【特別公開】国際情勢のカギを握り、プーチンを震撼させる反体制派指導者ナワリヌイ。その実像からロシアの闇に迫るノンフィクション
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【特別公開】国際情勢のカギを握り、プーチンを震撼させる反体制派指導者ナワリヌイ。その実像からロシアの闇に迫るノンフィクション

本がひらく
ナワリヌイ、2021年「サハロフ賞」受賞!
ロシア当局が命じたとされる毒殺未遂事件、療養先から帰国直後の収監。その安否がロシア国内だけでなく、国際的な注目を集めるロシア最大の反体制派指導者ナワリヌイ。「自由なロシア」のための長年の活動からノーベル平和賞の有力候補ともされたナワリヌイは、2021年10月、人権擁護や思想の自由、民主主義の発展に貢献した個人・団体に与えられるEU「サハロフ賞」を受賞しました。受賞により、釈放を求める声がより高まっているナワリヌイに関する初のノンフィクション、『ナワリヌイ プーチンがもっとも恐れる男の真実』が10月27日に発売されます。刊行を記念して、その一部を特別公開します。

「怖くないのですか?」
 ベルリン・ブランデンブルク空港でポベーダ航空DP936便に搭乗するとき、アレクセイ・ナワリヌイはそう問いかけられた。2021年1月17日の日曜日のことだ。
 同機は、帰国するナワリヌイに同行するジャーナリストで満席だった。反汚職活動を展開してきたこの44歳の野党政治家が妻、弁護士、広報担当と客室に入るとき、その瞬間をとらえたり、ライブ配信したりしようと、いっせいに無数のスマートフォンが掲げられた。世界が見ていた。
 ナワリヌイは陽気で楽天的だ。だが、恐れるだけの理由はたしかにある。ロシアに戻れば、ただちに拘束されると、ロシアの法執行機関が事前に警告していた。2014年に詐欺罪で執行猶予付き有罪判決を受けたのち、ナワリヌイが執行猶予の条件に違反したためだという。何年も収監されるかもしれなかった。ナワリヌイが自分の意思で飛行機に搭乗できるだけでも、奇跡だった。その前に自分の意思で飛行機に乗ったのは、2020年8月20日のことで、シベリアのトムスクからいつものように首都モスクワへ戻るはずだった。当時、彼はトムスクの役人と市議会議員のビジネス活動を調査していた。また、9月13日の地方選挙に出馬する野党勢力の選挙運動もしていた。この選挙により、与党候補を打ち破りたいと考えていたのだ。
 しかし、機内で異変が生じた。ナワリヌイは具合が悪くなり、やがてあまりの苦痛にうめき出したのだ。ある同乗者によると、ナワリヌイは「言葉を発していたわけではない。ただ絶叫していた」という。客室乗務員が、医療関係者は同乗していないかとアナウンスしたところ、ひとりの看護師が名乗り出た。そして、客室乗務員とともに応急手当を施し、ナワリヌイの意識を保とうとした。
 トムスクの西約750キロメートルで同じくシベリアにあるオムスクの空港には謎の爆弾テロ予告があったものの、パイロットは同空港への緊急着陸を決断した。ナワリヌイはストレッチャーに乗せられて飛行機から降り、救急搬送された。
 ナワリヌイの広報担当キラ・ヤルミシュは、その日ナワリヌイがおなかに入れたものといえば、フライト前に空港で飲んだプラスチック・カップ入りの紅茶だけだ――したがって、そのカップの紅茶に毒が混入されていたのかもしれないといった。ナワリヌイにはとくに健康問題はなく、煙草も吸わず、酒もほとんど飲まない。急に体調を崩すようなタイプではないはずだと。
 ヤルミシュが抱いた恐れは、ロシア政治に注目している者なら、なじみ深い。それまでにも、クレムリンに批判的な著名人が体調不良を訴えたことがあった。そういった人たちは毒を盛られたのではないかという疑惑が広まっていた。同時に、ナワリヌイは、実業家、地方政治家、高官といったエリートたちの汚職を調査していたために、大勢の敵がいた。疑わしき人物を挙げれば、長いリストになる。
 病院に到着するとすぐ、ナワリヌイは「精神異常発現薬の急性中毒」と予備的診断を受けた。人工呼吸器を取り付けられ、医療行為で意図的に昏睡状態にされて、アトロピンを投与された。容体は「重体だが安定している」とされ、通常の治療が行われていた。
 だが、そこから事態は思わぬ方向へ転がっていく。
 病院に法執行機関の職員が押し寄せてきた。私服警官もいた。すると、彼らはナワリヌイの所持品を押収しはじめたのだと、ヤルミシュはいった。
 一方、ナワリヌイの乗っていた飛行機がやっとモスクワに着陸すると、そこでは、警官たちが飛行機に乗り込もうと待ちかまえていた。彼らはナワリヌイの近くに座っていた乗客に対して、ほかの乗客が降りてもそのまま動かないように指示した。ある乗客は、その対応に首をかしげた。
