・スミスと同時代人で、アダム・スミスを耽読していた。
 
 そして彼女もアダム・スミスと似た葛藤を抱えていました。ただ、ジェンダー差別に苦しんだ彼女は女性差別を許さないという「正義の倫理」と、他者が困っていたら助けたいと思う「ケアの倫理」の両方を持っていた。論客として活躍しつつ、共感についても書いていました。こうした葛藤って、今の女性たちの中にもありますよね。
 
 ちなみにウルストンクラフトが物語で語った「恐怖」は、ある女性が横暴な夫から逃げようとするも拉致されて精神病院に入れられるというものでした。また、同じく感受性文学の中に位置づけられるサミュエル・リチャードソンの『クラリッサ』も、レイプされた女性の話です。女性にとっての恐怖は、幽霊よりも拉致や性的暴行をされることで、当時は今ほどは法整備されていない――今の日本も十分だとは思えませんが――でした。いわば#MeTooに連なるような女性たちの告発の意味合いもあったんですね。そうした点でもまさに「恐怖の哲学」は今一度見直されてもいいのかなと思っています。
 
――波頭亮『文学部の逆襲』(ちくま新書)さんも選ばれていましたね。
 
小川 新自由主義のロジックは、文学のような一見役に立たないと思えるものをどんどん無くしていこうとします。実際に文学部がなくなってしまったら、研究する人がいなくなる。そうすると、国の経済力や国力をどう上げようという大きな物語だけになり、小さな物語を研究する人がいなくなってしまう。いまのウクライナ情勢を見ていても、国家の大きな物語が独り歩きすると戦争で犠牲になるのは国民、特に年若い兵士や子どもではないかと感じています。そこで戦っている一個人の小さな物語、それこそアレクシエーヴィッチがやっている女性たちや兵士たちの声を集めていくことが対抗になりうるのではないか。そうした文学の功用について書いてある本だと思いました。
 
 『悪と全体主義――ハンナ・アーレントから考える』も全体主義という「大きな物語」と、個人の「小さな物語」を考えていく上で勉強になりそうな本です。アーレントは私の著作、『ケアの倫理とエンパワメント』でも取り上げました。人種の枠を超え、人間とは何か、悪とは何かといった根源的な問題について考えさせられます。

 最近ネルソン・マンデラに注目しているので、『ネルソン・マンデラ 分断を超える現実主義者』も選びました。先日、「怒り」を特集した『文藝』(「文学における怒り――アーサー王伝説から『進撃の巨人』まで」『文藝』(夏季) 2022年4月7日)に寄稿しました。そのための調べ物をしていくうちに知ったのですが、実はネルソン・マンデラが感情史の中では重要人物であるらしいんですよ。反アパルトヘイトのイメージだけかもしれませんが、彼は戦争、差別、分断の中から、共感と和解を選び取ったランドマーク的な人物として位置づけられているんです。全然知らなかったので、いま彼についての本を集めているところです。
 
――次は『村上春樹は、むずかしい』。
 
小川 村上春樹は私が若い頃から読み続けている作家の一人で、しかもどんどんフェーズを変えています。この本はその変遷を一冊で全部カバーしているようです。とくに気になるのは『ノルウェイの森』から『ねじまき鳥クロニクル』を経て、『IQ84』にどうやって行きついたのかです。
 
 特に『ノルウェイの森』は、フェミニストからの批判も多い作品です。でも、批判すべき価値観を体現するような文学であっても読んだほうがいい。作家は時代の価値観や風潮の媒介者であり、作品はそんな条件の中で「孕まされた」とも言えます。そうした意味でも村上春樹を理解するのは、タイトル通り「むずかしい」。加藤さんがどのように論じているのか興味がありますね。

