見出し画像

年に一度、この季節に味わいたい――「マイナーノートで」#15〔蛍狩りと鮎〕上野千鶴子

各方面で活躍する社会学者の上野千鶴子さんが、「考えたこと」だけでなく、「感じたこと」も綴る連載随筆。精緻な言葉選びと襞のある心象が織りなす文章は、あなたの内面を静かに波立たせます。
※#01から読む方はこちらです。


蛍狩りと鮎

 年に一回でいいから味わいたい、と思うことがいくつかある。
 天然鮎の塩焼き。筍に松茸。山菜天ぷら大パーティは、この5月のゴールデンウィークに、八ヶ岳山麓の山の家で実現した。毎年これを楽しみにしているひともいる。
 
 天然鮎と言えば、好き嫌いがはげしくて肉も魚も食べられなかった子ども時代のわたしが、唯一食べられた魚が鮎だった。鮎漁には許可証が必要で、それも毎年解禁日まで待たなければならない。その解禁日が過ぎてから、わたしの家には毎年、地元の清流、神通川で獲れた鮎を笹に刺し通して届けて下さる釣り名人がいた。鮎が食べられたのは、魚の生臭さが一切なかったからだ。川底の水苔をこそいで食べるという肉食系でなく草食系の食性も、快かった。それを直火であぶって食べる。香ばしい香りがたちこめる。食べ方を教えてもらった。姿のままの鮎を背びれを上に立て、アタマから尾まで箸でおさえていく。身が骨離れして、アタマを持って引き抜くと、内臓ごと骨がすっと抜ける。あとには姿のよい骨と身が残る。鮎食いの通は、いやいや、鮎の塩焼きはアタマから内臓まで骨ぐるみぜ〜んぶ食べるものだという。そういう食べ方をするひとの皿には、食べ終わったあと何一つ残らない。さすがにそこまでは真似できないから、そうやって抜いた骨を皿に並べて食べた個数を数える。今でも日本海に注ぐ庄川や手取川の上流には天然鮎の塩焼きを食べたいだけ食べさせる店があるが、そんなぜいたくは言わない、年に一度、一匹だけでいい……。
 
 と思ったら旅先の料亭に鮎の姿焼きが彩りも爽やかな蓼酢たですと共にでてきた。舌なめずりして骨抜きをしたら、あらら、骨はもろくも途中で折れた。掻き出した骨には、なにやら灰褐色のゼリー状の固形物がまとわりついている。脂肪だ。養殖池で太った運動不足の鮎だということが一目でわかった。
 
 ちがう、ちがうんだよ、これって鮎じゃない。清流を流れに逆らって泳ぎ続けて贅肉も脂肪もつけているヒマなどない天然鮎とはちがう。かわいそうだけど、キミを食べたからって、鮎を食べた気にはならない、とつい目の前の塩焼きにこぼしたくなる。
 それ以来長い間、天然鮎を食べていない。どんな味だか忘れそうだ。
 
 日本には季節の巡りを確実に経験するための、さまざまなアイテムがある。蛍狩りや鮎の塩焼きはそのひとつだ。春は筍や山菜、夏ははもに蓴(じゅん)菜(さい)、秋は松茸、そして冬は蟹にぶり……ああ、今年もこの季節が来たなあ、と味わえる楽しみは、しだいに手の届かないものになったのだろうか。
 
 食べ物ばかりが並んだが、食えないものもある。
 
 ほんまもんの蛍を一匹でいいから、年に一度、見たい、というものだ。昔のひとにとってはあたりまえのこんなささやかな望みさえ、近年は叶わなくなった。かつては蚊帳の中に蛍を放して点滅をたのしむという風流な遊びがあったそうな。都内の某老舗ホテルは、敷地内の日本庭園に蛍を放して宿泊客に興趣を添えたというが、その何千匹だかの蛍は、業者が捕獲したもの。蛍の発光は生殖行動だと聞いた。卵を産みつける渓流もなく、虚しく朽ちていくしかない。生物虐待に当たるとかで、やがて沙汰止みになったと聞いた。
 
 アメリカにいたとき、林の中をふうわり飛んで行く蛍を見たことがある。英語ではfirefly(火の虫)、情緒がない。それに北米大陸の蛍は陸蛍で、わたしが見たのは水のない山中の木立ちの間だった。まさかこんなところに、と思ったが、それでもなつかしい気持ちがする。
 
