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もし晴れの舞台で「夫の好きな料理は?」と聞かれたら――料理と食を通して日常を考察するエッセイ「とりあえずお湯わかせ」柚木麻子

『ランチのアッコちゃん』『BUTTER』『マジカルグランマ』など、数々のヒット作でおなじみの小説家、柚木麻子さん。NHKテキスト『きょうの料理 ビギナーズ』でリアルな生活を綴って人気の連載エッセイ「とりあえずお湯わかせ」が「本がひらく」に場所を変え、リニューアルスタートします! 料理や日常生活のあれこれに加え、気になった本や映画、旬の話題も取り上げる予定です。ますますパワーアップする柚木ワールドをお楽しみに!

#1 一番の好きな料理はなんですか?

(今回からネットにうつったが、本エッセイはもともとは『きょうの料理ビギナーズ』で連載していたもの。雑誌の性質上、私の日常、主に料理について書いてきた。タイトルは私の母の口癖である。出典は桐島洋子著『聡明な女は料理がうまい』より。どんなにやる気がない時でも、鍋にお湯さえ沸かせば、台所に湯気が立ち込めて焦燥感は薄まるし、お茶を淹れられる、野菜は茹でられる、最悪白湯が飲める。一番簡単なことから手をつけてドン詰まりの状況を切り崩そう、という我が家のライフハックである。本連載は料理に限らず、本や映画、時事ネタにも触れていきたいが、立ちすくむ前になんでもいいからはじめてみるぞ、というスピリットは忘れないようにしていきたい) 

 さて、今回はカレーの話である。野菜をまるっきり食べない三歳児を育てているので、 カレーのありがたさをかみしめる毎日である。試行錯誤した末に、現在は以下のようなレシピに落ち着いた。玉ねぎ、にんじん、じゃがいも、セロリ、キノコ、トマト、ひきにく、りんごをよく炒めてスープを注いで柔らかくなるまで煮たら、炒めた小麦粉とカレー粉、ヨーグルトを加え、ブレンダーで裏ごし。この子供に合わせた甘口カレーソースに、大人は卓上でスパイス、牛しゃぶ、オクラ、チーズをトッピングして、各自好みの味にカスタマイズしていくやり方で今のところ、うまく回っている。
 しかし、カレーを煮込むたびに、怒りがムラムラ湧いてくる。それは作家の島本理生さんが第159回直木賞を受賞した時の会見で、男性記者に浴びせられた質問を必ず思い出すためだ。
――旦那さんの、一番の好きな料理はなんですか?
 確かこの質問はネットでも批判されていたはずだ。あれから三年近くたってもなお、私の腹立ちはいっこうに収まっていない。
 当時、会見をネット配信で見ていたが、島本さんがキョトンと戸惑っているのが私にはビシビシ伝わってきた。なんでそれ今聞くの? え、私が作る料理の中で夫が好きな料理ってこと? それとも、夫が作る料理の中で私はどれが好きかってこと? 島本さんは困惑しながら「なんだろう。カレー……ですかね?」と考え考え答えている。当たり前だ。会見で家庭での料理うんぬんについて聞かれるなんて、どんな人間でも想定しているわけがない。私もあの状況で同じ質問をされたらびっくりして、高確率で「カレー」か「シチュー」と無難に打ち返し、一刻も早く次の質問に進めようとすると思う。
 しかし、島本さんの会見のおかげで、我々は知ったのである。文学賞受賞会見で、女性の著者に、夫やら料理やらについて聞きたがる記者が、実在することを……!!
 というわけで、自分が会見で「旦那さんの、一番の好きな料理はなんですか?」と聞かれた場合の回答をカレーを作りながら、三十五通り考えてみた。三十五なのは直木三十五にちなんでいる。連載初回なので、すべて掲載しようと思う。 (※私は直木賞はとっていない ※会見の予定もない)

【質問ズラし系】
「では、あなたの好きな料理は?」
「普段は家事や育児に追われて、てんてこまい……。エヘヘッ、今日くらい考えたくないですねえ~」
「誰の好きな料理? 夫の? 担当編集者さんの? 子供の? え、私の? ん?」
「うーん、そうだなあ、自分が作った料理はもう正直、おいしいのかもよくわからないので、最近は誰かが作った料理を食べたいですよね」
「拙作『ランチのアッコちゃん』ではヒロインが外食の楽しさに目覚めます」

【離れた場所にいる担当編集者に小声で救いを求める系】
「(小声)え、なに、これ?」
「(小声)なんなの、この人?」
「(無言で目で訴える)」
「(小声)ど、どうしよう」
「(マイクが拾うくらいの声音で)こんな質問考えてないし、聞いてないんだけど」

【マジレス系】
「その質問はこの場では不適切ではないでしょうか?」
「私が男性の作家だったら、あなたは、そんな質問をするでしょうか?」(個人的にこれでいきたい)
「それ、私の今回の作品と何か関係あります?」(これはちょっと弱い。私の作品には食べ物が出てくることが多い)
「家事能力と小説を書く能力はまったく関係がないですよね」
「(すごく困惑した顔で)今は作品の話をしていただけるとありがたいんですが……」

【マジギレ系】
「カメラマンさん、私じゃなくてこちらの記者を映してください」
「正気か?」
「まず、旦那さんという呼び方な」
「あるけど、あなたには教えません」
「質問すれば返ってくるのが当たり前か!? あ!?」(映画「カイジ」の香川照之の真似)

【キレてるのかふざけてるのかわからない狂気系】
「では、あなたの得意料理をあててみせようか?」
「私が初めて料理したのは『ひとりでできるもん!』を見たのがきっかけでした」
「簡単だよ。肛門から手を突っ込んで腸を取り出すんだ」
「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう 」
「アッハッハッハッハッ。アッハッハッハッハ」

【質問を聞き間違えたふり系】
「帝国ホテルのバイキングで一番好きなのは冷めてデロデロになったパスタ。このあと食べるのが楽しみです」
「私が一番好きな料理ですか? 寿司です」
「夫が一番好きなサッポロ一番ですか? 塩です」
「私が一番好きな飲み物はウーロンハイです」
「私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う」

【今の質問がきっかけで急になにかを思い出した系】
「あっ、思い出した!! 『ウェルチ』だ」
「……鍋を火にかけたままだ。家に電話かけてもいいですか?」
「ほんだしを買い忘れました」
「わかった!! ナツメグの香りがポイントだったんですね」
「あなたの質問のおかげで、野菜室のジャガイモがくさりかけていることを思い出しました」

…etc.

 しかし、私が夢見ているのは、私が質問にうまく応えられず困惑していると、記者席からすっと一人の女性が立ち上がり、よく通る声で言い放つ、こんな光景だ。 「そんな質問、答えなくていいよ。柚木さん」  そこに立っていたのは、静かな目をした島本理生さんだった。私たちは見つめあった。記者たちのざわめきが波みたいに引いていった。「孔雀の間」はもはや私と彼女の二人だけ。 

FIN

 (※島本さんに許可はとってあります)

題字・イラスト:朝野ペコ

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プロフィール
柚木麻子(ゆずき・あさこ)

1981年、東京都生まれ。2008年「フォーゲットミー、ノットブルー」でオール讀物新人賞を受賞し、2010年に同作を含む『終点のあの子』でデビュー。 2015年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞を受賞。『ランチのアッコちゃん』『伊藤くんA to E』『BUTTER』など著書多数。最新作『マジカルグランマ』が好評発売中。

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