――『医療ケアを問いなおす─―患者をトータルにみることの現象学』 はどうでしょう。
 
小川 この「患者をトータルに見ることの現象学」というサブタイトルがいいですよね。私は「第三の道」で有名な、アンソニー・ギデンズの影響を非常に受けているんです。彼について鮮明に覚えているのは、近代を作ってきた認識論を、”theory of knowledge”と言い、片方でハイデガーの存在論について”theory of being”と言い、アカデミズムの中で、“theory of knowledge”から”theory of being”の大転換が起こったのだと身振り手振りも交えながら熱く語っていた姿です。存在論は生の現象学が作り出した考え方です。現象学的な考え方では、ひとつの知識や、正しさがあるのではなく、みんな違う身体を持っている限り、無数の正しさが生まれるのだと考えます。
 
 これまでの医療の世界では、客観視された身体の数値があり、医者が正しいと思う治療法を提示し、患者は従うだけでした。でもやはりそうした正解を求めるアプローチには限界があり、患者と対話を積み重ねながら、どのような治療をしていったらいいのか共に探る方向に舵を切りつつある。その背景には、アカデミズムの “theory of knowledge”から “theory of being”への転換があったはずです。私がケアに関心を持つようになったのも、現象学への傾倒があったからです。そういえば、医学書院の〈ケアをひらく〉シリーズから発達障害者の当事者研究『みんな水の中』を刊行された横道誠さんもハイデガーの研究をされていますね。
 
 梯久美子『原民喜』を選んだのは、そんな存在論を考える上で重要な「当事者性」を象徴する文学者だからというのもあるかもしれません。原民喜は本人も被爆し、凄惨な光景を見ながら言葉を絞りだしていきました。体験をしなかったら書かれなかったであろうことしか書かれていない。私にとっての存在論とは、日々の営為がその人の人生を形作っていると、読んで感じるものでもあります。そんな原民喜について、新書で知ることが出来るのは素晴らしいですね。
 
――NHK出版新書からは、小池昌代『恋愛詩集』もお選びいただきました。
 
小川 小池さんは存在論的な詩を書かれますよね。身体的な詩人だなと思っています。「伊木力という地名に導かれて」というすごく好きな詩があって、贈られてきたミカンの地名の音の響き――つまり研ぎ澄まされた聴覚――から、何を想起するのか書いた詩で、すごく身体的なんです。そんな小池さんが選者となって、他の詩も選ばれているので、読者の身体に響いてくる詩が多く選ばれているんじゃないかな。期待しています。
 
――倉林秀男『バッチリ身につく 英語の学び方』と山内志朗『新版 ぎりぎり合格への論文マニュアル』も選ばれていますね。
 
小川 『バッチリ身につく 英語の学び方』は、すごくプラグマティック。例えばTEDトークを視聴しながら勉強することを勧めています。研究者が、というより私がなのですが、英語の学び方についてアドバイスするとき、ついつい「辞書は線を引け」「たくさん論文を読め」なんて言っちゃう(笑)。でも考えてみたら、根性論じゃ続かないし、楽しくないんですよね。倉林さんが紹介されている方法は継続できるんじゃないかな。インターネットが発達した環境で育って来られた世代と、我々の世代は違うので、化石のようなことを言っても仕方ないと反省しました……。
 
 『新版 ぎりぎり合格への論文マニュアル』は、正直なところタイトルだけでは買わなかったかもしれませんが、一昨日読んだこの本についての対談記事が面白かったんです。

 教員としてかなり発見の多い記事でした。特に、卒論自体のクオリティーより、書くプロセスで「自分が本当は何を学びたかったのか、最初ははっきりしていなかったものがどんどん明瞭になっていく」、また「問いを明確化することとか、概念をきちんと定義して特徴づけることは、社会人としての生活でも役に立」つとあって興味深い。こちらの本を読むのも楽しみです。

買い物を終えて

――小川さんは新書をどのように読まれていますか。
 
小川 新書の良さは切り口だと思っています。研究書は詳細に書くので、どうしても分厚くなってしまいます。しかし新書は最初から潔い切り口で書き始めます。例えばオスカー・ワイルドにも様々な側面があると思うのですが、宮崎先生の新書もあるひとつのテーマを抜き出して書かれていますよね。その時点でわかりやすい。
 