 和泉式部にこんな和歌がある。

物おもへば沢の蛍も我が身よりあくがれいづるたまかとぞみる

 いにしえのひとは蛍を魂に擬したのであろう。同じ霊魂でも墓場の燐火りんかは怖いのに、蛍の灯りはやさしく、はかなく、なつかしい。
 
 それを年に一度だけ、それも一匹でいいから、この目で見たい……というのは、そんなに大仰な望みになったのだろうか。偶然蛍に行き逢った年には、ああ、これで今年も蛍の季節を味わえた、とほっとする。
 
 わたしの山の家のある八ヶ岳南麓には蛍狩りのスポットがいくつかある。それを熟知している地元の名人がいる。なにしろ街灯のないまっくらな田舎道、それも農道をたどって沢沿いのスポットを探し当てるのだから、なみたいていのことではない。毎年誘ってもらって先導車の後をそろそろ付いていくが、いざ自分で行こうとしても二度とふたたび同じ場所にはたどりつけない。ヘッドライトに照らされた農道は狭く、うっかりすると側溝にタイヤを落としかねない。
 
 スポットに着いたら、クルマのライトは消す。まっくらな闇の中でやがて目が慣れてくる。川向こうの藪の中に、点滅するものが見つかる。じっと見ていると、ふうわりと舞い上がる。じっと動かない光もある。あ、蛍だ、と思って見つめていると、遠くの家の灯りだったりする。どうりで動かないはずだ。
 
 時間が経つにつれて、もっとたくさんの光が目に入ってくるようになる。あ、そこにも、ここにも、と。子どものように追いかけて走りたいが、道から落ちそうなので、やめる。そのうち手が届く近さの草葉に、点滅している光が目に入る。業者にかんたんに捕獲されるほど、蛍は見て見て、追いかけてきて、というように存在が目立つし、わたしの手につかまるほど動きが緩慢だ。手のひらにとじこめて見つめると、指のあいだから点滅する光が漏れる。家に持ちかえって寝室に放そうか、と一瞬思うが、そんな邪念は捨てて、元にもどしてやる。手のひらから飛び立って手の届かない高みへと飛んで行く蛍は、この世からいなくなったあのひと、このひとのようだ。魂の存在など信じない不信心者のわたしにしてからが、古代人のように神妙な気持ちになる。
 
 これまでの人生での蛍狩りの圧巻は、京都の貴船での蛍の乱舞だった。川面を埋め尽くす光の饗宴に目を奪われた。目が慣れてくるにつれて数が増えていく。いつまで見ていても飽きない。この光景を求めて、暗くなってからクルマを北に走らせる。名所を知っているのか、人出も多い。だが、昼の観光地と違って、どのひとも静かだ。蛍の季節は梅雨時に当たるので、空はたいがい曇っているが、幸運なら上空を見あげたときに、蛍にまさるとも劣らない星の大円舞が見られる。蛍と星の競演である。
 
 あんな豪華な蛍狩りはもう二度と経験できないだろう。これまでの蛍狩りの名所だって、環境の変化でどんどん蛍が減っていると聞いた。あの蛍の乱舞でなくてもいい、たった一匹、年に一度、なま蛍にどこかで出会えないものだろうか? そうすれば今年もきちんと過ぎていく、という気分になれるのに。
 
 梅雨が明けると蛍の季節も終わる。ある日ふっと、あ、遅い、と気がつく。今年も蛍の季節を逃してしまった、と。わたしを蛍狩りに案内してくれた名人は、すでにこの世にいない。

(タイトルビジュアル撮影・筆者)

ひとつ前に戻る  次を読む

プロフィール
上野千鶴子(うえの・ちづこ)

1948年、富山県生まれ。社会学者。認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長、東京大学名誉教授。女性学、ジェンダー研究のパイオニアであり、現在は高齢者の介護とケアの問題についても研究している。主な著書に『家父長制と資本制』(岩波現代文庫)、『スカートの下の劇場』(河出文庫)、『おひとりさまの老後』(文春文庫)、『ひとりの午後に』(NHK出版/文春文庫)、『女の子はどう生きるか 教えて、上野先生!』(岩波ジュニア新書)、『在宅ひとり死のススメ』(文春新書)などがある。

※「本がひらく」公式Twitterでは更新情報などを随時発信しています。ぜひこちらもチェックしてみてください!

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!