「その時点では、犯罪ではなさそうでした。[それなのに]警官たちは明らかに犯罪が起きたと決めつけていました。
 オムスクでは、ナワリヌイの妻ユリヤ・ナワリナヤが夫のもとに駆けつけられずにいた。病院当局によると、ナワリヌイがユリヤの訪問にはっきり同意していないからとのことだった。しかも、医師団はナワリヌイが同行チームと一緒にいる状況をあまり歓迎していなかった。ナワリヌイ・チームはドイツでの治療を希望していた。入院翌日の8月21日、ナワリヌイをベルリンのシャリテ大学病院へ搬送する準備を整えた飛行機がオムスクに着陸した。
 奇妙なことがあったと、ナワリヌイの側近イワン・ジダーノフとユリヤが報告している。病院の院長と話していたとき、ナワリヌイや他の乗客たちにも「危険な物質が発見された」と女性警官にいわれたという。だが、それがどんな物質なのかは、「捜査上の秘密」だとして教えてもらえなかった。
 同日、ロシア全国紙がセンセーショナルな記事を掲載した。匿名情報源の言葉を引用する形で、法執行機関の職員がナワリヌイをトムスクまで尾行していたという。毒物の混入はあったのかという問いに対しては、情報提供者は「毒物の混入につながるような余計な、あるいは疑わしい接触はなかった」と答えていた。この記事は、ロシアの連邦保安庁(FSB)の管理下でリークされたものだというのが大方の見方だった。
 一方、オムスクの医師団も当初の診断を訂正した。ナワリヌイは深刻な代謝性疾患の症状を呈しており、毒物による中毒症状ではないと見解を変えたのだ。病院の医長によれば、この症状は「機内で血糖値が急激に下がったために生じた可能性があり」、それによって意識を失ったと考えられるとのことだった。また、医師団は、ナワリヌイの両手と頭髪の検体から見つかった物質はよくある工業製品の成分であり、プラスチックのカップ内の液体に混入されていた可能性があるとも語った。さらに、ナワリヌイの容体は「不安定」であるから、ドイツへの移送は適切ではないとも主張した。
 ナワリヌイの主治医は、その主張にははっきりした動機があると見ていた。「彼らは体内から毒素の痕跡が抜けるように、三日間待つのでしょう。ユリヤ・ナワリナヤはウラジーミル・プーチン大統領に掛け合い、夫の海外移送の許可を求めた。
 はじめは抵抗に遭ったが、ドイツ医師団はナワリヌイへの面会が許され、ナワリヌイはベルリンに移送できる状態だといわれた。ロシアの医師団も容体が「安定した」といい、移送に同意した。8月22日、飛行機はナワリヌイを乗せてオムスクを発った。
 ベルリンに到着して二日後、ドイツ医師団は、ナワリヌイは中枢神経系の働きに介入するコリンエステラーゼ阻害薬を投与されたと考えていると語った。この毒物は一般的な殺虫剤のほか、兵器級の神経剤にも使われている。この情報により、ロシアの国家的関与の疑いが強まった。
 しかし、非難の矛先が数多く向けられるにつれて、ロシア高官は反撃した。「なぜ 、われわれがそんなことをするのか? しかも、こんなみっともないへたくそなやり方で?」。ロシアのある上級外交官は、8月24日にそうツイートしている。9月はじめには、ドゥーマ(ロシア連邦議会下院)議長も、「例の」毒殺未遂事件なるものは「新しい対ロ制裁を科し、わが国の発展を阻止するために計画された行動」であると主張している。
 一方、ロシアの警察当局には、この事件の捜査を急ぐ様子は見られなかった。トップの法執行機関とはとてもいえない地方の交通警察が「予備捜査」を行った。ナワリヌイがトムスクで滞在していたホテルには、地元警察とFSB職員の捜査が入ったが、地元マスコミによると、ほんの「二日」で終わったという。警察の聴取を受けたナワリヌイの仲間の目には、すべてが不作為だと――もっといえば、隠蔽だと――映った。
 9月2日、ドイツのアンゲラ・メルケル首相(当時)は、ナワリヌイにノビチョクと同系の神経剤が使われたのは「疑いの余地もない」とし、のちに、その主張が化学兵器禁止機関(OPCW)によって確認された。これは、2018年3月にイングランドのソールズベリーで起きた毒殺未遂事件で、ロシア人元二重スパイのセルゲイ・スクリパリとその娘ユリヤ・スクリパリに対して使われたものと同じタイプの神経剤だった。イギリス政府によれば、プーチン大統領がその暗殺命令を出した「可能性がきわめて高い」という。

*続きは『ナワリヌイ プーチンがもっとも恐れる男の真実』でお楽しみください。

写真提供:Alamay/PPS通信社

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