 さらに、わかりやすさのために細かい情報を抑制するという共通認識が新書にはあります。書き手も安心してその潔い切り口にだけ突き進み、コンパクトにまとめることができる。
 私が新書を読むのは、例えばあるテーマで原稿を頼まれた時です。とくに文学以外の領域に関わるとき、まずそのテーマがタイトルについている新書を探します。そして、その新書を読むと、他の関連する本についても必ず書いているので、どのように関連しているのかが一気に見えていく。
 
――ブックガイド的な使い方もしているんですね。
 
小川 そうですね。こうした新書を書いている、ある専門に特化した方たちは、何千冊も関連書を読んできて、その中で厳選したものに言及しているわけです。その分野で最低限必読であるということですよね。非常に頼りにしています。
 
――書く方ならではの新書の活用ですね。今後、読んでみたいテーマの新書はありますか?
 
小川 栗原康さんの『サボる哲学』(NHK出版新書)のような本をもっと読みたいです。本当に衝撃的な本でした。怠惰の文学についても書きたいなと思っていたんですが、もうやられたなって感じ。すでに書かれているんだ! と。でも今後ももっと読みたいですよね。
 
 「サボる」「怠惰」「怠ける」本。ワーカーホリックな自分を免責できるような文化をつくろうという明確な意志を持って新書を作って欲しい。日本にとっての新たな夜明けです。研究書ではやりづらいですが、まさに提言も兼ねられるような新書だと書きやすいのではないでしょうか。
 
――サボる、怠惰、怠ける、いいですね。新書はビジネスパーソンが手に取りやすいので、より「サボる」本が響きやすいかもしれないですね。
 
小川 「サボる」は「ケア」にも関係があります。現に、研究書や文学をゆっくり読む時間のない人がたくさんいて、しかもたいてい、そうした人が経済を回し、政治に関わって、社会を動かしている。日々の仕事の中でも、ビジネスの競合相手、部下という視点ではなく、自分と同じように「生」ある人間を意識する、つまりは「ケア」の視点を少しでも頭の片隅に置くことができれば、「働け!」「サボるな!」というふうに、相手を追い詰めたりしないだろうし、発言の仕方も変わってくると思います。
 
 今の政治が間違っているのは、政治家だけの責任ではないと思うんですよね。いや、政治家の責任は大きいですが。彼らはマッチョで家父長的な人が多く、自分が信じてきた「かくあるべし」がある。それがなかなか変えられない。なぜなら彼らは、まさに認識論で動いているからだと思うんです。ですからハイデガーが「100分de名著」で取り上げられ、現象学が注目されているのも、認識論から存在論への大きなシフトの流れの中にいるからだと感じます。ただ、それがどうしてもわかりにくい、伝わりにくい言葉だから届かない。私が「ケアの倫理」の話をするのも、「存在論」よりも日常のなかに見つけやすいと思うからです。
 
――その可能性は高いかもしれません。
 
小川 読書からすると敬遠しがちな哲学用語をつかわずに、その哲学にアクセスできるような言葉が新書にはいっぱいあり、タイトルはその典型的なものでしょうね。『サボる哲学』なんてまさに良いタイトルです。
 
――これから、NHK出版新書を中心としてサボるブームが起きるかもしれませんね。
 
小川 「サボるブーム」来てほしいです!新書だからこその、そうした微妙なバランスを実現していくことをこれから期待したいですね。

(取材・構成:山本ぽてと/2022年4月13日、ジュンク堂書店池袋本店にて)

第3回へ続く
一つ前を読む

プロフィール
山本ぽてと(やまもと・ぽてと)

1991年沖縄県生まれ。早稲田大学卒業後、株式会社シノドスに入社。退社後、フリーライターとして活動中。企画・構成に飯田泰之『経済学講義』(ちくま新書)など。

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